メンフィスは妹の我が儘を跳ね返せず、結局は許してしまう。
さらに、奴隷の娘――キャロルと二人で話がしたいと言って、ハヅキは兄王であるメンフィスとミヌーエたちを部屋から下がらせた。
キャロルの傍を離れたがらないメンフィスに、ハヅキは『まあ!お兄様ったら!この者の時間をいただけるとおっしゃったではありませんか!まさか嘘ですの!』と拗ねて追い出すことに成功したのだ。
『い、いや、ハヅキよ…時間をやるとは言ったが、二人きりにするとは…』と食い下がろうとするも『もう知りません!』と"秘技・無視"を繰り出されては、難攻不落であろう城もあっけなく陥落した。
しかし、さすがに二人きりにするわけにもいかず、ウナスやイリスなど少人数が残った。
「…………」
キャロルはまるで嵐のように慌ただしく、そしてあっという間に過ぎ去るやり取りだと唖然としながら見ていた。
イリスたちが用意したのは飲み物とお菓子だった。
寝台から降りることができないハヅキのために、キャロルが座る椅子も近くに寄せ、イリスが『こちらにお座りください』とキャロルを誘導する。
奴隷の娘に対して丁寧な対応なのは、王女であるハヅキがキャロルに興味を持ったからだろう。
「イリス、天蓋の薄布を解いて…この者とお話がしたいの」
「姫様!お待ちください!いかに王の寵愛を受けていようともこの者は身元も知れぬ者です!」
「そうです!姫様!姫様に万一のことがあっては我らは如何にして王にお顔向けできましょう!」
天蓋の薄布は普段、寝るとき以外は括っている。
キャロルと二人で話がしたいからと天蓋の薄布を解いてもらおうとしたが、当然ながら、その場にいる全員から反対された。
真っ先に反対の意を示したのは、警備を任されているウナスだ。
ウナスに続き、イリスも大反対し、ハヅキは『えーっ!』と不満の表情を見せる。
キャロルは未だに状況がつかめず、ただ見守るしかできなかった。
「もう、心配性なんだから…いいわよ、内緒話するもの」
ツン、とさせながら、ハヅキは脇に座っているキャロルに『こっちにきて』と自分の隣をポンポンと叩く。
キャロルはチラリとイリスたちを見たが、彼女たちは明らかに自分を警戒して睨んでいる。
王のお気に入りの奴隷とはいえ、必要以上に王女との距離が近いのが彼らには気になるようだ。
確かに、王のお気に入りとはいえ、たかが奴隷と一国の王女では、どちらを尊ぶべきか疑問にもならない。
しかし、キャロルもハヅキと話がしたいと思っていたため、恐る恐るだがハヅキの隣に移り、内緒話をしたがるハヅキのために耳を傾ける。
口元を手で隠しながら、ハヅキもキャロルの耳元に口を寄せる。
(キャロル、よね…?キャロル・リード…私のお姉ちゃんで妹…)
こそ、と小声で呟かれた言葉に、キャロルが思わず身を引き、ハヅキを目を見開いて見つめた。
『やっぱりハヅキなのね!!』と叫びそうになるキャロルの唇に、ハヅキの人差し指が触れる。
「そうなら頷いて」
そう言われ、キャロルは頷く。
何度も、何度も。
その青い瞳には涙が浮かび、ハヅキの漆黒の瞳にも同じように涙が滲み、キャロルに抱きつく。
「キャロル!キャロルなのね!本当に!キャロルなのね!」
「ハヅキ!ハヅキね!」
お互い喜びを表すように、ギュッと強く抱きしめる。
キャロルからならまだしも、ハヅキの方から抱きしめたため、イリスたちは、キャロルを引きはがしたいができずにいた。
キャロルは抱きしめたハヅキの身体が熱いことに気づき、腕の力を抜く。
「ハヅキ!あなた、身体が熱いわ!熱があるの!?」
「そ、そうなのです!姫様は安静にしなければならないので!離れてください!!今すぐに!早く!!」
体温計で測らなくても分かるほど、ハヅキの身体は熱を帯びており、キャロルは心配そうに見つめる。
最近ずっと熱で寝込んでいたのもあり、ハヅキはキャロルの反応にどこか新鮮に感じる。
キャロルの言葉を聞いたイリスは、やっと割り込むチャンスだと二人の間に入り、キャロルとハヅキを引き離そうとした。
だが、二人の手は繋がったままで、どちらも離す気配がなく、仕方なくイリスは用意していた椅子に二人を座らせるしかなかった。
「ハヅキ…風邪を引いたの?」
握る手からも熱が伝わる。
キャロルの言葉に答えたのは、ハヅキではなくイリスだった。
イリスは飲み途中だった薬湯を淹れ直し、ハヅキに渡した。
「姫様は幼い頃よりお身体が弱くあらせられます…ですから、どうかご無理はさせぬようにお願いいたします」
暗に、『これ以上ハヅキに近づくな』と言っているように聞こえ、キャロルはイリスの鋭い視線に圧倒された。
イリスは美しい容姿を持って生まれた。
男たちを虜にするほどの美貌でありながら、人生のほとんどをハヅキに捧げ、彼女を慈しみ、言い寄る男たちをことごとく退けてきた。
病弱で、医師からも回復の見込みはないと言われた王女を、ずっと支え続けてきた侍女である。
その迫力の前では、一般家庭で育ったキャロルが抗うなど到底できなかった。
「メンフィスも言っていたけど…王女ってどういうこと?」
ずっとここにいる人たちは、ハヅキを"王女"だと言っていた。
あの横暴なメンフィスに、目に入れても痛くないほど可愛がっている妹がいるという話は聞いていた。
名前も耳にしていたが、まさか三千年前の古代エジプトの王女がハヅキ本人だとは思わず、同姓同名だとばかり考えていた。
古代エジプトで異国めいた名前だなとは思っていたが。
ハヅキはキャロルの質問に困ったような笑みを浮かべた。
どう答えるべきか迷っていた。
答えたくないというわけではなく、イリスたちの前で話しても大丈夫なのか不安だったのだ。
そのため、ハヅキはまたキャロルの耳元で話す。
(私、この国の第二王女なの)
その返答に、キャロルが眉をひそめてハヅキを見る。
ハヅキの答えに、疑問はますます深まるばかりだった。
今度はキャロルがハヅキの耳元に口元を持っていく。
(だから、なんでハヅキが王女なの?だって、ハヅキは日本人で…21世紀で私たちの家族だったじゃない)
またハヅキが困ったように笑った。
『どうして』と聞かれても、ハヅキこそ知りたいと思う。
キャロルの姿を見た時、ハヅキは全てを思い出したのだ。
自分は21世紀の人間で、アイシスによって殺されかけたと思えば古代エジプトに"帰っていた"。
ハヅキにとって、古代エジプトも、21世紀も、どちらも本物なのだ。
それを『どうして』と聞かれてしまえば、気づいたらこちらに帰っていたハヅキにも分からず、困ってしまう。
とりあえず、このエジプトに来た経緯を話すと――キャロルは驚いた表情を見せた。
(私もよ!私もアイシスに連れてこられて3千年前のエジプトに来たの!)
キャロルも姉であるアイシスに連れて来られたと聞き、今度はハヅキが驚く番だった。
ハヅキは特に声を落としてキャロルに忠告する。
(お姉様……アイシスのことは話さない方がいいわ、キャロル)
(えっ!どうして!?)
(アイシスはメンフィス王の姉…この国の王女よ…あの人はメンフィス王以外には恐ろしい人だもの…もしもキャロルに何かあったらライアン兄さんたちに顔向けができない)
(ハヅキ…アイシスのこと知っているの?)
(あら、私はこの国の第二王女なのよ…メンフィス王とアイシス王女の異母妹なの)
関わりはすでに途絶えている姉妹ではあるが、姉の恐ろしい性格はよく知っている。
あまりアイシスの名を出せばキャロルもタダではすまないだろう。
ましてや、キャロルはキャロル本人の意思はどうであれ、メンフィス…アイシスの最愛の人の寵愛を受けている女だ。
ハヅキと同じく、メンフィスが愛した女は、彼女にとってどうしても消し去りたい人間だろう。
キャロルが怪我でも負ったら。
それも、最悪死んでしまったら。
ハヅキは悔やんでも悔やみきれないし、リード家に顔向けができない。
― キャロルを守らなきゃ…お姉様からも…お兄様からも……キャロルは私の大切な家族だもの… ―
再会を喜ぶキャロルを見て、ハヅキはキャロルを守らなければと強く思う。
自分にはメンフィスやイリスたちがいるが、キャロルにはハヅキ以外に家族も知り合いもいないのだ。
キャロルが帰るその時まで、ハヅキはこの身を粉にしてでも彼女を守らなければと思う。
古代では奴隷の命は塵よりも軽いのだから。
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