異国の奴隷であるキャロルを、メンフィスが拾い、傍に置いてから、エジプトには二つの大きな変化が生まれた。
一つは、メンフィスがアイシスとの結婚を受け入れなかったこと。
メンフィスはハヅキの『結婚を反対します』という言葉だけで、アイシスとの結婚を受け入れなかった。
姉の自身への愛情と執着に気づかないメンフィスは、姉の『なぜ』という問いに、『ハヅキが姉上との結婚に反対しましたので』と悪びれる様子もなく答えた。
その結果、アイシスの異母妹への憎しみはさらに深まったが、ハヅキは反対を述べた時点で分かっていたことなので、驚きはない。
そしてもう一つ。
「わっ!」
「きゃあ!―――ってハヅキ!」
王家で管理している池で花を摘むようメンフィスに命じられ、仕方なく蓮の花を摘んでいたキャロルだったが、不意に背後から驚かされ思わず声を上げた。
慌てて振り返ると、そこにいたのはハヅキで、悪戯が成功した子供のようにクスクスと笑う姿に、驚かせたのは彼女だと分かった。
『もう!驚かさないで!』と胸元に手を当てながら咎めたキャロルだったが、『ハヅキ』と呼ぼうとした瞬間、イリスからの刃物のような視線に『…様』と付け足した。
どうやらイリスやウナスたちから、キャロルは要注意人物と見なされているらしく、ハヅキが会いにくれば必ず傍に付き添い、キャロルを監視するように見ている。
ナフテラ曰く、ハヅキは幼い頃から病弱で寝たきりが多かったため、周りも過敏になり過保護になってしまうのだとか。
その筆頭がメンフィス、次いでウナスとイリスらしい。
ハヅキに会えるのは嬉しいが、こうも鋭い目で追われるとやりにくい。
驚くキャロルにハヅキはクスクスと笑みを浮かべながら『ごめんね』と謝り、隣に移りキャロルの腕の中を覗き込む。
「お花を摘んでいるの?」
「ええ…メンフィスからハヅキの部屋に飾る花を摘めって命じられてね」
本人にネタ晴らししていいのか分からないが、普段横暴な態度で扱われている恨みで教えた。
イリスの睨みで最初こそハヅキを『様』付で呼んでいたが、どうも幼い頃から家族として傍にいたためか素に戻ってしまう。
ハヅキも気にしていないので、イリスたちも咎めることもできず、せいぜい睨むことしかできなかった。
メンフィスも最初こそ妹に対して気さくな態度を崩さないキャロルに咎めていたが、その妹のハヅキ本人から『キャロルは特別』と止められてからは気に留めることもなくなった。
「まあ、キャロルってば本当にお兄様に気に入られているのね」
ハヅキはびっくりしたと言わんばかりに驚いた表情をキャロルに見せる。
だが、その反応にキャロルが逆に目を丸くさせる。
「どこがよ!いつもあれしろ、これしろって、偉そうに命令しちゃってさ!自分でやればいいことを人にさせるのよ!もう!傲慢も傲慢よっ!」
「そりゃあ、ねえ?だって、お兄様はエジプトのファラオだし…この国で一番偉いもの…人に世話をさせるのも王族の務めだし…私だってそうよ?」
「ゔ…ま、まあ、そうなんだけどさ…で、でも!いつも理不尽に怒られるこっちの身になってよぉ」
偉そうに、とキャロルが言うと、ハヅキは可笑しそうに笑った。
メンフィスはこの国の王であるため、偉そうなのではなく、本当に偉いのだ。
それを正論で突っ込まれたキャロルは『うぐ』と言葉を詰まらせた。
それでもハヅキ相手だからか、王に対して愚痴をこぼすキャロルに、ハヅキは目を細め微笑ましく見つめる。
「私に贈る花や品物はね、お兄様か、お兄様が信頼している人にしか任せないの」
「え…」
「お兄様は私をとても気にかけてくださっているでしょ?だから誰にでも任せるようなことはなさらないのよ」
ハヅキは驚いていた。
ハヅキに贈る花や品物は、基本的に兄が妹へ贈っている。
兄が多忙な時は、信頼における人物…例えばすぐ後ろに控えているウナスやイリス、女官長のナフテラと、将軍のミヌーエらがそれを代わりに行い、兄君からの贈り物としてハヅキに届けている。
花を摘むだけの役目に見えるが、実のところ、それはメンフィスにとって非常に大切な務めだった。
そのため、出会って間もないキャロルにその役目を任せていることに、妹であるハヅキは驚いていた。
それを聞かされたキャロルは目を丸くしてハヅキを見た。
「…そ、そう…そうなの…」
キャロルは目線を泳がせた後、摘んで腕に抱く花で顔を隠す。
ハヅキは花で顔を隠す前に、キャロルの顔がほんのりと色づいていたのに気づいた。
メンフィスの傲慢な態度に腹を立てて嫌っているのは、間違いではないのだろう。
キャロルは21世紀でも裕福な家庭で生まれ育った娘だ。
古代とはいえ、王族の価値観とは異なる環境下で育った。
人に世話をされて当然な自分達王族とは考え方が違う。
それでも傲慢さに腹を立てながらも、信頼されているというのは嬉しさに繋がった。
メンフィスの妹として、キャロルの妹で姉として、二人には仲良くなってほしいとハヅキは思っていた。
そこに恋愛感情があるなしは、今は置いておく。
「ね、ねえ…ハヅキ…あなたはどの花がいい?」
「私?」
「ええ…あなたに贈る花だもの…あなたが好きな花がいいわ」
キャロルはハヅキからの微笑ましそうな視線に、気まずくなって池にある花をハヅキ本人に決めさせようと誤魔化す。
それは兄であるメンフィスやウナスたちもハヅキの指示で花を摘むこともあるが、イリスたちからしたら奴隷の娘が王女に好きな花を選ばせる行為に無礼と感じたのか、二人は眉をひそめた。
ハヅキは特に気に留めず、『そうね』と池に咲く花へ視線を向ける。
「あの花がいいわ…ウナス、摘んできてちょうだい」
ハヅキが選んだのは、縁から離れた場所に美しく咲く花。
指を差すハヅキは、キャロルではなく、傍に控えているウナスに摘んでくるよう命じた。
指名されると思っていなかったウナスは『えっ!?』と驚いた声を零し、目を丸くしてハヅキを見た。
「わ、私ですか!?」
「まあ!こんな可愛らしい子を冷たい水に浸からせるなんて!せっかくの愛らしい装いも台無しになってしまうわ!」
『ね、キャロル!』と同意を求められたが、キャロルは立場的に頷く事はできなかった。
苦笑いを浮かべて曖昧に返事をするキャロルに気にせず、『ほら、あそこのお花よ』ともう一度、花を指さした。
王女に命じられてしまえば逆らえるわけもなく、『畏まりました』とガクリと肩を落とし、武器を同僚に預けて水が跳ねて王女にかからぬよう、静かに池へ入る。。
「こちらの花ですね?」
「そう!そのお花!あと、あのお花も好きよ」
ついで、とハヅキはウナスに近くにある花を指さす。
数本摘んで許されたウナスは池から上がり、キャロルに花を渡す。
ウナスに指示するハヅキの姿に、キャロルはまじまじとハヅキを見る。
「ハヅキってば、王女様みたい」
「あら、わたくし、エジプトの第二王女でしてよ」
口元に手を当ててしみじみ呟くキャロルに、ハヅキは目を瞬かせたが、ふと笑みを浮かべ、肩の髪を払った。
二人はお互いを見つめ、噴き出したように笑い合う。
ウナスとイリスは、王女の笑い声に視線を交わし驚く。
くすくすと愉快そうに笑い合ったハヅキは、『そうだ』と胸元で手を合わせる。
「そのお花、私に頂けるのでしょう?なら一緒に部屋へ行きましょう!」
思い立ったが早いか、キャロルの返事を待たず、ハヅキはキャロルの手を取って兄の元へと向かった。
手を引かれるキャロルは、裾や腕にある花を落とさないように気を付けながら走る。
臣下たちと仕事の話をしていたらしいメンフィスは、愛しい妹が呼ぶ声に資料から顔を上げる。
「どうした、ハヅキ…そんな走ってはやっと下がった熱がまた上がってしまうぞ」
「ふふ、今日は調子が良いので大丈夫ですわ!それよりも!キャロルをお借りしても?」
毎日ハヅキの調子を報告させているメンフィスも、今日の体調が良好なのは知っている。
だが、そこで調子に乗って具合を悪くすることも多々あると知っており、転ぶことも案じた。
そんな兄心を知らぬハヅキは『大丈夫』と一言で終わらせる。
『それよりも』と手を引いていたキャロルの腕を組んで引き寄せる。
ハヅキの言葉に、メンフィスは眉をひそめた。
「またか?この前もそう言って私からキャロルを連れて行ったではないか」
「あら!でも、キャロルと過ごす時間はお兄様の方がずっと長いではありませんか!私への贈り物の花をキャロルに頼んだのでしょう?キャロルをお譲りいただけないのでしたら、それくらい許してくださってもいいでしょう?」
妹の言葉に、メンフィスは『ぐ』と言葉を飲み込む。
キャロルに懐いたのか、妹はキャロルと会せてから彼女を兄から取り上げることが度々あった。
身体の調子がいい日は殆どそうで、妹もキャロルも取られたようで面白くなく思う反面、妹が知らぬ間に街に出かける頻度も減ったので安堵していることもあった。
妹の我が儘を断ったという、後ろめたさもあってか、どうしてもそれを出されるとメンフィスは弱い。
『…会議が終わるまでだぞ』と渋々頷くと、妹の顔に笑顔が灯った。
どちらも取られたように面白くなかったメンフィスだったが、妹の嬉しそうな顔にそんな感情は跡形もなく消えていく。
『我ながら単純だな』と、妹の笑顔ひとつで機嫌が直る自分に、メンフィスは嬉しそうに部屋へ戻る妹を見送った。
「姫様は、近頃よくお笑いになられるようになりましたな」
仕事のスピードを少しだけ遅らせるか、と結局、妹に甘いメンフィスがそう思いながら臣下たちが提出した資料に目を通したとき、傍にいた臣下の一人が妹の後ろ姿を見送りながらそう呟いた。
その呟きを皮切りに、臣下たちの話題はキャロルとハヅキでもちきりとなった。
「最初は物珍しさからあの娘にご興味をお持ちなのかと思っておりましたが…やはりお年が近いからでしょうな、ずいぶん心を許しておられる」
「あの娘も姫様が王女であられても臆することなく接しておられるゆえか、まるでご友人のように仲睦まじいお姿をお見せくださる」
「王よ、良き拾い物をなさいましたな」
臣下たちもハヅキの変化に気づいていた。
キャロルと知り合ってから、ハヅキの体調も回復に向かってきていた。
父王を亡くしてから体調は悪化するばかりで、臣下たちもしばらく王女の姿を見ることが叶わなかった。
それが、王がキャロルという異国の奴隷を拾い、妹姫に会わせてから一変した。
ハヅキの体調はみるみる回復の兆しを見せ、今では走っても平気なほど回復している。
メンフィスもそれは気づいており、先ほども仕事をしながらキャロルとハヅキが楽しそうに話している姿に心を和ませていた。
臣下の言葉に、メンフィスは『そうだな』と妹を想うように目を細めて笑った。
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