小春が重丸に攫われる少し前、名取は服も身体もボロボロになり肩で息をしていた。
妖かしとの戦いでその階の廊下は悲惨な状態となっており、しかし何故かそこに泊まっているであろう宿泊客達は物音がどんなにしても出てくることはなかった。
「主様」
「柊か…」
頬を伝う汗を手の甲で拭っていた名取に、名取以上にボロボロな姿の柊が後ろから声を掛ける。
面で顔は見れないが柊の声は強張っており、それを聞きながら名取は柊の表情も自分と同じく顔も強張っているのだろうな、と小さく笑う。
「すみません…逃がしてしまいました。」
「いや、構わない…柊、お前ではあの妖かしに勝てないだろうしな…いや…私も、か…」
「……小春は大丈夫でしょうか…」
「大丈夫だろう…ニャンコの結界があるんだ。」
どっちも見た目はアレだが、結界も斑もそれなりに強力な妖力を持っている。
夏目と小春と知り合い、斑とも顔見知り程度に知り合い、その妖力の高さは十分に知っているつもりである。
それに小春が大切だと思うのは何も小春の兄である夏目だけではないのだから。
名取はまだ小春が車椅子で生活していた頃に見た斑の小春へ向けられる目線をふと思い出した。
あの目線の意味を名取は知らないが、あれを見れば斑が決して小春を邪険にせず適当な結界を張るとは思わない。
だからあの狐の妖かしを逃がし、小春の元へ行ってしまったとしても名取は少し余裕を持っていた。
流石に小春の元へ行かせてしまった失態には焦りを覚えているが…
主である名取の言葉を納得したように頷きながらもまだ心配そうな様子の柊に名取は小さく笑う。
「急ごう。結界があるとは言え小春ちゃんが危ないのは変らない」
「はい」
そう言って名取はエレベーターを待てず従業員用の階段で小春のいるであろう階に向かった。
名取が扉を閉めた瞬間…廊下にある爪痕や崩れた壁の破片がまるで何事も無かったように綺麗に無くなっていく。
****************
ザワザワとざわめきの中、名取は目を丸くさせていた。
「これ、は……」
名取の目の前には小春と同じ学校の生徒達であろう子供達が人だかりとなりある部屋へと集まっており、教師であろう大人がそんな子供達を部屋へ戻そうと声を上げる。
しかし子供達は騒然となり一向に自分達に割り当てられた部屋へ戻ろうとはせず野次馬のように部屋の中を覗き込もうとしていた。
「小春ちゃん…ッ!!」
その部屋は小春の部屋の隣だった。
小春の部屋は窓が割られていたため入れる状態ではなかったから空いている部屋を借りたのだろう。
生徒達が中々部屋へ戻ろうとしないのを苛立った教師の『さっさと部屋へ戻れ!!』という声に名取はハッと我に返り、生徒達が集まっている部屋が小春達の部屋ではないのことに気付かないまま慌てて生徒達を掻き分け部屋へ入る。
生徒達は突然の俳優である名取の登場に更にざわめき、女子は黄色い声を上げた。
女子生徒の黄色い悲鳴など名取の耳に届いておらず、部屋へ入るとそこには小春の姿はなかった。
「小春ちゃんは…」
「な、なんなんだ!あんたは!!」
「小春ちゃんはどこだ!!!」
「なんであんたなんかに生徒の事を教えなきゃ…」
「名取、さん…」
「!――奈々ちゃん…!」
突然現れた名取に教師は唖然としていた。
しかし女子の黄色い声にハッと我に返り慌てて小春達の部屋に入り小春の名を口にしながら部屋を見渡す名取の肩を掴み止めさせる。
その瞬間、ざわめき立っていた声が一斉に悲鳴に変る。
云わば『名取周一に汚い手で触るなー!』で、ある。
教師は女子達の声に負けたのか肩を掴んでいた手を離すものの名取を問い詰めるのを止めようとはしない。
しかし逆に名取に問い詰められ、その剣幕に教師はたじろぐ。
たじろぐものの人気俳優がなんぼのもんじゃい!と自分と違い顔の整っている名取に嫉妬を燃え上がらせながら強気に出ていたが、その声を奈々が遮る。
奈々の声に名取は教師から奈々へ振り返る。
奈々は女性の教師に肩を抱かれ頭を氷水の入った袋で押さえており、名取は慌てた様子で奈々に駆け寄った。
駆け寄ってくる名取に奈々はゆっくりと顔を挙げしゃがみこむ名取の目を見つめた。
「奈々ちゃん、小春ちゃんは…」
「小春は…化け物に連れて行かれて…」
「化け物…?」
「…ごめんなさい…私…小春を守れなかった…」
「奈々ちゃん…」
奈々に駆け寄った名取を見て奈々に付き添っていた女性の教師は本物の名取を間近で見て頬を染める。
そんな教師など気付かず奈々は名取に小春が重丸に連れて行かれたことを教え、そして守れなかったことを謝る。
申し訳ないように顔を俯かせる奈々に名取は慰めるようにソッと悔しくて拳を握っている奈々の手に自分の手を重ねた。
「奈々ちゃんが気にすることじゃない…」
「でも…」
「小春ちゃんは私が連れ戻す…でないと夏目がこーんな目をしてここに乗り込んでくるしね。」
名取は泣き出しそうな奈々の震えている声に自分の目尻を吊り上げて奈々に見せる。
奈々は夏目の真似をしている名取に奈々は涙で濡らした瞳でその姿を見てふと笑みをこぼす。
奈々が笑ったのを見て名取は『やっぱり女の子は笑っていないとね』と小さく微笑んだ。
微笑んでいた名取だったがふと笑みを消し、真顔へと変え立ち上がる。
「名取さん…?」
「奈々ちゃん、君が小春ちゃんを守れないのは当たり前のことなんだ…」
「え…」
「これからは私に任せてまずは怪我の治療に専念してくれないかい?帰ってきたときに小春ちゃんが心配してしまうからね。」
そう言って名取は小さく笑みを奈々に向け去っていこうと背を向ける。
奈々の目を丸くさせて呆気に取られている表情など気にも留めず名取は早足で部屋を出ていった。
「私が…小春を守れないのは…あたり、まえ……ですって…?」
名取の言葉を脳裏で繰り返し呟いていた奈々だったが、段々と腹が立ってきたのか口に出していた。
頭に当てていた氷水の入った袋を持つ手もゆっくりと下ろされ、奈々は立ち上がる。
「井上さん?」
名取に見惚れていた教師も奈々が立ち上がった事で我に返り、突然立ち上がった奈々に首をかしげながら声を掛ける。
しかし奈々は教師の声など耳に入っていないのか返事も返さず持っていた氷水の入った袋を突き出すように側に付き添ってくれた教師に渡し、教師は反射条件で受け取ってしまう。
「い、井上さん!?」
受け取ってしまった氷水の袋と奈々を交互に見つめていると奈々が突然走りだし、教師達は唖然としてしまう。
生徒達も奈々の形相に恐れをなしたのか、触らぬ祟りになんとやらなのか、道を開け奈々を通してしまう。
13 / 26
← | back | →
しおりを挟む