(18 / 26) *10話 (18)
今から約1000年前…平安時代。
中期には陰陽師が時代の表舞台に現れ、陰陽師の代表として安倍晴明が名が挙げられるだろう。
そんな数多くの陰陽師の中、ある男がいた。
その男の名は久保重光――…
重丸の主人である。
****************
「あるじさま、あるじさま」
「どうした?」
「かあさまがいないの、とおさまもいないの…」
重光は己の使役している重丸に呼ばれ自宅の廊下を歩いていた足を止め、幼く愛らしい声が慌てているのに気付き振り返り優しげな声で問う。
振り返った重光の目線にはやはりどこか焦っている重丸がおり、子ヘビのように細く小さな体と尻尾を主人の重光の首に絡めながら顔を覗きこむように重光の目を見つめる。
母と父がいないと悲しげにきゅーきゅー鳴く重丸に重光は子を愛でる父のような目線を向け、目を細め重丸の小さい頭を指の腹で撫でてやる。
「お前の母と父は今仕事に出ている」
「おしごと?かあさまととおさまはおしごと?」
主人の言葉に小首を傾げる重丸に重光は『ああ、そうだ』と頷く。
重光の頷きに重丸は不安そうな表情を引っ込め『かあさまととおさまはおしごと!おしごと!』と嬉しそうに声を上げた。
まるで歌うようにご機嫌に鳴く重丸に重光も嬉しそうに目を細め笑い、重丸を連れたまま歩き出す。
重丸は3年前に生まれた妖かしだった。
母と父、共に重光に作られ、仕えていた。
他にも多くの兄姉がいるが重丸は最近生まれたまだ未熟な妖かしだった。
母も、父も、兄も、姉も、みんな一番末っ子の重丸を可愛がった。
特に重丸を目に入れても痛くないほど可愛がっていたのは主人である重光だった。
重光には子供がおらず、妻にも先立たれ、両親もすでにこの世にはいない。
1人広い屋敷でずっと暮らしていた。
だから重光にとって使役している妖かしは我が子同然であり、特に自分の名の一部を与えるほど重丸を可愛がっていた。
しかしだからと言って重光は重丸を愛玩動物にするつもりは全くなく、やっと生まれて3年経つ重丸に使役する妖かしとして色々と教え始める。
重丸は嫌がる事もなく教えられる事を何度か繰り返し覚えていった。
何故一度で覚えられないんだ、とは重光は一度も言わなかった。
それは重丸だけではなく、重丸の兄姉達にも、母や父にも言った事は一度もない。
使役している妖かしとて生きており、人や動物でも一度で覚えられるわけがなく、妖かしもそれは同じだという考えを持っていたからだ。
人は重光を変わり者だと噂する。
妻に先立たれた重光は知人や上司の見合い話を蹴り続けずっと独身を通してきた。
使役している妖かしを我が子のように愛し、愛情を注ぎ、その重丸の母と父に子を生ませ、まるで子育てをしているように育てる。
普通の陰陽師ならば決して向けることのない感情を妖かしに向け、そして何が起こっても冷静で表情を中々崩さない様子から重光は変わり者だと言われ続けた。
しかし、だからなんだと重光は答える。
妖かしを愛し、子のように思って何が悪いのだ、と。
重光には重丸達しか救いがなかった。
使役する妖かしで寂しい心を埋めていた。
重光が妖かし達を子のように愛せば、重丸達も重光を父のように愛した。
妖かし達にとって、全ては重光の為に生き、重光が喜べば己たちも嬉しくなり、重光を傷つける者は誰であろうと許さなかった。
重光も、重丸達も、お互い幸せだった。
幸せで、とっても幸せで…
その幸せがずっと続くと、重光も、重丸達も思っていた。
あの男が現れるまでは――。
「久保殿」
重光は仕事の為、朝廷に足を運んでいた暑い夏の日だった。
ある男に声を掛けられ重光は振り返る。
「蘆屋殿」
声をかけてきたその人物は重光の友人の1人である安陪晴明の好敵手と言われている蘆屋道満だった。
重光は全く面識のない道満に声をかけられ首をかしげながら因縁をつけられたら面倒だと淡々とした口調で『どうなされました?』と何でもないように道満に答える。
「久保殿は安陪殿と大変仲がよいとお聞きしましてな………話してみたいと常々思っていたのです。」
「はあ…それは光栄ですね…」
正直道満の言葉など重光にはどうでもよかった。
朝廷の仕事も終え、貴族たちの屋敷を回る仕事がまだ残っているため早く解放してほしいと頭の中で呟く。
そして、どうでもよかったのと同時に道満は自分の友人である晴明を蹴落とすためならなんでもする男である事を知っているため警戒をいた。
何の恨みがあるのかなど重光にはどうでもいい事で、お互いがライバル視しようが片方だけライバル視してようが重光には関係ない事である。
冷たいようだが、一応は友人として晴明には是非勝ってほしいとは思っている。
そんな晴明を目の敵にしている男が胡散臭く笑い話しかけてきたのなら警戒しないわけがない。
表には決して出さない重光を道満は目を細め『こちらへ』と手招きし側にあった部屋へと姿を消す。
「…………」
胡散臭い上に密室という何が起こっても可笑しくない条件が揃い重光は微かに眉間にシワを寄せる。
「主様…如何いたしますか。」
「我等があの男の喉を食いちぎりましょうか」
「…止めておけ…たかが管狐のお前達ではあの男には歯も立たん。」
行くべきか、そのまま無視をし帰るべきか…どうするべきか悩んでいた重光の懐から子ヘビのように長い胴を持ち耳の長いキツネが2匹現れ重光の首筋で交差し横顔から覗き込み道満が消えた部屋を見つめる。
その2匹というのが重丸達の母と父である。
2匹は道満を主に危害を加えるであろう男と見なしたのか、母は鼻にシワを寄せ、父は恐ろしげな言葉を投げかけた。
そんな2匹に愛しげな目で見つめ宥めるように小さな頭を撫でてやる。
重光は自分の力量も、そして自分の妖かし達の力量も十分に分かっている。
だから自分が出来ないような仕事は引き受ける事はなかった。
そして、冷静だからこそ相手の力量も測ることが出来る。
重光は無視をして目をつけられたらたまらないと渋々道満が待っているであろう部屋へ入る。
「話しとはなんでしょうか」
中に入れば道満が背を向けて待っていた。
それに怪訝に思いながらも重光は重い足取りで薄暗い部屋へと入っていく。
その瞬間―…
―バタンッ―
「な…ッ」
独りでに重光の後ろの扉が勝手に閉じてしまう。
それに驚愕した重光は慌てて扉を開けようとするもまるで固く頑丈の鍵が掛かっているようにビクともしない。
隙間すら開かないその扉を開けるのを諦めた重光は扉を閉めた張本人であろう道満へゆっくりと振り返る。
「なんの真似でしょうか…蘆屋殿」
多少驚きはしたようだが、すぐに冷静さを取り戻し溜息混じりに道満の背へ声をかける。
その重光の声を聞きながら道満は喉奥でクツクツと笑みを零しながら振り返る。
重光は冷静さを保ちながら警戒を弱めず、ぐっと声を上げたいのを耐え罵り言葉を飲み込み平然を装う。
そんな気丈を振舞う重光に道満は愉快そうに目を細めた。
「私の望みは力のみ。」
「力………そのようなもの…すでに手に入れておられるではありませんか…これ以上欲して何になるのです?」
「だが私の力は晴明よりは遥かに劣っている。」
重光はその言葉を聞き微かに眉間にシワをよせる。
その重光の反応は本当に微かな動きだったため道満には分からなかったが、首をかしげる重光に道満は片眉を上げ笑みを殺し重光を見つめる。
「遥かに劣っている?何を仰っているか私には理解しかねますね…私達一介の陰陽師からしたら晴明も蘆屋殿もすでに誰にも負けない力を得ていると誰もが思っていますよ。」
「ほう…久保殿がそう仰るのならば、そうなのでしょうな……ならば遠回しに言わず素直に仲間がほしい、と言えばよかったですかな?」
「……仲間…?」
笑みを殺していた道満だったがすぐに相変わらずの人を馬鹿にしたような笑みへと戻し続ける。
道満の言葉に重光は今度はあからさまに怪訝そうに眉を顰め道満を見つめた。
予想通りの反応に道満は満足気に目を細め笑う。
「そう、仲間…晴明にあって私にないものは仲間なのですよ久保殿。」
「…………」
「それに彼にとってあなたはとても掛け替えのない友だ…あなたは化け物との子と恐れられ忌み嫌われた彼の最初の友だ……汚らわしい血が流れている彼の手をあなたは躊躇なく取ったと聞く……だから彼はあなたに過度な友の思いを向け、あなたに何をされても全て無条件に許す………その友を私が奪ったと知ればあやつは取り乱し隙を見せるでしょうね……友が敵として目の前に現れたあやつの絶望の表情が簡単に目に浮かぶ。」
「……それで…私に晴明を裏切り、お前の友になれというのか…」
道満の言葉に重光は低く唸るような声で呟く。
冷静だと影で言われ一部には不気味だと怖がられていた重光が今、己の前で感情を出し鋭く刺すような瞳で睨みつけている。
道満は晴明とは真逆の感情を向けられているとは言え晴明では見ることができない彼の感情を目の当たりにし、上機嫌に笑った。
そして重光の問いに正解だと言わんばかりに笑みを深めた。
月光で薄暗い部屋でも良く分かる道満の表情に重光は嫌悪するように顔を歪め、そして――…
「断る。」
「そうか、ならば死ぬがいい。」
いくら重光でも友を見捨て敵の手を取るような真似は出来ず、間髪を入れず道満の申し出を断る。
その重光の言葉を聞き、道満は笑みを更に深まり影から式神である醜い鬼を召喚し、そして―――…
部屋を血で汚し五体バラバラの重光の遺体を最初に見つけたのは晴明だという。
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