何も言わなくなった名取に小春は名取から重丸へ再び目線を戻す。
無言のまま小春達のやり取りを…小春を見ていた重丸は身体を震わせることはなかったがどうしたらいいか分からず戸惑いを見せる。
そんな重丸に小春は目を細め微笑を深くさせた。
「おいで」
「…………」
「おいで、重丸くん…一緒に帰ろう…」
「あるじ…さま…」
小春は重丸に手を指し伸ばした。
その手は血だらけで、決して綺麗とは言えないが重丸にとってその血で穢れている手はどんな綺麗な美しい手よりも綺麗に見えた。
救いの手に見えた。
小春の言葉に重丸はあんなに黒い物に塗りつぶされていた心がどうしてか晴れ晴れとしたようで、嬉しくもあり、そして悲しくもあった。
この小さな手に塗られている赤い色は自分がつけたもの。
自分が怒りで我を忘れたせいでついたもの。
重丸は悲しみと自分への憤りに瞳から滴を流す。
「主様…主様…」
「なぁに?」
重丸が流す涙が土を、草を濡らし、ただ重丸は主を呼び続ける。
その声からは小春を傷つけたという自責の念が見えた。
涙を流し続ける重丸に小春は心配そうに見つめ重丸の名を口にし、重丸はその声掛けに答えるようにゆっくりと小春に近寄る。
柊が警戒を強めたがそれを名取が止め、柊を下がらせ重丸に場を譲る。
重丸は柊や名取など目に映っていないようで真っ直ぐ小春を見つめ、血の気のない小春に擦り寄るように額をくっ付けた。
小春は擦り寄る重丸に擽ったそうな笑い声を零し血だらけの手で重丸を撫でてやる。
「そばに居てくれると言った事…本当か?」
「うん…あなたの命が消えるまで…一緒にいてあげる…」
重丸はこの言葉をどの言葉を言うよりも緊張した。
己の鼓動が聞こえるほど緊張している自分に心の中で笑ってしまうが、それ以上に小春の返事に感極まったように息をゆっくりと吐き出す。
小春の言葉を心に染み込ませるように目を瞑り何度も頭の中で繰り返しその言葉を流した。
すると重丸は閉じていた瞳を開け、静かに小春から顔を放し小春を見下ろす。
「重丸くん…?」
「分かって、いた…」
「え…」
「分かっていたのだ……私がもう長くないことも、お前が主様にはなりえないことも……もう、私に祓い人に抗えるほどの力が残っていないという事も…全て、全て分かっていた……気付いていた…」
重丸が離れたことに不思議そうに見上げていた小春だったが、重丸の言葉に目を見張る。
それは小春だけではなく名取も重丸の言葉に驚き目を丸くしていた。
そんな小春達を見下ろし、重丸は目を細める。
「だが…怖かったのだ……1人でこのまま誰にも気付かれず、看取られず死んでいくのが……怖くて、嫌だった…」
「重丸くん……晴明さんは…」
「いや、いい…言わなくていい……主様も…晴明様も…無情な人間ではないことは知っている…」
重丸は1000年間ずっと主人のために妖かしが封じられていないただの何もない洞窟を見張っていた。
ずっと、雨の日も、雪の日も、荒しの日も、暑い日も。
ずっと、ずっと…
しかし成長していき、封印されていない見えない妖かしを見張っていくうちに知らず知らず重丸は力を得ていた。
そして、気付いたのだ…晴明が嘘を付き、妖かしなどいないことを。
妖かしがいないのを知り重丸は怒り狂った。
暴れて周りの壁に晴明への恨みを八つ当たりの如くぶつけた。
しかし、残ったのは暴れた時に崩れた壁と崩壊に巻き込まれた自分の管だけで、すっきりすることもなく憎しみが小さくなる事もなかった。
そしてその憎しみは晴明に自分を騙させた主人にも向けられ、重丸は全てを憎んだ。
しかし重丸は人間でいう気が狂うほどの時を得て気付いたのだ……思い出したのだ…主人と晴明が無情な人間ではない事を。
元々人が好きだった重丸は理由も分からず封じられた事に悲しみに呉れた。
ただ、晴明達が無情な人間ではないからと言って憎しみが消えたわけではなかった。
悲しい、憎い、悲しい、憎い…その連鎖に重丸は次第に縛られていく。
小春は悲しげに笑い首を振る重丸に何も言えず、ただ重丸を見上げるだけで慰めの言葉が掛けれなかった。
自分以上の寂しさの中、たった1人で過ごしてきた重丸に小春は何も言えない自分が悔しくて痛みで出ない力で拳を握った。
そんな小春など気付かず重丸は悲しげな笑みから嬉しそうな笑みへ変え、小春に向ける。
「だから、嬉しかった…一緒にいてくれるというお前の言葉がとても、とても…」
「重丸くん…嬉しかったって、言わないで……嬉しいって…言って……そんな…今にも消えそうなこと、言わないで…」
「……ああ…そうだね…嬉しい…とても嬉しいよ…お前のその優しい言葉が、心が…お前の全てが嬉しい…」
小春は過去形の重丸の言葉に哀しげに重丸を見上げ、首を振る。
重丸は少し無言が続いたが、本当に嬉しそうに笑みを深め小春の言う通り訂正し、そっと小春に顔を寄せ幸せを噛み締めるように瞳を閉じ擦り寄った。
小春も痛みを耐えながら抱きとめられている体勢を変え、名取に背を向け重丸の鼻先を抱きしめるように身体を寄せる。
痛みに体勢を崩しそうだが、バランスを完全に崩す前に咄嗟に名取が後ろから支えてやり何とか倒れる事はなかった。
名取も、その後ろにいる柊も、何も言えずただ2人を見つめるしかなかった。
小春も重丸を感じるように擦りより瞳を閉じる。
「これから、どうしようか…重丸くん、は…何が、したい…?」
「そうだな…私はお前とずっといたい……お前と一緒に寝て、お前に起こされ、お前の為に魚や木の実を取ってやり、それを美味しそうに食べるお前を見て、一緒に走り回り、一緒に昼寝をし、一緒に夕暮れを見て、そしてまた一緒に眠りたい…ただ、それだけがいい……」
我が儘を言うつもりはなかった。
ただ、普通に一緒にいて、一緒に過ごしたかった。
主人と出来なかったことをしたいだけだった。
重丸の願いを聞き、小春は『楽しそうだね』と擦れた声で呟く。
小春とのその何でもない日常を目蓋の裏で思い描きながら小春の言葉に重丸は『そうだな』と返した。
「!――重丸、くん…!」
しかし、重丸の身体は次第に崩れていく。
甘い香りを感じ、小春が静かに目を開けると目の前には花びらが舞っていた。
顔を上げれば重丸の身体が花びらへと変っていき散っていくのが見えて小春は目を丸くさせる。
当の本人である重丸は痛みを感じていないのか目を丸くさせて驚く小春に目を開け、細めて笑った。
「もう、時間みたいだ…」
「だ、だめ!だって…私まだ重丸くんの願いを叶えてない…!」
「もういい。私はもうお前のその優しさだけでもういい…」
「良くないよ!!約束は約束でしょ!?重丸くんと…私との約束じゃない…ッ!!」
1000年間壊れた管から何度も離れ、人間に化け、そして名取と戦い、重丸はもう力も寿命も尽きかけていた。
妖かしは人間とは違い死ぬまで生きていく妖かしが多い。
しかし全てがそうではなく、多くの妖かしは死ぬまで生きていくがそれでも限界と言うものがある。
その限界は妖かし全てがそうではなく、重丸のように1000年生きる者も居ればそれ以上に生きる者もいる。
ただ、重丸は1000年が寿命だった、というだけだった。
寿命と力の使いすぎが重丸を消滅へと導いてしまった。
小春は目の前で花びらとなり消えていく重丸に涙を溜め、首を振り、首を振ったため溜まっていた涙が宙を舞う。
消え行く中でも約束を果たしてくれようとしている小春に重丸は微笑を深めた。
「ありがとう…ありがとう、小春……そしてごめんなさい…」
そう言って重丸は小春達の前から姿を消し、それと同時に小春は気を失う。
ありがとうございます…お客様………ありがとう…
名取と柊の焦る声を耳にしながら、小春は頭の中に聞いたことある男性の声が響いた。
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