夏目は走る。
妹を抱きかかえ出来るだけあの場所から離れた場所へと走っていた。
後ろから追いかける気配はないが、振り返る余裕は夏目にはなかった。
「ぐふおあっ!」
「!?」
とにかく小春の安全が第一と夏目は走っていると、何か温かく柔らかいモノを蹴った感覚に夏目は立ち止まる。
「先生…」
「な、つめ…、貴様…っ…この私を足蹴りする、とは…いい度胸だなおい…」
「…ごめん」
夏目が蹴ったモノ…それは斑だった。
茂みから現れた夏目と、小春を探していた斑が丁度タイミングよく鉢合わせお互い走っていたため立ち止まれずぶつかったという訳である。
「夏目くんっ!!」
「多軌……大丈夫だ、小春ならここにいるよ」
小春を探していたのは斑だけではなく、小春を探し回っていた斑に気づいた多軌もその後ろを追って一緒に探してくれていたようで、多軌の隣には同じく小春を探していたちょびもいた。
多軌は夏目の姿に小春がいなくなった事を教えようとしたのだが、安易に人の名を呼べず、そして言い終わる前に夏目は小春も一緒だと教える。
夏目の腕の中に小春が横抱きにされており、多軌はホッと安堵の息を突こうとした。
だが、夏目の腕に抱きかかえられている小春の姿に一瞬にして顔を真っ青にさせる。
「夏目くん…その服…」
小春の服は下着が露わになるほど裂かれており、多軌のその声は震えていた。
多軌の震える声と青白いその顔に夏目は『ああ』と何故か冷静な声で頷き小春を見下ろす。
「襲われた」
「…ッ!」
多軌は夏目の言葉に息を呑んだ。
何に、とは言えなかったし、多軌は妖がまさかそういう意味で人間を襲うとは思ってもいないため、暴漢が人間だと思いこむ。
手伝わせてしまったために小春が暴漢に襲われたという罪悪感に襲われる。
夏目は多軌の声に小春がコート一枚も羽織っていない事を思い出ししゃがみ込み自分の着ているコートを脱いで小春の上から被せる。
寒いのか小春は気を失っているのに関わらず体を震わせ、吐く息も白く震えていた。
そんな妹を夏目は優しい目で見つめ小春の髪を撫でてやる。
襲われたという夏目の声はあまりにも淡々すぎ、斑は違和感を感じていた。
「夏目…お前……」
「夏目くん…私…」
「よかった」
「え…」
「そっちは無事だったんだな。」
斑は小春を見つめ優しく髪を撫でてやる夏目に目を丸くし何か言いたげに口を開きかけた。
多軌も夏目と小春を見て辛そうに眉を顰め口を開きかける。
だが両者の言葉を夏目が遮り、小春から目を離さないまま続ける。
多軌はまだ何か言いたげだったが多軌とちょびに挟まれ座っている斑は『無事ではないわ!』と夏目の言葉に突っ込んだ。
「お前のせいで吐きそうだったわ!」
腹を一撃蹴られたおかげで今日食べた物全てをリリースしそうになった斑はプリプリ怒っていたが、いつもならそのプリプリに目を輝かせるはずの多軌はしょんぼりとさせ、夏目は目が気になるのか擦りながら『そうか』と冷たくあしらい、ちょびに関してはノーコメントである。
「まったく…お前今までどこにいた?小春はどこで見つけた?」
「この奥の洞窟」
小春の眠りは深いのか怒鳴り声を上げる斑の声にも目を覚ますことはなかった。
斑のお叱りを受けても夏目はやはり小春を見つめたまま答える。
「多軌」
「え…?」
「例の妖怪に会ったよ」
「…!」
まだ目が気になり擦る夏目はあの洞窟の中で勝負を挑んできた妖に会ったことを多軌に伝えた。
多軌は夏目の言葉にハッとさせ顔を上げる。
妹を大事に抱き支える夏目の姿はボロボロだった。
その姿に罪悪感はつもりばかりで多軌の視界が揺らぎ、俯く多軌の瞳から雫が零れグッと握る拳の上に落ちた。
「多軌」
多軌は溢れる涙を流していいのは夏目と小春だけだという事を知っている。
自分は巻き込んだ側なのだから泣いていい資格がないのも、知っていた。
でも溢れる涙は止まらず、多軌は巻き込んでしまった事への謝罪を夏目達に沢山言いたかった。
だけど沢山の言葉を言いたいのに喉は言葉を詰まらせてしまい、今はまだ『ごめんなさい』と呟くしかできなかった。
そんな多軌の呟きに夏目は初めて小春から多軌へと顔を上げた。
夏目に名を呼ばれ多軌は俯かせていた顔を上げ、多軌は驚愕し目を見張る。
「大丈夫だ…巻き込んだとか今は悩むな……俺も時々考えるけど、俺達相手には悩まなくてもいい。」
多軌が驚いていたのは夏目の言葉ではない。
多軌が驚いたのは夏目の表情だった。
夏目の表情があまりにも無く、声も淡々とし、無感情だったから。
普段から反応が薄い夏目だが、笑ったり、怒ったり、悲しんだりと普通に表情が変わる。
しかし今の夏目は無表情そのものでまるで能面のようだった。
多軌はすぐには反応できなかったが、夏目の表情に斑は目を細め溜息をつく。
周りの反応を余所に夏目は何度も目を擦る様子を見せる。
「どうした?」
「さっきから視界がぼやけて…良く見えないんだ…」
「瞳の色が少し陰ってるようであります」
あまりに先ほどから目を擦るため斑は気になって声をかけた。
夏目は斑の問いに視界がぼやけると答える。
その答えにちょびが夏目の目を見つめながら続けるが…夏目はちょびの声に顔を上げた。
「あれ…ちょび髭の声がする…どこかにいるのか、先生…」
「はあ?目の前にいるだろ!」
「え?」
「私の隣にいるぞ!」
「え…」
ちょびの声がするのに夏目の目にはちょびの姿が見えなかった。
別れる前まではあんなにも鬱陶しい顔のでかい妖が視界にハッキリクッキリ映っていたというのに、今は全く見えない。
斑の隣にいるというので目を凝らして見るもやはりちょびの姿は夏目の目に映ることはなかった。
「何してるの、あんたら」
「!…音羽か…」
「あ゙?」
目を何度も何度も擦りちょびを見ようとした。
しかし何度試してもちょびの姿はなく、夏目の目には斑と多軌しか映らない。
一瞬にして静まり返ったその場に茂みから別行動していた音羽が現れた。
夏目は後ろから現れた音羽にあの妖かと思いビクリとさせ小春を庇うように抱きしめる。
しかし音羽だと分かった途端安堵の息をつき身体の力を抜く。
音羽はふにゃりとさせる夏目にムッとさせまるで不良のように凄んだ。
「で、なに…なんで集まってんの、あんたら」
まだ集合時間ではないのに集まる5人に音羽は怪訝とさせる。
夏目と多軌の間に座る音羽だったが隣の夏目の腕に抱かれ眠る小春を見て片眉を上げる反応を見せた。
しかしそれ以上何も言わず斑の説明に音羽は興味なさげに『へぇ』と返しながらチラリと夏目を見る。
そして夏目の表情に目を細め多軌達にバレない程度に嬉しそうに微笑んだ。
そんな音羽に気づかず夏目はまだちょびを見ようとするも…結果はどう頑張ろうと同じである。
「まずい…見えない…」
「「「え!?」」」
「しまった…きっとあの妖怪に目玉を舐められたせいだ…」
「「ええ!?」」
夏目は相変わらず無表情だが、代わりなのか夏目の言葉に多軌と斑が青ざめた。
夏目にはちょびが見えない原因に身に覚えがあった。
それはあの妖に顔を舐められた時眼球も一緒に舐められた事である。
無茶な理由だが、今のところそれしか思い浮かばなかった。
その夏目の言葉に多軌と斑が更に唖然とし、隣にいた音羽は呆れた目で夏目を横目で見た。
「あんたねぇ…妖に目玉舐められるとか警戒心なさすぎ…私の警告を無駄にするとかありえない…」
「ごめん…」
「で、でもなんで妖怪が見えなくなったのかしら…」
この間の音羽は夏目兄妹の妖力の高さから警告をした。
同じ妖力が強い者同士と言うよりかは田沼の友人だからという理由で音羽は珍しくも警告してあげたのだ。
それなのに夏目はその警告を気にもしていなかったように妖に目を舐められ、結果、妖が見る事ができなくなった。
呆れる音羽に夏目は無表情ながらに謝るしかできず、そんな空気を変えようと多軌が慌てて間に入る。
多軌の問いに音羽は呆れた目線を夏目に固定しつつ答えてやる。
「それ、相手の毒気で麻痺してんのよ。だから妖が見えないの。」
「治るのか?」
「さあ?治るんじゃない?」
適当な返しだが夏目は少し安堵する。
治らないと言われるよりマシなのだろう。
しかし曖昧な返事に不安も隠せなかったのか『こんな時に…』と項垂れる。
「ごめん…本当巻き込んじゃって…」
「いいんだ…多軌は悪くない」
「アホー!!お前が見えずにどうやって捕まえるというのだ!!あーもう!役立たずが二倍になったではないか!!二倍だ!二倍!!全く!なんてことだ!!」
項垂れる夏目に多軌もまた項垂れた。
夏目は気にするなと言ってくれたがやはり巻き込んだ側としては気にせずにはいられず、落ち込んでしまう。
そんな夏目に斑は容赦なく声を上げ、ちょびは相変わらずノーコメント、音羽は『妖怪が見えないあんたなんかもやし以下ね』と止めを刺す。
「…とにかく、今日はお開きにしましょう…こんなもやし以下と陣しか描けないのが集まっても聞き込みもありゃしないわよ」
「「…すみません」」
どんよりとさせる2人を鬱陶しそうにしながらの音羽の提案で今日はもう終わりにすることになった。
音羽の言葉に反論する人物は今はいない。
「もやし以下…あんたの妹、どうするの」
「連れて帰るが…」
全員が帰るため立ち上がっていると音羽は小春を抱き上げた夏目に声をかける。
どうすると問われた夏目は無表情のまま小首を傾げ、その答えに音羽は溜息をつく。
深すぎて深海クラスの溜息に普通に答えた夏目は反対の方向へと首を傾げた。
「その恰好の説明は?」
「えっと…途中で眠っちゃってって寒くないように掛けたって言ってすぐに二階に上がればなんとか…」
「…まあ、何があったかなんて野暮な事は聞かないであげるけど…その様子だと相当ショックを受けているようだし…あんたの妹、暫く目を覚まさないわよ、多分」
「え…」
音羽の言葉に夏目だけではなく多軌達も目を丸くした。
音羽は途中で鉢合わせたため小春がどんな事があったかは分からない。
だが大きな声でも目を覚ます兆しが見えないところからしばらくは目を覚まさないだろうという事は伺え、そして微かに感じる祓われた気配に音羽は小春は眠っているのではなく眠らされているのに気付いた。
「あんたの妹、なんか護符とか持ってた?」
「護符……いや……あ、でも知り合いの妖怪からお守りを貰ったが…」
「じゃあそれが発動したんでしょうね…私も齧った程度でしか分からないけど、そのお守りにはあんたの妹を守るために眠らせる効果もあったんだわ」
「眠らせる…?どうして…」
「嫌な事を忘れるには時間が必要なのよ…それには眠るのが最適なの」
「…………」
音羽の言葉に達磨男を経由して今はもういない影鬼からの最初で最後の贈り物を夏目は頭に過った。
夏目は音羽の説明に納得する。
普段なら怪訝とさせるが、影鬼もまた自分と同じく小春を愛し、守ろうとしていた。
そして何よりも影鬼は全てを奪った罪悪感があった。
だから小春を眠らせて守ろうというのも少し納得はいった。
「じゃあ…小春は…ずっと眠ったままなのか…」
「さあ…その護符の効果にもよるけど…まあ、この程度のお守りだとニ三日あたりじゃない?」
夏目は音羽の言葉に背筋が寒くなった。
もしこのまま眠ったままでいるのなら、あの不安が過るのだ。
あの…影鬼に全てを奪われた小春に戻ってしまうのではという恐怖が。
この時夏目は初めて無表情を崩した。
しかしその表情は恐怖に顔を強張らせており、音羽はその表情をチラリと見た後小春の首からそのお守りを手に取る。
手に取って感じるものはなかった。
それはもうすでに効果がなくなったという事。
もうこのお守りはゴミクズ同然だという事。
どうやらこのお守りは一回限りの簡易な物だったらしく、眠ると言ってもニ三日程度ほど。
それを夏目に伝えれば、夏目は安堵の息をつき、表情も少し和らいだとは言え無表情に戻ってしまった。
音羽は効果がなくなったお守りを小春へと放り投げて返すと一つ提案をする。
「あんたの妹、私が預かるわ」
「は…?」
その提案とは、音羽の家で小春を預かるという事だった。
あまりにも突拍子な提案に夏目はもちろん斑や多軌も目を点にしていた。
「それはどういう…」
「ニ三日も寝たっきりだと逆に家の人に怪しまれるでしょうが」
音羽の言葉に夏目はぐうの音も出なかった。
妖に破られた服は今夏目のコートを被せているからすぐに二階に向かえば見られずに済む。
しかし眠っている事だけは何とかできないだろう。
まだ一日だけなら何とか言い訳も通じるが、それが二日、三日と眠り続ければ異常だと病院に行くのが普通である。
その事への言い訳が今の夏目には思いつかない。
「なるほど…確か明日から休日とやららしいしな…友人の家に泊まりに行った、と言えば無難と言えば無難か…小娘の家には小娘の式もいるしな」
「勝手に使われるのは癪だけど今回は貸にしておくわ」
「…………」
斑も音羽の提案に納得いったように頷く。
友達かと言われると音羽には『否』を貰う仲だが、まだ全くの嘘を言うよりはいいだろう。
斑は音羽に仕えている天狗兄妹もいるからと呆気なく許可はしたが、肝心な夏目は何も言わず小春を見下ろしていた。
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