多軌と青之丞と別れ、暗い中夏目は斑と歩いていた。
小春が傍にいないだけでいつもの夜道が一層静かに感じ、更に孤独感が夏目を襲い、どれだけ小春の存在が夏目にとって重要なのかを暗闇が改めて知らしめていた。
「ニャンコ先生…」
「何だ」
斑はとぼとぼと歩く夏目の前に歩く。
いつも以上に会話のない夏目を気にも留めず斑は藤原家へと向かっていた。
すると夏目に声を掛けられ、斑は前方を見たまま返事を返す。
「どうしてあの時止めたんだ」
夏目の問いに斑は立ち止まり、夏目に振り返る。
あの時とはどの時だ、といつもならはぐらかしからかうが、今はそんな気分でもなかった。
『あの時』とは小春とは会うなという音羽の言葉に反論しようとしたのを止めたときだと斑は察する。
立ち止まって振り返る斑をジッと見つめるその夏目の目は責めており、斑はその夏目の視線に大げさに溜息をつく。
溜息をつかれた夏目は拳をぐっと強く握った。
「どうして俺が小春に会おうとするのを止めたんだ…」
「…小娘が言った言葉そのままの意味だからだ」
「ッ、だから!!だからなんで…!!」
「お前、今自分がどんな顔をしているのか分からないのか」
「……顔…?」
また音羽と同じ返事を返された。
そう思った瞬間ずっと冷静を装っていた夏目の感情は爆発した。
夜だというのに声を上げる夏目に斑はいたって冷静に声だけを荒げる夏目を見上げていたが、夏目は斑の言葉に首を傾げた。
首を傾げる夏目に斑はまた溜息をついた。
「お前…今能面のような顔をしているぞ」
「は…?」
「大方小春を傷つけられた怒りが強すぎて感情のコントロールができなくなったのだろう」
「ちょっと、待ってくれ…」
「お前もすかしていてもまだまだ子供だという事だ。なあに目を離してしまった私の責任でもあるからな…ちょちょいと妖を捻り潰して…」
「待てって!!」
夏目は斑に能面のようだと言われ呆気に取られた。
鏡など朝に髪を整える時しかじっくり見ないため、やはり夏目は自分の変化に気づいていなかった。
斑に言われようやく気づいた夏目は喋りはじめる斑を止めに掛かる。
ストップを貰った斑は素直に喋るのをやめ、騒がしかったのが一気に静まり返る。
「…ちょっと、待て…俺、今無表情なのか…?」
「先ほどからそう言ってるだろ」
「……………」
「…今のお前はあまりにも負の感情が強すぎる。ぶつける相手がおらず、小春は目を覚まさない………まあ…あの妖の後にこれだからな…お前の反応は納得はいく事はいくが…今のお前は感情が麻痺しているのだ。だから私もお前が小春のそばにいるのは得策とは言い難い。」
「……どうして…」
「お前は確実に眠ったままの小春を見て影鬼を思い出し…そしていずれ必ず、お前は崩壊する」
「……………」
「気づいていなかったのか?お前私達と合流してからずっと…――手が震えていたぞ」
「……、…」
夏目からしたらずっといつも通りのつもりだった。
ずっと落ち込む多軌を微笑んで慰め、目を覚まさない小春を悲しげに見つめ、ぎゃあぎゃあと騒ぐ斑を飽きれたように見つめている……つもりだった。
しかしどうやら違ったようである。
夏目は小春を傷つけられ当然頭に血が上った。
しかし一度上った血を妖によって冷静に変換させられてしまい、怒りは夏目の中に溜まっていった。
ここで怒り狂い暴れれば小春を救い出せないと冷静の部分で計算したため無理矢理感情を抑え込み、その無理矢理押し込めたままでいた。
それに巳弥の時も小春は一度気を失っていた。
それだけならまだよかった。
その時はまだ感情を抑え込む必要のない感情の強さだったため夏目は辛そうにしていた、悲しげに泣いていた。
救急車を呼ぼうとする夏目を止める斑にも夏目は声を荒げることも出来たのだ。
しかし巳弥の事件から今回に続き夏目の容量が耐えきれなかったのだろう。
だから耐えきれず自己防衛として脳は夏目の感情を麻痺させたのだ。
普通ならたかが気を失っただけだと思うだろうが、夏目はずっと幼い頃からベットに縛り付けられて続けていた小春を見て育ってきた。
ずっと小春が死ぬ事が前提で諦めてきた。
いつ一人になっても可笑しくない恐怖を持ちながら育ってきたのだ。
その恐怖全てが影鬼の消滅と共に消え去り、夏目は安堵しているはずだった。
だけど本当はまたいつ小春が倒れるか不安だった。
――今は綺麗な瞳で自分を映してくれるが『また』目も見えなくなって自分を見なくなってしまうのではないか。
――今は愛らしい声を聞かせてくれるが『また』声が出なくなって名前を呼んでくれないのではないか。
――今は一緒に隣を歩いてくれるが『また』足が不自由になり自分のもとに駆けつけてくれることもなくなるのではないか。
――今は自分の声を拾ってくれるが『また』耳が聞こえなくなり自分の声に笑い返してくれないのではないか。
その不安が夏目の心の底に潜んでいた。
夏目自身も気づかないその不安が立て続けて小春が倒れたこと、そして妖に襲われそうになっていた事に溢れたのだろう。
まだ自分のように力で押さえつけられたのならここまでならなかった。
気を失っていても、殴られた痕があっても…夏目はただただ涙を流し一人にした事を後悔していただけだった。
しかし…妖は小春を女として見た。
それが決定的な要因だった。
斑に一度警告されたはずなのに…
小春がそういう意味で狙われるという警告を、夏目は一度でも聞いていたはずだったのに…
夏目はそれを記憶の奥へと押し込んでいた。
あの妖への憎悪、そして後悔。
この二つも重なり、夏目自身抑え込むことに限界だったのだ。
だから夏目に感情が消えた。
だから斑は危険だと思った。
だから、音羽は冷たく夏目を小春から切り離した。
夏目はそれを理解した瞬間、自分が物凄く情けなく思う。
とても小さい人間だと、とても馬鹿な人間だとも思った。
自分の今の状態を理解した夏目はその場に力なく座り込む。
「夏目?」
「お、れは…俺は…小春が、大切なんだ……」
立ち尽くしていた夏目が座り込み、斑は不思議そうに見た。
しかし夏目の瞳は斑を見ていたが斑は決して見ていなかった。
それは妖に眼球を舐められたためではなく、呆然としているからだった。
座り込む夏目は斑に答えずポツポツと呟き、斑は話しはじめた夏目を止めるわけでもなくただ口を閉ざし聞いてやる。
「ずっと、ずっと…俺には小春しかいなくて…小春を守らなきゃってずっと思って……小春がまた影鬼の時のようにならないようにって………でも…、正直、怖かった……小春がまたあの時みたいになったらって思うと…本当は怖くて仕方なかったんだ…」
地べたに座り込んでも不思議と夏目は冷たいとは思わなかった。
と、いうよりは今の夏目には何も感じないと言った方が正しいのかもしれない。
今、夏目が感じているのは『恐怖』ただ一つ。
「っ、怖いんだ…先生……おれ…怖いんだ……小春がまた目を覚まさないんじゃないかって…怖いんだ…っ!妖怪の恐怖とか!小春を傷つけた憎さとか…!そんなのより…!俺…小春がいなくなるのがすごく怖いんだ!!」
斑の言葉によって自覚した夏目に一気に恐怖が襲い掛かった。
今まで抑え込んでいた感情が蓋が開けられ溢れるように出て夏目は緊張していた体が次は恐怖に震えて仕方なかった。
妖への恐怖や大切な妹を傷つけた事への恨みなどではない恐怖…小春が死んでしまいいなくなるのではないかという恐怖が、夏目が自分が死ぬよりも1人になるよりも恐ろしかった。
気づいてしまい溢れる感情を止められず夏目は叫んだ。
自分を抱えるように抱きしめて声を震わせ項垂れる夏目の悲痛な訴えに斑は何もしてやれない。
言葉を掛けるのは簡単だが、その言葉は決して妖である斑が言って夏目が安心できるモノではなく、そして同じ人間だからと言って夏目の恐怖がなくなるわけでもなかった。
夏目を救えるのは、夏目が最も大切に想う―――小春…ただ一人。
きっと小春がたっだ一言『大丈夫だよ』と言ってやれば夏目は救われるのだろう。
しかしその小春は今深い眠りについておりこの場にはいないし、今すぐ夏目を救う事は出来ない。
「夏目」
「……先生…おれ…」
だから斑は夏目に声を掛けた。
ここにいない小春の代わりになれるとは思っていないが、座り込む夏目を立たせるくらいは出来ると思い。
夏目は斑に名を呼ばれ顔を上げた。
目と目が合う夏目のその瞳は無感情な瞳から怯えへと変わり、その瞳に斑は目を細めてみせた。
「お前は私が食い、小春は私と夫婦になるのだ…そうやすやす他に奪われたらたまらないからなぁ…まあ仕方ない…お前達を守ってやるさ」
「…っ」
斑の言葉に夏目は目を見張り息を呑む。
斑の言葉は夏目を救う言葉ではならなかった。
…だが、
「誰と…誰、が、夫婦になる、って?…先生」
恐怖や怯え以外の感情を思い出させるくらいは出来た。
斑は夏目の泣きそうな笑みに『私と小春だが?』と憎まれ口で返す。
ふと夏目の纏う空気が和らいだのを感じた斑は夏目に背を向ける。
「さあ、帰るとするか夏目…今頃塔子と滋が心配のあまり探しに出ているかもしれない。」
「それは…困るな…」
「ああ、困る」
完全にいつもの夏目とは言い難いが、それでも立ち直ったのは感じた。
斑は立ち上がった夏目を見て歩き出す。
震える体を抱きしめる夏目はとても痛々しかった。
しかし、怯える夏目は感情的だった。
それが嫌に斑を安堵させる。
ようやく夏目が元の人間に戻ったのだと、斑は安堵した。
そしてそんな自分の感情に気づき斑は笑った。
――ああ、私らしくないな
そう言って、斑は、笑った。
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