斑は吹き飛ばされ、音羽は森へ姿を消し、夏目は辺りを見渡し見えない目で懸命に居るであろう妖を警戒していた。
「ヒヒヒ、わざわざ食われに来たのか」
「…!!」
すると背後から妖の声が聞こえ、夏目はハッとさせ振り返る。
三人の様子に多軌も異変を感じ後ろを振り返り睨むような目で辺りを見ていた夏目に駆け寄った。
しかし今の夏目には多軌の『どうしたの』という問いに答える余裕などない。
今この場には自分と多軌しかおらず、どちらも妖を見ることはできない。
魔封じの鏡は妖を見える前提としなければならず、鏡をぐっと握りながらも夏目は今までの中で一番神経を尖らせていた。
「!――触るな!」
その瞬間、ふわりと夏目の髪が舞った。
妖が警戒をする夏目をからかうために触れたのだろう。
多軌も夏目の反応に持っていた棒を構える。
「気が変わったぞ!勝負よりも友人帳の方が面白そうだ!」
妖の声は多軌には聞こえていないようで、夏目は響くような妖の声に辺りを見渡す。
後ろ、前、左右…どこを見渡しても妖の姿はない。
妖は気が変わったと勝手に勝負を持ちかけたというのに夏目と友人帳の事を知った途端勝負をやめたと言いだした。
更には『その女は用済みだな』、とまで言いだし、夏目は目を見張った。
用済み、ということは、今、自分よりも多軌の方が危険だという事である。
夏目は妖の呟きに咄嗟に多軌の方を見た。
「危ない!多軌!!」
「ッ!――夏目君!?」
妖は見えないが対処法は少なくとも多軌よりは知っているつもりでいる。
日々妖と接しているという意味では先輩で、男として女の子を守らなければという思いもあった。
それにうだうだと考えるよりも体が勝手に動いたのだろう…夏目は背後から襲い掛かろうとした妖から多軌を庇う。
庇われた多軌は目を丸くし驚いた表情を浮かべた。
多軌は田沼同様素質はあるが見ることができないため、吹き飛ばされた夏目に庇われ妖が傍にいることに気づく。
倒れる夏目に駆け寄ろうとする多軌だったがザザザ、と草の音に気づきその音の方へと視線をやれば不自然に草が踏まれたように倒れていたのだ。
それも独りでに。
それが妖だと気づいた多軌はそのあとを追いかける。
「待ってて!夏目くん!!」
「駄目だ!多軌!!危ない!行くな!!」
夏目ばかりに頼ってはいけないと多軌も思っていたのだろう…多軌も夏目と同じく考えるよりも体が動いた。
多軌は妖の行く先に陣があるのを思い出し、その陣へと走る。
傍を離れる多軌に夏目は慌てて止めに入り起き上がろうとした。
しかし何故か下へと引っ張られるように夏目は再び地面に倒れ、起き上がれなくなる。
庇った際落ちた鏡が石に立てかけられるように落ちており、ふとその鏡を見ると、夏目の首にいつの間にかロープが巻かれていた。
そのロープには見覚えがあった。
それは小春が妖に捕まっていた時につけられているのとほぼ同じで、そのロープは逃げ出せないよう地面に埋め込まれどんなに起き上がろうとしても固定されたロープによって起き上がれなくなっていた。
その間にも多軌は陣へと向かって走っていた。
「逃げろ逃げろ!好きなだけ!!」
自分を捕まえようと必死になっている多軌を見て面白おかしく笑う妖の声に夏目は必死だった。
姿が見えないのに声だけは聞こえ、正直じれったさに苛立ちはあったものの、今は妖から多軌を守ろうと必死で苛立ちなど感じる暇はない。
夏目は鏡へと手を伸ばすがあと数センチというところで手が届かなかった。
それでも夏目は必死に鏡へと手を伸ばすが、多軌は夏目の制止も聞かず陣に到着してしまう。
「来なさい!私を逃がすと厄介よ!!私はあなたを封じる方法を知っている!!」
陣の中に入りどこにいるか分からない妖に向かって多軌は叫んだ。
その声に鏡に手を伸ばしていた夏目は止めに声を上げるも、すでに時は遅く、妖は多軌の言葉に低い声で呟く。
「おのれ小娘…!調子に乗るな!!なぶり殺しにしてやる…!」
多軌の言葉に妖は姿を現す。
多軌の書いた陣に入ったのだ。
陣にさえ入ってしまえば素質のある者は見え、目をやられ妖が見えなくなった夏目でも妖の姿を確認する事が出来た。
まるで浮かぶように少しずつ姿を現す妖に夏目は目を見張り、多軌ははっきりと肉眼でも見える妖に一瞬だけ恐れ息を呑んだ。
しかしすぐに持っていた棒をぐっと握り勇気を出して妖に駆け寄り引きずっている妖の服と共に棒を地面に刺す。
「もう隠れられないわ!!」
地面に妖の服と共に棒を刺した多軌は妖から少し離れながらそう声を上げた。
妖が姿を現し捕まえた事によって、勝負はすでに終わっている。
妖の本性を知らない多軌はそう思っていた。
しかし…
「見えたところで何になる?非力な小娘よ。」
「だって…!捕まえたら許すって…!」
妖との関わりは多軌にはないに等しく、素直な性格からか夏目同様疑う事を知らない。
斑のように人間の傍にいる妖も知ったからこそ、多軌は疑う事などなかったのかもしれない。
妖はそんな多軌にニヤリと笑い大きな手を伸ばし多軌を掴んだ。
「約束など、守る気はない。」
「――、く…ッ」
掴まれた多軌は苦しそうに顔を歪め声を零す。
妖に捕まれた多軌を見て夏目はハッとさせ声を上げる。
「多軌!!」
「お友達!お前はどうだ?見えても見えなくても何も変わらないよなぁ!」
「!――やめろ!!放せ!!多軌!今すぐ行く!いくから…ッ!」
夏目の声に妖は多軌を握りしめながらそう零し、笑った。
笑いながら多軌を握る手の力を強め、多軌は強くなった力に小さな悲鳴を漏らす。
苦しそうにする多軌を見て夏目は鏡へと手を伸ばす。
妖が見えている今がチャンスなのだと、夏目はそう思った。
(届け…!行くんだ…!!行くんだ!!!)
しかし地面に埋め込まれたロープが邪魔をし夏目は手を伸ばしても鏡には届かない。
無我夢中だったため、首にはロープが擦れた痕がくっきりとつき、痛みは感じない。
妖はわざと鏡が届くか届かないほどの距離に夏目を引き止め、届くことのない鏡に必死に手を伸ばす夏目と、己の手の中に納まり強まる力に苦しげな表情を浮かべる多軌を見て愉快そうに笑った。
「―――、!!」
妖がまた多軌を握る手の力を入れたその時、強い風が夏目を襲う。
夏目は突風にハッとさせ鏡を見れば、鏡に映るロープがプツリと切れたのを見た。
それと同時に夏目の体が宙に浮き、夏目は唖然とするも何かに押されたように前へと進む己の体に我に返り咄嗟に鏡へと手を伸ばした。
夏目が鏡を取った瞬間、夏目は何かの上にふわりと乗るような感触が襲う。
その感触はとても見覚えがあった。
「先生!!」
そう、それは本来の姿の斑の上に乗った時と同じ手触りだった。
ふわふわのそれは鏡で確認しなくても夏目には分かり、斑の名を呼ぶ。
斑は何も言わず夏目が乗り落ちないよう毛を掴んだのを確認するとまっすぐに妖のもとへと駆けた。
「!!」
妖が気配を感じ多軌から目を逸らせば…陣の効果によって姿を現す斑が見えた。
多軌を放し逃げるよりも早く斑は妖に噛みつき、その痛みと衝撃から妖は多軌を放す。
多軌を放したのを見た夏目は持っていた鏡を妖に向け、そして――
「影なるものよ 静かなる眠りに 光を見つけよ!!」
教えられた呪文を叫んだ。
その瞬間、鏡は光り妖はその光と共に鏡の中へと吸い込まれるようにして消える。
妖が消え、夏目は力なく斑の上から落ちていく。
「夏目くん!?」
妖であれ、神であれ…封じるという行為は妖力をそれなりに使う。
そのため夏目は力が抜け斑から落ちてしまった。
そんな夏目を多軌は座り込んでいた体を起こし慌てて落ちてくる夏目を抱き止めた。
「た、き…無事、か?」
「うん…っ」
「そうか…よかった…」
受け止めてくれた多軌に夏目は閉じていた瞳を開けた。
薄らとだが、無事かと問えば帰ってきた答えに夏目は安堵したように息をつき、そして眠るようにして瞼を落としていく。
「夏目くん!!」
「大丈夫だ…少し休めば治る」
突然ズシリと重くなる体に、多軌は夏目が気を失った事を知る。
慌てて夏目に声を掛ければ背後から覗き込むように顔を近づく本来の姿の斑の言葉に多軌はホッとさせ、そして…多軌も気を失い倒れた。
「なに、気絶?」
倒れる多軌と夏目に斑は微かに目を見張り、そして人間のひ弱さに呆れたように溜息をついた。
すると背後から音羽の声がし、斑は振り向く。
「そっちは終わったのか小娘」
「ええ、一応は…」
振り返れば音羽と、音羽の飼い鳥の蒼葉が後ろに控えこちらに向かって歩んできていた。
音羽も気を失う2人を見て斑同様呆れたように2人を見つめていたが、斑の問いに肩を竦めてみせる。
音羽にしては珍しい歯切れの悪い答えに怪訝とさせながらも斑はふと血の匂いが鼻をかすめ、何気なくその匂いの元へ視線を落とした。
匂いの元――…そこは音羽の手元だった。
「それはどうした」
怪我をしているように裾に隠された手からは血がポタポタと垂れており、立ち止まっている音羽の下には小さな血の水溜りが出来ていた。
何気なく来た道へ視線をやればやはり血の跡が続いている。
斑の問いかけに音羽は『?』と首を傾げていたが斑が『血が出ているぞ』と指摘すれば今思い出したように『ああ、これ…』と裾を上げ斑に見せる。
「対価を払ってきたのよ」
そう言って斑に見せたのは爪がない手だった。
片手だが5本の指の爪全てが剥がされており、まだ剥がされて新しいらしい傷口からは止めどなく血が流れ音羽の腕と裾を血で汚す。
斑は音羽の言葉と怪我にただ『そうか』と返すだけで興味を失ったように夏目を見下ろす。
斑が視線を外し、音羽も斑に釣られたように夏目を見下ろす。
勝負は、多軌の勝ちに収まった。
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