(10 / 12) 20話 (10)

「小春!」


小春は兄の声にゆっくりと目を開ける。
少し意識が飛んでいたようで、斑に助けられていた夏目は名前を返した途端気を失うように倒れる妹の下へと駆け寄り抱き寄せた。
何回か揺さぶり名前を呼べば小春の意識が回復し、小春の瞳に自分が映る。
それを見て夏目はホッと安堵の息を零した。
兄の安心した表情を見て小春も安心しきっており、ふと人魚の方へと顔を向ける。
人魚は名前を返され姿を消そうとしていた。
人魚はそれでもじっと小春の目を見つめている。


「…お前、私の心を覗いたね?―――そうさ…私は彼女に失望してして意地悪してやろうと小瓶にブドウの汁を入れてやったのさ……でも…そしたら彼女は泣きそうな顔で笑って『ありがとう』って…―――私はその時自分自身にも失望してしまったんだ…」


自分の心を覗かれた事への怒りはなかった。
すでに諦めでもあったのかもしれない。
そして誰かに言いたかったのかもしれない。
笹船的にはどちらでもよかった。
もうどうでも良くなっていた―――あの時…老いた友に名前を呼ばれた時から…笹船の中で彼女を食べる気はもうなくなったのだから。
疲れたように息をつく。


「人間に関わるとろくなことがない……―――でも…よかったんだね…」


人間は奪う事ばかりしてきた。
友を奪い家族を奪い、住処さえ奪って来た。
昔からの馬鹿馬鹿しいなんの根拠もない伝説に踊らされ人魚を狩り絶滅に近づけた。
だから人間は嫌いだったのだ…友以外は。
その友にも裏切られ、笹船は意地悪をした。
ざまあみろと最初は思ったが…友のあの笑顔を見てしまえばズキリと少ない良心がいたんだ。
笹船も笹船で色々と悩んでいたのだろう。
あれが良かった事なのか、悪かったことなのか…
だけど夏目の言葉で小瓶に詰めたのが血ではなくブドウの汁を入れた事は正しかったのだと分かり、笹船はここで初めて本当の意味で笑った。


「伝えてやってくれ、夏目…私の代わりに……『意地悪してごめん』って…」

「!――待て笹船!!自分で伝えろ!!千津さんだってきっと…!きっと…!!」


消えゆく自分の代わりに夏目達に伝言を頼む笹船に夏目は小春を腕に抱きながら首を振り自分で伝えろと叫んだ。
自分たちからでも伝後は伝えれるが、それでは駄目だと思ったのだ。
笹船のことばでなければ、と思った。


「夏目君?」

「!…ち、千津さん…」


すると座り込んでいた千津が夏目の声を辿って来た。
本当は妖である人魚は人間の前に姿を現さない。
だが、名前を返してもらい消えようとしている今は例外なのか、千津の目にはキラキラと綺麗に輝きながら消えていく人魚の姿が映っていた。
その姿に千津は目を見張ったが嬉しそうに笑った。


「人魚さん!」


その笑みが幼い頃、友と呼んでいた頃の千津と重なり、笹船はふと優し気な笑みを浮かべ、そして…


―――お元気で…


そう言って笹船は光と共に姿を消した。
笹船が去るとその場は静まり返り、風と川の音だけが広がっていた。


「聞こえましたか?千津さん…」


消えてもまだ人魚がいるかのように千津の目線はまっすぐに向けられていた。
そんな千津に夏目がそう声をかければ、千津は…


「ええ…あの時と同じ優しい声が…」


淋し気だが嬉しそうな笑みでそう答えた。

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