(16 / 21) キルアの婚約者 (16)

ハンター試験はすでに始まっていた。
ベルと共に登場したのは、一次試験管のサトツというハンターだった。
サトツが行う試験は、マラソン。
二次試験会場まで着いてくることが試験内容となる。
ただ、マラソンと言ってもそう簡単なものではなく、サトツが動き出してからすでに6時間は優に経っていた。
距離も少なくとも80kmは走っている。
それに加えて、途中から階段となり、普通に走るよりも体力が大きく削られていく。
一部を除いて受験者達の多くは終わりの見えないマラソンにヒイヒイ言っており、多くの脱落者が出ていた。
そんな中、涼しい顔を…いや、暇そうな顔をした少女が一人赤い髪を弄って暇をつぶしていた。


「お姫様、そろそろやめてもらわないとボクの頭が剥げそうなんだけど」


赤い髪の主であるヒソカから苦情が来た。
しかし、エレノアの手は止まらない。
チラリとコチラを見るヒソカに、エレノアはツーンとそっぽを向く。


「だってヒソカさんったら私を降ろしてくださらないんだもの」

「これは罰だって言っただろう?叔父さんに怒られるのはボクなんだからちょっとは大人しくしててもらわないとね」

「暇ですの、諦めてくださいませ」

「それが本音かぁ」


叔父に怒られて戦えるなら話は別だ。
ならば、喜んでヒソカはエレノアを手に掛けよう。
しかし、実際そうはいかない。
激怒はするだろうが、ヒソカの目的を察して逆にヒソカを避けるだろう。
それに、報復は叔父がするのではなく、カトラー家が行うだろう。
ゾルディック家にも劣らない暗殺一家が総出で遊んでくれるのなら、エレノアに手を出してもいい。
だが、エレノアの背後にいるのは、叔父やカトラー家だけではない。
ゾルディック家や他の叔父達も動くことになる。


(全員相手にするのはちょっと分が悪いからなぁ…)


カトラー家、ゾルディック家を全て相手をするのはまだ時期早々だ。
エレノアに手を出すのはまだ早い。


「まだですの」

「まだだねぇ」

「私、疲れましたわ」

「お姫様は動いてないじゃないか」

「座ってるだけでも疲れますの…それにヒソカさん、乗り心地悪いんですもの」

「ボクなのに?」

「ぼくなのに」


相当暇なのか、ヒソカの頭で頬杖をついて赤い髪をクリクリと指で弄る。
ふぁ、と襲ってくるあくびもすでに何回したのやら。
一部を除いた周囲がヒイヒイと言いながら走り汗だくになっている中、エレノアは悠々とヒソカに抱き上げられて運ばれ汗一つかいていない。
みんな走ることに精いっぱいですでにエレノアへの罰の意味はなくなったが、暇こそ罰でもあるのかもしれない。


「お姫様、それ、やめてくれるかな」


エレノアはあまりの退屈さに肘をつきながらグリグリとつむじを押す。
つむじを押して腹を下すという迷信に医学的な根拠はないが、何となくつむじを押されるのは嫌だ。
だが、暇すぎるエレノアにはヒソカの嫌がりは効かない。


「先ほどキルア様とゴンさんが一緒に走っているのが見えましたわ」

「そーだねー」

「あーあ…本当なら私もお2人と一緒に走っていましたのに」

「そーだねー」

「私、キルア様を追いかけてこちらに来ましたのよ」

「そーだねー」

「帰ったらお父様に怒られるのでしょうね」

「そーだねー」

「暇ですわ、ヒソカさん」

「そーだねー」

「そうですわ!ヒソカさん、あなた奇術師なのでしょう?奇術師でしたら何か面白いことをしていただけません?」

「それはちょっと無理かなぁ」


ヒソカも返しが適当になってきた。
エレノアもヒソカと成り立っていない会話でもまだ1人よりもマシである。
因みに、ヒソカを殺さんばかりの視線は一つ減ったがまだ続いている。
話す話題もなくなりしばらく二人の間に沈黙がい落ちる。
それが気まずいというわけではないが、暇は変わらない。
エレノアは動かなくてもずっとヒソカに抱っこされ続けているのも疲労する。
疲れたように溜め息をつき、ヒソカの頭の上で腕に顔を埋めずっと同じ光景を見る。


「思ったのですけれど…」

「ん?」

「律儀に叔父様のご指示に従わなくてもよろしいのでは?」


ふと、エレノアは思う。
暇すぎて考えついた無茶振りだが、暇すぎて頭がマヒしているエレノアとしては名案だと思っていた。
意味の分からない言葉に、ヒソカは首を傾げた。
首を傾げたため頭が動き、自分の頭をひじ掛けにしていたエレノアから『動かないでくださいまし』とペチンと頭を軽く叩かれ怒られてしまう。
傾げた頭を元に戻しながら『どういう意味だい?』と問い返す。


「監視の方がいらっしゃるわけではないのでしょう?ならヒソカさんが黙っていてくださればお守りなどしなくてもよろしいのではなくって?」


監視役がいないのならエレノアのお守りをしなくても、2人が黙っていてさえいれば叔父達にバレることはないだろう。


「私はキルア様と一緒に試験を受ける事が出来て、ヒソカさんは私の子守から解放される…私とヒソカさんが喋らなければ叔父様には気づかれずヒソカさんは叔父様と戦える…いかがです?良い案だと思いませんこと?」


案という名の取引である。
ヒソカはじっと、自分を上から覗き込むエレノアを見つめる。
紫色の大きな瞳に自分が写っていた。
ヒソカは『うーん』と声を漏らしたが、答えはNOだった。


「残念だけど監視役はちゃぁんといるんだよねぇ」


エレノアは監視役がいると聞きヒソカの上から辺りを見渡して監視役とやらを見つけようとする。
しかし、エレノアが知っている人間はヒソカとキルア以外おらず、首を傾げてヒソカへ視線を戻した。


「私の見知った方はいらっしゃらないようですが…どなたですの、その監視役の方は…」

「それを教えたら監視じゃなくなっちゃうから、だーめ」

「まっ!意地悪ですのね」


監視役を教えてくれなかったが、エレノアはヒソカの言っていた協力者ではないかと読んでいる。
それは当たっているが、当たっていてもその協力者が分からない以上感が手も仕方ない。


「もうすぐ出口みたいだね」


どうやら監視役がいる以上、ヒソカと別行動をするのは無理そうだと諦めた。
エレノアも叔父達に迷惑をかけたと自覚しているからごねるのを止める。
とはいえ、まだ子供のエレノアは不機嫌ですと言わんばかりに頬を膨らませると、どうやらこの終わりの見えないマラソンがついに終わりを告げようとしていた。


「外には出たようですけれど…どこでしょう、ここ」


地下100階あったので、その分を上がってきたようだ。
距離からして、街から離れた場所に着いたとは分かっていたがまさかビル一つ、建物一つ、人一人いない場所に着いたとは思っておらず、二次試験会場に直接繋がった場所に出ると思っていた。
霧が濃く、湿度も高く、エレノアはじめじめした場所に不快感をあらわにさせる。
変わらずヒソカの腕に抱かれながらエレノアは辺りを見渡す。


(キルア様…)


辺りを見渡すとキルアの後姿を発見した。
ゴンも傍におり、どうやら受験生の中で一番最初に到着したらしい。


「もうよろしいのではなくって?降ろしてくださいませ」

「ダメダメ…二次試験会場までこのままいくから」


罰は継続するらしく、エレノアはプクリと頬を膨らませてそっぽを向く。
エレノアはチラリとキルアの後ろ姿を見ては、わざとらしく深い溜息をつく。


(あんなにも近くにキルア様がいらっしゃるのに…傍にいられないなんて)


あれからゴンと会って2人は波長が合ったのか仲を深めたようだ。
本当なら2人の間とは言わないまでも、2人の傍には自分もいたはずだ。
そう思うと、余計にこの時間がつまらなく感じる。
はあ、と溜息をついていると、後ろから音がしてヒソカごと振り返る。
振り返ると、トンネルの出口がシャッターによって閉まられていくのが見えた。


(クラピカさんとレオリオさんもいらっしゃるのですね)


どうやら、ある程度時間を決めて追いつけなかった受験者達を篩に落とすつもりらしい。
閉まる寸前、ギリギリに到着した受験生が一人、みんなの目の前で脱落した。
それを見て、エレノアは辺りを見渡してクラピカとレオリオを探すと、彼らはちゃんと到着していた。
クラピカは上着を脱いでおり、なぜかレオリオは上半身裸になっているが、彼らの実力からしてエレノアは当然間に合うと思っていた。
しかし、それはエレノアの感覚での話。
ちゃんと2人が到着しているのを見てエレノアはヒソカに気づかれないよう安堵する。


「ヌメーレ湿原…通称"詐欺師の塒"…二次試験会場へはここを通って行かねばなりません」


シャッターが降りたのを確認したサトツは、残った受験生たちにこの場所を軽く説明する。
この湿原には、多くの珍奇な動物達が生息している。
しかし、その動物達は人間をも欺いて食料にするような狡猾かつ貪欲な動物達であふれかえっている。


「十分注意してついて来てください…騙されると死にますよ」


その生態で多くの人間が食われ被害が出ており、だからこそ、サトツはこの湿原を試験会場に選んだ。
忠告をするサトツに、受験生たちはゴクリと唾を呑む。


「ヒソカさん、騙されないでくださいね…ヒソカさんが騙されれば巻き込まれてしまいますもの」


ヒソカが降ろしてくれない以上、エレノアの命はヒソカが握っている。
ヒソカが本当に騙されるとは思わないが、八つ当たりでエレノアはヒソカの頭をペチペチと軽く叩く。
エレノアの八つ当たりに、ヒソカは『はいはい』と適当に返していると―――


「騙されるな!そいつは嘘をついている!」


大声に、その場にいた全員が振り返った。
そこには男性が立っており、その手には猿の死骸が握られている。
死闘を繰り広げたように、男の姿は猿の死骸同様ボロボロとなっていた。
男は荒い息をそのままに、サトツを指さして更に捲し立てる。


「そいつは偽物だ!試験管じゃない!オレが本物の試験管だ!!」


その言葉に周囲が騒めいだ。
しかし、ヒソカもエレノアも冷静に、静かに、男を見つめる。
男は『これを見ろ』と言って猿を自分の目の前に放り投げ、仰向けに倒れた猿の顔が露になる。
俯いていて分からなかったが、猿の顔はサトツにそっくりだった。
その猿を見て、周囲は更に騒めく。


「ヌメーレ湿原に生息する人面猿だ!」


人面猿、と名付けられる通り、猿の顔は人間にそっくりだった。
男曰く、人面猿は新鮮な人肉を好むが、手足が長細く力が弱いため人間に扮して他の生き物と連携して狩りをするとのこと。
本来の試験管は自分で、そこにいるサトツは人面猿が人間に扮して受験者達を狩ろうとしている。


「そいつはハンター試験に集まった受験生を一網打尽にする気だぞ!」


『まあ』とエレノアは目を瞬かせ男を見つめた。
エレノアは気づき、驚いていた。
サトツがどう対処するのか、周囲の受験生達がどちらを選ぶのか、エレノアは彼らを見守っていると―――目の前で男の体に三枚のトランプが刺さるのが見えた。
トランプを見て、エレノアは自分を抱きかかえているヒソカへ視線を向ける。


「なるほどなるほど…」


ヒソカはクツクツと声をもらしながら楽しそうに笑みを浮かべていた。


「これで決定…そっちが本物だね」


ヒソカは男だけではなく、サトツにもトランプを投げていた。
エレノアがサトツを見れば、彼は三枚のトランプを指で挟んで止めていた。
ヒソカがサトツを見れば、受験生達もそちらに視線を向ける。
サトツは表情一つ変えず手に持っているトランプを捨てる。


「試験管というのは審査委員会から依頼されたハンターが無償でつくもの…我々が目指すハンターの端くれともあろう者があの程度の攻撃を防げないわけがないからね」


試すために両者にトランプを投げたのだろうが、エレノアだって気づいていたのだからヒソカが騙されるわけがない。
エレノアは試した風を装って、ヒソカがサトツにちょっかいを掛けていると気づいた。


「褒め言葉として受け取っておきましょう…―――しかし、次からはいかなる攻撃でも私への攻撃は試験管の反逆行為とみなして即失格とします…いいですね?」


サトツもそれには気づいているのだろう。
ただ、今は試験管と受験生の関係故に、忠告で終わらせてくれた。
エレノアはちょっぴりそれを残念に思った。


(ここで失格にしていただければ私はキルア様と試験を受けられると思ったのですけれど…ちょっと、悪い子すぎでしょうか…)


べ、とエレノアは内心舌を出して自分の心の狭さにちょっぴり反省する。
そうしている間に、サトツは二次試験会場へと再び走り出した。

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