エレノアはヒソカに乗ったまま、詐欺師の塒と呼ばれている湿原を移動していた。
周りにはまだ受験生達が多く残っているが、一試験の途中だがトンネルで37人もの脱落者が出た。
受験生達は走るのに忙しいが、罰としてヒソカに抱っこされているエレノアは暇すぎてヒソカの頭に腕を乗せてその腕に突っ伏していた。
(あら)
湿度を気持ち悪いと思いつつも、暇なのは案外つらい。
暇すぎてウトウトし始めたエレノアだったが、瞼が完全に落ちる寸前、微かな殺意を感じた。
ヒソカかと思ったが、ヒソカの殺気は先ほどから感じているため新たに現れた微かな殺意とは異なる。
何気なく辺りを見渡しても、周囲はスタート時点よりも霧が濃くなっており、よほど近くなければ人影でしか捉えられない。
しかし、あちこちから悲鳴が聞こえたり、人影もまばらになってきているところを見ると、湿原でも人数が減らされているのだろう。
そう暇すぎて解析していると、走っていたヒソカの足が止まった。
「ヒソカさん、どうなさいました?」
「囲まれちゃった」
立ち止まったヒソカに、エレノアは頭を起こし首を傾げながら問うと、明らかにハートマークがついているであろうテンションで答えられた。
困ったように言うが、その顔も声色も喜んでおり、エレノアは『ああ、なるほど』と納得する。
エレノアが納得したその時、ヒソカとエレノアを数人の男達が囲む。
それぞれ武器を持っており、睨むようにヒソカを見ているところからヒソカとの戦闘を望んでいるのだろう。
エレノアが納得したのは、先ほどの微かな殺気の意味だった。
「去年から思っていた…貴様はハンターに相応しくないってな」
「二度とハンター試験を受けないって誓えば見逃してやるぜ」
『去年』というのだから、この自分達を囲っている男達は去年もハンター試験を受けたのだろう。
そして、トンパが言っていたヒソカが試験管を半殺しにした事件も目撃している。
エレノアは、男達を見渡すが彼らから感じられる弱さにすぐに興味を失う。
ヒソカは『なに私まで巻き込んでくださっているのです』というエレノアのジト目を受けながら、笑みを深めて言った。
「いいよ、今年受かるからもう受けないし」
しかしその言葉は火に油を注ぐものだった。
男達はヒソカの言葉に腹を立て、殺気が先ほどより強くなるのをエレノアは感じた。
しかし、やはり暗殺一家の一員として育てられたエレノアからしたら興味を誘うような強さは彼らからは感じない。
原因の一つに、強者に数えられるであろうヒソカが傍にいるからだろう。
「受かる!?馬鹿め!この霧だぜ!?どこに向かったか分からない本体を見つけ出すなんて不可能だ!」
「つまり!お前達もオレ達も取り残された不合格者なんだよ!!」
『えっ、私もカウントされてる?』とエレノアは目を微かに丸くして驚く。
とはいえ、彼らの気持ちも分からなくはない。
普通は試験管を見失ったヒソカとエレノアを含む自分達はもう試験に合格できる可能性は低い。
方向感覚が正しく機能しないこの湿原では、野垂れ死ぬか、獣たちに食い殺されるかのどちらかだ。
自暴自棄になるのも無理はないだろう。
だが、それは普通ならばの話。
ヒソカは八つ当たりにも等しい彼らに、クツクツと笑って余裕を見せた。
「それでか…落ちるついでに試験管気どり…ハンターは獲物を狩る者…どっちが相応しいか…逆にボクが試験管を気取った君たちを判定してやるよ」
対して強そうではない相手でも、ヒソカはこの火照った体を発散できるならと乗り気を見せた。
ヒソカの言葉は、彼らにとって挑発となり、彼らは指示役の1人を除いて一斉に襲い掛かった。
ヒソカの腕には(見た目は)無害な少女であるエレノアがいるのだが、不合格どころか生きて戻れる保証もないやけくそな彼らにとって関係ないのだろう。
だからこそ、彼らは相手の力量を見誤ってしまい―――彼らはヒソカの手によって命を散っていった。
「さて…―――君たちもやる?」
最後の1人が腰を抜かしながらも逃げ出そうとしているのを、ヒソカは後ろから頭に向かってトランプを投げたて殺した。
エレノアはそれらを面白みのない映画を見るように退屈にヒソカの腕の中で観覧していた。
すると、ヒソカの声でエレノアはそこに2人の気配を感じ取り視線をそちらに向ける。
「あら、クラピカさんにレオリオさんではありませんか…こんなところでどうなさったのです?」
そこには、クラピカとレオリオの姿があった。
2人は先ほどの光景やヒソカの殺気に当てられているせいか顔を強張らせているように見える。
しかし、そんな2人を気にも留めず、エレノアは話しかける。
話しかけられた2人は場違いなエレノアの様子に口が動かなかった。
「知り合いかい?」
「はい、試験会場まで一緒に来ましたの」
「そうか、お姫様の知り合いかぁ」
試験管ゴッコを続けようとするヒソカだったが、2人がエレノアの知り合いだったと聞き『困ったなぁ』と呟く。
しかし、その顔は全く困っているようには見えなかった。
「んー…でも知り合いだもんね、ならいっか」
考えている最中のヒソカの隙を狙おうとしたが、全く隙がない。
人を簡単に殺害し、罪悪感さえも感じないヒソカを前に、2人は動く事さえできなかった。
ヒソカは考えをまとめたのか、エレノアを降ろして一歩足を踏み出す。
一歩、また一歩、と獲物をジリジリと追い詰めるようにヒソカはわざと遅く歩み寄る。
ヒソカの手が2人に伸ばされそうになっているというのに、エレノアは動くこともヒソカを止めようとすることもしなかった。
『まあ、お2人なら何とかなるでしょう』という謎の信頼があった。
その信頼に答えるように、2人はヒソカから逃げるよう二手に分かれて走り出す。
「なるほど…懸命な判断だ」
向かってくるか、大人しく殺されるかのどちらかだと思ったヒソカは二手に分かれて走り出した2人に愉快そうに笑う。
『逃げられちゃったよ』、と後ろで見ていたであろうエレノアに振り返ったヒソカの目は、微かに丸くさせた。
「……こっちにも逃げられたか…」
振り返った先には、命が散った男達だけしかいなかった。
退屈そうに待っているであろうエレノアの姿はなく、どうやらヒソカが2人に夢中になっていた隙にヒソカから逃げたのだろう。
気配を感じさせなかったエレノアの逃亡に、ヒソカは『流石カトラー家』とゾクゾクさせていると―――気配を感じそちらに視線を向ける。
そこには、レオリオがおり…――ヒソカは愉快そうに目を細め笑った。
◇◇◇◇◇◇◇
ヒソカから逃げたエレノアは真っ直ぐ二試験会場へと向かっていた。
エレノアはゴンのように効く鼻はないが、便利な念がある。
サトツの気配を登録させた念を発動し、エレノアにしか見えない矢印に従って走る。
一応保険として一次試験の試験管であるサトツの気配を念に登録させておいてよかったと思う。
(ヒソカさん…レオリオさんとクラピカさんを殺していないと良いのですが……やっぱり逃げない方がよろしかったでしょうか…)
2人に対してエレノアは信頼を持っている。
彼らが強いとかではなく、なぜか死なないという信頼だ。
しかし、だからと言って不安がないわけではない。
とはいえ、せっかくヒソカの元から逃げ出したのに戻る気もエレノアにはなかった。
それは、エレノアの中で3人はまだその程度の関係性だということだろう。
走っているとエレノアは違和感に気づいた。
(集団に追いついた…?いえ、でも…人の気配ではありませんわ…)
湿原の霧は更に濃く深くなっていく。
エレノアも、英才教育を受けているとはいえヒソカが寄り道をしたせいで試験管の気配は感じることが出来ないほど離れてしまった。
エレノアのこの念がなければ、今頃道に迷っているか、この湿原の餌食になっていただろう。
殆どの受験生達の気配は感じられない中、ふと沸いて出てきたような気配に囲まれたと気づき足を止める。
エレノアが足を止めると、前方に浮いている矢印も止まった。
辺りを見渡すと、確かに気配は感じる。
しかしその気配は決して人のモノではなかった。
(なるほど…詐欺師の塒とはよく言ったものですわ)
ゆっくり、気配が近づき、それは影になる。
その影は疑うことなく人影。
しかし霧の中から現れたのは蜂だった。
蜂はまるでスクリーンに映像を映し出すようにターゲットに似た影を霧に映し出し、誘い込んで捕食する生態を持っていた。
捕食と言っても、エレノアを囲っているのは普通のサイズである蜂だ。
毒針で殺した死体で肉団子を作り、あとは幼虫の寝床にすることで生存競争が激しいこの湿原でも繁栄してきた。
その肉団子兼幼虫のベッドにエレノアは選ばれたのだろう。
恐らく、他にも被害者はすでに出ているはず。
しかし、エレノアだってヒソカ達に比べればまだヒヨッコどころか殻付きの赤ん坊だが、黙って利用されるわけにはいかない。
こんな場所で蜂に殺されて死ぬなんてカトラー家の恥である。
一歩、エレノアが足を踏み出すと囲っていた蜂は一斉に襲い掛かってきた。
しかしその瞬間―――銃声が響く。
「ごめんなさいね、私もこんなところで死ぬわけにはいきませんの」
彼らは人間と違って悪意があって狙っていたわけではない。
生き物としての本能であり、生き残るための戦略だ。
だが、だからってエレノアもそこまでお人よしでもなければ自殺願望者ではない。
エレノアは地面を見つめながらそうポツリと謝り、止めていた歩みを進めた。
―――エレノアのいた周囲には、まるで破裂したような蜂達の死骸が散らばっていた。
そんな蜂達の死骸を気にも留めることなく、走っていくと次第にあれほど視界を遮る様に濃かった霧が少しずつ薄まり、いつの間にか霧が晴れていく。
霧が晴れると、それが境界のように足元を取られるような柔らかくぬかるんでいる土から、硬い渇いた土に変わっていた。
周囲も山道へと変わり、走りやすくなったエレノアはその足を更に速める。
それと連動しエレノアの前で浮く矢印も速くなる。
「あら」
山道のせいか緩やかな坂が続くが、ずっとヒソカに乗って進んでいたエレノアは体力が有り余っていた。
目線の先に一試験管のサトツが立っているのが見え、エレノアがはついにゴールかと矢印の念を消してそちらに向かう。
「こちらが二試験会場ですの?」
「ええ、そうです…お疲れさまでした」
やっと長いマラソンが終わりを告げる。
ずっとヒソカに乗っていただけだが、それでも人間の体は疲労するものらしい。
サトツの労いの言葉に素直にお礼を言いながら、その奥にある大きな建物へと向かって走る。
建物の前には一次試験の合格者たちが集まっていて二次試験の開始を待っていた。
その中に、愛しい人の姿を見つけエレノアはそちらへ駆け寄る。
「キルア様っ!」
「エリー!」
キルアはゴンとエレノアを探して辺りを見渡していたが、エレノアの声にそちらに視線を向ける。
エレノアを視界に納めると、パッと嬉しそうに破顔してくれた。
それが嬉しくて、エレノアも自然と頬が緩んでしまう。
ヒソカから逃げてきたエレノアはキルアとの再会に嬉しさのあまり飛びつくように抱きついた。
そんなエレノアをキルアもぎゅっと抱きしめて抱き留めてくれる。
キルアもエレノアと会えたことが嬉しかったのか、エレノアの腰に腕をやり少し抱き上げてクルクルと回って嬉しさを表す。
しかし、ハッとさせたキルアはエレノアを降ろして向かい合う。
「お前!アイツと知り合いだったのかよ!?」
「アイツ?」
「ヒソカだよ!ヒソカ!あんなやべー奴といつ知り合ったんだよ!!」
キルアの言葉に首を傾げていたが、ヒソカの名に『ああ』とキルアが聞きたいことを理解した。
ヒソカとは知り合いというよりは、叔父を通した顔見知り合い程度だと説明すれば、キルアは何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
「相変わらず過保護だなぁ、エリーの叔父さん達…」
「でも来られたのがヒソカさんでよかったですわ…叔父様達が来られたら逃げようと思いませんもの」
エレノアの叔父と叔母は9人おり、全員エレノアを溺愛している。
その中の1人の叔父が一等エレノアを可愛がっており、9人の中で一番エレノアの母であるナターシャと関わりが深い。
エレノアは逃げ出したが、お守り役にヒソカが抜擢されたのは幸運だと思った。
他の叔父達が来たら、こうやって逃げ出してまでキルアと会おうと思っていなかっただろう。
ヒソカだからエレノアは意のまま我が儘に行動ができる。
彼に遠慮はいらないと教えたのは叔父達なのである。
「ですが…ヒソカさんが来られるまでしかキルア様とご一緒できませんの…ごめんなさい…」
「そんなのエリーが謝ることじゃないだろ?そりゃあ、ずっといたいけどさ…エリーがこうして会いにきてくれたのは嬉しかったよ」
末っ子で愛されて育ったエレノアは自分を我が儘だと評するが、家族や叔父達の言うことをちゃんと聞くいい子だとキルアは思う。
そんなエレノアが自分に会いたいために、家を飛び出し、叔父達に頼まれて護衛しているヒソカから逃げ出した。
それが嬉しかった。
「キルア様…」
キルアの素直な言葉に、エレノアはほんのりと頬を染めてそっと彼に体を預ける。
きっとすぐにヒソカは戻ってくるだろう。
その僅かな時間でもキルアのそばにいたい。
そう思ったが、キルアに寄り添っていたエレノアは突然の浮遊感に襲われる。
「な、なんだよお前!エリーを放せよ!」
エレノアは突然に誰かに脇に手を差し入れられ抱き上げられた。
抱き合っていたキルアは、突然抱きしめていたエレノアが浮き上がり驚いた表情を浮かべていたが、その後ろへ視線を向けると怒った表情浮かべ牙をむく。
エレノアは後ろから抱き上げられているため、後ろは見えないが、耳にはカタカタと音が聞こえた。
首をひねって後ろを見てみれば、自分を抱き上げた人物は顔や体中に針がいくつも刺さっており、モヒカン姿に薄ら笑いという不気味な姿をした男だった。
男は言葉を発することができないのか、キルアの言葉に返すわけでもなくカタカタと無機物のような音を鳴らす。
そんな男に、キルアは怯むでもなくギラリと更に睨み指をさす。
「大体人の嫁に勝手に触れるなよなオッサン!!」
キルアの『嫁』という言葉に、エレノアは頬を染め『きゃっ』と両頬に手を当てて喜ぶ。
お互い想い合っているのだから、恋人なのは当たり前だし、婚約者なのも当たり前。
結婚するのだから夫婦なのも当たり前。
だが、キルアに嫁と言われると嬉しくなってしまう。
『まっ!キルア様ったら…恥ずかしいですわ』と言いながらもめちゃくちゃ嬉しそうなエレノアを、針の男はそっと優しく降ろす。
しかし、男はキルアがエレノアを奪い返すよりも、エレノアがキルアの下へ向かうよりも早く針の男はエレノアの手を取った。
所謂お手々を繋ぐ、というものだ。
その男の行動に、3人の間に沈黙が落ちる。
「は?」
キルアは自分以外の男と嫁が手を繋いでいる光景を見て額に青筋を立てる。
その表情はイケメンがしてはいけないキレ顔を浮かべており、素人であれば腰を抜かすほどだろう。
だが、恋は盲目。
何度も言うがエレノアは愛に素直な父親の血を濃く受け継いでいる。
例えキルアが変顔しようがフィルターがかかっていた。
ガチギレなキルアを他所に、男はエレノアの手を繋いだまま歩きだす。
「おい!!待てよ!エリーを置いていけ!」
人の婚約者を連れてどこかへ行こうとする男をキルアは追いかける。
エレノアと手を繋いだ瞬間に殺意が最高値になり目の前の針の男を殺そうとしていたが、流石にやめた。
ハンターライセンスが欲しくてこの試験を受けているわけではないものの、せっかくエレノアがここまで追いかけてきてくれたのだから一緒に試験を受けたい。
それに、ゴンという同い年とも気が合って退屈だと思った試験が少しだけ楽しくなってきたばかりだ。
ヒソカに邪魔されて常に一緒というわけにはいかないが、同じ試験を受けているというだけでもキルアのやる気の違いがある。
ヒソカから逃げてまで会いにきてくれたというのに、ここでエレノアを知らない男に盗られてなるものかキルアは咄嗟にエレノアの空いている手を掴んだ。
そして、それは針の男VSキルアの開戦の始まりである。
「放せよ!」
グググと掴む手を引っ張ると、針の男の力も強くなる。
この時点ですでに普通の人間ならば両腕が千切れているレベルだが、エレノアなら『いたた』で済む。
キルアが自分を奪われまいと引っ張るこの痛さは、エレノアにとって嬉しさに変換されていた。
しかし、ふと、エレノアは思い出す。
「もしかして…あなた、ヒソカさんの協力者さんですか?」
エレノアは両者に引っ張られながら、なぜ針の男がキルアと競っているのか考え、そしてある考えに至った。
それがヒソカが言っていた協力者の存在だ。
その問いへの返答は、言葉ではなくカタカタという音で返された。
男はカタカタと音を鳴らすだけだったが、何となくエレノアはそれを『そうだよ』と頷いたように見えた。
エレノアはその男の反応に逢引きの終わりを感じた。
「マジかよ…せっかくエリーと会えたっていうのに…」
ヒソカの協力者ということは、その背後にはエレノアの叔父達がいるということ。
それだけでキルアの手は力を抜くしか選択肢は存在しない。
それほどエレノアの叔父達やカトラー家はキルアにとって厚く高い壁となっている。
「キルア様ぁ〜!絶対にお2人の隙をついて逃げますからお待ちになってくださいね〜!!」
キルアが納得したのを察したのか、針の男はエレノアの手を引っ張って2人を引き離す。
エレノアもヒソカの協力者なら抵抗する意味がないと感じ、抵抗なく引っ張られながら見送るキルアに手を振って誓う。
『おう!待ってるからなー!』とキルアも手を振り返しながらエレノアを見送った。
そんな三人のやり取りを、周囲はドン引きしながら見ていたことにエレノア達は気づかない。
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