この日は実家であるカトラー家で過ごす予定だった。
朝、目を覚まし身支度を終えて、エレノアは自室に置いてあるキルアと電話で話していた。
ゾルディック家に行くことが出来ない日は、お互い決まった時間に電話をすることが日課となっていた。
受話器のコードを指で遊ぶように、エレノアは二つの円状の筒が繋がって飾られているホルマリン漬けを愛おしそうに撫でる。
その円状の筒には赤く美しい目玉が浮かんでいた。
今日も愛しい婚約者との逢引きを楽しんでいると、突然扉が開けられた。
「エレンちゃん!!」
バン、と音を立てて飛び込んできたのは兄だった。
エレノアは突然の兄の入室に驚いて思わず手から受話器が落ちかけたが何とか受話器を握り直す。
エレノアの驚いた声でキルアが心配そうに声をかけてくれたので、エレノアは『お、お兄様が突然来られたので…また後でかけ直しますわ』と言ってキルアの返答を貰った後受話器を置いた。
「もう…突然なんですか、ノアお兄様…キルア様とお電話していましたのに…」
『そもそも一流の暗殺者が音を立てるなんて』とキルアとの逢引きを邪魔された恨みに嫌味を言えば、ノアと呼ばれた兄は『エレンちゃん!』ともう一度エレノアを呼ぶ。
イルミと同じく顔は整っている兄の顔は涙で台無しになっていた。
肩を掴まれたエレノアは涙と鼻水だらけの兄の顔が迫り、『うわっ』とドン引いて身を引かせる。
「酷い!酷いよエレンちゃん!!いつもいつもゾルディックの坊やばっかり!!家にいる時くらいはお兄ちゃんの相手をしてくれたっていいじゃないか!!」
グッと拳を握り振りかぶる成人寸前の男。
傍から見ればいくら顔が整っていても100人中100人は百年の恋も冷めるだろう。
だが、それでも、鬱陶しいと心の底から思っていても、エレノアにとっては兄だ。
構ってほしいと本気で泣く兄を見てもちょっと可愛いと思ってしまう程度にはエレノアも兄のことが大好きである。
しかし、愛は愛でもエレノアの中で最も愛情を向ける相手がいる。
「だぁって、キルア様は運命の方なんですもの」
ポッと赤らめた頬を手で隠すように触れるエレノアはまさに恋する乙女。
初対面の男性(ロリコン)なら目をハートにしていただろう。
勿論、目の前の妹を溺愛している兄も。
しかし腐っても一流の暗殺一家の長男。
『うちの子可愛い』とハートマークが散りばめられたが、ハッと我に返る。
「ボクは認めていないからね!エレンちゃんに婚約者なんてまだ早い!!」
「またそのお話ですの、お兄様…キルア様との婚約は両家の確執を解すために結ばれたものなのですよ?」
「だからさぁ!お互い絶縁の現状を解決したいって思ってるんだから別にエレンちゃんとゾルディックの坊やをわざわざ婚約者にしなくてもいいんじゃないかってお兄ちゃんは言ってるの!」
兄曰く、お互い仲直りする気があるのだから両家の子供を使わず、仲直りしましょうそうしましょう、で終わる話ではないかという事だ。
しかし、それは正しくもある。
国同士の話ではないのだから、政略結婚は必要はない。
だが、この問題はそんな簡単なものではないのだ。
「やめないか、ノア…両家の橋渡しをしてくれる二人に失礼だろう」
「お爺様…」
騒ぎに気づいたのか、それとも妹溺愛の行動を読んでいたのか(恐らく後者)、祖父であるギルバートが間に入りノアの暴走を止めた。
祖父の登場で冷静さを取り戻したのか、ノアはエレノアを解放し祖父へ向かい合う。
「しかしですね、お爺様…私だって意地悪で言っているわけではありませんよ…私もゾルディック家との確執を解決することには賛成です…その為でしたら私をどのように使っても構いません…ですが、エレノアとキルア君はまだ幼いのですよ…いくら両家のためとはいえど幼い彼らを犠牲にして両家の友好を結ぶ必要性はあるのでしょうか」
「ノアのいう事も正しい…しかし、問題はそう簡単なものではないのだ」
エレノアの前でなければノアは礼儀正しい好青年だ。
ゾルディック家の長兄と真逆に爽やかで優しそうな青年の仮面を被っており、能力だって正反対。
だが、彼らは似ている。
弟、そして妹を溺愛している部分が酷似していた。
だから、エレノアはイルミにも平然と懐いている。
ノアもエレノアも、祖父の言葉に首を傾げる。
「どういうことです?ただ両家が復縁を望んでいるのなら、前のように手を取り合えばいいだけの話でしょうに」
ノアもエレノアも両家が絶縁するほど不仲だということは知ってはいるが、興味がなかったせいかその理由までは知らない。
祖父であるギルバートはノアの言葉に『ふむ…』と椅子に座り、二人にも椅子に座るよう指示をした。
それに従う孫達に、ギルバートは両家の確執を話すことにした。
しかし―――
「くっっだらねえ…そんなくだらない理由で今まで絶縁してたのですか?馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
その理由は、妹の前では言葉を崩さないノアでさえ辛辣になってしまうほどのことだった。
孫息子の言葉にギルバートは苦笑いを浮かべる。
「だったら尚のことエレノアとキルア君が婚約結ぶ必要性はありませんでしょう…今すぐ父に婚約破棄するよう言ってきます」
「まあ、それもいいだろう…政略結婚と言っても二人の気持ちを優先させることになっているからな」
理由を聞いて、ノアはますます目に入れても痛くない可愛い妹をゾルディック家に嫁がせる意味がないと思う。
その意見が通るかは父次第だが、言わない理由もない。
そもそも婚約を結んでおいてなんだが、父も娘を溺愛しているのでこの婚約は元々反対していたのだ。
それをシルバがしつこく頼むから一度会わせるだけと言って二人の顔合わせだけを許した。
結局キルアとエレノアの相性が良かったためそのまま婚約を結んでしまったが、理由を聞けばその必要性はほぼ皆無に等しいと分かった。
父の下へ向かおうと腰を上げたノアの腕をエレノアが掴んで止めた。
「エレノア?」
グイっと下に引っ張られノアは立ち上がろうとした腰を再び降ろし、座り直す。
引き止めた妹に『どうした?』と問えば、エレノアは首を振った。
「私…キルア様と結婚したいです」
妹からの返答に、ノアは好青年の皮を被った自分を見上げる妹の頭を優しく撫でる。
「その必要はないよ、エレノア…お前が犠牲となって両家の架け橋になる必要はないんだ」
祖父の話が嘘ではないのなら、本当に両家のために幼い子供二人が結婚するなど犠牲になる必要性はない。
子供を犠牲にしてまで復縁するほどの理由ではないと、ノアは思ったからだ。
しかし、妹に関して引かないノアと同じく、エレノアもキルアに関して引くことを知らない少女だった。
「いいえ…私は犠牲だとは思っていません…だってキルア様は本当に私の王子様なんですもの…私はキルア様を愛しています…お父様やお母様のように…私はキルア様を心から愛しているのです」
キルアを思い浮かべているのか、頬を染めうっとりとさせるエレノアの姿はまさに愛らしい天使。
成長すれば女神にも思えるだろう。
他人から見ても天使に見えるのだから、溺愛している身内などまさに神だろう。
いや、神を超えているのかもしれない。
しかし、それで騙せる兄ではない。(むしろ火に油を注ぐ行為である)
ノアは『エレンちゃん世界一可愛い!』と思いながらも、バンと机を壊さない程度に叩いて立ち上がった。
「なら尚更ぜっっ(略)っったいにボクは認めないからね!!!ゾルディック家に嫁入りさせないんだから!!!エレンちゃんはずっとずっとボクの妹なの!!」
「もう!お兄様ったらいつまでも妹離れできていないんですからっ!ですがもう遅いですわ!これをご覧ください!」
子供を犠牲にという建前はやめたらしい。
ノアの行き過ぎた愛をエレノアは全て受け止め、受け入れる。
その過剰な愛情を、エレノアは向けられて当たり前だと育てられたからだ。
しかし、だからと黙っていられるわけがなく、エレノアは左手を突き付けるように見せた。
その手を見ると、ノアは初めてエレノアに向けて眉を顰め顔をしかめる。
「この婚約指輪があるかぎり私とキルア様はずっとずーーっと深く結ばれておりますの!」
「ふーん…ボクにはただの金属の塊にしか見えないんだけどなー」
「まっ!お兄様ったら!」
ツーン、とそっぽを向く兄に、エレノアはプクリと頬を膨らませる。
エレノアの手には、花の指輪ではなく、本物の婚約指輪がはめられていた。
その素材は金属ではあるものの、壊れにくく希少で加工しにくいことからジュエリーの界隈でも相当高価なものだ。
「キルア様のお手で稼いで購入して贈ってくださったものですよ!失礼です!」
「そんなのお兄ちゃんだってエレンちゃんにプレゼントできますぅ!むしろもっと高価な指輪を贈れますぅ!」
「何を仰っているのです!こういう物は高価だとか希少だとかではなくお気持ちです!」
「気持ちでもお兄ちゃんは坊やに負けてません!むしろ勝ってます!!」
祖父は黙って兄妹喧嘩(と言えないが)を見守っていた。
相変わらず妹の事になると大人げなくなる孫に、内心溜息をつく。
エレノアの左手で輝いている指輪は、正真正銘、キルアが稼いだお金で贈ってくれた指輪だ。
キルアは6歳になると、父親であるシルバに天空闘技場に放り込まれる修業をさせられた。
200階で帰ってきたが、その間に溜まった稼いだお金で指輪を購入したのだ。
本当なら自分の好きな物を買いたいはずなのに、全てこの指輪を購入するために使ってくれた。
指輪の素材だけで相当だが、そこに嵌められている小さな宝石も高価なものである。
値段が全てではないが、キルアからの愛にエレノアとしてはもうこの指輪が結婚指輪と言っても過言ではない。
だが、妹を溺愛する兄馬鹿は何が何でもキルアを義理の弟と認める気は一切ない。
それをエレノアも分かってはいるが、キルアへの愛を否定されて黙ってはいられず頭に血を上らせ、口論は更に続く。
祖父も目の前で繰り広げられる子供の喧嘩に、そろそろ止めに入ろうかと思ったその時――ノックの音がした。
「お邪魔だったかな?」
子供の喧嘩はそのノックによって止まり、三人は扉へと視線を向ける。
当然、言い合いに夢中だったエレノア以外はそのノックの主に気づいている。
顔を覗かせればエレノアはムッとさせていた顔を輝かしいばかりに破顔させた。
「まあ!叔父様!」
顔を覗かせ、入室してきたのは男だった。
母の弟。
黒髪に、黒い瞳。
耳にはイヤリング、額には何かを隠すようにバンダナが巻かれていた。
エレノアは叔父に懐いており、叔父の姿を見て、さきほど兄と子供の喧嘩をしていた人物とは別人のように天使のような笑顔を浮かべ叔父の下へと駆け寄る。
慕ってくれるエレノアを、叔父は屈んで両手を広げ待っててやる。
その大きな腕に飛び込むと、叔父に抱き上げられエレノアは嬉しそうな声を上げた。
その姿に冷静になったのか、ノアは相変わらず叔父に懐く妹に肩をすくめ椅子に座り直した。
「やれやれ、助かった…丁度いいところに来てくれた…」
祖父は叔父の登場に安堵の息をつく。
孫が孫娘を泣かせることはないが、それでも可愛い孫達が喧嘩している姿は見ていていい気分ではない。
祖父である自分が仲介に入ってもきっとここまで簡単に喧嘩が収まることはなかっただろう。
ギルバートの言葉に叔父は苦笑いを浮かべた。
ギルバートは仕事があるからと、叔父と入れ替わる様に孫娘の部屋から退室した。
「いつこちらに?」
「ついさっきだ…家の者に聞いたらエレンは部屋にいると聞いてね…廊下まで声が聞こえていた…ノアと喧嘩するなんて珍しいな…何を喧嘩していたんだ?」
抱き上げると、エレノアは落ちないよう叔父の首に手を回して甘えるようにギュッと抱きつく。
今日、叔父が来ると母から聞かされていなかったため、エレノアからしたら最高のサプライズだ。
扉が少し開いていたからか、兄妹喧嘩が廊下まで響いていたらしい。
叔父に喧嘩の理由を聞かれると、エレノアは叔父の来訪に良かった機嫌があっという間に降下する。
「そうでした!聞いてくださいませ!お兄様ったら酷いのですよっ!」
むっとさせて先ほどのやり取りを話す姪に、叔父はうんうんと笑顔で聞いてくれる。
一族の天使は、叔父にとっても天使だった。
相変わらずな妹を溺愛している甥と、婚約者を心から愛している姪に、叔父は苦笑いを浮かべる。
結局、どう転んだってこの喧嘩に終着点はない。
聞いてやるだけでも二人は落ち着くのだ。
『大変だったな』とどちらにも労わりながらエレノアを膝に乗せて椅子に座った。
「今回は何を持ってきてくださったのですか?」
叔父は毎回、来訪する際に姪達に贈り物をしてくれる。
キルアと電話している間、愛でていた赤い目も叔父から送られた宝物の一つだ。
叔父は宝石から小物まで様々な物を贈ってくれる。
そこに甥達と姪の贔屓はあるが、この一家にとってエレノアを贔屓にするのは当然である。
それに贔屓していると言っても、甥達にも甥達が喜ぶ贈り物を贈っている。
「今日はこれを持ってきた」
コトリ、とテーブルにある物を二つ置く。
二つとも可愛い甥達へのお土産だ。
一つは一冊の本。
もう一つは一体の人形。
本を甥に、人形をエレノアに与えた。
「これ、入手困難なやつじゃないですか…いいんですか、こんな貴重な物を頂いて…」
「構わない…偶然見つけたものだ」
本は、念で作られたものだ。
念を会得していない人間が所有すれば即死。
念を会得していても強者じゃなければ呪われじわじわと命を削られる。
ただ、一定の強さを持つ人間が所有すればそれは万能な呪物に変わる。
この本は使用者にリスクなく相手を呪い殺せる本だった。
ノアは呪いなどに頼るほど実力がないわけではないが、念で作られた呪いの本に興味があった。
というのも、ノアは収集癖があり、この本以外に呪物とも思える品物が多く飾られ厳重に保管されている。
「叔父様、これは?」
エレノアのお土産として選ばれたのは、一体の人形。
ほとんどアンティーク品だが、素材は人間。
ある殺人鬼が殺した人間で作った人形だ。
肌も、毛も、全て人間で出来ており、それを念で腐らず保っているものだ。
ただ、目だけは今では入手困難となる二つの宝石を虹彩と瞳孔として加工されている。
瞳以外の全てが人間で出来ているものの、殺人鬼はまるで人形のように愛らしく制作したため愛らしい人形にしか見えない。
殺人、暗殺などを教育されてきたエレノアに呪われているしか思えない人形を与えても可愛いとしか見えない。
「まあ!可愛いお人形さん!」
「気に入ったか?」
問われたエレノアは人形を抱きしめながら『はい』と叔父に笑みを浮かべた。
嬉しそうな笑みに、叔父は人形を抱きしめるエレノアの左手をそっと掬うように下から触れ、親指で薬指の指輪を撫でる。
「この指輪よりも?」
その指輪は先ほど喧嘩の原因であるキルアから贈られた婚約指輪。
叔父は可愛い姪の一番が自分が与えた赤い目玉ではなくなり、婚約指輪を超える事を目指している。
しかし、中々それが難しいのだ。
会った事のない姪が想いを寄せている少年に対して大人げない叔父に、エレノアは微笑みを浮かべた。
「勿論…この指輪も、あの花の指輪も…私にとって世界一の宝物です」
そう言いながら微笑む姪は、まだ幼いというのに大人顔負けの表情を浮かべていた。
うっとりと、頬を赤らめ指輪を見つめるエレノアに、叔父は目を細め笑みを浮かべる。
だが、その心は少し穏やかではない。
エレノアに大して肉親以外の感情はないが、それでも可愛い姪を取られた事に対する嫉妬はある。
ただ、そんな感情で姪を悲しませたくはないため『そうか』とだけ答え、彼女の言葉や想いを否定することはしない。
「エレンの旦那さんになる子は世界一幸せな人間になるな」
言葉で嫉妬心を隠しながら叔父はエレノアの頭を優しく撫でる。
その言葉は偽りでありながらも、本心でもあった。
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