陣左は早足で雑渡の元へ急いだ。
雑渡は回復してはいるが、まだ布団から出ることは出来ない。
この日も陣左の報告を待つしかできない日々を送っているだろう。
雑渡の心情を思えば、陣左の足は自然と早くなる。
「高坂陣内左衛門…ただ今戻りました」
音なく雑渡の待つ部屋の前にたどり着き、返答を得て入室する。
予想通り、雑渡の他にも山本もおり、押都小頭の他にも月輪、隼の全隊の小頭が揃っていた。
それどころか、組頭まで待っていた。
初めて月子との接触ということでみんな気になったのだろう。
雑渡の寝室にいるのは、動けない雑渡の為だ。
正直、まだ18歳の陣左には全隊の小頭+組頭の出迎えに気圧されそうになる。
しかし、今ここで反応すれば己の上司である雑渡の顔に泥を塗ると思い、思いとどまる。
特に月輪の小頭は"元"父親の男だ。
あの男にだけは余計に弱みを見られたくはないという意地がある。
何でもないのを装い、陣左は5人の前に跪き報告する。
「驚きましたな…高坂はまだ若いとはいえど手練れの忍びだというのに…高坂に気づいたとは…」
その中でまず驚いたのは、気配を察知したことだ。
月子はまだ4歳。
家庭のある者達は己の子供達の4歳だった頃を思い出すが、思い出すのは楽しく走り回っている姿。
同じ血が流れている雑渡の息子達でさえ4歳の頃はまず忍者の勉強よりは、遊びを通すことで学ばせていた記憶がある。
だというのに、4歳で若いとはいえプロの忍者の気配を察知することが出来たのにはその場にいた全員が驚きを隠せなかった。
「…はやり、あの環境ではそうならざるを得なかったのでしょうか」
珍しく夫婦仲がよく、家族愛が深い山本の呟きに『うーん』と組頭が顎を撫でながら唸る。
月子を思い出そうとするが、父親である雑渡でさえ顔を見た事もないのだから組頭が月子の顔を知っているわけがない。
今、この場で月子の顔を見ているのは様子見をしたことがある陣左のみだ。
組頭や小頭はその立場から実代の警戒に参加することはない。
正直、実代達がいる離れは若手のいい研修の場でもある。
「忍びは結局、どれだけ良い血筋を掛け合わせても本人の才能によるものだ……忍びの血がありながらも素質のなかったあの女のようにな……月子は忍びの素質があるのだろう」
気配を感じることができるだけでも実代より才能があるだろう。
実代はドクツルタケ忍軍組頭の血を継いでいるというのに、気配すら感じることができないほど忍びの才能がない。
勘はあるらしいが、あれだけ癇癪が強ければ周囲に関して潔癖とも言えるほど敏感にもなっていてもおかしくはない。
「とはいえ…才能があっても女ではな…」
忍びの里なのだから、忍びの才能があることは喜ばしい事だ。
しかし、残念ながら月子は女。
タソガレドキにはくノ一はおらず、女の殆どは嫁入りし子孫を残し家と血を繋げている。
頑なにくノ一を作らないのは、くノ一達を見下しているというわけではなく、単純に必要性を感じないからだ。
情報なら女でなければならないこともなく、女性が必須なら女装すればいい。
何も素直に最後まで夜を共にする必要性はないのだ。
体力や体術なども女よりも男の方が優れている。
いくら雑渡と実代の血を強く継ぎ才能があろうと、月子は忍者にはなれない。
里の外にはくノ一も活躍してはいるが、この里の者は他国に仕えるのは禁じられており、その場合抜け忍として処罰されることになる。
それが女であっても変わらない。
そのため、どれだけ月子に才能があろうと、この里では宝の持ち腐れとなる。
「月子は男のお前を怖がっていなかった?」
この戦乱の世に優秀な忍びは1人でも多くいても困らない。
だというのに、女だというだけでその才能は潰されてしまう。
それを男たちは、誰もが残念だと思わずにはいられなかった。
だが、それに対して雑渡は娘に才能があろうがなかろうがどうでもよかった。
月子に興味がないというわけではなく、才能があろうがなかろうが、娘は娘だからだ。
雑渡は今、早くあの母親から引き離し、のびのびと暮らさせてやりたいという親心を抱く、ひとりの父親としてここにいる。
雑渡の問いに、陣左は『それが』と笑みを浮かべた。
先ほどまで打って変わって表情を明るくさせる陣左の報告に雑渡は目を瞬かせ、安堵の息をつく。
「そうか…あの子は男を怖がっていなかったか…」
「はい!むしろ月子様は先日の本の件で男について興味がおありのようでした!」
「なら、椎良も叱られた甲斐があったね」
処罰されかけた椎良には申し訳ない事をしたと雑渡も思っていたのだ。
だが、椎良が月子にさり気なく見せた『男』を匂わせる本が良い方へと運んでくれた。
好奇心旺盛な子ではあるらしいが、情報の有無の違いは案外大きい。
(4年…4年も経ってやっと我が子の1つを知るとはね…)
雑渡は3年も火傷で足止めをさせられたことに悔やんでいる。
諸泉を救うために炎の中へ飛び込んだのも、諸泉のために火傷を負った事も、決して悔やんでいない。
周りが何を言おうが、彼を助けたことも、彼が助かったことも、雑渡は後悔などしたことはない。
だが、もしも。
たらればになるが、もしも火傷を負うことになると分かっていたなら。
あの時…離れへ実代を押し込める前に無理矢理にでも娘を奪ってやればよかったという後悔はあった。
だが…
「あの子は好奇心旺盛な子なんだね…」
それでも…娘が好奇心旺盛な子だと分かっただけでも雑渡は救われた気がした。
たった一つ。
ただ好奇心が強い子供だと知っただけだというのに、雑渡の心はこんなにも軽い。
あれほど不透明だった娘の姿が陣左の1つだけの情報だけで輪郭を描いた気がした。
やっと露になった娘の影に、ふと雑渡は笑う。
その笑みを見て陣左は『あっ』と声を零した。
その声に雑渡だけではなくその場にいる全員が陣左に視線を向けるが、その視線など気にも留めず陣左は更に嬉しそうに破顔し、雑渡にあることを報告した。
「小頭…月子様の笑顔は小頭にとても良く似ておりました」
陣左の言葉に雑渡は目を丸くする。
娘の顔を雑渡は見た事がない。
だが、あの子の顔を見た事のある陣左が言うのであれば…
「…会いたいね、あの子に」
――娘に、会いたい。
今すぐにでも会って抱きしめてやりたい。
自分に似てるという笑顔を見たい。
そう思うが、それが出来ないのが歯がゆい。
この身体もそう。
実代の実家もそう。
立場もそうだ。
思わず零れた弱音とも言える呟きに、誰もが答えられないのも。
「高坂の気配を感じることができたということは、母親のやり取りの際も高坂の気配を感じていたということだ…月子は明日から三日、女中として紛れ込ませて様子を見よう…何もないのならまた接触し、月子の様子でこれからの事を考えるべきだろう」
これまで雑渡がどれだけ里に貢献したのか、分からない者はこの場にはいない。
でなければ火傷を全身に負い死にかけの忍びなどに貴重な薬など与えはしない。
勿論、多くの優秀な忍びを生んだ雑渡家というブランドもある。
陣左の気配に気づいていたのなら、陣左の報告内にある部分全てに彼の気配を感じ取っていたのだろう。
陣左の報告を聞く限り4歳ではあるが、頭の回転も早く、己の立ち位置も陣左の登場で何となく察しておるだろう。
とはいえ、それでも油断はできない。
3日ほど女中として忍び込み、月子に近づかないようにしながらも様子見をするべきだろうと組頭は判断した。
「しかし…あの女も困ったものだ…自分の子供に責任転嫁をするほど愚かだったとは…あのような女を産み落とすとはドクツルタケ忍軍も落ちたものだな…」
ドクツルタケ忍軍といえば、タソガレドキ忍軍と同じ組織運営をしている忍軍だ。
男か女かの違いだが、ドクツルタケ忍軍は女を最低4人生まなければ石女扱いされる異質な世界で形成されている。
実代のように里を離れ嫁入りした者以外から生まれた男児は、産み落とし男児だと分かった時点で殺される運命にある。
ただ、力仕事は必要なので稀に…本当に、稀に生かされる男はいるが…その扱いが良いものでないことは、想像に難くないだろう。
その点に関しては、同じ忍の里の人間として嫌悪すべき習性だと思う。
それが、男尊女卑が強いこの時代だとしても。
(まあ、だが…おかげで敵国に優秀な忍びが生まれるのを阻止できたとも言えるが…)
恐らく、月子は育てれば優秀な忍びとなるだろう。
4歳で若いとはいえど優秀である陣左の気配に気づいたのがその証拠だ。
そして、陣左の報告で聞いた限り、月子は感情のコントロールが出来ている。
ストレスから守るためなのが胸が痛いが、4歳にして母と陣左でのスイッチの切り替えが早いのが頭の良さが伺える。
勿体ない、と思う。
くノ一が存在している里であれば、輝いた才能だろうが、ここでは宝の持ち腐れでしかならない。
とはいえ、月子だけのためにくノ一を作る義理もなし。
「雑渡よ…しばしの我慢だ…母と子を引き離すにはまだ一手が足りぬゆえ」
雑渡の心情を思えば、様子見をするしかない今の現状に組頭も流石に心苦しく感じてしまう。
月子を助けたい想いは雑渡が一番強いだろうに、こうして我慢を強いられる。
同じ子を持つ父親として申し訳なく思うのは仕方のない事であった。
それでも、雑渡は組頭たちの気持ちも汲んで頭を下げるしかない。
「承知しております…この身ごときのためにかようなお心遣い…痛み入ります…」
「よせ…これはお前だけの問題ではないのだ…それに月子も我が里の者…我々があの子を救いたいと思うのは当然のことだ」
実代の性格は予想外ではあったが、ドクツルタケ忍軍は読み間違えたと言ってもいいだろう。
女児しか必要としない里だから、婚約の申し出を受け入れ、雑渡に割り当てた。
丁度元服した雑渡の配偶者を探さなければと考えていたのもあった。
男児さえ生めば後はどうでもいいと月子を蔑ろにしたツケが回ってきたのだろう。
当時は組頭ではなかったが、きっと当時から組頭であっても同じ選択をしていたかもしれない。
気に入らない忍軍ではあるが、血筋と能力だけは申し分ないのだ。
それが、こんな事になるとは。
後悔しても遅いというのはこういうことだろうな、と組頭は頭を下げる雑渡の肩をぽんと軽く触れる。
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