(4 / 12) 夜明けの抱擁 (04)

里の奥にあるため、月子のいる屋敷は里よりも静かだった。
音のない世界は、本に集中するのにもってこいの環境だった。
友人を知っていれば、一気に寂しいという感情で寂しさに心が沈んでしまうだろう。
しかし、月子は寂しささえも知らない。
矛盾だらけな本でも、生まれてから読んでいれば、それは疑う余地のないものになる。


「では月子様…何かございましたらお呼びください」

「ありがとう」


本を読む時くらい1人になりたい。
そう思った月子は人がいると気になって読めないからと言って、婆達侍女を部屋から追い出すことに成功した。
その代わり読書の時間は限られてしまうし、それ以外の時間で本を読みたくなっても侍女達は傍に控えた中で本を読むことになる。
しかし、少しでも自分だけの時間があるからこそ、今までガチガチに縛り付けられていた月子は、その短い人生でも狂わずにいられたのだろう。
侍女達が部屋から退室し足音が遠ざかるのを聞いた後、月子は顔を上げて天井を見る。


「あなたはどなた?」


独り言を呟く。
この部屋には侍女の姿もなく、部屋の外に待機するのも月子が嫌がったので侍女達は少し離れた別室で待機しているはずである。
そのため、この部屋には月子しかいないはずだった。
しかし、月子の前に1人の影が降りてきた。
その人物は濃い暗色の服を全身に身にまとい、忍び頭巾で目元以外を全て隠していた。


「お初にお目にかかります、月子様…事情により名を明かせぬ身であることをお許しください」

「まあ…事情があるのでしたら、仕方ありませんね」


明らかに怪しい人物であるが、月子は特に気にする様子はなかった。
跪き頭を下げるその人物を月子は『はじめまして、月子と申します』と呑気に笑い名乗った。
その反応にその人物は目を見張る。


(警戒心はゼロ…雑渡様のご心配が的中したな…)


自分の所属している小頭である雑渡が娘の現状を心配していた。
知識に偏りがあるがゆえに、警戒心も育たなかったのではと心配していたが、その通りだった。
怪しい人物はグッと無意識に拳を握り締めた。
怪しい人物…その名は、高坂陣内左衛門というタソガレドキ忍軍狼隊の1人。
狼隊に所属し、月子の父である雑渡の側近でもある人物である。
あの後山本にクジを作らせている間に雑渡は月輪隊と隼隊の小頭も呼び寄せ、『第一回月子ふれあいイベント』を開催した。
『月子ふれあいイベント』とは、椎良の提案を採用し、月子と接触してみようの会の題名である。
山本の手作りクジをそれぞれの小頭に引かせ、当たりを引いた小頭が1人の部下を指名して月子との接触をする任務に向かう、というものだ。
当たりのクジを引いたのは、狼隊の小頭代理である山本陣内。
そしてその山本が指名したのが、高坂陣内左衛門である。
陣左を指名したのは、陣左に10歳になる妹がいるためだ。
陣左もまだ18歳の若年。
4歳にとって14歳も年上ならそれは大人と同じだろうが、いくら将来6人の子供を設けるキッズスペシャリスト38歳のおじさんよりも怖がらせることはないだろう。
それに、妹で幼い子供の扱いにある程度慣れているだろうというのも加点の1つだ。


「あの…あなたは…その…」


考え事に集中し過ぎたのか、黙りこくる陣左に月子が何か言いたげに声を掛けてきた。
その声に我に返り、陣左は『はい』と月子が先を言うのを待つ。
だが、気恥ずかしいのか、月子はもじもじとさせてチラリと陣左を上目で見つめるだけで、何も言わない。
それを見て陣左は内心冷や汗をかいていた。
この任務に不満はない。
陣左は、雑渡家箱推しである。(はなから実代は雑渡家に入っていない)
陣左だって尊敬する人の娘を助けたい気持ちは強い。
だが、正直、妹がいるという理由で選ばれたのには納得が出来ない。
実力云々ではなく、ただ単純に自分は子供受けがそれほどいいわけではないからだ。
父と妹を含む高坂の血筋を継いで生まれる子供は、釣り目で整っている顔を持って生まれることが多い。(不思議なことにおっとり系の母ではなく、兄妹揃って父似である)
自慢の妹もまだ10になったばかりなのに、黙っていると近寄りがたいと言われるほどの釣り目美人だ。
妹はその美しさから、勝手に期待して勝手に相手の思う妹のイメージを押し付ける輩ばかりが周りにいたせいで、逆に友達を作るのが難しかった。
今は雑渡の看病を通して知り合った諸泉家の坊と友人となってから周りと溶け込めるようになったが、それまでは美しすぎる顔に苦労させられていた。
ちなみに、これは決して身内贔屓ではなく、陣左の妹は後に絶世の美少女と称されるほどの美しさを備えるようになる。
陣左もその切れ目と整った顔に怖がられることも多々あり、もじもじとさせる月子を見て、もしかして怖がらせただろうかと慌てる。


「月子様…遠慮なさらず何かございましたらどうか私めになんでもお申し付けください」

「……怒りませんか?」

「勿論…月子様の事を叱る者などこの場にはおりません」


もしもこの顔が不快ならば顔を剥いでもいい。
父の反対を押し切り、愛する母や妹をも捨てるように狼隊に入隊し、実家から勘当されてまで憧れの存在のそばにいることを望んだ雑渡家箱推しの男はその辺の信者どもとは格が違った。
上目で恐る恐ると呟く月子に、陣左は必死に怖がらせないよう妹にも見せたことのない好青年の笑みを無理矢理作り『勿論です』と出来るだけ穏やかに、爽やかに、月子に頷いた。
その頷きを見て月子はホッと安堵の表情を浮かべ、笑みを陣左に向けた。


「あの、あなたは…ばあや達とは少し…その…少し、ですよ?少し…姿が、違うように、思うのです…」


まだ確信がないからか、自信なさ気がとても愛くるしい。
庇護力を注がれる姿に、思わず陣左の釣り目も下がるほどだ。
月子は男を見た事がない。
それどころか、椎良が任務で意図的に『男』を漏らさなければ今でも『男』という存在を知らずに生きていただろう。
だが、最近やっと『男』という文字を知った月子は目の前がその『男』だということを知らない。
いや、知っていての問いかもしれないが、おずおずと言わんばかりの月子の問いに、陣左も思わず、ふと、目尻を下がる。


「あなたは…"男"…の、かた…なのでしょうか…」


やはり、気づいていた。
だが、本でしか描かれていなかった男の知識しかないため、自信はなかったのだろう。
コクリと頷いてみせると、月子は嬉しそうに顔を明るくさせる。
そして、『その』と頬を赤くそめながらもじもじと指同士を遊ばせ、陣左を上目で窺うように見つめる。


「触れても…よろしいですか?」


婆や母達からは淑やかに、何事も騒がず、静かに過ごしなさい、それが女というものです―――そう教育されていた。
4歳のまだ幼女と言える年齢の子供に、大人達は上から月子という人間性を心の奥へ奥へと押し込められて育ててきた。
女性であっても無暗に触れることははしたない事であると教えられた月子だったが、4年の教育に、洗脳に…好奇心が勝った瞬間でもある。
月子のしたいという気持ちを拒むことは、雑渡家箱推し同担大歓迎激火担の陣左には不可能。
『ええ、どうぞ』と跪いている居住まいを正し、まず遠慮なく触れられるように両手を差し出した。


「あ、ありがとうございます」


両手を差し出され陣左から触れる許可を貰い、目にも分かるほど嬉しそうに破顔させた。
背後に光がペカーッと輝き、陣左は推しのファンサに目が潰れないよう、キュ、と釣り目を細めた。
そんな陣左など気づかず、月子はゆっくり陣左の正面に座り、恐る恐る差し出された陣左の片手を両手で触れた。
婆や母の女達と違い、男の手の皮膚は硬かった。
特に陣左は忍者を生業としているため、手裏剣などの武器を使用することが多く、皮が硬いのだろう。
だが、月子はまだ忍者という存在も教えられていないので気づいていない。
優しく摩るように触れた手の男女との違いに、月子の大きな丸々とした目が更に大きく丸くする。
それを陣左は『目が零れてしまいそうだ』と思う。
思わず零れた目を受け取らなければ、と陣左は触れられていない手で零れ落ちた月子の目玉を受け取ろうと、月子の顔の近くに手を持っていく。


「?」

「    」


手を顔に近づけさせる陣左に、月子はパチリと目を瞬かせた後、その手の平に顎を乗せた。
意識的にそうしなければと思ったのではなく、よくわからないけどこうしたらいいのかなという無意識なものである。
陣左の手の平に月子の顎が乗った瞬間、『うぐ』と陣左から零れ月子は首を傾げる。
それが止めである。
陣左は一瞬だけ気を失った。
尊死というものを、一瞬だけ味わった。
ただ、忍者だから無事だった。
忍者じゃなかったら即死だった。


「………も、申し訳ございません…」

「?、はい」


ゆっくりと手を引かせる陣内の謝罪に、月子は首を傾げながらも聞かないでおく。
『どうぞ』と続きを促され、触れている陣左の手に触れるのを再開する。
男のゴツゴツした手は至って面白みがないものだったが、苦労をしたことがない女達の手との違いが逆に月子の興味を引く。


「わっ…ばあややお母さま達よりも大きいのですね」

「ん゙ッッ…そ、そうですね…体格差は分かりやすい男女の差だと思います」


手に触れるのに満足したのか、今度は手の平を合わせるて大きさ比べをする。
成人男性と4歳の女の子では手の大きさは当然大きな差があり、それは成人している男女も同じことが言える。
それさえも知らない月子は目を輝かせ、その輝きを直撃した箱推し陣左はグッと歯を噛みしめて堪えた。
陣左は忍者だから(略)


「男の方と女の方には違いがあるのですね…確かに…あなたとお母さま達とは手の大きさも硬さも違いますものね」


男を知らず、周りには大人の女性しか存在しなかった世界で生まれたため、男と女の違いを陣左に言われて気づいた。
驚いたように目を瞬かせる月子に陣左は『そうです』と頷いて返す。
陣左の手をむにむにと触れながら月子は続けて問う。


「手の他にも違いがあるということですね?」

「はい」

「他にはどのような違いがあるのですか?」


知らない事を知るのは楽しい。
月子は今、気づいた。
本を読むことや勉強は嫌いじゃない。
それしか暇を潰せるものがないからだ。
走り回ったら『はしたない!』と叱られるため、一日ずっと机に向かうしか月子に出来る遊びはなかった。
毬遊びだって、座ったまま相手と投げ合うというすぐに飽きる遊びだ。
だから、初めて会った男性で、聞いたら誤魔化さず嘘を吐かず教えてくれる陣左に色々と聞いてしまう。


「ではまずは顔を触れてみてみますか?」

「良いのですか?」

「はい、構いません…口布は外せませんが…」


陣左はあまりにも楽しそうに質問をして聞いてくれるものだから、今度は手以外の部分を触れてみてはどうかという提案を自分からした。
顔を見られては月子が女達に喋ってしまった際に困るので(全然全くこれっぽっちも困らないが)、純粋に楽しんでくれる月子に対して顔の半分を覆う布を付けたままであることを申し訳なく思う。
月子はその言葉に目を細めて小さく笑う。


「お気になさらないでください…付き合っていただけただけで月子は十分ですもの」


陣左はその笑みに息を呑んだ。
似ていたのだ。
慕ってやまない雑渡の笑みに。
確かに血を継いでいるとは言うが、両親の血を上手く混ぜて生まれたような顔立ちの月子に雑渡だけを重ねるのは難しい。
だが、優しいその笑みを陣左は見たことがある。
涙を流しそうになった陣左はグッと歯を噛みしめ耐える。


「では、お好きに触れてください」


陣左の許可が降り、月子は陣左に触れるため手を伸ばした。
だが―――その手が陣左の顔に触れることはなかった。
廊下からこちらに向かう気配を感じたのだ。
陣左が足音よりも先に気配に気づき、その後に月子も視線をそちらに向ける。
伸ばしかけた手を行儀よく膝の上に降ろし、扉へと顔を向ける月子を陣左は視界の端で捉える。


「月子様…私はここで失礼いたします」


誰かが来るかは気配で分かる。
この屋敷に侵入する忍びは、何も黒鷲隊だけではないのだ。
特にこの気配の人物はタソガレドキ忍軍に嫌われているので余計に嫌でも覚えてしまう。
一言そう言って、月子が『はい』と頷いたのを見て陣左は『では、また』と頭を下げ天井へと姿を消した。


「月子」


陣左が天井へ姿を隠して少し。
月子の生母である実代が姿を見せた。
実代の姿に天井にいる陣左は無意識に眉を潜めたが、月子は嬉しそうな笑みを母に向ける。


「おかあさま?どうなさったのですか?」


陣左は実代から月子へ視線を移す。
月子は天井にいる陣左など気づかない様子を見せながら傍に座る母をニコニコと子供らしい笑みで見上げた。
そんな娘の笑みを見ても、実代の表情はピクリとも動かさず、生まれつきなのか、それとも性格の悪さが顔から剥がれなくなったのか、険しい表情のまま見下ろす。


「今…誰かいなかったかしら」


実代の言葉に陣左は表には出さない者の息を呑んだ。
実代は忍者の家系だが、忍者の素質はなく気配を読むことはできない。
だからこそこうして月子と触れ合う神イベント(陣左談)は開催されたと言っていい。
だが、実代は女装して侵入した椎良を雑渡の間者だと見抜いた勘がある女だ。
それが本当に勘であるのか、それとも癇癪故のでたらめかは分からないが、忍者の世界でも女の勘は決して侮れない。


(月子様は報告するだろうか…)


天井で様子を見る陣左は何も言わないことを切に願う。
そんな陣左の願いが通じたように、月子はキョトンとした表情を浮かべた。


「このおへやには月子だけですよ?」


陣左は月子の言葉に安堵した。
だがそれに対して、実代はまだ納得がいかないのか、眉を顰めながら睨むように娘を見る。
だが、何か言う前に月子が『へんなおかあさま』と面白いものを見た子供のようにくすくすと笑うものだから追求もできなくなり、開きかけた口を閉ざした。
しかし、実代はムスッとした表情をそのままに月子の頬に触れる―――のではなく、ガシリと頭を押さえるように左右から掴み、幼い我が子の顔を力任せに顔を上げさせる。
天井に顔を向けさせられた月子の表情は天井にいる陣左には丸見えで、痛みに月子の顔をしかめたのが見えた。


「私を裏切るでないぞ、月子」


一瞬、陣左はクナイを触れる。
だが、チラリと月子と目が合った気がして我に返った。
そして、陣左の耳に、実代の凍るような冷たい感情のない声が届く。
実の母に冷たい声を向けられているのさえ気づいていないように、実代の言葉に月子は『はい』と幼げに返事を返す。


「お前は誰の娘だ」

「おかあさまのむすめです」

「そう…そうだ…お前は私の娘だ…お前は私が腹を痛めて産んでやったただ1人の娘だ………なのに…だというのに…母上は私を要らぬと言った…」

「………」

「なぜだ、月子」

「月子がわるいから」

「そうだな…月子が悪い…お前が私を実家へ連れ戻してくれぬからだ……よく分かっているね、流石私の子だ」

「はい」


陣左は聞いていられないと思った。
今すぐにも月子の下へ向かい、耳を目を塞いで、この手で実代の命を終わらせて月子を雑渡の腕へ戻してやりたかった。
だが、出来ない。
任務だからもそうだが、何よりも実代の血筋が厄介だ。
雑渡が妻を殺してでも娘を取り返すのを我慢しているというのに、たかが自分1人が暴走し雑渡の忍耐を無駄にはできない。
ぐ、と拳を握り締めて心を穏やかに保つ。


「ならば沢山お勉強をなさい…賢くなり、母を国に帰しなさい」


先程とは打って変わって優しい愛を感じる声。
だがその言葉は猛毒を塗った刃物のようだった。
まだ4歳の娘に向ける言葉ではない。
しかし、月子はそんな母に―――


「はい、おかあさま」


コクリと頷いた。



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