(8 / 12) 夜明けの抱擁 (08)

雑渡は最近、驚異的な速さで快復し、これまで布団から出られなかった身体は、今では歩けるようにまでなった。
とはいえ、歩けると言っても杖や介助がなければ歩くことも出来ず、長時間は歩けない。
しかし、全身焼かれ、誰もが慈悲で殺すべきだと言っていた当時から比べれば奇跡だとしか言いようがない。
雑渡本人の『生きる』という意志も大きいが、彼を支えてくれた周りも、雑渡が生きる選択を諦めなかった存在の1つでもある。
そして、最近は娘の存在も大きい。
折鶴を贈ったあの日、やっと月子は父親である雑渡の存在を知った。
当番の忍びから父への言葉を携えて報告してくれることも多くなった。


「雑渡小頭…月子殿よりお預かりした品がございます」


今日は調子が良いので尊奈門が布団を干したりと細々と動いている間、縁側に座って日向ぼっこをしていた。
月子は部屋から出ることは少ないと聞いており、『あの子は小鳥の声や草木の匂いや音も知らないんだろうな』と平和で穏やかな時を味わいながらも、娘を思い切なくもなる。
すると、今日の担当者が音もなく現れ本日の報告をしてくれた。
今回も折り紙を喜んでくれたと聞き、雑渡は頬が緩む。
いつもなら担当者は報告を終え、雑渡にお礼を言われてすぐに姿を消していた。
だが、今回は月子からの贈り物があるらしく、雑渡は目を丸くさせる。


「預かり物?」

「はい…こちらに…」


まさか月子が行動を起こすとは思っていなかった雑渡は、驚いた表情を隠さない。
担当者は懐からソレを雑渡に差し出した。
思わず受け取った雑渡は驚いた表情を更に強め、目を見開いた。


「手紙?」


それは、一通の手紙だった。
何でもない普通の手紙だ。
視線で『いつの間に?』やら『なぜ手紙が?』と担当の忍びへ問う。


「以前より月子殿は雑渡小頭へのお礼をお伝えしたいと悩んでおられましたので、それならば手紙を綴ってみてはいかがかと申し上げました」

「このこと組頭は…」

「ご存じです…月子殿から小頭への手紙ならば、とご許可も頂いております………雑渡殿…この手紙は月子殿がお父上殿のためにとお書きになられたものでございます…どうか、受け取ってさしあげてください…」


そう言って担当者は頭を下げた後、姿を消した。
雑渡は消えた担当者など気に留める余裕はなく、その手紙を食い入るように見つめる。
その手紙は、至って普通の、どこにでもある物だ。
だが、それが娘が書いてくれたというだけで、雑渡には特別な物になる。


「………」


手紙の外包には『お父様へ』と書かれており、雑渡はその文字を撫でる。
暫く見つめていると、やっと中身を見る覚悟ができたのか、外包を優しく外し、折られている手紙を優しくゆっくりと広げて娘が書いた文字を視線で追う。
最初は挨拶と名前から始まり、文章が続く。


『このたびは折り紙をいただき、ありがとうございました。
手に取ったときのことを今も覚えております。
折り紙をいただくのは初めてでしたので、胸が暖かくなりました。』


その文字や文章は4歳にしてはしっかりと書かれているものの、漢字なども少ない子供らしく愛らしいものだった。
ああ、あの子はこんな文字を書くのか―――雑渡は心が震え、呼吸さえ忘れるほどだった。


『お父様にお手紙を差し上げるのはこれが初めてですね。
うまく書けているか分かりませんが、気持ちが届きますようにと願っております。

頂いた折り紙のお礼をどうしてもお伝えしたくて何かお返しをしたいと思いました。
けれど、今の私には差し上げられるようなものが見つからず、せめて心ばかりでもと、このようにお手紙を書くことにいたしました。

恥ずかしながら、私はこれまでお父様という存在を知りませんでした。
最近になってようやく、お父様やお兄様方の事をお聞きし、お贈り物を受け取って、初めてお父様やお兄様方を想うようになりました。
お兄様方のことも、いつか知ることができたらと願っております。

お父様とこうしてやりとりができるように助けてくださった方々にも、心よりお礼申し上げます。

お父様やお兄様にお目にかかれる日が、いつか来ますように。
その日を楽しみに待っております。』


最後に娘の名前が書かれていたのを視線で確認し、雑渡はまるで止めていた息を吐き出すように声が漏れた。
何でもない、ただ感謝と会いたいという気持ちを添えた手紙だ。
子供特有の拙い文字だが、大人顔負けのしっかりと気持ちを伝える文章。
あべこべな手紙だが、気持ちが込められた手紙だと分かる。
この手紙は娘から送られたもの―――そう思うと、この何でもないただの手紙が輝いて見えた。


「…っ」


目頭が熱くなる。
目を瞑れば涙がポツリと一滴零れ落ち、雑渡は慌てて零れた涙で手紙が濡れるのを避ける。
きっと、あの子はこの手紙を書くのも緊張しただろう。
人生初めての手紙を、会った事のない父親に送るのだ…この手紙は雑渡にとって人生全てにかけて唯一の宝物になるだろう。
そのため、返事を返せないのが心苦しく、そして雑渡の胸を痛める。
落ち着くために吐き出した息が震えた。


「父上?」


もう一度娘からの手紙を読んでこの感動と幸せを噛みしめようと思い、涙を指で拭ったその時―――2人の少年が現れた。


「千代と春か…おかえり」


そちらへ視線を向ければ、長男の千代丸と、次男の春丸がその姿を父、雑渡に現した。
父からの言葉に『ただいま戻りました』と軽く返した後、父の目元を見て長男の千代丸が怪訝な表情を浮かべる。


「何かありましたか」


2人は父の傍に腰を下ろし、父の手にある手紙を見た。
父の様子に何か悲劇的な事が起こったのかと勘ぐってしまう。
自分達は忍びだ。
忍びである以上、殉職は避けられない。
父の部下が亡くなった報告か―――心配そうに問う千代丸に、雑渡は『違うよ』と首を振る。


「まあ、あったにはあったけどね」

「?、なんです?それは僕達がお伺いしても良い事ですか?」

「…そうだね、お前たちも見た方がいいかもしれないね」


首をかしげながら問う次男である春丸の言葉に、雑渡は考えるそぶりを見せる。
どうすべきか考えた結果、この手紙を見せる事にした。
『はい』と手紙を長男の千代丸に渡すと、怪訝な顔をしながらも千代丸はその手紙を受け取った。


「お前たちの妹から届いた手紙だ」

「…!」


息を呑んだのが、分かった。
読もうと広げかけたその手を止めた千代丸と春丸の目を、雑渡はまっすぐ見つめる。


「読みなさい…お前たちが母親に対してどんな思いを抱いているかは知っている…だけど妹まで母親と同じ目で見てはいけないよ…あの子を、ちゃんと見てあげなさい」


父の言葉に息子2人はお互いに目配せをする。
千代丸と春丸が母親に対してどんな感情を持っているかは分かっている。
もう母として見れず見捨てたのも、それは実代自身が招いた結果だし、父として口を挟む気もない。
だが、息子達は母を嫌うあまり、妹まで目を向けることができないでいた。
そこは母親から娘を引き離せなかった雑渡達の責任だ。
だからこそ、この手紙が一つの転機となればと思った。
父の言葉に2人は渋々手紙を広げ、子供らしからぬ、しかし子供らしい手紙の文字を目で追う。
雑渡は静かに2人が妹からの手紙を読むのを待つ。


「…妹は月子という名のですね」


読み終わって、まず口を開いたのは次男の春丸だった。
妹の事を周りから聞かされることもあった。
その中で名前もちゃんと彼らの耳に届いていたはずだった。
だが、母を嫌うあまり2人は妹の存在も切り離していたのだ。
手紙に書いてあった妹の名を春丸は初めて口にした。


「父上たちが妹…月子と何らかの関わりを持たれていたことは存じておりました」

「お前たちにも伝えようかとは思ってたんだけどね…私がお前たちにはまだ話すべきではないと判断した…除け者にしてしまってすまなかった」

「いえ…あの頃に聞いたとしても聞き流していたでしょうから…」


父を含む大人達が何か動いていたのは感じ取っていた。
この里での問題という問題はあの母親しかないと思ったから、2人はあえて気づかないふりを貫いた。
だからこそ、妹の手紙に対しての衝撃が強いのだろう。
自分達は本当に妹を見ようともしなかったのだ――と。


「組頭殿でさえもすぐにご判断なさることが出来ないほど厄介なのですか?」


礼儀を叩きこまれていてもまだ学んでいる途中の子供だ。
一応勢力図は頭に入っているが、正直、母親の実家だと思うと色眼鏡で見てしまう。
そこが父や大人達曰く、まだ未熟者な証拠だと言われているが、中々直らない。
組頭がすぐに対応できないほど、母親の実家は厄介なのかと疑問に感じた。
長男、千代丸の問いに、雑渡は考えるそぶりを見せながら顎を擦る。


「それほどまでドクツルタケ城は強いのですか?」


次男、春丸の問いに『んー』と曖昧な返事をする。
はっきりと答えない父親に次男は批難めいた目で見る。
じろりとした目で見てくる可愛い可愛い息子の頭をポンポンと叩くように撫でた。


「ドクツルタケ城自体にそこまでの脅威はない」

「ではなぜですか…殿は既に盟を破るご決断をなさっていると伺っておりますが…」

「月子を犠牲にしてまで二の足を踏む理由はなんですか?」


ぐ、と次男である春丸の言葉に口を噤む。
『お前…さっきまで妹に無関心だったくせに…』とジト目で見れば、強かな次男は父のジト目をツンとそっぽを向いて無視する。
『誰に似たんだか』と思いながら雑渡は息子の問いに答える。


「問題は、ドクツルタケ城に仕える忍軍だ…あれは厄介だぞ」


ドクツルタケ城はタソガレドキ城にとって言うほど脅威ではない。
我らの殿以上に好戦的ではあるが、国力や戦力ならタソガレドキ城の方が上だ。
そのため、問題はドクツルタケ城に仕える忍軍にある。
『忍軍?』と仲良く首をかしげる息子2人に、雑渡は目を細めた。


「ドクツルタケ忍軍は所詮、女の集まりだ…本来なら我らに敵うはずもない」

「ですが、厄介だと…」

「同盟を結ぶ前に何度か交戦したことがある…あの力はもはや女のそれではなかった」


包帯を巻いていても分かるほど、父の顔が嫌そうに顰められる。
それを見て、長男と次男は『あの父が?』とお互い目配せをした。
父は息子の贔屓を抜きにしても忍者として強者の1人だ。
そんな父が言うのだから、疑う余地はないのだろう。


「あれは、恐らく薬物だな」

「薬物…」

「でなければ女が男を投げ飛ばした説明ができない」


ドクツルタケ城の兵力はそこまで怖くはないが、忍軍は油断できない。
同盟前にタソガレドキ忍軍も偵察するために侵入を試みたが、すぐに気づかれ、女だけの集団が男に勝る秘密を探れなかった。
どれだけ修行を積み、才能を開花したとしても。
150cmもない小柄な女が、180cmの雑渡を投げ飛ばす事など不可能だ。
元々、ドクツルタケ城は豊富な薬草で有名で、多くの優秀な薬師が生まれた土地だ。
その女の目が虚ろだったのもあり、身体強化に特化した薬物でなければ雑渡は納得ができない。


「いいかい、お前たち…薬物で身体強化をするのは簡単で、楽だ……だが、その薬は少しずつ、だが、確実にお前たちの身体を蝕んでいき、行きつく先は廃人だ……どれだけ悩み苦しんだとしても…絶対に薬物には手を出すな」


現代でも医療用麻薬として使用されているように、薬物も使い方次第では良薬にもなれる。
だが、使い方を誤れば、毒になる。
息子達やタソガレドキ忍軍達がそんな薬に手を出すような人間ではないとは分かっているが、警告はすべきだろう。
『敵にはぜーんぜん使っていいけど』と付け足す父の言葉に、千代丸と春丸はゴクリと唾を飲み込み、強く頷いた。



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