月子はあれから小蝶とも仲を深めていった。
最初はあれほど小蝶の存在が気になって本に集中できなかったのに、今では本に夢中になるあまり、小蝶に声をかけられなければ飲食さえ忘れてしまうほど、小蝶の存在はすっかり月子の日常に溶け込んでいた。
本もほどほどにした月子は小蝶と共に庭に出ていた。
「庭には様々な生き物がいるのですね…知りませんでした」
離れとは違い、母屋は広く、それに合わせて庭もそれ相応のものに作られている。
庭には多くの花や草木が植えられており、特に花の鮮やかさが月子の目を引いた。
小蝶も花に詳しいわけではないが、見覚えのある花が多かったおかげで、何とか月子の問いに答えることができた。
花も月子の目を楽しませてくれたが、その中で、一番興味を示したのは生き物だった。
花や草木の間を飛び交う虫や庭を訪れる鳥などの生き物を、月子は4歳にして初めて目にしたと言っていい。
小蝶は『あちらではお見掛けしておられなかったのですか?』と問いかけたが、急いで口を閉じる。
できるだけ離れや母の事は月子に聞かせないよう、雑渡だけではなく組頭から言われているのだ。
小蝶も、その配慮は必要だと思っているので意識して言葉を選んで会話を広げていた。
いくら大人顔負けの礼儀を叩きこまれたとはいえど、そして、大人にならなければならなかった環境だったとはいえど――体も心もまだ子供なのだ。
平然としているように見えても、傷ついた心には本人でさえ気づいていないことも多い。
だが、その気遣いは不要だったようだ。
「お母さまも、ばあやも…着物が汚れるのを嫌がって庭には出させてもらえなかったのですけれど…こんなに賑やかなら、一度くらいは庭に出てみたかったです」
小蝶はその言葉に、月子を見る。
月子の表情に悲しみの色はなく、普段と変わらない様子だった。
母親や離れの記憶を思い出してはいるが、嫌な記憶までは思い出していないのだろう。
「そうだ…小蝶殿、こちらではどのような遊びがあるのです?」
「どのような…」
「私はあちらでは部屋から出ないよう言われていたのです…服を汚したり、あちこち動き回られるのが面倒だったのでしょうね…与えられるものといえば、改ざんされた本に勉強、それから侍女たちと座ったまま毬を投げ合う遊びくらいで、面白みのないものばかりでした…だから普通の子がどんな遊びをするのかが気になったのです」
まだ10歳の小蝶はどんな反応をしたら正しいのか分からない。
だが、これは大人でも難しいだろう。
それほど月子の育った環境は複雑だった。
そんな小蝶の様子を見て、月子はあえて話を続けた。
「本当はあなた方のお心遣いを受け入れるべきだとは思うのです…ですが…皆さまが思っているほど、あちらでの暮らしを嫌っていたわけではありませんでした…婆たちが恋しいわけではありませんが…変に気遣われて腫れ物に触るように扱われたくはありません」
「月子様…」
母の手元にいた時の記憶は、嫌な記憶だったのだと今なら思う。
けれど、周りが思うほどあの場所が嫌いなわけでも、トラウマを抱えているわけでもない。
今でも婆たちの夢を見て魘されることはあるし、父達が心配しているのは分かっている。
だが、変に気を使われて、腫れ物に触れるような扱いをされて変な空気になるのは嫌だ。
さすがに、無配慮に聞いてくるのは嫌だが、気遣われすぎるのも月子の負担になる。
『だから』と月子は小蝶を見上げ、明るい笑みを浮かべた。
「だから、教えてください…あちらでは教えられなかったものを月子は知りたいのです」
その笑みに小蝶は息を呑んだ。
そして、本当にこの子は心が強いのだな、と感じた。
気にするなと、気遣ってくれると居心地が悪い、と意見を伝えるのは大人でも勇気が要ることだ。
それなのに、こんな子供がちゃんと自分の意見を言うのがどれだけの勇気や度胸がいるのだろうか。
きっと、小蝶も4歳だった頃なら、きっと言えずに抱え込んでしまっただろう。
勇気を出した子供の言葉を否定できるわけがない。
そんな人間がいるのなら、小蝶が引っぱたいてやりたい。
小蝶は月子の望みを出来る範囲だが、叶えてあげようと思い、『はい』と頷いた、その時――月子の身体がふわりと浮いた。
「なら、私たちと毬蹴りをしようか」
「わ!」
月子の驚いた声に慌ててそちらへ視線を向けるとそこには――月子の兄、千代丸と春丸がいた。
月子を抱えているのは長男の千代丸。
次男の春丸は愉快そうに笑っていた。
小蝶は千代丸を止めようとしたが、嬉しそうに笑う月子を見て言葉を飲み込んだ。
「千代丸様、春丸様…いつお帰りに?」
「先ほどな…今日の特訓はすでに終えたゆえ、月子に会いたくて走って帰ってきた!」
「そうしたらお前たちが遊ぶ計画をしていたのでな」
実代とは違い、千代丸と春丸は、血筋の才能を開花させた。
着々と力や技術、知識を身につけていき、将来は父をも超える忍者になるだろうと皆が噂し期待している。
妹を抱いたまま、千代丸は『どうだ?』と尋ねた。
「毬蹴りですか?」
「そうだ…ついでではないが庭に出ているのなら私たちと毬蹴りをして遊ぼうと思ったんだが…嫌か?」
後ろから様子をうかがう千代丸の視線を感じながら、月子は慌てて『いいえ!』と首を振った。
「月子は座って投げ合う毬遊びしか知りませんから教えてくださいまし」
「勿論だ…そこまで難しくはないから安心していい」
月子は、座って相手に軽く毬を投げ合う遊びしかしたことがなく、難しい遊びではないと聞いて安心した表情を浮かべる。
『毬はどこにある?』と妹を抱いたまま、千代丸が小蝶に尋ねると、傍に今日の担当が降りて来て『こちらに』と毬を差し出して消えた。
月子を心配し、暫くは忍びがついてくれることになっており――その名も『月子様を見守り隊』。
ネーミングセンスはどうであれ、担当のおかげで毬を探さなくて済んだので良しとしよう。
因みに、『月子様を見守り隊』のルールが存在し――必要以上に触れない、話しかけない、姿を見せない、名乗らない――となっている。
担当者も、離れの時と異なり完全に『見守り隊』で結成されており、もうほとんどファンクラブである。
「では、まずは軽くやってみようか!」
特別なルールはなく、ただ相手と蹴り合うだけ。
勝敗を競わず、どれだけ長く蹴り続ける遊びだ。
まずは、長男の千代丸が軽く蹴って次男の春丸へ蹴って見せる。
春丸は『よっ』と声を上げ、軽く小蝶へと蹴った。
これが同じ忍び相手、同性相手なら手加減なく蹴れるが、流石に忍びではなく女子供相手なら手加減は必要だろう。
特に月子は4歳まで動き回る遊びをしたことがないため、試しにやってみるという意味もあった。
しかし、その心配は杞憂だったらしく、小蝶からパスされた月子は難なく長兄へとつなげることができた。
妹からパスされた毬を一度蹴り上げて落ちてきた毬をキャッチする。
「どうだった、月子…出来そうか?」
「はい!」
一周だけだが、楽しかったらしく頬を赤らめ目を輝かせて兄を見上げた。
月子の知る毬とは、座ったまま手が届く範囲にいる侍女に軽く投げて渡すのを繰り返すだけの遊びだった。
それも数分ほどで、侍女の機嫌次第では1分も経たずに終わることさえあった。
そのためか、4人で毬を蹴るだけの遊びでも、月子にとっては楽しいものだった。
きっとそれは、義務ではなく――4人とも楽しいと思って遊んでいるからだろう。
わーっ、と声を上げ、ぴょんぴょん跳ねて喜ぶ月子を、3人…いや、見守っている担当も含めて、4人は微笑ましそうに見つめた。
「じゃあ、続けようか…今度は順番は関係なく蹴るとしよう」
そう言って千代丸は月子へと向けて軽く蹴った。
子供たちの楽しそうな声はリハビリから雑渡が帰ってくるまで庭に響いていた。
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