指切った、と二人だけの約束をした。
どちらも子供のするような口約束だが、二人は不思議と温かく満たされていた。
「に…」
お互い笑い合っていると、子猫が目を覚まし、見つめ合う二人を他所に欠伸をした。
子猫の顔に『うるさいんだけど』という苦情の文字が見えた気がした。
「先ほどから気になっていたんだが…この猫は?」
前に来た時はいなかった存在。
くあ、と大きな欠伸をしてまた眠り出した子猫を指さして押都はミツに問う。
ミツはその問いに『えっと』と気まずげに視線を逸らす。
「……機嫌が悪くなった…あたしの…ご機嫌、とり、かな…」
ポツポツと呟くミツに、押都は『ほう?』と声を漏らす。
その漏れた声にミツはそっと押都から顔をそむける。
絶対に気づいている。
「そこまで想われていたとはなぁ」
まさに、ぐうの音もでない、である。
チラリと押都を見ると、面を被ってはいるが、絶対にニヤニヤしているのが分かる。
占いをしなくても、分かる。
ちょっと前だったら嫌味の一つや二つ言ってやっていたが、会えなかった理由を知った今ではそんな八つ当たりできるはずもなく。
助けを求めるように子猫を見るも、子猫は昼間沢山遊んだからかプープー寝息を立てて眠っている。
「名前は?」
ぐぬぬ、と反論も言えないミツを楽しむのはいいが、あまり揶揄いすぎると更に機嫌を損ねてしまう。
今日はやっと時間が出来て遊びに来ることができたが、次に会いにこれる日が不透明な以上、機嫌を損ねたまま帰りたくない。
今は年上の友人として彼女のパーソナルスペースに入れてはくれているが、その席は押都の行動1つで、簡単に降ろされる。
押都はこの関係を気に入っているので、この席だけは死守したいところだ。
名前を問われてミツはそっぽを向いていた顔を押都へ向き直した。
「きりさめ…霧に雨って書いて、霧雨」
子猫の名を聞いて『ふむ』と顎を撫でる。
霧雨とは、畜生にしては立派な名を貰ったものだ。
この部屋に来た時に『きりちゃん』と呼んだのも、霧雨の愛称だろう。
「雨が降っていたのか?」
霧雨とは、名前の通り霧のような雨の事を指す。
霧雨という漢字も使用しているということは、贈られたのは霧雨が降っていたのかと思った。
素直な感想を告げると、押都はミツが頷くと思っていた。
そうでなくても、違うよと否定するのだと思っていた。
しかし、ミツは頷くことも首を振ることもなく、押都から視線を逸らしてどこかを見つめた。
「降ってはいなかった…でも、なぜこの名前にしたのか…分からない…」
「…お前が付けたのではないのか」
「あたしが付けたよ…殿に頼んで、あなたがいない時間を埋めるために貰った子だもの…でも、なんでだろう…名前を考えている時に頭から『きり』っていう言葉が離れなかった…」
押都から視線を逸らしたのも、記憶を辿っているからだろう。
霧雨という名前は、どうしても頭から離れなかった『きり』という言葉を無理矢理つけるために付けた名前だった。
真っ白な猫なのだから、『シロ』や猫で定番の『タマ』でもいいのに、何故か『きり』と付く名前を付けたかった。
「もしかしたら、ミツの家族の名前なのかもしれないな」
「え?」
「家族のことは覚えていなくても心の奥には何か残っているものだ…無意識に忘れないようにしていたのかもしれない」
『きり』だけでは押都も分からないが、何となく、その言葉はミツの大切な存在の名前だと思った。
そう思った根拠はない。
ないが、そう思った。
ミツは押都の言葉に、『きり』が兄の名前かもしれないとふと考えがよぎった。
考えが過ってしまえば、もうそうだとしか思えなくなってしまった。
「…そっか……そう…そうかもね…」
どう受け止めればいいのか分からない。
だけど、嫌な気分ではなかった。
自分の静かな反応に、押都が心配そうな視線を送るのに気づき、ミツはニコリと笑う。
「ありがとう…なんだかすっきりした」
ずっとモヤモヤしていたのだ。
なぜ、ずっと『きり』にこだわるのか。
なぜ、頭から『きり』という言葉が離れないのか。
子猫に『霧雨』と付けてもしっくりこなかったが、『きりちゃん』と愛称を付ければなんだか耳慣れた音に変わった。
きっと、兄の愛称だったのだろう。
母や村の人達からそう呼ばれていたのを、幼いながらに聞いて覚えていたのかもしれない。
兄の顔は思い出せないし、声だって、匂いや仕草だって思い出せない。
それどころか、両親が殺される姿以外の記憶がない。
今だってそうだ。
兄のことが少しだけ分かっても、思い出せていない。
押都の言葉は、あてずっぽうなのかもしれない。
だけど、少なくともミツは救われた。
当たっていても外れても、ミツにとってそれだけでも救われたのだ。
「ありがとう!なんだか兄ちゃんを思い出したみたいで嬉しい!こんな気持ちが軽くなったの初めて!」
静かだったミツの表情がパッと笑顔が灯った。
自分の発言で家族を思い出して寂しさを増してしまったのかと心配したが、ミツの笑顔を見て押都は安堵する。
『それは良かった』と微笑む押都に、ミツもめいっぱいの笑顔を返した。
「ね、お礼をさせて」
「お礼?」
「うん…あたし、家族の事を思い出すのがイヤだった…思い出しても父ちゃん達が殺される記憶しか思い出せなかったから…でも、あなたの言葉で、初めて家族のことをちょっと嬉しい気持ちで思い出せた……だから、そのお礼」
この城に閉じ込められて以降、ミツは家族の事を思い出すのを怖がっていた。
この生活は今でもつらい事ばかりで、少しでも家族の事を思い出して心を落ち着かせようとしても、思い出すのは、悲鳴と血の匂い。
そして、両親が侍によって斬り殺される姿。
父が最期までミツを奪い返そうと足掻く姿。
母が最期まで連れていかれるミツに手を伸ばす姿。
忘れられるわけがない。
ミツの脳に焼印のように刻み込まれた記憶だ。
その記憶を思い出せば出すほどナーバスになっていくから、もうミツは家族の事を思い出すのをやめた。
だから、押都の言葉が嬉しかった。
「いや、お礼をされるほどのことは…」
「じゃあ、これはあたしの我が儘…―――妾がそなたの望むものを占いましょう」
ミツにとってはお礼をする価値がある言葉だったが、押都からしたら特にお礼を望んだ言葉ではなかった。
お礼をすると言われて困惑しながらも断るが、それをミツ自身が許さなかった。
居住まいを正し、表情をひきしめる。
その姿はまさに、神託の巫女様であった。
だが、その表情は柔らかく、普段の巫女姿とは全く異なっていた。
押都だからこその姿である。
押都は雰囲気がガラリと変えたミツに、息を呑み、目を奪われる。
幼い子供とは思えない、凛とした気配がそこにあった。
「………私は、占いをしてほしいからお前と仲を深めているわけではないぞ」
ミツの占いは当たる。
まだ幼いミツは自衛を知らないし、する術がない。
守ってくれる両親だって、ただの村人だ。
たった一人。
たった一人、欲深い人間がいたから、ミツはここにいる。
この城はミツを閉じ込める牢獄でもあるが、その実、ミツを守る鉄壁な城でもあった。
そんな欲深い人間の一人と思われるのが押都は嫌だったし、心外だった。
この気持ちは、占いで得したいといった軽いものではない。
ミツは押都の言葉に、目を細め笑みを浮かべる。
「分かってる…でも、あたしが贈れるのは占いしかないから…長烈、どうかあたしの気持ちを受け取ってほしい」
「…………」
押都が自分を懐柔させようとしているわけではないのは、ミツだって分かっている。
自分を懐柔させ、押都の国の益をもたらせようと攫うための準備ではないことは、占いでも出ていたし、彼からそんな素振りは見られなかった。
だからこそ、純粋に、自分が唯一返せる恩を彼に返したいだけ。
お願い、と零せば、押都は黙り込んだ。
それをミツは彼なりに葛藤と戦っているのだろうと思い、彼の選択を黙って見守った。
暫くの沈黙が続いたが、折れたのは、ミツの方だった。
ミツは自分の恩返しを、拒むでもなく、しかし、受け取るでもない押都に小さく溜息をつく。
呆れてはいない。
だが、そこまで迷うのならばいっそのこと割り切って自分に頼めばいいのにと思う。
「変な人…あたしが占うって言ったらみんな喜んでいたのに」
最初はただの八つ当たりだった。
ミツは望んでこんな能力を得たわけではない。
気づいたら、物心ついた頃から、生まれ持っていた力だった。
人は神託の巫女様だと羨み、敬うが、こんな能力が欲しいのならあげるのにといつも思う。
こんないらないものがあるから、村は滅んだのだ。
ミツの占いは制御できるものと、できないものがある。
聞かれた時、ふと疑問や興味を持ってしまってた時、そして、無意識な時だ。
今は多少の制御はできているが、今よりももっと幼い頃は酷かった。
ミツは自分を性格が悪いと思っている。
見たくもないのに占いが見えてしまうそのストレスからの苛立ちを、村人で発散していたのだ。
知りたくもない、聞いてもいないことをペラペラと話す子供は、どれだけ異質に感じられただろうか。
なのに、あの村の人達は、ミツの家族は、『すごいなぁ、ミツの占いはよく当たる』と笑ってくれた。
次第に、村の人達もミツの占いは当たるぞと言って自分の事のように楽しそうに、そして嬉しそうにしてくれた。
独身の女の人には、恋占いをしてくれと頼まれる事が多く、男性も意中の人へ思いを告げるため背を押してほしいと頼まれる事も多かった。
他はなんでもないことばかりだった。
ペットや迷子の行方、壊れた道具はどこで買ったら安心か、今夜の夕食、明日の天気…
本当に、なんでもない、平和な、欲のない、ミツがこの能力が大好きになるきっかけの占いばかりだった。
ミツがこの城に閉じ込められるようになってから、欲深い占いばかりで正直、城に来て半月で辟易した。
占いをしたくないと駄々をこねたこともあったが、当時のミツは物だったため、駄々をこねる子供を大人達は暴力で黙らせた。
すると、次第にミツは諦めるという逃げ道を見つけてしまい、そして、己の占いで自分の村と同じく滅ぼされる村があるのだという現実からも逃げ続けている。
だから、押都のように自分との関係を気にして占ってもらうのを躊躇している大人は、初めて会った。
だから、ミツは押都を変な人だと言ったのだ。
みんな…そう、村の人達でさえ占ってくれと望んだというのに。
だから、押都は変な人だと言った。
ミツにとったら、占いを躊躇するなんて初めて会う人だから。
「じゃあ、保留でいいよ」
『は?』と押都の零れた声に、ミツは見なくても彼が今、面の奥で目を真ん丸にしているのが分かる。
素顔は分からないが、そんな押都を想像してミツはクスリと笑う。
「あなただけよ、巫女様が自ら占ってあげるなんて…他の誰にも言ったことないんだから」
村の人達なら『暇だからなんか占ってあげる、なんかない?』と言って暇を潰すことだってしていたが、そんな村はもう存在しない。
唯一、ミツから占ってあげると言ってもらえる生き別れた兄も、今は会えない。
この城の人間達なんかに、自分から占ってあげるなど死んでも言ってやらないことに決めているし、言ってやるものか。
だから、あなただけは特別。
「決まったらちゃんと教えてね…特別に占ってあげる」
驚く様子の押都を眺め、ミツは微笑みを向けた。
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