(3 / 12) 夜明けの抱擁 (03)

ホウホウ、とフクロウの鳴く声が聞こえる夜。
1人の女性がある屋敷の一室の前で立ち止まる。
女性はつい先ほど写本のミスをし、女中頭から解雇を言い渡された侍女だった。
女中頭はあの後、拷問はせず侍女を牢へ入れただけで、体罰といえば一日一度の少量の食事のみしか与えず数日後追い出すという甘いものだった。
恐らく、侍女を憐れんでのことだろう。


「失礼いたします」


声掛けをすると返事が返ってきたため、女性は静かに襖を開けて入室する。
そこには3人の男達が待ち構えていた。
2人は忍びの衣装を身にまとっており、その中央には布団から身体を起こした包帯だらけの男が女性を待っていた。


「ご苦労様…すまないね、私事で頼み込んで…」

「いえ!月子様の事は雑渡小頭だけの問題ではございませんので…」


女性は慌てて頭を下げる。
包帯だらけの男の名は、雑渡昆奈門。
3年前に全身に火傷を負い、起き上がるまで奇跡的に快復した人物である。
現在は傍にいる1人の山本陣内に小頭を代行してもらっているが、狼隊の小頭である。


「やっぱり失敗したか」

「う…も、申し訳ございません…」

「いや、謝る必要はないよ…あれの癇癪はいくら優秀な忍びでも読めないからね」


侍女とは世話係の女性の事を指す。
しかし、侍女の正体は女性ではなく、男性。
それもタソガレドキ忍軍黒鷲隊の椎良勘介という忍者である。
黒鷲隊は開戦前に敵の事前調査を行う『先考の術』を得意としているので、この任務に抜擢された。
上司である押都の言葉に椎良は頭を更に下げた。
椎良の任務は、雑渡昆奈門の妻を探るものである。
雑渡の妻、実代は女性しか傍に置かないため、女装して侵入していた。
本来ならくノ一を使うが、タソガレドキ忍軍にはくノ一は作られていない。
ミスをし解雇された椎良は、雑渡から『もう解いていいよ』という許可を貰ったので、女装から本来の忍びの姿へと戻る。


「それで、どうだった」


押都からの問いに椎良は調べた通りの内容を告げる。
調べたと言ってもいきなり余所者を御母堂やその娘の傍に置くわけではないので、忍者らしく忍んで調べたものである。


「御母堂様は男に対して前よりも過敏になっておいででした…月子様に読ませる本も侍女達に写本させてまで男の存在を排除しており…男の存在を匂わせましたが雑渡小頭やご実家からの間者だと言って処罰させるほどお怒りを見せておりました」

「あれは実家から見捨てられたからね…まだ現実を見ることができないんだろう…しかし、扱いに困るな…」


雑渡としては娘を置いてとっとと実家に帰ってほしいというのが本音だ。
だが、女児をやっと1人産んだ程度の女を実家は関心すら向けない。
娘を出産してすぐ、女児を生んだのだからと実代をそちらへ帰すという手紙には『要らぬ』という文字だけ返ってきた。
流石に実代を憐れんでその手紙は実代には回さず燃やしたが、どうやら同じような手紙を実代に送っていたらしく、それ以来、実代の癇癪は日に日に酷くなっていった。
最初こそ気が合わない相手とは言え、身内に捨てられた実代を憐れんでいたが、攻撃的な態度を崩さず増すばかりの実代に雑度達も手に負えなくなった。
結局同情したのは最初だけで、息子達に被害が及ぶ前に実代を里の隅にある離れに押し込んだ。
誤算だったのは、実代が娘を決して放さなかったことだ。
実代を離れに押し込む際に、実代の癇癪を考えて娘を取り上げようとしたが、それを実代どころか嫁いで来た際に連れてきた侍女達全員に抵抗され、結局失敗に終わった。
息子達に娘を会わしたいという気持ちと、娘に会いたいという気持ちで、姿を見せに来るよう命じても一切それに答えたことはなく、ならばと会いに行けば門前払い。
幸いだったのは、実代は忍者の素質がなく、実家も実代程度の女に忍者を与える気はなかったということだ。
あの離れは忍里とは思えない程に侵入し放題だった。


「…月子様はまだ齢4つというのに侍女や御母堂様の顔色を伺いながら暮らしておりました…外で遊ぶことも許されず本だけが月子様の心の支えのように見えました」


椎良達タソガレドキ忍者やその忍里の者達は実代やその侍女達に対していい印象を持っていない。
むしろ、ドクツルタケから来た女達を里の者達は嫌っている。
月子は外で遊びたい盛りだというのに、部屋で女しか登場しない本を読むことを強制され、勉強も叩き込まれる毎日を過ごしている。
実代はまだ母としての顔はあるらしく、月子の前では癇癪は鳴りを潜めているが、それでも威圧感は隠さない。
周囲の侍女達も月子をギチギチに縛り付けていた。
失敗しても叱られることはないが、まだ4つの子供に向ける束縛ではない。
その姿を見張りもかねた様子見をしていた忍び達は、月子を憐れんだ。
椎良もその1人で、雑渡に懇願するような目で見つめる。
その瞳をただ雑渡は見返すしかできなかった。


「………」


齢4つ。
それは娘がもう4歳になっていることを指す。
生まれた日から数えれば簡単に分かるのに、人伝に聞いて思い出した。
だが、誰も雑渡を責められない。
雑渡は月子が生まれた翌年に部下を救うために火の海へ飛び込み全身に火傷を負い生死を彷徨った。
誰もが死ぬと思い、そして殺してやれと言った。
その中で、支えてくれる者達のおかげでここまで快復した。
山本や陣左、押都達も感謝してもしきれないほど支えてくれたが、何よりも一番の支えだったのが我が子達と2人の子供の存在だ。
諸泉の倅と、高坂家の娘。
この2人が息子達と共に雑渡を看病し支えてくれたから、地獄の底から這い出ることが出来た。
特に、高坂家の娘には足を向けて眠ることもできないだろう。
嫡男を…兄を奪ったような男の介抱を、父の反対を押し切ってまでしてくれたのだ。
今は安定したからと父親に連れ戻されて自宅軟禁を言い渡されているため、会ってお礼をいう事もできない。
だが、諸泉の倅があの子を気にかけて高坂の父に隠れて会っており、雑渡に様子を教えてくれるので、元気にしていると分かるだけでも安心できる。
そしてそれは3年続いたのだ。
娘のことを気にかけてやる暇さえなかった。
それどころか、息子達だって気にかけてやれずにいた。
そして、体調も安定して娘の事を聞いてみればこれである。


「母と子を引き離すにしろ…まずアレの実家が厄介だ」


溜息交じりに呟かれた言葉に、誰もが口を閉ざす。
アレ、とは実代のことを指し、実家とはドクツルタケ城に仕える忍軍のことだ。
ドクツルタケはタソガレドキ城主、甚兵衛よりも好戦的な城主として有名で、同盟を結んだのも準備なくドクツルタケと戦うことにならないためである。
戦好きで有名な甚兵衛でさえ、警戒する国が、ドクツルタケ城主とその城主に代々と仕えるドクツルタケ忍軍である。
ドクツルタケ忍軍は、タソガレドキ忍軍と並ぶ強さを持つため、慎重にならざるを得ない。
そして、実代はその忍び頭の血を継いだ実子。
例え切り捨てた子とはいえど、娘を道具に使うようなやつらならば攻める良い切っ掛けとするだろう。
甚兵衛は警戒しつつ、人員や食料などの調達し戦の準備を整えているとはいえど、その火蓋を切るのがたかが忍びであっていいはずがない。
ただ、椎良達の気持ちも分からなくはないのだ。
愛のない結婚ではあったし、決して夫婦仲が良いわけではないが、それなりに息子達を愛しているし、良い親子関係であると断言できる。
忍びとして例え味方といえど非情にならなければならない時があれど、自分の血が混ざった子供達を愛さないほど薄情ではない。
それが例え、赤ん坊は元より生まれたての姿どころか、妻の腹が膨れた姿さえも見たことのない娘ではあるが、それでも父としての情がないわけではない。


「ご子息はなんと…」

「妹とは会ったことさえないからね…関心はあるようだけど……周りの話題にあがるから気になる程度だ…」


息子は2人いる。
息子達は火傷を負い包帯だらけの今の父を化け物だと罵倒した母を見て縁を切ったようで、母の話題を振ると不機嫌になる。
元々、母である実代は実家の影響で腹を痛めて産んだ己の息子といえど、女児でなければ関心すら湧かず男児だと分かった瞬間捨てた女だ。
甘えたくて近づくたびに侍女に止められ、会ったら会ったで無視をし目さえ合わそうとしない母親にいつまでも期待し縋るほど息子達は愚かではない。
それに母親以上の愛情を雑度をはじめとしたタソガレドキ忍軍達から注がれているので、母親を必要としなかったと言うのもあるのだろう。
母を求めないのは雑渡…父としては安堵するが、それと同時に、妹に対しての関心が薄いのを気にしている。
雑渡にとって会った事のない娘だって愛する子供の1人だが、息子達にとっては会った事のない、それも嫌悪する母が手塩にかけて育てているというだけで興味や関心から遠ざかってしまっているのだろう。


「……接触してみるか…」

「!――小頭…それは性急過ぎでは…」


いい加減、見守るのも飽きてきたのもある。
だが、我が子が傍にいるのに、触れることさえもできないのは父として胸が痛む。
あの子は母や侍女しかいない世界で4年も生きており、そこに父や兄は存在していない。
椎良に男を匂わせた本を紛れ込ませたが、返ってきたのは『男とはなんだ』という疑問だった。
男を遠ざけすぎて、あの子の世界には女しか存在していない。
それが可哀想で、そして悲しい。
雑渡の呟きにも思えるその言葉にまず反対したのは山本だった。
チラリと山本を見ると、慎重になるべきだという言葉が出てきた。


「もしも気づかれた場合…御母堂殿が月子様に危害を加える可能性があります…それは避けるべきです」


月子は何も知らず育っているだろう。
男も、この世界の常識も、忍びとしての認識も、何も。
無知は罪だ。
だが、それは月子には当てはまらない。
月子に抵抗できる力がないし、生まれてからその環境で育てられては無知になるのは仕方ない。
山本は6人の父親だ。
珍しく雑渡のように愛のない家庭というわけではなく、子供達には男児もいれば、女児もいる。
思わず反対を示したのは、娘を…子供を持つ父親だからだろう。
雑渡は山本の言葉に『それはそう』と思う。


「…ちょっと、ズルしようか」

「ズル…とは…」

「両国の間にヒビを作る」

「―――!」


首を傾げる押都の呟きにとんでもない爆弾が返ってきた。
その爆弾発言に雑渡以外の誰もが息を呑む。
両国…つまり、タソガレドキとドクツルタケの間に意図的に僅かなヒビを作るということだ。
同盟国といえど、お互いを信頼しあっているほど仲のいい同盟国ではない。
ちょっとした欠片程度のヒビでも十分同盟を破棄することも可能だ。
雑渡は妻の実家が厄介ならばその実家との繋がりをなくせばいいと考えた。
実代は既に実家から捨てられたも当然だが、だからと言って実代を処分すれば、タソガレドキの弱みになりかねない。
ならば、いっそのこと完全に縁を切ったらいいと考える。
娘さえこの手に戻れば、妻などどうでもいい。


「…殿を欺くということですか」


誰の言葉だろうか。
だが、その場にいる全員が同じことを思っているのは間違いない。
雑渡は殿に仕える忍者が命令でもないのに意図的にヒビを入れて、本来なら必要のない争いを起こそうとしている。
それは顔に泥を塗るどころか、謀反だと言われ下手をしたら忍里を滅ぼされかねない考えだ。
タソガレドキの忍びが育った忍里には多くの非戦闘員の女子供や、忍者にならなかった又はなれなかった男性も多くいる。
月子には悪いが、たかが1人の子供のために里の人間を犠牲にする可能性が高いその考えは流石にすぐには頷けない。


「…タソガレドキがドクツルタケと同盟を組んだのは時間稼ぎだ…昔からあの方は気性の荒いドクツルタケの者達に頭を悩ませておられたからね…それが少し早まっただけ…人員や武器調達ならもう十分だろう」

「それは貴方の意見でしょう…殿のお考えではありません…我々忍びが殿の命令なしに身勝手に国を動かすのはいかがなものかと…」

「月子様のことは我々も気にかけております…決して私達はご息女の事は見捨てることはありません…現状、御母堂殿が月子様に危害を加える様子もありませんし…無理に引き離す必要はないと思われます」


必死に考えを改めようとさせているのは、分かる。
だが、山本や押都の言葉に雑渡は何も返さなかった。
まるで月子の犠牲で今の平和を保っていると言われているようで、ただ『そうだね』と頷くしかできなかった。
気が焦っていると、2人に注意されたようなもので、それは雑渡も自覚している。


(…だが、早く離さないと…洗脳された後では遅い…)


生まれた時から引き離されたも同然なのですでに後手となっているのかもしれないが、早く母から引き離してやらないと女尊男卑思考を植え付けられた後では遅いのだ。
洗脳は解けるのは難しい。
幼い頃から植え付けられた思考の間違いや違いを正すのは決して簡単ではない。
個人差があれど、何年、下手をすれば一生、その植え付けられた考えは消えないだろう。
ならば、早い時期…まだ大人になる前に母から引き離し母の男のいない世界だけが世界ではないことを教えてやりたい。


「雑渡小頭…両国を対立させる案は私も反対ではありますが…月子様との接触は行う価値はあると思います」

「椎良!」


娘だからだろうか。
いつもなら彼らの苦言も素直に受け止められるのに、今はどうしても喉がつっかえて上手く呑み込めない。
ただ、甚兵衛の命令なしに勝手に動くのは、提案した身ではあるものの得策ではないのは雑渡本人も理解しているため、彼らの苦言は無理矢理にも喉を通して受け止めるしかない。
そんな雑渡に椎良が最初に提案した案に賛成するような言葉を投げかけた。
椎良の勝手な言葉に、上司である押都が咎めるように名を呼ぶ。
それを手で制止、視線で先を促す。


「接触すると言っても試しに、という意味でございます…一度月子様とご接触をなさったらいかがでしょう…その様子で次を考えるというのも手かと…今の所は月子様の安全は守られておりますし、今すぐにでも月子様を御母堂様から引き離さなくてもよいかと思います」

「…あの子は4つだ…男と接触したとアレらに言うかもしれない」


良くも悪くも、子供は素直だ。
あれだけ母や侍女達に洗脳教育をされ、常に圧力を掛けられているのなら、雑渡達と接触があったことを報告する可能性が高い。
母や侍女達の顔色を伺うような生活を強いられているのなら、尚の事だ。
とはいえ、椎良の提案は雑渡としては十分に採用できるものだ。


「幸いにも御母堂様達は忍びの才がなく、従者に忍びはお1人もおりませんでした…忍びの気配すら感じることもできない素人達です…いくらでも忍べますし、いくらでも言い訳ができましょう」

「…………」


山本と押都の苦言が、グ、グ、とゆっくりとしか喉を通さなかったのが、椎良の言葉によって、すっ、と緩やかに通った。
2人は安易に月子との接触したことで月子に危害を加えられる確率が高くなるのを危惧しているだけで、2人だって雑渡の娘を救いたい気持ちはある。
とはいえ、どうなるか分からない恐怖もある。
だが、いずれいつか行動に移さなければ、きっと月子は最悪な方に向かって成長していくのは目に見えている。
2人は反対の気持ちが強いものの、雑渡の意思に任せることにした。
全員の視線を受けながら、雑渡は―――


「陣内、クジ作って」


ニッコリと笑った。



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