(5 / 7) 罪の口づけに祝福を (05)

セラを含む各天使たちの補佐天使は、文字通り彼らの傍に控える役目を担っている。
セラは研修も兼ねて、新人ながら会議中のオリヴィアの傍に控えることを許された。
後に四大天使となるミカエルたちの他に、次々と会議室に入ってくる名だたる天使に、セラだけではなく、先輩達も緊張の面持ちとなる。


「おや!セラじゃないか!」


セラは、本来なら会うことも叶わないであろうミカエルやラファエルといった名だたる天使たちを前に緊張しつつ、感激して胸が熱くなっていると、ルシファーに声を掛けられた。
高位の天使たちを前に、セラは圧倒されていたが、ルシファーの声に我に返る。
ルシファーは手を振りながらセラに歩み寄ってきており、セラは思わず背筋を伸ばす。
ルシファーの姿を見たラファエルたちは、どこか落ち着かない様子で視線を交わした。
だが、ルシファーはそんな彼らを気にも留めず、真っ直ぐセラへと歩み寄る。
セラはルシファーに話しかけられたことで、一気に注目を浴びることになってしまい、緊張が高まった。
堅く規律を重んじる天使らしい挨拶にも、ルシファーは気軽な明るい返事を返してくれた。


「セラ、君の評判は私のところにも耳に入っているよ!」

「評判…ですか…」


セラはまだ名のある天使というわけではない立場だ。
確かに、優秀で上司や他の天使たちに一目置かれているのは自覚しているが、ルシファーのような高位の天使の耳に入るほどの活躍はしていない。
そんな高位の天使の耳に、どんな評判が入っているのか…
気になるが、聞くのが怖い。
それが表情に出ていたのか、ルシファーは『そう身構えなくていい!』と笑った。


「悪い話ではないから安心するといい!むしろ君を褒める声の方が多いからね!君は同世代の中でも特に優秀だと聞いている!」


今にも花が咲きそうなほど、セラの表情は明るくなった。
憧れの、それも『明星』とも呼ばれる天使の中でも最高峰の存在に『優秀』と言われて嬉しく感じない天使などいない。
嬉しそうに礼を言うセラに、ルシファーもつられるように笑みを深めた。


「兄さん」


すると、二人の間に入るように声がかけられた。
二人がその声の方へ視線をやれば、天使たちを将軍として導くミカエルがいた。
ミカエルは顔をしかめて兄であるルシファーを見つめる。


「もうすぐオリヴィアが来る…早く席について」

「ああ、そうだね、ミカ…じゃあ、セラ!頑張りたまえ!」

「は、はい!ありがとうございます!」


ルシファーによく似た顔をしかめられてしまえば、一介の天使など委縮してしまう。
ルシファーはそれを察しているのか、気にするなと言うようにセラの肩を軽く叩いてミカエルの隣の席へとつく。


「ねえ、ルシファー…あなた、今日の会議に来て大丈夫なの?」

「なぜだい?」

「だって…ねえ?今日の議題を考えれば心配になっちゃって…」


頬にそっと手を添えたウリエルが、心配そうにルシファーに声をかけた。
会議の内容は事前に知られているが、詳しい内容まではまだ知らない。
だが、今回の会議の内容を考えれば、少なくともウリエルがルシファーの参加を心配するのも無理はなかった。
しかし、ウリエルの心配をよそに、ルシファーは笑顔で『大丈夫さ』と答えた。


「オリヴィアも私を責める気持ちがないから参加させたのだろうし…父たる神がお許しになったのだから何も心配することはないよ、ウリエル」

「うーん…だといいんだけど…」


今日の議題は、ルシファーとその恋人であるリリスに深く関わる内容だった。
ルシファーの恋人は、最初の人間として名が広まっているアダムの最初の妻、リリスだ。
アダムの支配から逃れようとしたリリスの独立心に惹かれ、ルシファーはリリスと恋仲になり、そしてそれは許された。
その件はすでに神が許したことであり、オリヴィアが今回の会議にルシファーを呼んだということは、オリヴィア自身もルシファーを咎める気がないということだと、ルシファーは認識している。


「遅れてしまって、ごめんなさい」


噂をすればなんとやら―――議長のオリヴィアが現れた。
ここに来る直前まで別の務めを行っていたからか、傍にいる補佐の天使に資料を渡し指示を出しながら議長の席につく。


「では、今回の議題なのだけれど…」


簡単な挨拶を済ませると、用意されていた資料を手にオリヴィアはすぐに議題に入る。
オリヴィアが世間話をする性格ではないのはミカエルたちはよく知っているので、彼らもオリヴィアの到着と同時に意識を議題へ向けた。
それぞれが資料に目を落とすと、オリヴィア以外の誰もがルシファーへ視線を向けた。


「父なる神は人間をお創りになられました…今後、その数は増えていくと思われます」

「それで、これ…と?気が早すぎませんか?」


ラファエルが資料の紙を持ち上げる。
そこには、『人類増加に伴う将来的リスクへの備え』と書かれていた。
ラファエルの言葉に、オリヴィアは無感情な表情を変えず、『そうですか?』と淡々と答える。
ガブリエルは手元の資料から視線を外さずに言葉を続けた。


「確かにリリスの件は想定外でしたが…あれを人類全体の指標とするのは早計でしょう…神はまだ三人しかお創りになっていないのですよ」

「私も、今すぐに規律違反が発生するとは考えていません…ですが、アダムの妻として創られたリリスは、アダムのもとを去り、ルシファーを伴侶に選びました…これは人間が我々の想定どおりには行動しない可能性を示しています…私たち天使とは異なり、人間は完璧な存在として創られてはいない…そのことは、アダムとリリスで明らかになりました…ならば今後、規律に反する者が現れないとは言い切れません…その時になってから対策を講じるのでは遅いのです」


誰もが口を閉ざし、そして、チラリとルシファーを見る。
ミカエルとオリヴィア以外の天使は、この会議に出席している彼へ、同情めいた視線を送った。
オリヴィアからしたら、そんな気などないのだろうが、周囲にはどこかオリヴィアがルシファーを咎めているようにも映った
当人であるルシファーは表情ひとつ動かさず、ただただ資料に目を通していた。
やがてルシファーが顔を上げる。


「一ついいか?」


声色は普通。
内心はどう思っているかは分からないが、彼が切り出したことに誰もが安堵した。
少なくとも、怒って席を立つつもりはないようだった。
オリヴィアはルシファーの挙手に『ええ、どうぞ』と応じた。


「リリスがアダムのもとを去ったことを問題視しているようだが、あれは規律違反だったのか?」


ルシファーの言葉に誰もが目を瞬かせ、彼を見た。
ただ二人だけ――ミカエルとオリヴィアだけは表情を変えず、ルシファーの言葉を聞く。


「リリスは誰も傷つけていないだろ…何かを奪ったわけでもない…アダムの支配に反発したから罰せられたのか?彼女は、ただ自らの意思で生き方を選んだだけだ」

「リリスはアダムと共に生きることを望まれ創られた人間です…結果として、神の想定から外れました」

「彼女のその行動や感情も神のご意思かもしれないだろう」

「そうかもしれません…ですが、それを我々が判断することはできません…その判断は父なる神の領分です」


ルシファーは怪訝そうに眉をひそめる。
言っていることが違う、と言いたげなルシファーに、オリヴィアは『あなたが言いたいことは理解しています』と続ける。


「ルシファー…もし私が、あなたたちを咎めているように聞こえたのなら謝ります…私が問題としているのは、リリス個人ではなく…想定外の事態が起こり得るという事実です」

「………」


つい、リリスの名を出されルシファーは反発してしまった。
だが、オリヴィアはリリスの件は特に動く感情はなく、神が許した時点で二人を責める気はない。
アダムも、ルシファーとリリスを恨んではいるようだが、新たに与えられた二番目の妻を気に入り、溺愛している。
彼は二番目の妻に二人が近づかなければ、精神的にも落ち着いてくれている。
オリヴィアが問題視しているのは、リリスではなく、人間そのものだ。
オリヴィアの言いたいことはルシファーに通じたのか、彼は『いや、私の方こそ早とちりしてすまなかった』と謝罪し、それ以上は何も言わず、再び資料へ視線を落とした。
その様子を見て、今度はミカエルが口を開く。


「オリヴィア、君は具体的に何を提案したいんだ?」


ミカエルの問いにオリヴィアは彼を一瞥した後、手元にある資料を一枚めくり、文字を目で追う。


「大きく分けて、三つ」

「三つ?」


首をかしげるミカエルに、オリヴィアは資料から視線を外さないまま『ええ』と頷いた。


「まず、人類の観察記録を残すこと…人類の行動や思考傾向を記録し、定期的に共有します」

「監視ってことかしら」


『監視』という穏便ではない言葉にガブリエルが眉をひそめて呟いた。
困ったように頬に手を当てるガブリエルに、オリヴィアは首を振る。


「いえ、予測です…神は人類を増やすおつもりのようです…数が増えれば、それだけ価値観や考え方も多様になるでしょう…行動や選択を記録し続ければ、ある程度の傾向は見えてきます」


オリヴィアは監視ではなく、増えていくにつれて変化していく人類の行動や心理を予測し、それに対応できるようにするためだという。
何を好み、何を嫌い、どのような状況で争い、どのような状況で協力するのか―――いわゆる、データ解析だ。
天使と全く異なるよう創られた人間だからこそ、彼らを知っておかなければならない。
オリヴィアの提案に、ラファエルが苦笑いを浮かべる。


「随分と気の早い話だ…まだ三人…それも、神はアダムとイヴとの間に、まだお子を授けるおつもりはないのでしょう?」

「ええ…ですが、それは『今は』です」

「近くお子を授けるつもりだと?」

「アダムとイヴは相性が良いようで、神はすぐにでもお子を授けるつもりでしたが、私が止めました」


ざわり、と後の四大天使以外の名高い天使たちがざわめいだ。
神に意見を言える天使など、オリヴィアとルシファー以外いないからだ。
誰もが神の言葉は正しく、それを簡単に受け入れる。
情の深い者が魂のために神へ執り成すことはあっても、その決定そのものに異を唱える者はいない。
だが、怖いもの知らずの二人はそれができ―――実際に通ってしまう。
ミカエルたちは幼い頃からオリヴィアを知っているため納得できるが、オリヴィアが前線から退いた後に生まれた天使たちは彼女を知らない。
外見に似合わず気丈な性格だということも。


「神の御業を差し止めるなど…失礼ながら、オリヴィア…それは我々天使の役目を超えているのではないでしょうか」


神に意見することは良い事ではあるが、神のなさることに異を唱えるのは天使の役目を超えていると、ある天使たちは感じた。
神は絶対なる存在であり、完璧である。
そんな神の判断に口を挟むなど、いくら神からの信頼が厚い天使といえど、度を超えていると感じられてもおかしくはなかった。
若さゆえに噛みつく天使たちの反論に、ウリエルとサマエルはルシファーと視線を合わせ、お互い肩をすくめて苦笑した。
ガブリエルは上にも屈せず意見を告げる天使たちを感心した視線で見つめていたが、ミカエルは天使たちに興味がないように資料に視線を落としていた。
しかし、当のオリヴィアは眉一つ動かさず、淡々と応えた。


「リリスのことがあり、アダムの精神はまだ安定しておりません…今はイヴが支えとなってくれていますが…それもまだ始まったばかりです」


特にアダムはリリスとルシファーの二人のことに敏感になっている。
よほど、リリスに逃げられ、自分のもとを離れた女が他の男に心を寄せたことが彼のプライドを傷つけたのだろう。
新たに用意された妻であるイヴは、リリスと正反対のように、従順で明るく愛嬌のある女性だ。
その明るさが、今のアダムの支えになっていると言っていい。


「そのような状態で新たな命を授かれば、アダムにもイヴにも過度な負担となる可能性がありました」

「ですが、それは神がお決めになることでは――」

「ええ、ですから私は"進言"しました」

「………」


あくまでこれは『進言』であって、オリヴィアは神の代弁者としての域を超えるつもりはない。
勘違いし、傲慢になるつもりもなく、神のようにふるまう気はない。
これは神が判断し、許可を下された結果である。
―――そう言った。
その意味を理解できない天使はおらず、異を唱えた天使たちはすべて口を閉ざした。



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