(4 / 16) 紅桜篇 (4)
雪は目の前の男に唖然としていた。
目を丸くし口を開けて自分を見る雪に男――高杉晋助は座っていた窓際から離れ、用意されていた御膳の前に座る。
御膳と言っても酒とつまみだけだが、どうやら高杉は雪を待っていたようだった。


「いつまでそこで立ってるつもりだ?入ってこい」

「……ッ」


入ってこない雪に高杉がそう言っても雪は動かず高杉を凝視をし呆然と立ち尽くしていた。
それを見て高杉は小さくため息をつく。


「"清花"」

「――ッ」


高杉がそう名を呼べば雪はビクリと肩を揺らし、怯えたようにこちらを見る。
そんな雪に高杉はそっと手を伸ばす。
それはこの手を取れという意味であり、早く部屋に入れという意味でもあった。
雪は唾を飲んだ後震える足で一歩部屋に入りそっと襖を閉めた。
それでも雪はどうしても足が動かなくて入り口で立っているだけで伸ばされている手を取る事が出来なかった。


「清花、傍に来い」

「………」


中々近づかない雪に痺れを切らした高杉がまた来るように命じる。
その声に雪の肩がまた跳ねたが高杉は見てみぬふりをし、もう一度強い口調で名を呼ぶ。
それに観念したのか雪はゆっくりと高杉に近づいた。
伸ばされている手に雪も手を重ねようとしたが、雪は手をとめた。
しかし高杉はそれさえ許さず、止まった雪の手を掴んで隣へ座らせる。


「し、晋さま…?」

「やっと俺の名を呼んだな…清花」

「…っ」


手を引っ張られた事に目を丸くしていた雪は高杉を見上げる。
見上げる高杉の顔はあまり変わっていなかった。
相変わらず片目を隠しており、謎めいた雰囲気を持つ。
しかしその謎めいた雰囲気が魅力的で、よく周りの女性達はきゃっきゃと騒いでいたのを思い出した。
姐曰く雪といるときの高杉は優しい表情を浮かべているらしい。
雪は自覚ないし、見比べた事がないから分からないが、でも…高杉のその笑みは好きだった。
目を細めてこちらを見つめ嬉しそうに零す高杉に雪はそっと目を逸らす。
そんな雪に高杉はお膳の傍にあった徳利を差し出す。
思わず受け取った雪は困惑しながら高杉を見上げる。
肘をつき目を細めうっすらと笑う高杉は黙って空の盃を雪に差し出した。
雪はそれを『注げ』という意味と察し、戸惑いながらも盃に酒を注ぐ。
静まり返っているその場にトクトクと水音が大きく聞こえる。
防音はしてあるのか、他の客の声は聞こえなかった。


「お前にこうして酌されるのも随分と懐かしいもんだな」

「………」

「いつぶりだ?…3年ぶり、か?……短いようで…俺にとったら長い年月だった…」

「………」


沈黙だけが落ちる中、話すのは高杉だけだった。
それでも続ける高杉に雪は逸らしていた目を高杉に向ける。
相変わらず楽しそうにしている高杉を見て、『ああ、何も変わってないなァ』と昔の姿そのままの高杉を懐かしそうに見ては胸が締め付けられるように痛くなる。
注げ、という意味で飲み切り空になった盃を差し出したが、雪は徳利を持ったまま俯いて動かなかった。
高杉はそれでも何も言わず雪を見つめていた。


「晋さま……姐さま達が死にました」

「ああ…そうだな」

「……姐さま達は…千早姐さまは…私を庇って…」


『死んでしまいました』、と雪は言えなかった。
だけど高杉は俯く雪を責めもせず、コトリと盃をご膳に置く。


「清花」

「はい…」

「あれは仕方のない事だ」

「え…?」

「あれらがお前を庇って死ぬのは、そう俺が命じたからだ」

「晋さまが…?」


高杉が何を言っているのか、分からなかった。
高杉は何をしている人かは分からないが、たかが客が遊女に遊女を死んでも守れなどという命令は出せない。
出せたとしてもそれを他の遊女がたかが幼い子供を死んでも守れという命令を黙って従うわけがない。
怪訝と見つめる雪の頬に高杉は手を伸ばし、雪のふっくらとした柔らかい頬を指で撫でる。


「俺がお前を命を落としてでも守るよう命じ、あれらはそれを守っただけだ…お前が悪いわけじゃねェよ…だからそう気に病むことはない…気に病めばお前を守った千早達が浮かばれねえだろ?」

「………」


どうして、と思った。
まず色々聞きたい事もあったが、まずはなぜだろうという疑問を感じた。
なぜ、そこまで自分を守る必要があるのだ、と。


「どうして、ですか…」


だからそう問えば、高杉はきょとんとする。


「分かり切った事を聞くもんだな……俺の女を守らせること以外に何がある?」

「お、女…?」


高杉の言葉に、今度は雪がキョトンと呆ける番だった。
その雪の表情に高杉はくすりと笑って見せる。
悪戯が成功したような幼げな笑みに雪は揶揄われたように感じたのかむすっとさせそっぽを向いた。
そんな雪に高杉は手を伸ばして顔に掛かっている雪の髪を梳くように撫で横顔を露わにさせる。
雪と再会して一番の変化はこの眼鏡だった。
眼鏡が本体だと高杉も揶揄っている意味ではなく、昔…幼い頃…雪に普通に触れることが出来たあの頃は雪の顔に眼鏡なんてかけていなかった。
目が悪いとは聞いていたが、見た目が悪いからと外すように言われたと言っていたのだ。
雪は高杉の『女』という言葉にそっぽを向いていたが目を瞬かせ高杉を見る。


「お、女って…どういう意味、ですか…」

「どういう意味も何も…お前が俺の女っていう意味だが?」

「お、おれの、おんな…っって…晋さまと私がですか!?」

「?、ああ…」


素顔が見たい、とは思ったが、眼鏡を外せばこちらは見えるが雪からはぼやけて見えないと気づきやめた。
どうせ見るならぼやけた顔ではなくはっきりした自分の顔を見てもらいたいのだ。
しかし驚きが隠せない様子の雪を高杉は怪訝とさせる。
怪訝とさせる高杉を雪は口をパクパクと魚の様に開けたり閉じたりをして目をまん丸にさせていた。


「清花?どうした」

「だ、だって…晋さまが好きな人って…千早姐さまじゃ…」

「俺が千早を…?」

「晋さまと姐さまって…恋人同士だったんじゃないですか?」

「…俺と千早が恋人同士?」


雪の言葉に高杉は目を瞬かせる。
雪は幼い頃、高杉が好きだった。
彼が雪の初恋だったのだ。
だけど彼には恋仲がいると思って、雪はその恋を諦めた。
その恋人というのが姉と慕っていた千早。
彼女が相手でなければ雪は高杉を諦めなかっただろう。
しかし高杉本人は雪の言葉を聞いて呆けていたが、何故か笑い出した。


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