(12 / 38) ツェッド (12)

ベンチに座った二人に会話はない。
ただ客足も途絶え、まばらとなった公園を二人は意味もなく眺めているだけだった。
ツェッドはチラリとリィリンを見る。
会話もない自分といて楽しいのだろうかと思ったのだ。
しかし案外リィリンの横顔は楽しそうで、ホッとしたのと同時にその横顔にツェッドは見惚れていた。


「ツェッドさん?私の顔に何かついていまして?」

「あっ!い、いえ!!その…すみません…」

「なぜ謝るのです?あなたが私に何かしたのですか?」

「あ、いえ……あの………あの時…の事で…リィリンさんを傷つけてしまったかもと思ったんです…」

「あの時?」


横顔を見つめていると当然目線に気付いたリィリンに声を掛けられた。
見つめているとツェッドの心の準備もなくこちらを振り向いたリィリンにツェッドはビクリと反応する。
リィリンの海のような美しい瞳で見つめられるとどうしても心臓が爆発したように動く。
それこそが恋している証拠なのだが、この世界に生まれて日が浅いツェッド、そして恋など無用だと思っているリィリンには分からない事だった。
もう顔が赤いのは仕方ないと思う事にし、胸をそれとなく抑えながら、ツェッドは思わず謝ってしまった。
謝るツェッドにリィリンはキョトンとさせるも『あの時』という言葉にも首を傾げた。
リィリンの中ではキスの出来事はすっかり忘れていたようだ。
首を傾げるリィリンにツェッドは俯きながらキスを拒んでしまった事を謝る。
それでようやくリィリンはその時の出来事を思い出す。
ツェッドは何の反応もないリィリンをチラリと見る。
正直キスのことをぶり返すのは無礼かと思い怒るかと思ったのだが、リィリンを見れば、彼女はツェッドと目と目が合い嬉しそうに微笑んだ。
その微笑みにツェッドはまた心臓が跳ねる。


「あれはツェッドさんが謝る事ではありませんわ」

「しかし…」


ツェッドが気にするほどリィリンは気にしていない。
それでも言いよどむツェッドにリィリンは膝の上に置かれていた彼の手にそっと触れ、彼の人とは違う大きな男の手を柔らかく小さい女の己の手で触れる。
リィリンの手に触れられツェッドは赤かった自分の顔が更に赤くなるのが分かった。


「ツェッドさんはとても優しい方なのですね」

「や、優しいだなんて…そんな…僕は…あなたを…」

「あれは私が謝らなければならない事です…会ったばかりだというのに…私…あの時…どうかしていたんです…」

「リィリンさん…?」


優しい、と言われツェッドは困惑する。
優しいというのはキスを拒まない男である。
もしもリィリンに恋をしていないのであれば拒むのも優しさだろう。
だが、自分はリィリンに恋をしている。
それなのに拒んでしまった…そんな男が本当に優しいと言えるのだろうか?
ツェッドは人間が入っているが、創造主や師匠と二人にこの身を預けられ世間に疎いところがあるためそう思ってしまう。
キスしそうになった事をリィリンは謝るが、心からではない。
そうした方が付け入る隙が生まれると踏んでいるのだ。
人魚は人間が思っているよりも繊細ではない。
『ごめんなさい』、と謝るリィリンの顔から笑顔が消え、リィリンの本性を知らぬツェッドは慌てだす。
どうやらキスの事で心を痛めていると思っているらしい。
そう思ってくれているのなら、とリィリンは悲しそうな表情を作りツェッドから顔を逸らす。


「ごめんなさい…ツェッドさん…私…最近、辛い事ばかりで…」

「辛い事って…何があったんですか?」

「………」

「…もし…話せることでしたら僕に話してみてください…僕はあなたに何もできないかもしれないですけど…でも、話を聞くだけならできますから…」


勿論、辛い事なんて思った事は…ない。
いや、ある事はあるが、今は関係ない。
だがリィリンはある事にした。
そうしてツェッドを釣ったのだ。
しかし、だ。
しかし安易に話すのも勿体なく(本音は何が辛いのか考えてないからであるが)、引き延ばすことにする。
口を閉ざし悲し気に目を伏せ顔を俯かせるリィリンはツェッドから見てまさに悲しみに暮れる愛する女性である。
ツェッドは愛する人の悲しい顔を見たくなくて握られている愛らしく小さな手を空いている自分の手で重ねて握る。
ツェッドの言葉にリィリンは目を丸くする演技をし、ツェッドを見上げた。
見上げるツェッドの表情は真剣そのもので、よく見る欲の色に染まった熱い眼差しではなかった。
それを少し残念に思いながらもリィリンは『話せない辛い思いをしている女』を演じた。


「ツェッドさん…本当にあなたは良い方ですね……でも…ごめんなさい…今は言えません…」


じわり、とリィリンの目に涙が浮かべる。
それは偽物ではなく本物。
本当に何かを耐え、ツェッドの気持ちが嬉しいと思って溢れた感情をあらわにする女…―――リィリンの演技は完璧だった。
ツェッドはそれを見て心を痛める。
自分はこうして彼女の目の前にいるのになにも出来ない…それが悔しくて、己の力のなさに腹が立った。


「何か…できないでしょうか…」

「え?」

「何か…僕に出来る事はないんでしょうか…僕はあなたの力になりたい…あなたのそんな表情、僕は見たくないんです…」

「ツェッドさん…」


リィリンは目を見張る。
彼の言葉に驚いた演技をした。
ツェッドは本気でその言葉を言っており、リィリンは内心ニヤリと笑う。
そして思うのだ―――引っかかった、と。
真剣に見つめてくるツェッドにリィリンは悲しさを残した笑みでツェッドの手を握り返した。


「では…傍に居てください…」

「そばに…?」


手を握り返し、ツェッドは手を見た後リィリンへ目線を戻す。
リィリンは悲しげだが微笑んでおり、やはりその笑みはツェッドの好きな笑みではなかった。
小首を傾げるツェッドにリィリンはその笑みを深め頷く。


「ツェッドさんの傍にいさせてください…ツェッドさんも傍にいて…辛い事を少しでも忘れさせてください…そうしたら…きっと…」


そう言ってリィリンはそのままツェッドの胸にしなだれる。
リィリンがツェッドの胸へ頬を寄せすり寄れば、彼の体が強張ったのを感じた。
更に弱弱しく『ツェッドさん…』と呟けば宙を彷徨っていたツェッドの手がリィリンの背中に回り、その手にリィリンは口角を上げ笑った。

―――獲物が引っかかったのだ。

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