(15 / 38) ツェッド (15)

ツェッドは緊張していた。
プールから上がり、メイドにタオルを渡され体の水分を取ってから部屋に入る。
リィリンはメイドに抱きかかえられながら風呂場へと消えたが、その際リィリンがツェッドが手を振り、笑みを見せた。
その笑みにドキリとさせながらツェッドは手を振り返し呆けたままリィリンが風呂場へと消えるのを見送る。
体を拭き部屋に置いてあるソファに座りながらツェッドは無意識に唇に触れる。
そこにリィリンの唇が何度も触れたと思うと心臓がまたうるさくなってしまう。


(ついに…キスしてしまった…)


前はキスされそうになって自分が止めた。
それは恥ずかしかったし、恋人同士じゃなかったからだ。
だけど、先ほどついにしてしまったのだ。


(柔らかかったな…)


恋愛…それは本でしか知ることのない感情だった。
ここ最近リィリンに出会って恋をしてからツェッド用のタブレットでよく小説を見ていた。
彼が恋に気付いたのは偶然たどり着いた素人が書いた恋愛小説からだった。
それからリィリンに恋をしていると気づき、更に感情は高ぶる。
まだ彼は自慰というものを知らず、そしてセックスというものを知らない。
真っ白な彼は人魚に狙われたのだ。
しかし経験が全くない彼にそんなリィリンの本心など気づくはずもなく、初めて触れる女性の唇に感動していた。
女性という生き物は、男性という生き物よりも神秘的な生き物だとどこかの記事で見たことがあった。
確かに記事通り水の中だがリィリンの体に触れると柔らかかった。
しかし暖かくはなかった。
それは水中だからかもしれないが、時折触れてくるリィリンの手はとても冷たい。
まるで何時間も水中にいるかのようだった。
それでも半分が魚だからか、その冷たいリィリンの手をツェッドは好んだ。
もっと触れたい、そして触れてほしいとも思い、次第にツェッドの思考はリィリンに埋められていく。


「ツェッドさん、お待たせしました」

「!、あ、いえ…それほど待っていないので…」

「ツェッドさんはお風呂いいのですか?」

「そう、ですね…入らせていただきます」


ツェッドは半分は魚だ。
だから温かいお風呂は少し苦手だった。
だが嫌いではないし、入ると気持ちいから好きな方でもある。
長時間の風呂が苦手なだけなのだ。
しかし、正直緊張で風呂なんて入ってられないとは思ったが、あれから夢中でキスをしていたから水温で体は冷えきり、せっかくお風呂に入り温まったリィリンの体がまた冷たくなると思いソファから腰を上げ風呂場へと向かう。
リィリンはメイドに先ほどツェッドが座っていたソファに降ろしてもらい、タオルなどの準備を命じた。
メイドの姿の眷属はそれに複雑そうにしながらも命令なためタオルを持ってツェッドが消えた風呂場へと向かう。
戻って来たメイドにお酒やおつまみなどを頼み、リィリンはツェッドが出てくるまで一人初めて見る自分の足を見て触れて暇を持て余していた。


「あら、お早いんですね」


暫くすればツェッドが出てきた。
恐らくリィリンを待たせたら申し訳ないと思ったのだろう。
しかしそれを言わず、ツェッドは着ていたズボンを穿いたままこちらに歩み寄ってくる。
その姿にリィリンはコテンと首を傾げる。


「ご用意したパジャマはどうなさったんです?」

「あ…いえ…その…僕は普段水槽で眠っているので…できればあのプールで眠らせていただければなって…」


別にベッドでも眠れるのだが、やはり好いた人と一つ屋根の下というのは緊張しすぎて恐らく死ぬ。
それもまた彼にとったらいい死に方ではあるが、やはり師の厳しい修行を経てここまで来たのなら死ぬつもりは毛頭ないが死ぬなら血界の眷属などと戦って死にたい。
だから水槽に近い方が落ち着くのだ。
『駄目でしょうか?』この家を借りているのはリィリンであり、ツェッドは一銭も出していない。
だから主導権はリィリンにある。
それがなくともきっとリィリンを気遣ってしまうだろう彼にリィリンは目を瞬かせた。
リィリンの中では彼とベッドに行く予定だったからまさかその彼にそんな事言われるとは思っていなかったのだ。
そしてリィリンは思い出した。


(そういえば私傷心した女性だったわね)


と。
既に頭の中ではツェッドの種の事しか頭になかったからすっかりその設定を忘れていた。
『いけない、いけない』と無駄に警戒されては種を貰うに貰えないと思い不安そうに見つめるツェッドにリィリンは小さく笑って見せる。
なんたって彼は初めて自分が心から種が欲しいと思った男なのだから、逃がすわけにはいかなかった。


「ええ、構いませんよ」


『どうせベッドに行くことになるのだから』、と心の中で付け足しながらツェッドの言葉に頷く。
それを聞いてホッとさせながらツェッドはリィリンとは少し離れた場所に座る。
それは恋人同士ではない2人には当たり前の距離である。
しかしそんな事リィリンが許すわけがない。


「ツェッドさん…ここに…」

「しかし…その…」

「私…家にいてもずっと一人でしたの…だから…一緒にいてくれるのにそんな離れてしまわれると寂しいです…ここに来てください…」

「…………」


テーブルにはすでにメイドが用意したお酒やつまみが置かれていた。
事前にツェッドに聞いていたため生魚のものはテーブルにはない。
後はリィリンが人間が作ったもので好きな果物や野菜のみ。
人魚は主にサメや魚など海の動物の肉を食べているため、焼いた肉はそれほど好みではない。
だからリィリンの主食は果物や野菜である。
だからこそベイジルはリィリンを危険視しないのだろう。
リィリンは離れて座るツェッドに自分の横をトントンと軽く叩いて横に座るように言うのだが、どんなに会っていても好いた女性の隣に座るのは緊張するもので中々首を縦に振ってくれない。
リィリンはそんなツェッドに内心舌打ちしながら忘れていた傷心した女を演じる。
何となく即席で設定を固め、それを信じているツェッドはおずおずとリィリンの隣に腰を下ろした。
が、やはりまだ距離があった。
リィリンは公園のベンチの時の様に自分の体をずらして距離を埋めた。


「さ、飲みましょう…お酒は大丈夫でしたよね?」

「は、はい…飲めます」

「では何がよろしいかしら?白ワイン?赤もありましてよ…それともワイン以外が良いかしら?」


リィリンは比較的酒には強く、結構人間の作った酒は好きだった。
海にはない飲み物や食べ物が好きで、それを種うんぬんもあるが、ツェッドと楽しめるのだと思うといつも味気ない料理も美味しく感じる。
リィリンは赤ワインが好みなのでメイドに赤ワインを注いでもらい、ツェッドは何を呑むのかと問う。
緊張しすぎて何を飲んでも水の味しかしないだろう彼は『では赤で』と言ってみた。
赤はあの眷属を思い出させ、彼らとの戦闘を思い出し緊張するその体や心をほぐしてくれそうな気がしたのだ。
メイドに赤ワインを注いでもらい、リィリンとツェッドは乾杯をする。
つまみもメイドの腕がいいのか美味しくいただけて、緊張もやはり手伝ってかどんどんワイングラスを空にしてはメイドに注がれていく。
その飲みっぷりの姿を見て、リィリンはつい心配になった。


「ツェッドさん?少し飲む速さを控えられたらどうですか?」


仕事の都合上ハニートラップを仕掛けこうして家を用意して二人っきりで過ごしてそして殺す事もある。
それはあのエロジジイの趣味だからとしか言いようがないが、ちゃんと性行為をする。
あの男はハニートラップを仕掛けた後必ずリィリンに手淫と口淫をさせる。
そしてどちらがいいのか聞くのだ。
揉めるのが面倒だから適当にベイジルを上げておくが、正直どっちでもいい。
色仕掛けで接近し、美しい伯爵夫人とベットで仲良くするという嬉しさと緊張でツェッドのように酒の力を借りる男もいるが、それでもこんな無茶な飲み方はしない。
このまま酔いつぶれてセックスができなくなると考えリィリンが止めに入った。
別に眠ってもらっていても構わないのだが、立たなくなると困るのだ。
ツェッドを心配していつつ種の心配しかしていないリィリンをツェッドは『リィリンさんはやさしいなぁ』と思う。
『大丈夫です』と引きつった笑みをこぼすツェッドの肩にリィリンはそっと頭を寄せる。
リィリンが肩にしなだれ、ツェッドの体が強張った。
それに気づきながらも気づかないフリをし、リィリンは息を震わせながら吐き出す。


「こうして誰かと一緒にいるというのは…いつぶりでしょうか…」

「ご家族は…」

「…夫と妹だけ…妹は…理由があって一緒に住んでいませんの」


声のトーンを落とせばまさに『訳アリ美人』の完成である。
自分の作った設定をそれなりに利用しなければ怪しまれる。
即席設定を活かし寂しい人妻を演じた。
しかし…ツェッドには聞き捨てならない言葉が聞こえ、固まる。


「………おっと…?」


それは『夫』という言葉である。
ツェッドは思わず声に出してしまう。

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