ツェッドのこぼれた声にリィリンは小首を傾げながら頷いた。
「?、ええ…夫です」
「…………リィリンさん…結婚してたんですか…?」
「ええ」
それは『夫』という言葉。
一瞬衝撃過ぎて『夫』というワードがどんな意味を持つのか忘れた。
目を瞬かせるツェッドに『あら、言ってませんでした?』というリィリンとキョトンとさせ、その言葉にツェッドは思いっきり首を縦に振った。
リィリンはなんと人妻だったらしい。
それは本当に聞いていなくて、ツェッドは呆気に取られる。
人は驚きすぎると大きな声など出ないのだな、とツェッドは実体験で学ぶ。
(人妻かぁ〜〜〜!!やばいなぁ!!あの人の事言えないよなぁ〜!!)
そして頭を抱えてしまう。
人妻だと知らなかったとはいえ人の奥さんに恋慕をしてしまった自分にツェッドは呆れかえった。
それは確かに人妻に恋慕したからだが、あの人…もとい兄弟子の事を言えなくなったことでもある。
好きな人ができた、と言っただけであんなにも騒ぐのだから、そのお相手が夫持ちでこちらが愛人(まだそうと決まってはいないが)となると、あの兄弟子は必ず何かをしでかす。
絶対にそのネタで揶揄い続けるだろう。
しかし本当に呆れているのは、それでもまだ彼女への愛が無くならない自分の愚かさでもあった。
彼女自身が好きだから、夫がいようともその想いが風化することはない。
「どうかなさったの?」
「あ…いえ…なにも…」
グイッと酒を煽ってもやっぱりショックと緊張で水のように味がしなかった。
酒独特の酔いも全然来ず、また注がれたためツェッドは一気に酒を煽ぐ。
そして溜息をつくツェッドにリィリンは心配そうな演技をしてそっと彼の手へ自分の手を伸ばす。
その手は風呂に入り暖かくなったというのに、やはり冷たかった。
それは真実を知ってショック過ぎてそう感じているのかもしれない、とツェッドは現実逃避にそう思う。
しかし完全に現実逃避する前にリィリンの悲し気な表情にギョッとさせ慌てる。
「リィリンさん!?ど、どうしたんですか!?」
「…やはり、無茶を言ってしまったんですね…」
「え…?」
「ツェッドさん…とてもお辛そうだもの…」
「そ、それは…」
うるうると淡い青色の目が濡れはじめ、涙を溜まるリィリンの姿はとても儚げで美しい。
ドキリとさせるが、泣かせたのが自分だと思うと心がものすごく痛む。
リィリンはどうやら先ほどのショックを無理矢理連れ出したと思っているようで、ツェッドは『いえ、それはあなたが所帯持ちだと知ったからです』とは言えず言葉を濁らせる。
だがそれが逆にリィリンを落ち込ませることになり、せっかくくっついてくれていたリィリンの体が離れてしまった。
あんなにも緊張していたのに、やはり彼女の温もりが離れていくと寂しくなり、このままではリィリン自身も離れると思ってしまったツェッドは咄嗟にリィリンの手を取った。
手を取られたリィリンは目を丸くさせツェッドへ顔を上げた。
リィリンと目と目があった時、逸らされず自分を見てくれたことに安堵する。
「ち、違います…」
「でも…実際私が傍にいてほしいと言ったせいで仕事もお休みになられ、上の方や他の方にもご迷惑をかけてしまいました……ごめんなさい、ツェッドさん…私が無理強いしたばかりに…関係のないあなたに迷惑が…」
「かっ、関係なくないです!!」
首を振るツェッドにリィリンは嬉しい顔を作るが、悲しそうに眉を下げ俯く。
それがまたズキリと心を痛め、『関係のない』と言われてしまいツェッドは思わず声を上げてしまった。
突然声を上げたツェッドにリィリンはキョトンとし目を瞬かせてツェッドを見た。
しかし今ツェッドはリィリンを驚かせたというより、弁解するのに必死だった。
「僕はあなたの力になりたいからここにいるんです!それは自分の意志です!決して無理をしてここにいるわけではありません!!仕事は申し訳ないですがそちらを優先してしまいますが…でも…僕は必ずあなたのところへ帰ってきます!あなたが寂しくなくなるまで…!!」
「ツェッドさん…」
リィリンの悲しそうな顔が忘れられなかった。
人の悲しそうな顔を見て、これほど胸を痛めたのは初めてで、恋というものがこんなにも辛く叶う事がないのかと実感した。
でもやっぱり人のモノとなっているとしても、リィリンを想う気持ちには抗えなかった。
好きだ。
そう、リィリンが好きなのだ。
だからそんなリィリンを悲しませたくなくてツェッドはここにいる。
それは紛れもなく自分の意志でだ。
だからそれを否定するように『関係ない』とは言ってほしくはなかった。
そんなツェッドにリィリンは素で驚いた表情を浮かべる。
しかしすぐに我に返り、温かく優しい手で触れてくれるツェッドの好意に付け込む。
「…私…夫と結婚してますが…そこに愛はないんです…」
リィリンの考えた設定はいつも通り、『愛のない夫婦生活』だった。
それはハニートラップを仕掛ける時にいつも使う設定だった。
男達はリィリンが悲し気な表情をし告白すればすぐに信じた。
男達は全員リィリンの夫を知っていたからすぐに信じたのだろう。
リィリンの夫は老いていて愛人をよく連れている。
昔から女遊びが激しい人だったのか、それもあってみんなすぐに信じた。
だけどツェッドは違う。
ツェッドはベイジルの事を知らないのだ。
だから信じるかは分からないが、一番良くある話で、一番信じやすい設定なのだ。
言葉を失くすツェッドにリィリンは俯き目を逸らして続ける。
「私はあの人に見初められて妻となりました……でも…あの人はただ世間体を気にして私を娶っただけ…その証拠に愛人が何人もいるんです…その愛人達とは毎晩のように相手をしているのに…私は一度だって呼ばれたことはなかった…金を払い好きな事をしても、あの人は怒りもしない……あの人にとって私はただのお飾りなんです……メイド達がいて夫がいても…私は家にいても1人なんです…そんなの…もう、耐えられない…私は女としても求められずただお飾りで生きていくのが嫌なんです……」
「リィリンさん…」
「ツェッドさん…私の傍にいて…少しの間でもいい…夫の事を忘れさせてください…」
「…っ」
リィリンはそっとツェッドの足に手をやり、ツェッドを覗き込むように近づく。
ツェッドはリィリンの言葉を聞いて胸を締め付けられた。
幸せそうに見えたが、彼女は売られたも当然の生活をしていたのだ。
金があるから幸せになれるわけがない。
勿論生活するには金が必要だが、そこに愛がなければいくら金があっても虚しいだけになる。
リィリンはそれなのだ。
今、リィリンは他人として扱われず妻になる事を強要させられている。
家にいても誰も彼女を見ようとせず誰かいても常にリィリンは一人きり。
妹がいるようだが、その妹とも会えないらしくツェッドはそれを聞いて自分が辛く感じてしまう。
そんなツェッドにリィリンはしなだれ、そっと彼に口づけを落とす。
ツェッドはやはり好いた女性との口づけに体を強張らせたが、リィリンが何度か口づけを交わしていくと強張っていた体も和らいだ。
それを見てリィリンは触れるだけの口づけを深くさせた。
「んっ…、―――っリィリンさ…ンッ!」
口づけを交わしながらリィリンはそっと彼の中心へと手を伸ばす。
それには流石に驚きリィリンから顔を逸らすがそんな事リィリンが許すはずがない。
リィリンはすぐにまた彼の唇を奪い容赦なく深く口づけを落とした。
襲われてはいるが、心のどこかでツェッドもそういう触れ合いを望んでいたからか、抵抗らしい抵抗せずリィリンの口づけと手を拒むことはなく受けいれた。
リィリンが優しく服の上からソレを撫でてやればビクリと体を跳ねる。
彼がこういう事自体初めてというのは彼の反応からして知っている。
それが可愛いと思う反面、自分色に染めたいと思ってしまう。
こんな感情初めてだった。
命令でもなく自分の意志で殺すでもない誰かとこうして深い触れ合いをしたいと思ったのは、初めてだった。
ビヨンドだろうと人間だろうとリィリンは興味はなかった。
ただ命令だから遊び感覚で遊んで最後は眷属の餌にする。
ベイジルの時でさえキスなんてただの行為に過ぎなかった。
だけど、彼との口づけは甘く夢中にさせられる。
もう眷属が傍にいるというのも頭になくリィリンはうっとりと彼の唇と舌を堪能し、眷属であるメイドはその時にはすでに姿を消していた。
お互いキスに夢中になり、リィリンはツェッドから顔を放す。
舌を絡めた深いキスをしていたため唾液で繋がっていたが、リィリンはそれさえ切れるのが勿体ないとまたキスをする。
浅いそのキスにリップ音を立てリィリンはまた顔を話しツェッドを見た。
ツェッドの顔は赤く染まっており、初めてのキスに息を荒くしていた。
「ツェッドさん…ベッドへ行きましょう?」
彼の欲に染まった表情を見てリィリンは目を細め彼の首に腕を回した。
そして耳元で低く濡れた声を零せば、彼は無言でリィリンを抱き上げ寝室へと向かう。
そんな彼にすり寄りながらリィリンは薄く笑った。
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