(23 / 38) ツェッド (23)

るんるんと鼻歌を歌いながらツェッドが帰ってくるまでどう暇つぶしをしようかと考えながらお風呂に浸かっていた。
その姿は先ほどの空気など纏っておらず、その背を眷属は見つめながら普段のリィリンの様子は空元気だと気づく。
思考の波に身を任せているとチャイムが鳴り、メイドに扮している眷属が出る。


(訪問者とは珍しい…)


この家には訪問者はこないに等しい。
それはここは借りただけのモノだし、何よりあからさまな上級階級に訪問販売はないだろうし、帰ってくる人物と言えばツェッドのみ。
だがツェッドはある意味ここの主人であるためノックもチャイムも必要がないのでチャイムの人物ではないだろう。


(リィリンとルゥルゥを買ったのがあの半魚人なら…ここまでリィリンもルゥルゥも苦しまなくてすんだのだろうか…)


眷属から見てもツェッドに対して好印象を持っていた。
それは半分とはいえ同じ水の者だからかもしれないが、それ抜きにしてもあの真面目な性格は好ましく見えた。
それに引き換え、リィリンを愛するだけ愛しその愛情が空回りし傷つけることしかしないあの人間の男に眷属が好印象など持つわけがなく、もしもなど馬鹿馬鹿しい事を思いながら重いため息をつく。


「はい、どなたで――――」


あと2日でその男のもとに帰らなければならないと思うと眷属の肩も重く感じる。
『このまま時が止まればいいのにな』と思いながら玄関の扉を開けると眷属は目の前の人物に目を見張り息を呑んだ。


「リィリンはいるか」

(――ッベイジル!?なぜこの男がここに…ッ!!)


眷属の目の前に立っていたのはベイジルだった。
ベイジルは遠くに仕事で出ており、だからこそリィリンがこうして自由に行動できていたのだ。
その帰宅も本来は3日後で、だからリィリンはツェッドと2日後に分かれる予定をしていた。
本来ならばまだ遠い土地で仕事をしているはずの男の姿に眷属は絶句し、そして焦る。
そんな何も言わず固まるメイドの反応が肯定ととらえたらしいベイジルは何も言わないメイドを押しのけ家に入る。


「お、お待ちください!旦那様…!ベイジル様!!勝手に入られては困ります…!!」

「なぜだ?ここを借りた金は私の金だろう?ならば私も入る権利は当然あると思うがな……どっかの半魚人と違って」

「(報告されたか…!)―――で、ですが奥様は入浴なさっておられます!!」

「だから何だ…妻が入浴しているから夫である私が入れないなどと聞いたことがない…それとも何かね、君は主人である私とその妻であるリィリンを合わせたくはないとでも?メイド風情のお前があの半魚人とリィリンを結ばせようとでも思っているのか?」

「そ…それは…」


ベイジルが中に入ってきて眷属はハッと我に返り慌ててベイジルを追いかける。
まず眷属は『まずい』、と思った。
それは今、リィリンが入浴中だからではなく―――リィリンの足が人間の足になっているからだ。
ベイジルはリィリンの足が人間の足になり交尾が出来るとは知らない。
だから今まで口淫ですませていたのだ。
それがリィリンの足が人間の足に変わると知れば、恐らくベイジルは無理矢理リィリンと交尾をしようとするだろう。
だが人魚は例え相手がいくら発情しようと人魚本人が発情しその気にならなければ人間の足にはならない種族だ。
無理矢理などと無理な話だが、ここはHL…何が起こるか分からない街である。
恐らく人魚の足を人間にする薬など金があれば作れるかもしれない。
その場合魔女が作る正規の作り方で作られた薬ではなく、恐らく不純の薬になるだろう。
薬も人魚も貴重故に副作用などの確認などせず、更にはベイジルが怒りを覚えるだろうから罰として副作用などの確認は一切せず飲ませるはずだ。
愛した者が別の、しかも半魚人であり若い男に熱を上げていると知った人間がどういう行動を起こすのか人間ではない眷属には読めない。
だからそれを阻止しようと眷属は声を上げて浴室にいるリィリンにベイジルが来たことを伝えようとした。
ベイジルは目の前にいるメイドがリィリンの眷属であることなど知らないため、愛人を囲う女主人のメイドが焦っているようにしか見えないのだろう。
SP達に拘束させ、ベイジルはリィリンがいるであろう浴室へ向かう。


「リィリン」


若干怒りを籠った声で妻を、愛した女の名を呼ぶベイジルの声は眷属にも聞こえた。
ベイジルは今まで一度としてリィリンに手を上げたことはない。
しかしそれはリィリンが今までベイジルに忠実で他の存在に興味を持つことがなかったからだ。
しかし見張られたせいでリィリンがツェッドに熱を上げていると知られた今、ベイジルがどんな行動に移すかは分からない恐怖があった。
しかし…


「あら、ベイジル様…お早いお帰りですのね」


リィリンは慌てる眷属とは逆に冷静だった。
それは眷属が叫ぶようにリィリンにベイジルが来たことを伝えたからだろう。
それでなくてもリィリンはベイジルに対して恐怖心は持っていないのでバレたらバレたでどうでもよかった。
ベイジルが来た、という言葉で…ベイジルがいる、というだけでリィリンの足は魚の足に戻る。
それほどリィリンがベイジルを嫌っているという証拠でもあった。
ベイジルは背を向けていたリィリンがこちらに振り返り湯船から収まりきれなかった魚の尾びれがゆらゆらと揺れて見えるのを見て少しだけ機嫌が直っていく。
リィリンはベイジルの事を嫌っているが、ベイジルはリィリンを本当に、心から愛おしいと思っているのだ。
遠い地でいる間、多くの美女たちと寝たが、その間もずっとベイジルの頭を占めるのはこの目の前の愛おしく美しい人魚だった。
しかしそれでもまだ怒りは残っており緩みそうになる頬を引き締めむっとした険しい表情を保つ。


「お前が男で遊んでいると聞いたからな…仕事を切り上げてきた」

「まあ、そうでしたの…お疲れさまです、ベイジル様」

「お前は…」

「ねえ、ベイジル様…わたくし、もう上がりたいのですが…リビングで待ってていただけません?」

「…………」


『男"で"遊んでる』、という言葉を選ぶ所からリィリンはベイジルのプライド高さを会話見えて噴き出してしまいそうになった。
何かグチグチと言われそうだったからリィリンは上がりたいのだと伝え、暗に出てけと伝えた。
それは通じたのかベイジルはムスッとさせたまま引き返しリビングへと戻っていった。
それを横目で見送りリィリンは自分の足を見る。


(いやらしい男…監視を用意していたなんて…)


ベイジルがなぜツェッドの事を知っていたかというのはもう分かっている。
ベイジルは自分がいない間リィリンを監視させていたのだろう。
それはリィリンも気づいていたため、薄い水の膜のようなものを家の周りに張っており、水の膜は外から中の情報は得られないようになっているので、リィリンが人間の足に変化できるとは監視者でも知りえない情報だっただろうから安心はできる。
水の膜を張ってまで用心深くしているのは、監視されているからでもあったが、何よりツェッドとの空間を邪魔されたくはなかったのだ。


「…リィリン」


リィリンは一人では湯船から上がれないため眷属が来るのを待っていた。
その眷属が浴室に戻り何か言いたげにリィリンを見つめていた。


「上がるわ、手伝って」


そういうリィリンに眷属は何も言わず湯船からリィリンを抱き上げて脱衣所へと向かう。
タオルで体や髪を拭い、服を着た後長いリィリンの髪をドライヤーで乾かしていく。


「あの半魚人にはどう説明するつもりだ」

「手紙でいいんじゃないかしら」


妹のルゥルゥの心臓を取られている以上、リィリンもルゥルゥも眷属も、ベイジルに逆らうことはできない。
それが溜まらず歯痒くて仕方なかったが、取られたものを取り返さない以上リィリンもルゥルゥも本当の自由は手に入らない。
あの男の事だからルゥルゥの心臓を奪われないような対策もしているのだろうから安易に取り返そうとするのは危険である。
だからリィリンがあの半魚人よりもベイジルを取るのは仕方ないと思うが、それでも眷属はリィリンのあっけらかんとした対応に眉を顰める。
そんな眷属にリィリンは鏡越しに苦笑いを浮かべた。


「何もそんな顔しなくてもいいんじゃない?」

「お前の今の顔…あの半魚人を愛おしいと思っているような女の顔や反応ではないぞ」


リィリンは鏡越しに見る人間に模している眷属が何を考えているのか分かっていた。
だから苦笑いを浮かべていたが、眷属の言葉にその笑みもまた深まる。
それは少し諦めにも見えた。


「私だって愛した人の元へと行きたいわ…だけど……それができないってあなたも知っているでしょう?」

「それはそうだが…」

「あの人間さえいなければ私は今頃、あの人を箱に閉じ込めて海に帰って独り占めしているわ」


リィリンの言葉に眷属はゾクリとさせ、人魚という生き物がどんな生き物なのか思い出す。
人魚は基本周りに興味を持たない。
繁殖相手も適当に済ませるものもいるくらい恋愛にも興味の欠片も持たずそのまま人生を過ごす者の方が多い。
だが、人魚は一度心から愛した者への執着はすごいものだった。
逃げるなら追う。
近寄ってくるのなら逃げられないように縛り付けてまで傍に置く。
独占欲が強い生き物なのだ。
ただリィリンがそれをしないのは、やはり妹を人質にされているからだろう。
それさえなければ今頃ベイジルを殺して自由を得てツェッドと共に幸せに暮らしているはずだ。
その結末はリィリンも、眷属も望んだものではあるが…妹を人質にされリィリンがベイジルに逆らえず眷属もまた何もできない今、眷属はもう何も言う気はなく支度も終えリビングで待っているであろうベイジルの元へと向かう事しか選択肢はなかった。


「お待たせいたしました、ベイジル様」


リビングに向かえばリィリンの荷物だけが纏められてあった。
恐らくSPが纏めたのだろう。
車椅子に乗りメイドに押されて現れたリィリンの姿を見てベイジルは立ち上がりリィリンに歩み寄る。
こちらに歩み寄るベイジルの表情が先ほどとは違い穏やかで愉快そうな笑みを浮かべているのを見てメイドは怪訝としながら嫌な予感がよぎった。


「リィリン、プレゼントがある」

「まあ、プレゼントですか?なんでしょう」


『楽しみだわ』、とテンプレートの言葉をつぶやくもリィリンの心は沈み切っていた。
分かっていたのだ。
ツェッドとは決して結ばれないというのは。
決して、想ってはいけないのだということは。
だけど初めて恋をした人魚にとって彼との別れは予想以上に辛かった。
それを今の危うい立場が平然と装わせていただけの事であり、ただ仮面を被っていただけだった。
リィリンの演技など見抜くことなくベイジルは『そうかそうか』と頷きながらSPの一人に手を差し出し『プレゼント』というものを持ってこさせる。
メイドはベイジルのプレゼントに『どうせくだらないものだろうな』と冷めた事を思い、リィリンは興味の欠片も感じていなかった。
だが…リィリンの首にカチリと何かがつけられた音が部屋に響く。
ひやりとしたものがリィリンの首に感じ、リィリンはそっと手に触れると革の感触を感じた。
リィリンは自分の首に何があるのか分かった。
これは――――首輪だった。

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