まるで夢を見ていたようだった。
ゆらゆらとゆれるその光景は水の中で、懐かしい光景でもあった。
あの男に飼われてから海どころか水に満足に浸かっていないため、涙が出るほど懐かしくてもし夢だったら覚めないでほしいと思ったほどだった。
気が付くと誰かが隣で泳いでいて、自分も泳いでた。
目の前が一気に開けて曖昧な風景がパッと海の中に変わる。
隣を見れば美しい人魚、姉のリィリンの姿があり姉の名を叫びそうになったが、どうしてか声が出なかった。
だけど姉はその声が聞こえたようにこちらを見て微笑んでくれた。
青い海にも負けないほど鮮やかで美しい青い髪を水中に散りばめる姉はとても美しく、外見にさほど執着がない同じ人魚でも羨ましがる人魚も沢山いたくらい姉は綺麗な人だった。
姉が手を伸ばしてくれたのでその手に手を伸ばそうとした。
だけど…姉の上から網のようなものが降ってきて姉の体はあっという間に網に絡まり――――人間に捕まった。
自分に手を伸ばす姉の姿に彼女は…彼女の心は黒く染まっていく。
少女はふと、目を開ける。
目をあければ海の中でもなければ姉の姿はなく、透明の世界だった。
「あ、ツェッドさん、起きたみたいですよ」
くぐもった声がし、そちらに目をやると見覚えのない黒髪で糸目の少年と銀髪で褐色の肌の男がこちらを見ていた。
その少年は本当に見たことがなく、少女は首を傾げながら周りを見る。
どうやら水の中のようで、少女は底で倒れる様に眠っていたようだった。
ごぼごぼという懐かしい音が少女の耳に届く。
(水の中…何年ぶりだろう…)
少女はそう思う。
少女は人魚だが、水の中に入った最後の記憶はもう幼過ぎて覚えていない。
姉共々人間に掴まって売られて以来の水の中だった。
あの人間の男は姉を脅すため、そして姉が逃げないように少女に対して虐待ともいえる行為をしてきた。
暴力もそうだが、一番少女が堪えたのは姉は勿論だが満足に水に触れる事ができなかったことだ。
力を弱ませるためにわざと死なない程度でしか水を与えてくれなかったし抵抗できないほど弱らせたら人魚の要である心臓をくり抜かれてしまった。
何年も心臓がなかったからかそれを思い出し胸元へ目をやる。
そこに手を当てるとドクンと心臓の鼓動の音が聞こえ、心臓が返されている事を少女に教えていた。
そして少女はここまでの記憶を掘り起こす。
「目を覚ましたんですね…良かった…」
少女は思い出していると聞き慣れない声がし、顔を上げた。
そこには地下水路で唯一声が届き助けに来てくれた半魚人だった。
「お前は…あの時の"種"…」
あの時は意識が朦朧として記憶はある。
だがその時の記憶よりも、あの男の命令で街を襲った時の記憶が強く、目の前の半魚人――ツェッドを思い出した。
ツェッドは『種』と言われ首を傾げながら名前を教える。
だが少女にとって目の前の半魚人は『種』でしかなく、後ろにいる人間二人は正直同じ顔にしか見えない。
少女はどちらかと言えば淡々とした性格で、姉や同族以外には無興味だった。
そのため名前を言われてももうすでに忘れていた。
少女は辺りを見渡す。
水槽越しなため全体ではないが、どうやら室内らしく周りには様々な観葉植物が置かれており、物がない部屋ではあるが殺風景というわけではなかった。
(ここはどこ…私は逃げれたはず……)
周りを見渡していると続々と人が入ってきた。
その部屋は大柄な男からまだ子供とも見れる少年などの様々な人種や人間が集まり、少女は目配せをして誰が一番この場で力を持っているかを見る。
予想ではやはり大柄の男だが、その隣にいる頬に傷のある男も油断がならない気配を感じる。
ただ同じ水の気配を感じるツェッドと、どう見ても力がなさそうな肩に猿を乗せている少年――レオナルドには警戒心を抱けなかった。
「やあ、お目覚めかな?」
「…」
警戒しているというのは傷の男、スティーブン達からも見て取れた。
だから出来るだけスティーブンは警戒を強めないよう目の前に娘がいるように笑みを浮かべて声をかけるが、人魚の少女はその声かけに答えず、隠れる場所もないというのに出来るだけ奥へ下がり底に座り込むように沈み警戒を強めた目でスティーブンを射抜く。
スティーブンは父親としての顔を向けていたが、娘よりも小さいであろう人魚に警戒され顔を引きつらせた。
危害を加えるつもりはないが、敵対していたというのもあってその態度には少々苛立ちも覚える。
と、いうよりも…今日で三徹なため、三日も愛娘に会えず少々キレやすい状況なのだ。
勿論三徹の原因はHLの非常な日常と、ザップと、目の前にいる少女である。
息を吐き出し気持ちを落ち着かせスティーブンは少女に近づく。
近づくスティーブンに少女は底ではなく上へと泳いで出来るだけスティーブンから離れた。
少女が怯えているのを見てツェッドが苦情にも似た目線をスティーブンに向け、静かな苦情にスティーブンは苦笑いを浮かべ、これ以上進むのをやめた。
「えっと、僕はスティーブンって言うんだ…で、あっちにいるのが僕の仲間さ……僕達に君の名前を教えてくれるかな?」
「………」
水面の方へ逃げた少女にこれ以上進まないという意味で手を上げて立ち止まったスティーブンはとりあえず簡単な自己紹介をした後後ろにいるクラウス達を紹介する。
少女は紹介されるクラウス達へ目をやるとクラウス達は手を上げたり手を振ったり笑顔を向けてくれたりと様々な反応を見せたが、少女は無言を貫いていた。
最後にツェッドを紹介すると少女は警戒心を強くしていた目を和らげて見せ、それをスティーブンは見逃さなかった。
「ツェッド、彼女に僕達は敵ではない事を説得をしてくれ」
あそこまで警戒されてしまえば毒気を抜かれてしまう。
それは恐らく見た目が少女なのと、娘を拾ってから父としての感情が芽生えており、どうも少女には弱かった。
勿論娘が危ない目に合っていると言うのが前提ならば目の前の少女でも赤子でも殺すことに戸惑いはない。
それ以外はいい父親である。
ツェッドはスティーブンの言葉に少女へと向き直す。
「僕はツェッド・オブライエンと言います…僕の事覚えていますか?」
スティーブンに紹介されたが、もう一度自分で自己紹介をする。
覚えているかという問いに少女は頷くだけで答え、その頷きにツェッドはにっこりと笑顔を向けた。
その笑みに少女は警戒心しか浮かんでいない顔色を少し緩和させ肩の力を抜く。
「ここは僕の部屋です…倒れていたあなたを連れて来たのも僕なんですよ…」
「………」
「あなたの名前を教えていただけませんか?」
警戒心を薄めたからか、水面近くにいた少女は少しずつ沈むように落ちていく。
連れて来られたという記憶はないが、助けてくれたと言う認識はあった。
少女はツェッドの優し気な声もあるのか、ツェッド達が危害を加えないと分かり恐々だが口を開く。
「私はルゥルゥ…見て分かる通り人魚だ……ここはどこだ…お前達は何者だ…」
ぱかりと開けられる小さな口から出される声は見た目通り愛らしかった。
だが言葉使いは想像したよりも荒く、そのギャップにまず驚かされる。
ルゥルゥと名乗った少女の問いにツェッドはスティーブンとクラウスを見た。
ここの場所を言うのは簡単だが、一応ここは秘密結社のアジト…早々言える場所ではない。
レオナルドが初めてライブラと接触しビルを壊された時だってライブラの場所を知られ引越ししたくらいなのだから、いくら人魚でもツェッドの判断で言えるわけがなかった。
「我々はライブラだ」
どうしようかと目配せで二人に聞くと今まで傍観していたクラウスが割って入ってきた。
割って入ったと言ってもルゥルゥの問いに答えただけだが、クラウスの言葉にツェッド達は目を見張り、ルゥルゥもライブラと聞き驚いた表情を浮かべた。
「……ライブラ…本当にあったのか…」
「我々を知っているのかね?」
「…お前達の存在は裏では有名だったからな……まあ私は名を聞いただけにすぎん…それがなんの意味があるのか、なぜ人間達がお前達を恐れるのか…理解していない」
さきほどのツェッドとのやりとりでクラウス達への警戒心も多少は解けたようで、黙り込んで頑なに閉じていた口をルゥルゥは開ける。
ルゥルゥはずっと地下牢にいた。
しかしずっと縛られていると言う訳ではなく、姉と同じく人殺しの道具にされていた。
ただ姉とは違い終わればすぐに牢に入れられまた人殺しの仕事がくるまで閉じ込められる生活だった。
それでも噂話くらいは耳にした事はある。
その中でも一番多かったのがライブラという名前。
それが何なのか最初は分からなかった。
だがそれが秘密結社で更には唯一裏社会の人間が恐れる存在だという事が分かるほど頻繁に聞いていた。
その噂の中に本当は存在しないと言われているとも知っている。
ただルゥルゥはライブラという存在に興味がない。
存在しようがしまいが、敵であろうが味方であろうが、人間は人間、異界人は異界人、人魚は人魚なのだ。
だからライブラの事を聞いても何をしているのかさえルゥルゥは分かっていないし、理解しようとも思っていない。
それを聞いてレオナルド達はどう反応したらいいのか分からず苦笑いを浮かべる。
そんな彼らを見渡し、ルゥルゥはクラウスへ目線を戻す。
紹介でクラウスがここのリーダーだというのは知っていた。
「私がなぜここにいるかは理解した…それでお前達は私をどうしたいのだ…お前達も私を権力と欲のために人を殺させる気なのか?それとも観賞用として狭い水槽で飼うか?それとも売るか?それか食べるか?」
クラウスにルゥルゥは問う。
それは人魚にとっては至って普通の問いである。
しかし人間にとっては異様な質問だった。
世界の均衡を守るための組織に籍を置いているが、人魚という存在は知らなかった。
人魚の存在をしられていないため、売買は違法ではないが、人道には外れる行為のため、知られればライブラや政府に逮捕や潰されるだろう。
だから業者たちは必死に隠し、今まで人魚の存在をライブラに気付かれずにいた。
人魚とは、=(イコール)おとぎ話の存在という認識はクラウス達もあり、ルゥルゥの問いに彼女達人魚が人間にどう扱われていたか垣間見ることができる。
正義感が強い彼らには少し衝撃的だった。
しかも見た目少女…レオナルドよりも年下の人魚から人を殺させる・飼う・売る・食べるなどという言葉を聞いてクラウス達は絶句する。
それも同じ子供を持つスティーブンとK・K、そして同じ水の気配を持つツェッドは特に。
「いいえ…我々はあなたを保護したにすぎません…あなたをそのような扱いをするつもりもない」
「ならどうする…海にでも帰すつもりか?お前達人間が深く望み不老不死の夢を抱き乱獲した人魚の私を?」
クラウスは一歩足を踏み出した。
クラウスは幼い少女に自分を売るか食べるかなどという言葉を言わせた人間に腹を立てていた。
それはその場にいる誰もが同じ気持ちで、だからこそクラウスは無表情だがまるで嘲笑しているかのようなルゥルゥの目を真っすぐに見つめ否定した。
そんなクラウスにルゥルゥは鼻で笑う。
それでもやはり表情は変わらないが、ルゥルゥの責めるような言葉にクラウスはやはり心を揺らすことなく真っすぐルゥルゥを見つめて頷いて見せた。
「それが最善だと私は思っています…望むのでしたら今すぐにでも海に帰しましょう」
頷いたクラウスにルゥルゥは目を見張った。
しかしすぐに訝しんだ目でクラウスを見る。
「………それは本気で言っているのか」
「はい」
「……………」
クラウスが力強く頷くのを見てルゥルゥは口を閉じ顔を逸らして考える素振りを見せる。
正直信用が出来ないというのが本音である。
ルゥルゥはチラリとツェッドを見た。
目と目があったツェッドはルゥルゥがクラウス達を信用できず不安がっていると受け取り優し気な笑みを浮かべる。
「安心してください…ここの人達は良い人ですから…それに何かあれば僕があなたを守ります」
「………」
この部屋には人間が多くいる。
どう見てもペットのソニック以外で唯一人類ではないのがツェッドである。
それにルゥルゥと同じ水の気配を感じるのもルゥルゥが無意識に頼ってしまう理由でもあった。
眷属を作る、という考えはない。
否、あるにはあるが…正直に言って今のルゥルゥは衰弱しすぎて眷属を作る力すらない。
見た目は全治しているが、それはただ単に外見だけの話。
しかし本来なら見た目が全治すれば力も復活しているのだが、長い年月水を満足に与えられず力を使われ続けた反動でもあった。
「…分かった…お前達を信じよう」
恐る恐る、だがルゥルゥはツェッドの言葉を信じ、クラウス達も信じようと思った。
恐る恐る頷くとツェッドを含んだ全員がホッと安堵し、空気が和らいだのをルゥルゥは水槽の中だが感じ取る。
それをルゥルゥは物珍しく見ていた。
ルゥルゥが初めて見た人間は人魚を乱獲する違法漁業の者。
その物はルゥルゥと姉を含んだ多くの人魚をただの物…それも金目の物にしか目に写っておらず決して彼らの態度はいいとは言えなかった。
オークションにいる人間達もそうだ。
彼らも漁業の者達と同じでルゥルゥ達の見た目で勝手に値段を決め、人魚を生き物として見ていない。
ルゥルゥと姉を競り落とした男も同じだった。
姉と引き離されルゥルゥはずっと日の当たらず不衛生な地下牢に縛られ続け姉を情婦のように扱う。
素直に言えばルゥルゥは人間が嫌いだった。
憎むほどの感情移入はしないが、嫌う程度の感情は生まれた。
全ての人間を殺したいとは思っていない。
クラウス達を見て全ての人間があの男達と同じだとはもう思っていない。
だがあの男だけは別だった。
大切な、自分よりも大切な姉を性の道具として使い自分を盾に逆らえないようにしたあの男―――ベイジル・ロッド…その男だけは自分の手で八つ裂きにしたいと強く憎しみを持っていた。
グッと拳を握って言うと、お腹がグーッとなる。
「お腹すいた…」
憎む気持ちが一気に隠れた。
今目の前にいない男に憎しみを更に強くするよりも、まずは食欲をどうにかしたかった。
お腹に手を当てるルゥルゥにその場はほんわかとした空気に変わる。
「それは大変だ…何か用意しよう」
「けど人魚の食べる物ってなんですか?」
「魚とか?」
先ほどの張り詰めた空気が嘘のような空気に一気に全員の肩の力を抜く。
クラウスはお腹を空かせるルゥルゥに急いで食べ物をギルベルトに用意させようとしたが、レオナルドの問いに指示を止める。
スティーブン達も想像する食べ物を述べるが、そもそも人魚という生き物は想像上の物でしかなく、海で一番泳ぎが早いと言うのもあって実在しても中々捕まらず、業者も隠すのも上手く、記録も残っていない。
そのためルゥルゥに直接何が食べたいか聞こうという事になった。
「ルゥルゥ君、君は何が食べたいかね?」
クラウスの問いにルゥルゥはすぐに―――ツェッドへ指をさした。
その指さしにツェッドとルゥルゥ以外の全員が伝いツェッドを見た。
ツェッドは食べ物を聞かれて何故か自分を指さされキョトンとする。
「…えっと…ツェッドがどうかしたかい?」
「お前達が聞いただろう?何が食べたいか、と」
「…………ツェッドは…食べ物ではないのだが…」
「何を言う…私達人魚からしたらこの場にいる全員が食べ物だ」
「―――――」
『お前でもいいが、この中で一番おいしそうなのはあの種だ』と淡々と付け加えるルゥルゥにスティーブンは笑顔のまま固まる。
それはスティーブンだけではなく、ご指名のツェッドさえも固まっていた。
何度もしつこく言うが、人魚という生き物は伝説、言い伝え、想像上でしかなく、吸血鬼・異界人・ホルムンクス等想像上空想上伝説でしか知られていない存在とかかわりが深いクラウス達でも人魚は『空想上の存在』という認識するほど、人魚は謎の存在だった。
だから人魚=人魚姫という認識が強い。
まさか可憐な人魚から肉食宣言され、誰もが絶句した。
だがその中で空気を読まず爆笑する者が一名。
「あひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!魚類!おめえやっぱり魚類なんだな!!人魚にも食用としか見られないとか…!!!小魚かよ!!!」
その一名は知っての通りザップである。
腹を抱えて涙目になるまで爆笑するザップをツェッドは相変わらず冷たい目を見るが、ルゥルゥは表情一つ変わらずザップを見て…
「お前は不味そうだからいらない」
と言った。
その瞬間立場は逆転し、ツェッドは大笑いするわけではないが我慢しているのか身体を震わせ、レオナルドは爆笑し、スティーブン達も笑うのを堪えている。
ザップは不味そうと言われて顔を引きつらせながら言った相手は少女だし水槽の中だしでとりあえず爆笑しているレオナルドに八つ当たりした。
「す、すまないが…別の物じゃだめかな?彼も僕達の仲間なんだ…食べられては困るんだよ」
「……わかった…ならあいつ(ザップ)以外ならなんでもいい」
スティーブンの言葉にルゥルゥは不服そうにしながらも妥協する。
今一番食べたいのは美味しそうと評したツェッドだが、それが駄目と言われると何食べたいかと言われても海の食べ物しか知らずあの男には何も与えられていなかったためこれと言った食べ物は浮かばない。
人魚は魚や海藻や野菜しか食べないと言う訳ではなく雑食で、極端な事を言えばゴミ以外なら毒性のある物でも平気なため何でもよかった。
何でもいいと言う答えと、ザップを指さし『あいつ以外なら』というルゥルゥの返答にまた笑いそうになりながらスティーブンは了解したと言う意味で頷いて見せた。
30 / 38
← | back | →
しおりを挟む