(32 / 38) ツェッド (31)

大きな水槽は来る者を拒まずなのか、ツェッドが手を差し出せば簡単に水に入る事が出来た。
水の壁に身を沈ませるように入り、ツェッドはポンプを外し、傍にいたクラウスに渡した。


「!――ツェッドっち!後ろ…!」


『行ってきます』、と仲間に告げているとK・Kが何かに気付き叫んだ。
その叫びと同時にツェッドの背後から殺気を感じ、咄嗟に上へ泳いで避ける。
下を見れば顔がサメ、人型の体を持つ化け物がいた。
ツェッドが逃げなければ恐らく噛みつかれ肉どころか骨まで持っていかれただろう。
化け物は外にいるクラウス達には目もくれず、水に入ってきた異物を排除しようとギロリとツェッドを見上げ、ツェッドに向かって泳いできた。
ツェッドは向かってくる化け物を血法を使い退治する。


「何なんだ、これは…」


ツェッドは水槽育ちだから海の事は分からない。
だが、先ほどの化け物は海の物ではないと本能でさっしており、そしてその化け物がリィリンの…人魚のモノだというのも分かった。


『ツェッド、今のは何だ?』

「分かりません…リィリンさんといた時は見ませんでした」


水中にいると魚と人間の交配種でもくぐもって聞こえる。
スティーブンの問いに答えたいと思うものの、ツェッドも初めて見たため首を振るしかない。
ここにいても時間だけが進むだけなので一言クラウス達に声を掛けた後リィリンを探しに奥へと進む。
奥にいくと何匹か化け物が襲ってきたが、彼らは血法で退治できるほど弱かった。
退治すると水に溶ける様に消える彼らの他にもいるが、それは死体だけ。
水死体がゴロゴロと水中に浮かんでおり、水の中は太陽の光で薄暗くはあるが視界が悪いと言う訳ではない。
クリアだとも言えない水中にいる死体を素通りしながらツェッドは胸を痛める。
何の罪がない人達が犠牲になり、しかもその犯人はリィリン…心を痛めながらもツェッドは何か事情があると思っていた。
リィリンと自分の関係はもう終わった関係だし、あちらからしたら寂しさを埋めるためだけの存在だったのかもしれない。
だけどまだツェッドの心にはリィリンがおり、リィリンを愛している。
リィリンが何か困ったことがあったならそれに手を貸したいと心から思い、同時に彼女を失いたくなかった。


(リィリンさん…一体どこに…)


正直一時間で説得が出来るかは謎だった。
こんなに被害を大きくしてまでの事をしでかしたから何らかの事情があっても彼女がそう簡単に納得してくれるかは分からない。
だけど仲間に彼女を殺させるのも傷つけさせるのも嫌だし、彼女が仲間を傷つけるのも嫌だった。
我が儘なのは分かっているがツェッドだってどうしても譲れないことだってある。
伯爵は命を与えてくれた。
師は力と知恵を与えてくれた。
仲間達は居場所を与えてくれた。
そしてリィリンは愛を教えてくれた。
母と父がいないツェッドにとってみんな大切な存在である。


(嫌な予感がする…早くリィリンさんに会ってなんとか説得をしなければ…)


水中を泳いで進む中、ツェッドは嫌な予感に駆られていた。
それが何なのかは分からないが、その嫌な予感は当たらないでほしいと思った。
焦る中、クラウス達がいる場所から奥へ奥へと進んだところに、明らかに生きているであろう人影が見えた。
その人影は化け物とは違い、上は女体、下は魚の形をしていた。


「!――リィリンさん…!」


その影を見てツェッドはすぐにリィリンだと気づく。
急げば影だったシルエットはあっという間にツェッドが望んだリィリンの姿へと見せる。
リィリンは背を向けていたがツェッドの声に気付き振り返る。
リィリンがこちらを見たのを確認しツェッドは必要以上に近づいて刺激させないよう遠くもなければ短くもない距離で止まる。


「リィリンさん…これはあなたの仕業なんですか?」

「……………」

「答えてください…!もしリィリンさんの仕業ではないのならあなたを保護します…!ですが……もし…リィリンさんの仕業でしたら……事情を話してください…僕はリィリンさんの味方です…必ず貴女を守ります…」


間近で見るリィリンはとても美しかった。
人間だと思っていたため人魚だというのに違和感がないとは言えないが、それさえもすぐに忘れるほど水中に浮かびカーテンのような日差しを浴びているリィリンがツェッドの目には美しく映った。
元々惚れた弱みというのもあったが、それ抜きでもツェッドは見惚れていただろう。
だが、仲間から貰った時間はわずか1時間。
ここまで掛かった時間さえ惜しいと思えるほどツェッドは焦っていた。
手を差し出しリィリンに自分は敵ではないと信じてもらおうとするも…


「………」


リィリンは表情一つ変えず無言を貫く。
それにツェッドは落胆する。
簡単に分かってくれるならここまで大掛かりな事はしないが、やはり自分の事は信じてほしいと言う彼女に惚れた男としての願いがあった。


「…リィリンさん…あなたにとって僕は都合のいい男かもしれない…でも…それでも僕は……」

「……の…」

「え…?」


それでも何も言わないリィリンにツェッドは本心を話そうとした。
ここまでくる時にごちゃごちゃと様々な説得の言葉などを考えたが…リィリンの様子から言い訳めいた事を言うよりも本心をさらけ出した方がいいと思った。
それにリィリンに嘘はつきたくなかった。
しかしそんなツェッドを余所にリィリンがポツリと呟く。
その声は小さくツェッドはリィリンに聞き返した。


「―――いないの…どこにも…」

「いない…?」


リィリンはツェッドを見つめる。
先ほどまではなんの感情もない瞳だったのだが、その瞳は不安そうな色へと変わる。
不安そうにするリィリンにツェッドは近づこうと思ったが、近づいて何もされないと確信を持っているほど今の二人の距離は短くはない。
怪訝と聞き返すツェッドにリィリンは下の街を見下ろし、キョロキョロと辺りを見渡す。


「どこにもいないの…あの人が…私は殺さなきゃいけないのに…あの方のために殺さなければいけないのに…このままじゃあの方の元へ帰れない…」


ついには泣き出してしまった。
顔を覆って涙を流す(といっても水中に溶けてしまい分かり難いが)リィリンにツェッドは慌てた。


「リィリンさん…殺さなきゃいけない人って誰ですか?あの方という人があなたをこんな事に利用したんですか?」

「………そうね…ここには誰もいない……ここにはあの人はいない…なら……―――お前達ライブラを殺しても構わないわよね…」

「―――ッ!?」


リィリンはツェッドの言葉を聞いていないように問いに返さなかった。
実際、聞こえていないのだろう。
嘆くリィリンだったが、手で覆っていた顔を上げツェッドを見る。
ツェッドはリィリンと目と目が合いゾッとさせる。
ツェッドを見るリィリンの目は怒りも憎悪も感じなかった。
あるのはただ単純な殺意のみ。
好いた女性からの殺意にツェッドは息を飲む。
こちらに向かって手を伸ばすリィリンにツェッドは後ろへ下がって避けた。
しかしツェッドの周りに化け物が囲っており、一斉に襲い掛かってきた。
その化け物は強くないため、血法で何とか全て返り討ちにできたが、化け物達はただの目くらましだったようで離れていたリィリンとの距離がいつの間にか縮まっていた。
懐に入られツェッドはリィリンの動きが遅く見えた。
鋭く尖らせた爪をこちらに向かって突きつける様にする彼女を見ながらツェッドは血法で作った三叉槍を盾にリィリンの攻撃を防ぐ。
ガキンと音をさせ二人は弾かれたように後ろへ飛ばされる。


「リィリンさん…!ま、待ってください!!」


ツェッドはリィリンに殺される言われがなければ、殺す理由もない。
こうして戦う事になった事すら突然の事で戸惑っている。
ツェッドがここに来たのはリィリンと戦う事ではなく、リィリンを説得し保護するために来た。
リィリンと戦いたくないし傷つけたくない。
そのためリィリンは殺す気で来るが、ツェッドは逃げる一方だった。
しかし魚と人の混合とはいえ海で一番早い人魚相手ではすぐに追いつかれてしまい、ツェッドは逃げては追いつかれ攻撃を交わしてまた逃げて、を繰り返していた。
戦闘能力、経験、どちらもツェッドの方が上であるが、ツェッドが戦う意志がなくスピードはリィリンの方が上というのもあり無傷というわけにはいかなかった。
大きな傷はないが、ツェッドの血が水に残る程度は負傷しており、逃げ回っていると言うのもあり体力も大きく減っていた。


「リィリンさん!!話を聞いてください!!なぜあなたがこんな…ッ!」


それでもツェッドはリィリンに話を聞いてもらおうとしたが、リィリンは聞く耳を持たず襲い掛かってくる。
あれからリィリンは一言も喋る事無くツェッドを殺そうとし、化け物達はあれから姿を現さない。
どうやらツェッドには効かないとリィリンが判断し消したようである。


「リィリンさ…―――っ!」


顔もピクリともせず無表情。
だがそれでもツェッドは自分の言葉が届くのを信じて話しかける。
もう一度声をかけようとしたその時リィリンは一瞬でツェッドの懐へもぐりこみ…――ツェッドは激痛に襲われる。

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