(15 / 37) 黒死蝶殺人事件 (15)

彩羽は蓮を連れてキッチンにいた。
主治医の加川に見せるのもいいが、頬を叩かれて腫れたくらいで医者に見せるのもどうかと蓮が言ったため彩羽はキッチンに来ていた。
タオルを水で濡らし絞って蓮の頬にそっと触れる。
その彩羽の手の上から蓮の手が重なり、彩羽は目を微かに丸くさせる。
驚いて咄嗟に手を引かせようとしたが、蓮の手に握られ不発に終わった。


「れ、蓮さん…?」

「さっきの話し、なんだけどさ…その……僕、本当に君が好きなんだ…」

「…っ」


痛くない程度に握られ彩羽は困惑した。
しかし熱っぽく見つめられながらの告白に更に困惑する。


「僕は蝶オタクだから周りは最初は顔が良くて金持ちだから近づいてくるけど皆離れて行ってしまうんだ…だからこの年になっても碌な友達はいなかった…だけど…僕は蝶が好きだから蝶オタクを止めたいなんて思わなくて…でも人間の友達も欲しかったんだ……だから…彩羽さんが僕を蝶オタクではなく、一人の人間として接してくれた事が嬉しかった…」

「それは…だって…」

「うん…君にしたら大したことじゃないかもしれない…ただ兄妹として接してくれたからかもしれない…でも僕にとってそれだけでも嬉しくて君に惹かれるのには十分だったんだよ…」


蓮は蝶が好きで好きでたまらない人間だった。
親が決めた学者というレールも嫌だと思ったことはない。
好きな事を仕事に出来る日を今か今かと待っている。
学者になれば今以上に蝶に触れる事ができ、蝶の事を知ることができる。
それが嬉しくてたまらなかった。
だけど周りは蓮のように蝶の事を好いてはいなかった。
同年代の男子は蝶よりも異性やゲームやアイドルなどに興味を示し、女子も異性やファッションなどに興味を示す。
しかし蝶の事はちっとも興味を示さない。
顔と金で近づいてきた人間は持って1ヶ月ほどで離れていく。
そうして蓮の周りに残ったのは、同じ蝶を好んでいる学者の大人たちだけだった。
蓮は蝶が好きだ。
恋している。
だけどそれでも人間の友達も欲しかった。
一緒に帰りながら寄り道するような事をしたかった。
片道1時間以上かかるので叶ったとしても難しいが、それでも友達と遊んで騒いで、たまに羽目を外し過ぎて父や母に叱られたかった。
その時、彩羽と出会ったのだ。
まだ母を亡くしたばかりだったし、彩羽も9歳だったため距離を置いていたが、次第に話すようになり、蓮は今までにあった事のない彩羽の優しさに惹かれていった。
しかし彩羽からしたら普通の事をしただけで、他意はない。
蝶マニアだとしても、話しかけても嫌な顔をしなかった蓮が好ましかっただけだった。
そのせいで蓮に恋されてしまい、彩羽は戸惑いが更に強くなる。
他意はないが、蓮に恋だと勘違いさせてしまったと罪悪感が生まれた。


「蓮さん、あの…」


彩羽は蓮の感情は勘違いだと思っていた。
周りに恵まれなかった人間が優しくしてもらってそれを恋愛感情と間違えていると思っていた。
それを言いにくいが言わなくてはとも思った。
勘違いさせてしまうような態度を取った彩羽も悪いが、ならばはっきりと断らなければと。
そう思い彩羽は顔を上げた。
しかし…――――彩羽は唇を奪われてしまう。


「んっ…、んぅ…や…っ!いや!!」


キスされたと頭では理解したが、それが上手く処理できず彩羽は目を丸くしたまま固まった。
彩羽が動かないのを良い事に蓮は角度を変えてキスを繰り返す。
それは次第に深くなり、ついには舌が口内に入ってきた。
舌と舌が絡み、流石に彩羽も我に返り蓮を押しのけ拒絶した。


「ご、ごめんなさい…私…あなたの気持ちに答えられない…」


彩羽は蓮の顔が見れなかった。
蓮への罪悪感と、申し訳なさで彼の顔が見れなかった。


「…やっぱり明智さんが好きなんだ…」

「え…?」


ポツリと呟かれたその言葉に彩羽は呆気にとられ、逸らしていた蓮の顔を見つめる。
蓮は傷ついた表情を浮かべていたが、どこか納得したような表情も浮かべていた。
彩羽は蓮の言葉に首を傾げた。


「なんで兄さんが出てくるの?」

「だって…明智さんといるときの彩羽さんは僕達といる時より明るい表情をしているし…僕達より距離が近いし…」


今、この問題は彩羽と蓮の問題であって明智は関係ない。
そう問えば出てきた言葉に彩羽は口をつぐんだ。


「兄さんは幼い頃から知ってるし…それに…蓮さんには悪いけど…ここには私の居場所なんかないんだもの……兄さんといた方が落ち着くの」


巴川家に彩羽の居場所はない。
母が生きていた頃だって彩羽には居場所がなかった。
信頼できる人間がいない中での生活は想像よりも辛く、だからこそ彩羽を損得なしに心配し気遣ってくれる従兄に懐くのは仕方のない事である。
それを恋愛だと言われて腹も立った。
だけど血が繋がっていないのを知っている側の人間からしたらそう見えてしまうかもしれないと彩羽は理解した。


「じゃあ佐藤さん?」

「どうして?」

「明智さんと理由は同じだよ…彼と君の距離は主人と世話係や友人にしては近すぎるんだ」

「兄さんと同じなら英二さんも違うって思わないの?」

「思わないね…だって、明智さんも佐藤さんも君に惚れてるから」


蓮の言葉に彩羽は無言で返した。
彩羽は無意識に自分を守ってくれる人を頼っていたから、きっと蓮はそれを好意と感じ取ったのだろうと思った。


「英二さんも違うよ」

「…じゃあ、なんで駄目なの?」

「…………」


真っすぐな目で見つめる蓮に彩羽は口を閉ざした。
なぜ、と聞かれて答える言葉を探していた。
蓮は逃げないよう彩羽の手を掴み、納得いく理由を求める。
彩羽は少し目線を泳がせたが、観念したのか小さく息を吐き蓮と向かい合う。


「蓮さんの事は好き…でもそれは友達や兄としての感情で…恋じゃない…」


蓮に対する感情は、恋愛ではない。
蓮の事は好きだ。
だけどそれは兄や友人に対する好意であって、恋愛感情はない。
期待させるような事をしてしまった彩羽も悪いとは認めるが、だからと付き合うつもりはなかった。
それは蓮がどうとかではなく…彩羽は元からこの家を出るつもりだったから。
この家を出て、もうこの家の人間とは関わらないと決めていたのだ。
それは死んでしまった母も同じ。
出て行ったあと、彩羽は母親との縁も切るつもりだった。
それが弟との縁が切れることになっても、彩羽の決意は変わらなかった。
それに…


「私、汚れてるから…蓮さんとだけじゃなくて…誰とも付き合えない…だから…ごめん…」


ポツリと呟かれたその言葉に蓮は目を丸くする。
呆気に取られている蓮の隙を突き彩羽は手を振り払い、蓮を残して去っていった。


「………」


蓮は我に返っても彩羽を追わなかった。
やっと理解したのだ。
自分は彼女に恋をしているけれど、彼女は自分には恋をしていないのだと。
分かっていたけど、溢れた想いにはもう蓋はできなかった。


「君は…汚れてなんかいないのに…」


彩羽が言った汚れているという言葉に疑問はあったが、蓮は違うと彩羽に言いたかった。
何に汚れているかは分からない。
だけど連から見た彩羽は美しく、可憐で綺麗な少女だ。


「……失恋かぁ…うん…まあ、いい経験になったって思えばいいか…」


そう呟くもそう簡単に気持ちに整理がつくはずもなく…ポタリと蓮は一粒、また一粒と涙が溢れる。

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