(18 / 37) 黒死蝶殺人事件 (18)

竹蔵の話しに気分が悪くなった彩羽を心配し、金田一達は室内に入った。
デッキからは入れる部屋には偶然この屋敷の主治医をしている加川がおり、彩羽が気分が悪いというと診てくれた。


「黒死蝶の伝説は知らない方にとったら信じられないものかもしれませんが、古くからこの辺りにいる人間にとっては恐ろしい話しいとして受け継がれてきましたからね…私も子供の頃悪さをすると黒死蝶が迎えに来るぞとよく叱られたものです」

「先生もこの辺りの出身なんですか?」

「ええ…父が元々このあたりに住んでいまして…父の代からこのお屋敷に勤めているんです」


加川は父親も医者で、彩羽の義父の時から雇われ加川も医師免許を取り修行と言うことで街の大きな病院で働いていた。
その後に父が引退するというので交代するようにこの屋敷に来たらしい。
それはもう10年以上前の事だという。
気持ちを落ち着かせる紅茶を明智に淹れてもらい、彩羽はその紅茶を飲んで落ち着いた様子を見せる。
顔色もよくなった彩羽を見て美雪も安堵したのか、部屋を見渡した。
この屋敷の多くの部屋には蝶類を研究する科学者らしく蝶の標本が飾られており、この部屋も例外ではなかった。


「それにしても蝶ばかりかと思っていましたけど蛾も飾ってあるんですね」

「蝶と蛾は正確な判別はないんですよ…例えば蝶は昼に飛び、蛾は夜に飛ぶとか、蝶の触角の先がこん棒状だけど蛾はくし状または先が尖っているとか、蝶は綺麗だけど蛾は地味だとか色々な区別の仕方があるんです」

「へ〜…先生ってお詳しいんですね!」

「ええ…子供の頃虫の学者になりたかったので多少のことは知っています」


『蓮君や隼人君よりは全然素人ですけどね』、と苦笑いを浮かべる加川に美雪は『それでもすごいですよ』とフォローをした。
加川は昔父と同じ医者ではなく、学者になりたかったのだが、その夢をかなえることなく医者を選んだ。
その選択を後悔はしてないが、まだ虫は好きだった。


「あ、そういえばおば様の死体が見つかった時も…見たこともないような蝶が何匹も飛んでたっけ…」

「見た事もない蝶?」

「うん…なんか青い翅にオレンジの模様が入ったとても綺麗な蝶だったわ…」

「蝶の事なら山野教授か蓮さんにでも聞けば…」

「――カリマイナチウスですね」

「へ?」


加川と蝶の話をしていると、ふと美雪は蝶で気になった事を零した。
気になったと言っても見たことのない蝶が前を通ったくらいの認識ではっきりとした姿を覚えているわけではない。
『あの蝶も綺麗だったなぁ』と零せば、すぐに答えが出てきた。
そちらを見れば先ほど美雪と蝶の話をしていた加川だった。


「恐らくその蝶は『カリマイナチウス』という蝶だと思います…カリマイナチウスは日本にもおり、日本だと沖縄を中心に生息する蝶なんです…体長は大体45〜50mmくらいの小ぶりで、日本以外だとインド、ヒマラヤ地区、中国、台湾にもいる蝶です…翅の全体に濃藍青(のうせいらん)色でオレンジの太いラインが入っている模様があることで有名なんですが、翅の模様は一つじゃな――――」


美雪の言う特徴を聞いて加川はすぐに答えた。
やはり蝶オタクだからか、聞いてもいない情報をペラペラと話し出す加川に金田一達は止める術を持っていなかった。
しかし、その加川の止まらない口を止めた者がいた。


「ねえ、いつまでいるの?」


それは隼人だった。
隼人は明智が淹れてくれた紅茶を飲んでいたが、止まらない加川の言葉を飲み干したティーカップを受け皿に乗せる際に思いっきり音を立て加川の言葉を遮った。
シン、と静まり返る室内で隼人の苛立った声はよく響く。


「隼人!加川先生に何てこと言うの!」


彩羽は教えてくれていたのに水を差すような弟を叱った。
しかし隼人はツン、とそっぽを向き聞く耳を持っていなかった。
謝りなさい、と叱る彩羽に加川は止める。


「彩羽さん、いいんですよ」

「でも…」

「きっと彩羽さんに自慢したかったのに私が自慢してしまって拗ねているのでしょう…これ以上お叱りを受ける前に邪魔者は退散させていただきますね」


申し訳なさそうな彩羽に対し、加川はにこにこと笑って気にした様子はなかった。
しかしふと金田一はある事に気付く。
『明智さん、ごちそうさまでした』と紅茶を淹れてくれた明智にお礼を言いながらカップを受け皿に乗せる加川の手は微かに震えていたのだ。
微かなため気のせいかと思ったが、カップが受け皿に接触した際カタカタと甲高い音が鳴ったので気のせいではないだろう。
しかし加川の顔は笑顔を浮かべており、何かに怯える素振りも、何かの病気の症状かも読めなかった。
彩羽は加川を見送った後弟と向かい合う。
フミの時もそうだったが、この弟はどうしてか自分以外には辛辣になる。
姉を取られたくないという独占欲からかもしれないが、いつまでも甘えたでは困るのだ。
これからこの家を出て行かなければならず、小学校に通うにしてももう巴川家の後ろ盾はない。


「隼人…なんであんな事言ったの?先生の事嫌いなの?」

「嫌い」

「どうして…先生には良くしてもらっていたし、優しくしてもらってたじゃない…」

「…………」


加川の事を嫌っているらしい弟に彩羽は信じられないと呟く。
先ほども弟の態度に怒るでもなく加川は笑って許してくれた。
加川は巴川家にいる中で唯一差別なく接してくれた貴重な大人で、彩羽は加川の事は信頼していた。
しかし隼人としてはそれが嫌なのだろう。


「あ、あ〜…加川さんも言ってたけど隼人君もあの蝶の事知ってるの?」

「知ってる…でもだからなに?」

「い、いや〜!凄いなって思ってさ!」


彩羽は自分以外には排出的な態度を取る弟に困ったように溜息を吐く。
暴れて手が付けられないのなら押さえつければいいだけでまだいいが、暴れるでもなく話も聞かない弟に彩羽はどうしたものかと困っていた。
自分以外には冷たいため、他の人達には頼めない。
そして明智はもっと頼れない。
彩羽を独占していると早くも明智は隼人に嫌われており、彼と世話係の英二に対しては冷たいというよりは絶対零度の対応で、恐らく逆効果だろう。
だから隼人の事に対しては二人には手も口も出さないようお願いしているのだ。
部屋に流れる微妙な空気に、金田一は耐えかねたように隼人に声をかけた。
散々無視されているので、イチかバチかの賭けだったが、意外と隼人は乗ってくれた。
金田一が何がしたいのか気づいた美雪といつきもそれに加わる。


「本当!あんな覚えにくい名前もよく覚えてるのね!すごいわ!」

「やっぱ男の子は昆虫が好きなんだな〜…俺もガキの頃はよく虫を捕まえに行ってたっけ」


金田一はこの微妙な空気をどうにかしたいと思っていた。
母親を亡くしたばかりで明るくしろというのは酷な話だが、それでも姉弟喧嘩で発生した重い空気よりはマシである。
隼人はいつきの言葉に顔を顰める。


「別に好きなわけじゃない…ただ蝶を覚えないと巴川家の当主になって姉様と結婚できないから覚えてるだけ」


隼人は蓮のように蝶が好きなわけではなかった。
ただ大好きな姉と一緒にいたいから蝶を覚えているだけにすぎない。
それを聞いて金田一達は黙り込んでしまった。
やってしまったと思っているのだろう。
彩羽は弟の言葉を聞いて何か言いかけたが何も言えず口を閉ざしてしまう。
しかし、言わなければと決意を固めた。


「隼人…その事なんだけどね…私、隼人とは結婚できないの」

「どうして?だって姉様と僕は結婚できるって母様が言っていたよ?僕と姉様は姉弟だけど血は繋がってないからって…」

「そうだけど…でも…私はあなたを弟として愛しているの…夫としては愛せない」


隼人の事は好き。
自分に懐いてくれるのも嬉しいし、大好きな姉と結婚できると喜ぶ姿は年相応で愛らしいとは思う。
だけどそれは弟に対しての感情であって、一人の異性としてではない。
幼いながらに頭のいい隼人は姉の言葉の意味を理解した。
姉と結婚できると思っていたが、その姉から拒否されグッと何かに耐えるように顔を顰めた。
そして明智をギロリと睨む。


「お前か…お前が姉様を誑かしたのか…」


明智の傍にいた金田一といつきもとばっちりを受けた。
金田一といつきはゾクリとさせた。
美雪とフミもその雰囲気に気付き顔を強張らせる。
しかし冷たい声と目線を向けられた明智はケロリと涼しい顔で紅茶を嗜んでいた。
それを見て金田一は『やっぱすげえわ…』と感心してしまう。


「なにがです?」

「姉様が僕との婚約を破棄させようとしているのは知っている…姉様を誑かしたのはお前か…」

「さあ…なんのことでしょうか…確かに君と彩羽の結婚は反対していますが、それは彩羽自身の意思です…彩羽が君の結婚を望んでいるのなら私も無粋な事はしませんよ」

「嘘だッ!!」


明智の余裕を見せるその姿や言葉、仕草…全てが気に入らなかった。
むしろ明智、そして英二の存在自体が気に入らなかった。
姉を独り占めしたいのに自分が生まれる前から明智が彩羽を独り占めし、英二もそれに加わり、隼人が姉を独り占め出来た事は一度もなかった。
澄ました顔の明智の言葉に隼人はカッとなり自分のカップを手に取り投げつけようとした。


「やめなさい!隼人!!」


明智に手を上げようとした弟に彩羽が慌てて止めに入る。
空のカップを投げつけようとする弟の手を取り、カップを取り上げた。
そして姉に止められても明智を睨む弟の頬を彩羽は思いっきり叩いた。
パシン、と乾いた音に沈黙が再び落ちる。


「ね、えさま…?」


ジンジンと痛む頬に手を当て、隼人は唖然とした様子で彩羽を見る。


「隼人…私は誰にも誑かされてなんかいないわ…これは私の意思なの…私はあなたを弟以上の感情はないのよ…」

「…………」

「ごめんね…隼人…私がもっと早くあなたに気持ちを伝えていれば…こんな事にならなかったのに……お母さんだって死ななくてすんだかもしれないのに……私が早くにこの家を出て行けば…あなたから母親を奪わなくてすんだかもしれないのに…」

「………っ」


彩羽は初めて自分の気持ちを弟に伝えた。
彩羽にとって隼人は大事な弟であって、それ以上の感情なんてない。
これからも、隼人は彩羽の大切な弟なのだ。
それを伝えるのが遅かったと彩羽は思い、そして後悔した。
もっと母にも隼人にもそれを伝えれば、こんな事にならなかったかもしれない。
ごめんね、と謝る姉に隼人は涙を溜め、泣くのを堪える様に顔をくしゃりと顰め、何も言わず去っていってしまった。


「彩羽…」

「っ、ごめんなさい…兄さん……ごめん…」

「いや…いいんだ…これでいい…今は隼人君も辛いだろうけど、きっと時間が解決してくれるさ…」


『よく頑張ったね、彩羽』と抱きしめる従兄の背に彩羽は腕を回した。

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