(26 / 37) 黒死蝶殺人事件 (26)

一度事件が起きた場所だからか、県警の対応は早かった。
駆け付けた県警がした事はまずは現場検証。
それは鑑識と部下に任せ、猪川は居間に移っていた彩羽達に事情を聞きに向かい、金田一達に話を聞いた後その後に駆け付けた明日香に話を聞いた。


「その日、蓮は体調を崩していたので様子を見に行ったんです…でも蓮の部屋には誰もいなくて…その時窓の外に変な光りが見えて…まさかと思って駆け付けたら…蓮は…っ」

「なるほど…」


蓮の死因は左腕を切り落とされたショック死だった。
なぜ腕を切り落としたかは分からないが、明日香は弟が腕を切られ死んだショックから泣き崩れていた。
そんな明日香に千里が寄り添うが、千里も涙を浮かべ悲しみに暮れていた。


「で、どうだった」

「はい、例によって外部から侵入された形跡はありませんでした…アリバイは…」

「―――こ……ょ…」


猪川は前妻の子…蓮の姉達が悲しみに暮れているのを見た。
そしてその後後妻の子…彩羽と隼人を見る。
彩羽はただ明日香と千里が泣き崩れているのを見ているだけで表情は読めない。
ただ決して無表情と言う事ではなかった。
それを呆然としているのか、無関心なのかは見る側の人間によるだろう。
猪川は蓮の死を他人事のように捉えているように見えて仕方なかった。
そして弟の隼人。
隼人は顔色一つ変えず、眉も動かずただ無感情にどこかを見つめていた。
その目は『飽きた』と言っているように見えた。
初音の時も思ったが、本来の反応は前妻の子供たちの方が正しい。
後妻の子供たちはどこかおかしいと猪川は感じていた。
部下からの報告を聞いていると明日香が何かを呟いた。
その呟きに報告していた部下は言葉を切り明日香を見た。
猪川も…いや、部下や猪川だけではなく全員が明日香を見ていた。明日香は手で覆っていた顔を上げ、彩羽を見る。
…否。
見るのではない。
睨みつけていた。
誰もがその形相に驚きが隠せなかったその瞬間、明日香は彩羽の髪を思いっきり掴みかかった。


「い…ッ!」

「あんたが!!あんたが蓮を殺したんでしょ!!!あんたが…!!!私の弟を…!!」

「明日香!?止めなさい!!」

「彩羽!!」


突然だったせいか誰も明日香を止めれなかった。
いや、様子が可笑しいと止めようとしたが間に合わなかった。
そのまま髪を引っ張られ、机がないため彩羽は床に倒れる。
跪くように倒れた彩羽に明日香は蹴ろうとした。
それを見て明智が彩羽を上から覆いかぶさるようにして庇い、そして猪川達警察が暴れる明日香を取り押さえた。
女といえど怒りに任せて暴れる人間の力は強い。
男数人でやっと抑え切れたが、それでも明日香は暴れ続ける。
竹蔵や南などの使用人も暴れるお嬢様を止めようとするも、明日香は聞く耳持たなかった。


(高遠…)


明智は暴れる明日香から彩羽を抱きしめて守りながら、自分達の目の前を見る。
目の前には高遠が立っていた。
高遠も彩羽を守ろうと明智と同時に、彩羽と明日香の間に入り彩羽を庇っていた。
その行動に明智は複雑そうに高遠を見上げた。
男達に押さえつけられながらも明日香は続けて彩羽に向けて叫んだ。


「あんたが蓮を殺したんだ!!!あんたはこの家を手に入れたくて蓮を殺したんでしょ!!いつもあんたの邪魔ばかりしてた母親もあんたが殺したんでしょ!!!この人殺し!!お父様もあんたが殺したんだ!!殺してやる…!あんたなんか私が殺してやる!!お父様と蓮の仇を討ってやる!!巴川家の財産が目当てでこの家に来た癖に!!財産が欲しくてお父様を殺した癖して!!なんであんたじゃなくて蓮が死ぬのよ!!あんたが死ねば良かったんだ!!」


金田一は高遠が明日香の前に出て彩羽を庇うのを見て慌てた。
高遠の手はジャケットの内ポケットに手をやっているのを見て高遠の動きを見逃さないよう見つめていた。
金田一は大人しくしているという高遠の言葉をまだ少し信じていた。
しかし高遠は殺人犯なためいつまでその気紛れが続くかは分からない。
それでなくとも高遠の表情は今すぐにでも明日香を殺しそうなほど怒りに染まっているのだ。


「いい加減にしなよ!!彩羽お姉ちゃんがあんたに何したっていうんだよ!!彩羽お姉ちゃんは佐藤さんと私達とずっと一緒にいたんだよ!!蓮さんを殺せるはずがないよ!!」


明日香が暴れて怖くて体を震えながら美雪に抱きついていたフミだったが、彩羽を責める明日香に腹が立ち、美雪に抱き着いたままではあるが声を上げた。
誰もがフミを見る中、フミは腹立たしさに視線を感じず明日香を睨む。
しかしフミの言葉でも明日香は冷静にはならずフミにまで噛みついた。


「煩い!子供が分かった口を聞くな!こいつが…こいつら親子が来てから私達家族は可笑しくなったのよ!!あんたよ!全部あんたのせいよ!!!返してよ!お父様と蓮を返してよ!!!」


明日香はずっと彩羽を憎んできた。
彩羽が何かをしたわけではない。
彩羽はずっと息を潜め大人しい子供を演じていた。
しかし、彩羽と彩羽の母親が後妻になりこの家に来てから全ての歯車が少しずつズレていったのだ。
あの母親の態度も相まって、前妻の子供は肩身が狭くなっていった。
ただ救いだったのは使用人たちは明日香達前妻の子供の味方だということだろう。


「どうせあんたの母親もあんたもお父様に体を売って―――――」


吐き出せなかった感情が溢れ、周りの目なんか気にしなくなった明日香は暴走していた。
しかし、人に向けるべきではない言葉を言いかけたその時―――パン、と乾いた音が部屋に響き、その瞬間その場は静まり返った。
暴走し本人でさえ止められなかった明日香は呆気にとられた。
そして、頬を叩かれたのだと理解した。
誰に?、と明日香はゆっくりと反動で背けていた顔を、叩いた人物へ向けた。
そこには…双子の姉、千里がいた。
千里は涙で濡れた目で双子の妹を睨みつけ、怒りをあらわにさせていた。


「いい加減にしなさい…明日香……言って良い事と悪い事があるでしょう!!あなたの言っている事はただの言いがかりだわ!!!なぜあなたはそうやって彩羽さんを傷つける事しかできないの!!なぜ少しは彩羽さんを見てあげないの!!彩羽さんも初音さんを亡くされた被害者なのよ!!少しは優しさというものを持てないの!?」


千里は明日香には何度も注意していた。
それでも明日香は彩羽への態度を考え直さず敵視し、そしてついに爆発した。
千里は確かに初音の事を嫌っていたが、娘の彩羽まで嫌いにはなれなかった。
舞踊の才能もあった。
だが、それ以前に彩羽が千里に何かをしたでもなく、母親とは違い周りに迷惑をかけるような少女ではないのに気付いたからだ。
しかし明日香は初音への嫌悪、そして舞踊への嫉妬で目を曇らせ頑なに彩羽を見ようとはしない。
だから蓮を殺したのだと言いがかりを向けれるのだろう。
千里も明日香を止めることができなかった責任を感じていたのもあった。
頬を叩かれ、更には彩羽を庇う双子の片割れに明日香は冷静になるよりも頭に血を上らせる。


「どうして…なんで彩羽ばかり…!!千里も知ってるでしょ!こいつが来てからこの家は可笑しくなったのよ!!お母さまが死んでお父様はすぐにあの女を後妻に受け入れて!!あの女の思い通りに好き放題させて!!こいつばかり可愛がって!!あの優しかったお父様が変わったのはこいつのせいよ!!あのお父様が蓮ではなくあの女の息子に家督を継がせるなんて言う訳ないもの!!こいつが殺したに違いないわ!!」

「あなたはまた…!」


反省もなくさらに彩羽を責める明日香に千里はまた手を上げようとした。
明日香も負け時と対抗しようとするも警察達に押さえつけられているため身動きができなかった。
また乾いた音が響く…と思ったその時―――


「―――私だって殺してやりたかったわよ!!!」


彩羽の叫び声が響いた。
彩羽の言葉に千里と明日香だけではなく、警察、金田一達、明智、使用人たちは驚いたように絶句し彩羽を見つめた。
今、彩羽は『殺してやりたかった』と叫んだではないか?…全員が呆気に取られながらそう思う。
彩羽は守ってくれている明智に抱きしめられながら、俯いていた顔を上げる。
顔を上げた彩羽は涙を浮かべ、そして憎悪に染まった目で明日香を睨んだ。
その目に明日香はぞっと背筋を凍らせる。
どんなに責めるような言葉を浴びせても睨むことはあってもここまで憎悪に染まった目で見られた事はなかったため、怯えたのだ。
そんな明日香をよそに彩羽は叫び続けた。


「あんな男この手で殺せるなら殺してやりたかった!!!あんなやつ死んで当然だわ!!!」


『あんな男』『あんなやつ』、とは恐らく義父である巴川修蔵だろう。
修蔵はすでに亡くなっており、それは事故死と片付けられているため今回の事件とは無関係だった。
明智は彩羽が修蔵も嫌っているのを知っていたが、殺してやりたいと思う程嫌っているとは思っていなかった。
信じられないと言わんばかりに明智は彩羽を見つめる。


「彩羽…あの人に何をされた…」


彩羽が理由もなく人を嫌う人間ではないのは明智が良く知っている。
では、修蔵に何かされたと考え、彩羽に問う。
大人しい彩羽の豹変に誰もが黙り込む中、彩羽は明智の問いにチラリと明日香から明智へ目線を移した後、すぐに俯く。


「………レイプ…された…」


ポツリと呟かれた小さな声だったが、静まり返っている部屋には十分聞こえるほど大きく聞こえた。
彩羽の呟きに金田一達や警察達は言葉もなく目を丸くさせ、高遠はピクリと指が動いただけの反応を見せた。


「嘘よ…嘘よそんな…お父様が…あんたに乱暴したなんて……ッ嘘つかないで本当の事を言いなさい!」


やはり、一番信じてもらえないのはこの屋敷の人間だった。
巴川修蔵は厳しいが、子供に乱暴するような人間ではないのは、ずっと身近に見ていた明日香と千里が分かっており、そしてずっと仕えていた竹蔵と南達使用人が知っている。
逆上した明日香はまた彩羽に向かおうとするが、傍にいた警察に止められた。
今度は先ほどより理性が残っているからか止めるのは簡単だった。
千里は言葉を失くして唖然と彩羽を見つめていた。
喚く明日香に彩羽は小さく笑う。


「嘘ならどんなによかったんだろう…あの男は9歳の私に手を出したのよ…あいつが死ぬまでずっと私はレイプされ続けた……9歳だよ?9歳…!普通9歳の子供に勃つ?でもあいつは勃ったんだよ!それを嫌がる私に挿れた!!!ねえどんなに痛かったあんたには分かる!?どんなに辛かったあんたには分かるの!?抵抗すれば押さえつけられ上から覆いかぶされる恐怖をあんたに分かるっていうの!?」

「嘘に決まってるわ!本当ならなんで助けを求めなかったの!?助けてって言えば済む話じゃない!!私達はあんたから助けてなんて言われた事はなかったわ!!それはあんたが作り話をしているからでしょ!!!」

「―――助けてって言ったってあんた達は私を助けてくれなかったじゃない!!!」

「…っ!」


明日香に噛みつくよう彩羽は顔を上げ、怒りをあらわにして睨みつけた。
修蔵は彩羽に手を出した。
それも後妻と共に来たばかりの9歳の子供を、だ。
修蔵は小さな子供を性的に見る特殊な性癖を持っており、初音と結婚したのも彩羽が目的だった。
しかし一つ屋根の下で暮らしているのだから助けを求めなくてもいつかバレるはず…と思うだろう。
だが、修蔵は上手く隠し、修蔵が死ぬまでずっと彩羽の性的虐待は続けられていた。
だが明日香は信じなかった。
明日香達から見た父である修蔵は厳しいが優しい父だったのだ。
修蔵も我が子には性的興奮しなかったのか、明日香と千里には手を出さなかった。
だから彩羽が選ばれたのだ。
明日香は『なぜ助けを求めなかったのか』と問う。
そして彩羽は答えた。


「もしも私が助けてって言ってもあんた達は無視したでしょ!あんた達からしたら私は邪魔だから私がどんな目に合っても興味すら持たなかったでしょ!!むしろあんた達を喜ばすだけだわ!!そんな奴らに助けを求めるほど私は馬鹿じゃない!!」


その言葉に明日香は黙り込み、使用人たちも彩羽から目を逸らす。
彩羽の言う通り巴川家の人間は彩羽からのSOSに気付きながらも無視していただろう。
理由は簡単だ。
彩羽が邪魔だから。
彩羽が気に入らないから。
誰もが彩羽の言葉に言い返せなかった。


「なら…どうして…私には言わなかった…」


明日香でさえ言葉が返せず黙り込んでいたが、静かに明智が零す。
その声は震えており、明智がどれほど衝撃を受けたか物語っていた。
彩羽は明智の問いに怒りをあらわにしていた表情をくしゃりと泣きそうに顰め、俯いた。


「言える、わけ…ないじゃない……兄さんにだけには知られたくなかったんだもの……どうしても…言えなかった…」

「彩羽…っ」


明智は絶句した。
言葉を失った。
声すら出なかった。
驚きの感情が最初に現れた後、すぐに驚きが怒りへ変わった。
その怒りは修蔵へ、そして隠していた彩羽へ…しかし、一番の怒りの矛先はそれに気付かずのうのうと巴川家に彩羽を預けていた自分にだ。
ぽつりと彩羽の瞳から涙が零れ床に落ちる。
彩羽は明智にだけは知られたくなかった。
唯一無条件に甘えられる彼を失うのが怖かったのだ。
明智は彩羽の言葉に彩羽を抱きしめた。


「私…20歳になったら就職してこの家を出てってやるって思った…あんな奴にずっと汚されるくらいなら貧しくなってもいい…一人でも生きてやるって……あいつは死んで当然の人間よ…でも…!私はあいつよりもお母さんを一番殺してやりたかった!!」


明智に抱きしめられながら彩羽は続けた。
明智には20歳になっても家を出れないと言ったが、あれは本音でもなかったが、嘘でもなかった。
正直20歳になって家を出るのも考えたが、初音に連れ戻されるのだと思って考えていたが実行に移す気はなかった。
だけど英二が現れ、彼の存在に彩羽は救われた。
勇気を与えてくれた。
母が死んでしまったことで、彩羽はこの家にいる理由はなくなった。
しかし、彩羽の言葉にその場にいた全員が驚愕させた。
彩羽は母を殺してやりたいと言ったのだ。
母親を。
血の繋がりがないとはいえ、母親を、だ。
下手をすれば自供だと思われてしまう。


「なぜ…初音さんを…」


それまで父の本性にショックで言葉を失っていた千里がポツリと呟いた。
血が繋がりがないのは知っているし、彩羽も初音にキツク当てられていたため少なくとも好いてはいないとは分かっていた。
だけど初音は怒鳴り散らす事はあっても決して人に対して暴力を振るうような人間ではなかった。
精神的に追い詰めるなんて事は一切しない人だった。
初音の事は嫌いではあったが、殺したいほど憎いと思った事はない。
それはきっと彩羽の方が強いのだと思っていた。
千里は普通の人間故に、母親である初音を殺したいほど憎む彼女の感情が理解できなかった。
そんな千里の呟きに彩羽はギリ、と歯を噛みしめ先ほどよりも憎しみを籠った目で千里を見抜いた。


「あの人はお父さんを殺した!!だからあの人は私の手で殺したかった!!」


その言葉に千里は彩羽の言葉に目を丸くする。
それは千里だけではなく、部屋にいる全員…否、明智以外の全員が驚いた表情を浮かべた。


「オバさんがオジさんを殺した…?」

「で、でも…おじ様は病死なんじゃ…お母さんもおじ様は心臓発作って…」


彩羽の両親を知っている金田一と美雪が唖然と呟く。
2人の両親からも彩羽の父親は心臓発作で死んだと聞いていたため、彩羽の言葉が誰よりも信じられなかった。


「心臓発作なのは本当…お父さんは心臓が生まれつき弱くて…薬を飲まなきゃいけないほどだった……でも…お父さんは自分の事は無頓着で…だからいつも人に注意されて何とか毎日飲んでる感じだった…」


彩羽の養父、そして明智の叔父は生まれつき心臓に病を持って生まれた。
薬も年齢を重ねるごとに増えていった。
彩羽の父は周りに気を配れる人ではあったが、自分の事は無頓着だった。
服も全て母親や初音に任せていたし、食べる物だって好き嫌いはない。
だけどだからといって家族に無関心というわけではなかった。
ちゃんと休みの日には家族サービスしていたし、初音の料理を美味しいと褒めていた。
ただ父は自分に興味がないだけだった。
そのため薬を飲み忘れる事も多々あり、それで一度死にかけたらしいので、母がそれ以来確認をとる様にしていたらしい。
そんな母を真似てか彩羽も父に確認するようになり、父が薬の飲み忘れをすることは少なくなっていった。
だけど…彩羽が明智家へ養子に迎え入れられて5年ほど経った頃、父は心臓発作を起こし倒れた。


「…あの日…お父さんが死んでしまった日…お父さんは心臓発作を起こして倒れてしまった…その時まだ9歳の子供だったけど…あの時の事ははっきりと覚えてる…ううん…忘れられるわけがない…お父さんの苦しそうな顔や声を忘れれるわけがない…!」


まだ9歳だった彩羽でも父が死ぬ姿をはっきりと覚えていた。
自分達に助けを求める声、苦しそうに零す声、そして苦しさのあまり歪む顔…全て頭の中に入り込んで消えないでいた。


「私は救急車を呼ぼうとした…お父さんが苦しんでるから助けてってお医者さんに言いたかった!!でも…あの人がそれを許さなかった……あの人は…―――お母さんは私から電話を取り上げて…黙ってお父さんが死んでいくのを見ていただけだった!!!」


子供ながらに救急車を呼ばなくてはと思った。
父が病気なのは子供だった彩羽も知っていたから、その病気を抑えるために病院に行かなければと思った。
救急車を呼ぼうと母に言うがなぜか母は動かず父をじっと見つめるだけ。
仕方なく自分が救急車を呼ぼうとしたが、それに気づいた母が電話を取り上げてしまい、更には外に出て助けを呼ばないよう彩羽を抱きしめ、大声を出さないよう彩羽の口を塞いだ。
勿論父の危機に暴れる娘を母親は大人の力で抑え込み、そして―――父は息を引き取った。
母が救急車を呼んだのは父が心肺停止になってからだった。


「あの人は駆け付けた救急隊員にこう言ったのよ…『気付いた時にはすでに夫は息をしていなかった』とね…お葬式の時だって普段の時だってあの人は見事『最愛の夫を亡くした可哀想な未亡人』を演じたわ…」

「なんで警察に言わなかったのよ…」


明日香はここまで感情的になった彩羽を見るのは初めてだった。
あの汚い人形を捨てられた時も子供のように泣いて母を責めたが、ここまで激情を見たのは初めてだった。
いつもどんなに罵ろうと腹をたてられた事は何度もあったが、普段は大人しいお嬢様だった。
しかしそれは彩羽が演じていたにすぎないと今気づく。
本来の彩羽は母を恨み、義父を恨む、恐ろしい心を持つ少女だったのだ。
明日香の言葉に彩羽は鼻で笑う。


「物的証拠がなきゃ捜査すら出来ないと言われた…そもそもたった9歳の子供の言う事を警察は信じる事すらしなかったわ…」


もう顔を覚えていないが、母の隙をついて警察に父は母に殺されたのだと訴えたが、軽くあしらわれ帰された。
結局父は病死と判断されてしまい、その後初音は彩羽を連れて巴川家へ嫁いだ。
彩羽はその時思ったのだ。
裁く人間がいないのなら、自分が裁こう…と。
彩羽はその時の警察の対応や父を救えなかった悔しさに拳を握り顔を顰める。


「あの人にとって夫なんてただの飾りに過ぎなかったのよ…お父さんと結婚したのだって自分が贅沢するために結婚したのよ…!!だからあの人はお父さんを捨てる事が出来た…!だから今度は私があの人を捨てようって…この手で殺してやろうって思ってた!!それなのに……なんで…っ!」


ぽた、と涙が溢れ零れる。
彩羽は耐えきれず顔を覆って泣き崩れ、そんな彩羽を明智は抱きしめた。


「彩羽…もういいんだ…初音さんは亡くなった…彩羽が罪を背負わなくてすんでよかったんだ…」

「…っ」


ずっと心の中だけに仕舞いこんでいた想いを吐き出し、彩羽は涙が止まらなかった。
全てを吐き出した従妹に明智は頭を撫で慰めの言葉をかける。
その言葉で彩羽の傷ついた心が癒されるわけがないと明智も知っているが、言わないでおくことはできなかった。
一番苦しんでいたのは彩羽だったのだ。
母の裏切り、義父からの暴力…彩羽は精神的にも肉体的にも長い間苦しんできた。
明智に縋って泣く彩羽の頭を撫でてやりながら、明智は猪川へ顔を上げる。


「すみませんが彩羽を休ませたいんです…退室していいでしょうか」

「…詳しい話は明日聞きに行きます…ただ、申し訳ないですが見張りを置かせてもらいますよ」

「な…!彩羽が犯人だって言いたいのか!?」

「いいんです、金田一君…今の話を聞いて彩羽を疑うのは至極自然の事です…猪川警部の判断は十分厚情的です」


明智の言葉に猪川はちらりと明智の腕の中にいる彩羽を見た。
衰弱、とまではいかないが、精神的に参っていると見て分かるほど弱っており、流石にそんな相手に事情聴取をするのは心が痛まれるし、問題になる。
明智の言葉を猪川は受け入れた。
ただし、見張りは必須となり、部屋から出るのは禁じた。
その扱いはあきらかに彩羽を疑っているとしか言いようがなく、金田一が抗議するもそれを明智が制止した。
同じ警察の人間として、猪川のこの対応は十分すぎるほど優遇されている。
本来なら連れていかれても可笑しくはないのだ。
明智は不満そうな金田一と、配慮してくれた猪川にお礼を言い、彩羽を連れて部屋を出て行った。

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