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「よう、やってるか?」
 気さくに声をかけてきた騎士団長に背を正して礼をした。
「はい、おかげさまで」
 声の主であるディランはそう聞くと満足そうに笑った後、精が出るねえと労ってくれた。

 私は記憶喪失で身元が不明のままだった。
 冒険家ギルドに掛け合ってもらったのに行方不明者に該当する人物はおらず、持ち物から地域や国を特定することも出来なかった。かろうじて服装が軽装だったため、雪国にいたわけではないだろう……ということが予想されるくらいで、何も捜査が進んでいなかったのだ。
 身元不明で働き口もなかった私は――監視という名目もあるだろうが――アレス騎士団の下っ端として働かせて貰っていた。腕の立つものは存分には働いて貰う、という実力主義の組織だったおかげで私は働き始めてすぐに魔物の討伐任務にも駆り出されたが、お陰様で充実した日々を送っている。騎士団の女性専用宿舎に部屋をもらったおかげで明日の我が身の心配をしなくても良くなったのだ。
 それもこれも、アレス王国が温和で暖かい国だったからに違いない。

 そんな全てを手配してくれたであろう大恩人のディランは、なんとこのアレス王国の王子だということを私は知らされた。
 最初は知らなかったのか、と周囲に驚かれてしまったけれど、何も説明せずに話をさっさと進めていったディランに責任を求めたいところではある。
 ……いや、してもらったことはありがたすぎて、そんなことで文句を言ってはいけないのだけれど。

 自分のことは全然話さない彼は背筋を正した私があまり気に食わないらしい。
「そんな堅っ苦しい感じだと、馴染むのに苦労するぞ」
 なんて軽口を叩いてくるけれど、仮にも“騎士団”と名乗るからには王家への忠誠心を持ち礼儀正しくするのは自然ではないかと思う。そう指摘すれば「だからそんな細けえこと気にすんなって!」と言ってくるのだ。彼にとっては細かいことらしい。初対面の剛気な勢いを損なわない彼を内心尊敬しながらも、もう少し王子らしく振る舞ってみてはどうか、と考えている自分がいた。

 あれから調子はどうなんだ、あいつ大酒飲みだっただろ、宿舎で困っていることはないか……等世間話をした後に、本題を切り出された。

「……やっぱり何も思い出せないか」
「そうですね……実は何も思い出せないままで。申し訳ないです。みなさんよくしてくださっているのに……」
「そうか……まあ、急いでも仕方ない。のんびりいこう。急いだからって解決する問題でもないだろうからな」
「仰る通りで」

 そう答えると、ディランはう〜んと(うな)りながら腕を組んで考え込んだ。
「お前……ちょっと、俺に対してよそよそしくないか?」
「えっ」
 気のいい彼のことだ、もっと気さくに話しかけていこいとは以前から言われていたが、まさかここまで直球にくるとは思わなかった。今はオフの休み時間とはいえ、彼は私が忠誠を誓う王族であり、仮にも上司でもある。よそよそしくならない方が難しいと思うのだが……

「ディランさん、じゃなくてディランで良いぞ。さん付けなんて違和感があるし、俺は少なくとも気にしない」
「そ、そう言われましても」
「まあ、無理にとは言わないが……あんたにも話しやすい話し方があるだろうし」

 食い下がられると申し訳なくなってしまった。

「じゃ……じゃあディランで、仕事中じゃない時はそう呼ぶよ」
 そうおずおずと申し出れば、彼は嬉しそうに笑った。


「ディランさん……ディランって、ずっと私を初対面で泣かせたことを気にしてる?」
「いや! そんなことは……あるかな」
「あるよね」
 なんとなくそんな気はしていたんだ、と零すと彼は決まり悪そうに表情を緩めた。
「いや、気にするだろ実際。知らない相手を泣かせたんだぞ!?」
「ですよね〜いや、本当になんで泣いたのか分からなくって……」
「俺はもっと分からん、当事者じゃないからな」
 そう言い切るディランは見ていて気持ちが良いくらいだった。
 彼はあの後何度も「泣かせてしまったほど、自分は怖がらせてしまったのではないか」と私に尋ねては「そうか、気にしていないんなら良いんだが……」と繰り返して、なんだか煮え切らないという反応をしていた。結局そのことを一番気にしていたのも彼自身だったということに、誠実であるということを通り越して、この男は非常に堅物なのではないかと思わざるをえなかった。
 今回の呼び捨てでいい、も自分が怖がらせてしまっているのならその怖さを払拭してより良い関係を築きたいという彼なりの想いがあったからなのかもしれない。

「悪かった、いきなり泣かせて。あの時も謝ったけど……やっぱ、俺の言い方が悪かったと思ってさ。ずっと正面から謝りたかったんだ。レナはあの時アレスに来たばっかりで、周りも見知らぬ人間に囲まれて記憶もなくて……不安で仕方なかったはずなのに、俺はあの態度だった。もっと気遣って……そうじゃなくたって、もっと真剣に話を聞いてやれたはずなんだ。レナが何か思い出したなら……原因が判ったら改めてちゃんと謝っておく必要があると思っていたが、そうじゃないってことだから今謝らせてくれ。申し訳なかった」
 だから今日は記憶を取り戻したのか、とわざわざ尋ねにきてくれたらしい。ディランは本当に誠実というか……愚直なくらい芯を通そうとする人なのだなあと感じた。

「ありがとうございます……でも、ディランに怖くて泣かされたっていうのは全部ディランの誤解かもしれないよ?」
「……えっ?」

「だって、本当は“私がディランに会えて涙が出るほど嬉しかったから”っていう可能性もあるでしょ?」

 そう言うと、風船が弾け飛ぶような勢いで彼は笑い出した。腹を抱えて“その答えは想像していなかった“ということを全身で表してから「ああおかしい」と言って笑い続けるものだから、そんなにおかしいことを言っただろうかと不安になった。


「いいなそれ、まるで運命の相手と再会した……なんて、おとぎ話みたいな話じゃないか」
「ああ……確かに!」
 そういう捉え方をされたのか〜〜と納得しながらも、ディランは意外と夢みがちな性格なのかもしれないと私の中で彼に新たなレッテルが貼られた。


「本当は小さい頃に出会っていて、久しぶりに再会したらお互い忘れていた。運命の相手だったとか」
「三歳ぐらいで花畑で出会って、結婚の約束をしていたとか」
「実は親同士が決めていた許婚だったとか……」

「いいなそれ、絵本の中の話みたいだ。旅芸人が歌ってそうな内容だ! まあ俺はそういうの、あんまり興味ないんだよ。本って貴重だし……でもノエルはそういうの詳しいんだぜ! すごいよな」


「ディランってすぐに弟自慢に切り替わるよね」
「そりゃそうだよ、なんてったって、自慢の弟たちだ!」

 晴れ晴れとした表情で笑う彼は、太陽のもとで一際輝いて見えた。
 
「まあ実際、幼馴染だったかもしれない、なんて言われたところで実感はないし。たとえ過去がどうであったとしても、お前はお前だろう?」
「というと?」
「レナの働きは、他の騎士たちから聞いてるってことさ」

 同じ隊の騎士からレナは困っていたら助けてくれた、子供が転んでいたところに声をかけていた、レナの前で調子が悪いと世間話をしたらレナは真剣な顔で心配してくれた……そう言った口コミを聞いたのだとディランは説明してくれた。

「私の小さな言葉掛けって……ちゃんと届いていたんですね」
「そうだよ、自信を持て!」

 力強い励ましに、私は誇らしくなった。当たり前の声かけをしてきたつもりだったけれど、それが誰かの心に届いていたのでディランの耳にも届くことになったのだろう。そのことが嬉しかった。……し、そのような評判をディランは同様に嬉しく思っていてくれたのだ。私が周囲に馴染めていると安心し、いい奴だったのだと安堵し、自分が世話係の一端を担っている人間が少しずつ元気になる様子を嬉しく思っていたのだろう。
 その言葉を伝えてくれるディラン自身がどうして人に好かれ慕われるのか、私にはよくわかった。
 ディランはとても魅力的で、紳士的な人物だ。思わず目に入れて焼き付けてしまうような苛烈さと情熱を持ち合わせている。

「俺はさ……お前が記憶を取り戻しても何かが変わるとは思えない。お前は多分、記憶を取り戻す前からイイヤツだって俺は直感してる! 俺の直感だ、信じていい」
 自信満々の言葉に思わず噴き出すと笑うなよ、と鋭く制される。

「記憶がないことを不安に思わなくても、ちゃんとアレスは居場所になってくれるよって……ディランはわざわざ心配して励ましに来てくれたの?」
「は!?」

「そうだよ、ディラン兄ずっと心配しててさ。レナさんを泣かせちゃったの、よっぽどショックだったみたいで」
「そうだぞ、おなごと二人きりで密談など羨ましすぎて……ぶっ」
「落ち着いてヴィシャス兄、色々忘れそうになるから!」

 木陰からきっちり一部始終――いや、全てを覗いていたらしい二人が顔を出してそう告げるもので、私はおかしくなって大爆笑した。
「お前ら〜〜〜〜、いつの間に〜〜!!」
「最初からいたのに気が付かなかった浮かれたたぬきは誰だよ」
「兄貴のことをたぬき呼ばわり!? いや、星たぬきは可愛いからノエルは褒め言葉のつもりか……?」
「おい浮かれバカ兄、ちょっと前向きすぎるだろ!」
「お〜〜よしよし、可愛いお兄ちゃんだよノエル」
「可愛くないし気持ち悪い……」
「そんな……!! なんで俺勝手にショック受けてるんだ」
「知らん」

 思わず心配で飛び出してきてしまった兄弟たちを見ながら、ああいいなあアレスという場所はと思った。いや、そんな価値観はすごく能天気なのかもしれない。

「僕もノエルで良いからね、困ったことがあったらいつでも言ってね」
「なっ……!! 抜け駆けはずるい、俺のこともヴィシャスで良いぞ……」
「妙な顔すんなヴィシャス」

 私は確かに記憶がないし、名前しか覚えていないけれど。
 そんな私を心配して居場所を作ろうとしてくれる人がいる。
 できるだけ暖かく幸せな日常を過ごしてほしいと願ってくれる人がいる。
 国民の幸せを願うという意味では王子としての仕事のようなものかもしれないけれど、ディランたちはあくまでも私の様子を見て考えて行動してくれているのだ。だからこそ、こんなにきめ細やかな行動が出来るし、彼らは私が色々なことを気負いすぎずに生活できるように最大限に配慮してくれている。

 当たり前の親切なのかもしれない。
 でもその当たり前の親切はお日様のように明るくて、とてつもなく心地よくて。

 ずっとこのまま幸せが続けば良いと、本気で思っていたのだ。

 思っていたのに。




 ……これが、アレス王国を語るのに必要な話の一部である。





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