アレス王国とはどのようになったのか、そう語るにはこの話も必要だろう。
ある日、アレス王国は魔獣の侵攻を受けて滅びた。
魔獣の群れと呼ぶには統制されすぎた一つの大きな軍隊、一つの大きな命、そういったものを相手にして王国は倒れたのだ。
だからこの話をする前に、一度確認しておこうと思う。あくまでも、この世界の全ての知識や研究を知っているわけではないし、今後もっと研究が進むことで変わっていくこともあるだろうけれど、魔獣に対する一般知識はこうだ。
魔獣とは別名魔物とも呼ばれ、世界中でその姿を確認されている。凶暴化した動物のような姿から液体やスライムのような形がよくわからないものも含め様々なものが存在する。魔獣は通りがかりの人間を襲い、一般市民に危害を加えるものが多くそう呼ばれ、害あるものは討伐対象となっているが、生態系を成しているわけでもなく極端な討伐で種が絶滅したなどの報告もない。放っていたらいつまでも湧いて出てくる、そんなものだ。とはいえ、魔獣も全てが害あるものではなく、こちらが攻撃しなければ何もない大人しいもの、討伐の必要性がないもの、果てには人間社会と共存しているものもいる。
こうした魔獣はアレスであれば騎士団のような自国の軍が、軍備を持たない地域であれば冒険家ギルドに依頼して討伐を代行してもらうことが多い。いずれにしろ、この魔獣の被害というのは世界共通の問題としてよく挙げられる話題だ。
アレスは普段から自国で魔獣に対処しきれる力はあったし、それで何年も国は倒れずに存続していたのだ。十分なノウハウがあった。それに、自画自賛になるけれどアレスの騎士団は練度が高い戦士が多く、他国の軍よりも数で劣ることはあっても力で劣ることはない精鋭部隊だった。
そんなアレスですら、“魔獣の大侵攻によって”倒れることがあるし、それが少し不可解な点はあっても「まあ、そんなこともあるか」と他国から妥当な話だとされるほどに魔獣の被害は世界的に多い。魔獣へ対処する際に同盟国の力を借りることもあるほどだ。
いつも大丈夫だからと決して軽視していい問題ではない。
騎士団は油断せずに取り組んでいたのだ。
しかし、それはあまりにも突然訪れた。
「魔獣の群れだ! 総員指定の位置へ!」
「住民の避難を優先! 門を閉じろ、急げ、はやく!!」
「団長を呼べ! 国王の警護につけ!」
「ルーン砲の使用許可を!」
阿鼻叫喚と共に混沌としていく現場。
火急の現場だというだけで、訓練通りに進められていっているはずなのに全員が“今日は何かが違う”と感じ、冷や汗が出ていた。
「負傷者の手当てを!」
「前線を下げます! 第一線放棄、総員すぐに退避しろ!!」
「救護班が間に合いません!!」
そんな中で怒号のような大声をかき分けて、私は進んで行った。
「ディラン様、応援に来ました!」
「レナか、俺の左後ろにいろ、死角からの支援を頼む」
「はい!」
勇んで返事をした私は、ディランの脇についた。
大型の魔獣でなければ私に一人の力でも防ぐことが出来る。だからいないよりマシだ。
それに、ディランは騎士団長である以前にアレスの王子だ。王族を守らなければ、今のアレスは立ち行かなくなってしまう。たとえ自分が命を投げ出してでも、なんとしてでも、ディランのことは守ってみせる。
そんな覚悟が彼の周囲の騎士にはあったけれど、当時ディランは気がついていたのだろうか。
いや、気がつくほどの余裕もなければ、そんなことを考えもしなかっただろう。
彼にとって命の重さは平等で、同じ釜の飯を食べた騎士たちは皆彼にとっては家族同然だったからだ。
頭ではノエルを生かさなければ、兄としてヴィシャスを守らなくては、王を守らなくては、でも最優先すべきはノエルの命だと考えていただろう。そこまで馬鹿ではない。
でも、彼は目の前の傷ついた騎士が「自分のことは見捨てろ」と言って、すまないと断ってから駆け抜けたとして、一生その騎士の顔を忘れることが出来ない人間なのだ。
やはり、彼がいつの日か言っていたように、彼は“王の器“ではない。ノエルがより適任なのだ、という話ではなく、彼は(本人が自覚している通り)王に向いていない。
彼はその優しさと想いの強さによって、己を苦しめてしまう人間だろうと私は思っていた。
彼は他人の犠牲を割り切って進めるほど、合理的な人間には思えなかったのだ。
だから私が駆けつけた時だって、きっと「自分を守りにきた」と思うよりも先に「レナが生きていてよかった、一目見た限りでは大きな怪我もなさそうだ。俺の目の届く範囲にいれば俺が守ってやれるし、戦闘に参加して貰えば自分と周囲の部下も楽になる。頼りになる仲間が増えた」と思ったのだろうなあと感じた。
それほどディランの「レナか」という一言目は“安堵”に溢れていたのだ。
ディラン・アレスが部下を弾除けだとは思っていないことなど、その場にいる全員が知っていた。
「なあ」
「はい!」
「ちょっと、様子がおかしいよな?」
ディランの曖昧な問いに私は「そうですね」と頷いた。
基本的に、魔獣はあまり高い知性を持ち合わせず、群れを成さない。
単独で発生する自然現象だと捉えた方が的確だろう。単体で発生する小さな災害だからこそ、魔獣が群生しやすい地域はあまり発展しないし、逆に魔獣の出現率が一定水準で低い地域では人が過ごしやすく大きな街も多い。
しかしその時は違った、アレスを襲った魔獣の群れは一つの知性体のごとく、個の意志を持って統率されていた。それ自体が類を見ない異常事態だった。
「正直……魔獣の動きが固まりすぎてる。軍隊といっても差し支えない」
魔獣との意思疎通は例外を除いて、基本的には存在しない。仮に、どこかの軍事国家が魔獣を敵国にけしかけることがあったとしても、檻に入れられて空腹だったライオンを檻から放つ程度の……物量や意思を持たぬものを一方的に押し付けることしか出来ない。
だから、そんな例え話はどこにも存在しないし、してはいけないのだ。もし、魔獣を意のままに操ることができたら、それは一つの国家と同じ戦力を持つことになる。
「こんなものは見たことも聞いたこともない」
ディランの驚嘆はぴったりと特異性を言い表していた。
「王城に後退しながら、進む! 負傷者の救護を……」
「ディラン様!」
私は強い言葉で言い含めた。
「もう……無理です……」
「……」
少しだけ間を置いてから、彼は「悪かった」と呟いた。
「だ……団長……」
「おい、死ぬな……! 死ぬなっ!」
彼は騎士一人一人の顔と名前を覚えていた。その背景にある慈しみを知っていた。彼らは共に戦う仲間であり、ディランは彼らの平和な日々を願う人間だった。
「ど、どうか生き……て……」
そしてそれを騎士も分かっていた。騎士の最後の言葉は残された者への祈りだった。
「くそぉっ!」
全てを飲み込むしかない。
「第三波、来るぞ!」
彼は騎士団長だ、戦場でより多くの命を救うために、最善の指揮をしなければならなかった。弔い、 悼むことを後回しにしなければならなかった。哀哭
「団長! 近衛から報告……! 王宮に魔獣が侵入しました!」
「なんだと……!?」
「ここは我らにお任せください! 団長は、陛下を……!」
「……死ぬなよ?」
「鷹のように強く、気高くあれ。我らアレス騎士団に負けはない――そうでしょう?」
「……ああ!」
歴戦の勇士の言葉にディランは強く頷いて、「王宮に行くぞ!」と指示を出した。