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 飛行機の離着陸はもう少しマシにならないかといつも思う。人の耳が重力を感じ取る構造であるかぎりはしかたがないのだろうか。

「スーシェン様、そろそろ見えるかと」
「ああ、もうそんな時間なんですか」
 
 軽く返事をしてアイマスクを取ると、確かに機内の様子を自分の目が映した。
 時計を見、飛行機が定刻通りだということを確認する。
 キャビンアテンダントがシートベルトをとっても構わない、と声をかけてくれたのでシートベルトを外し、機内を後にした。
 外に出て寒い、と感じた。やはりもと居た台湾支部より北に位置しているというだけのことはある。
 たしか、日本の中でも珍しい冷帯に位置していたはずだ。
 大きく、深呼吸をした。乾いた冷たい空気が肺に入ってきて、異国にやってきたのだと実感する。

「ようやく、逢えますね」

 スーシェンはフードを深くかぶりなおすと、入国審査を受け、待たせていた車に乗り込んだ。


 ***


「もう先輩! しっかりしてよね! スーシェンさんが来るの、今日なのよ!」
「あーはいはい」

 桐也は相変わらず適当に返事をするので、例のごとく雪梛は呆れていた。
 かれこれ八年近くともに過ごしているが、彼はちっとも変わらない気がする。
 やる気がなく面倒臭がりで、真面目さに欠けている。
 日本支部の書類整理だって、もう少し桐也が協力してくれたら雪梛の負担が減るのではないかと思う。

「せつなー、おれはおかたづけおわったぞ」
「おおよしよし! ロクえらい!」
「えへへ」

 雪梛が頭をなでてやるとロクは嬉しそうに笑った。
 桐也には真面目になるか、ロクのように純粋さを持って欲しいところだ。
 しかし、話したところで無駄だと雪梛にももう分かっていた。

「たいわんしぶからくる、スーシェンさんってどんな人だろうな?」

 ロクにそう言われて、雪梛も考えこむ。
 パパやロクと同じ「G.G.」に人体実験の道具として扱われていたというから、白髪でオッドアイだろう。
 パパとルイが帰国した後もまたスーシェンとはどんな人物なのか、スーシェンと面識があるルイに再度尋ねてみたらルイは面白くていい人だと褒めていた。

「私は会ったことないのよね。先輩はある?」
「……ないけど」

 それでもなんとなく、心配いらないという気がしてきた。

(ルイの言葉を信じよう、きっといい人だわ)

 雪梛がそんなことを考えていたら、来客を知らせるインターホンが鳴った。

『初めまして、今日訪ねることになっていたスーシェンです」

 明朗な若者の声に雪梛は解錠してドアを開けた。
 長身ですらりとした男が、フードを深くかぶったまま大荷物を抱えて立っていた。


 ***


「初めまして、日本支部長補佐の雪梛です。日本語、お上手ですね」
「ありがとうございます。貴女が雪梛さん……ルイくんから聞いていた通り、美しい方ですね」

 表情がよく分からないが、笑っているようだ。
 スーシェンはそんな気恥ずかしい台詞を言った後丁寧にお辞儀をした。

「荷物を運んでもいいですか?」
「ええ、二階の――」

 と雪梛が言いかけたところで、ロクが割って入ってきた。

「なあなあ、スーシェン、さん?」
「はい、スーシェンですよ。初めまして。君が……ロクくん?」

 おそらく、スーシェンは自分と同じ境遇を持つロクのことを聞いており、白髪でオッドアイという見た目からそう考えたのだろう。

「ああ、ロクだ! よろしくな」

 目をキラキラと輝かせる彼は、雪梛から自分と同じ境遇だと聞いていたスーシェンの来訪をよほど楽しみにしていたのだろう。
 雪梛は止めるのも野暮だと思い、ロクの頭をなで

「ロク、二階の部屋にスーシェンさんを案内してあげて」

 と頼んだ。ロクはとても明るい声で

「わかった! あんないするから、こっちだ!」

 とスーシェンの大きな手荷物をひとつ持ち上げると、階段を駆け上がって行った。
 スーシェンは笑い声を小さく漏らした後、優しい声で言った。

「元気なんですね。そしてとても素直だ」
「ええ、ほんとうにいい子なの」

 雪梛も少し自慢気にそう答える。

「少し、羨ましい気もしますね」

 スーシェンがフードを深くかぶっているので表情はよく分からなかったが、なんだか悲しそうな声だった。
 雪梛はスーシェンの事情もよく知らないままなので、なぜそんなことを言うのか分からなかった。

「はやく! こっちだぞ」

 ロクが頭の上にバッグを抱えたまま目の前でぴょんぴょん飛び跳ねる。
 スーシェンが追ってこなかったので心配になって戻ってきたのだろう。

「ごめんなさい。荷物が重たくはありませんか?」
「ぜんぜんへいきだぞ!」
「良かったです、ロクくんは力持ちなんですね」
「まあな!」

 スーシェンの問いかけに、ロクは陽気に答えた。その様子を見たスーシェンはすこい微笑むと、雪梛に会釈をした。

「雪梛さん、またあとで」
「ええ、また」

 スーシェンはロクの後ろについて行った。
 雪梛の目には、はやくはやくと急かすロクとそれを追いかける長身の青年が『不思議の国のアリス』に出てくる白ウサギとアリスのように見えた。




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