24

しおり一覧へ |しおりを挟む

 雪梛がリビングでの書類整理を終え、自室へ上がろうと階段を登ると、スーシェンの部屋の明かりが目についた。こんな夜遅くまで仕事だろうか、そう不思議に思って足を止める。そして引き返し、リビングでコーヒーをふたつ用意すると、それ持って部屋を訪ねた。
 扉をノックすると、中からどうぞと声が聞こえので、雪梛は中に入る。

「失礼するわね。明かりが見えたから、気になったんだけれど……精が出るわね」
「ええまあ。仕事をしないと、他の支部だからか……なんだか落ち着かなくて」

 雪梛がコーヒーを渡すと、スーシェンが礼を言って受け取った。
 スーシェンは何かの書類を整理しているようだ。PC画面に向かって、何かを真剣に叩いている。おそらくは、例の麻薬密売組織の件だろう。台湾支部への報告書類を作っているのかもしれない。
 雪梛は、スーシェンが夜遅くまで起きてやるような緊急性のある仕事を、それ以外に思いつかなかった。

「そうね、自分の家が一番だもの。ゆっくり慣れてくれればいいわ。スーくんの仕事がどのくらい進んでいるのかわからないけれど、長く滞在してくれても構わないのよ? むしろ、そのほうが助かるくらいだわ」
「ひどいなあ、結構進んでいるんですよ? ……って、そうなんですか? そう言っていただけると、僕も気が楽です」

 そう言ってスーシェンが微笑んだ。
 スーシェンが作業するデスクの横で立っていた雪梛に、スーシェンがベッドに腰掛けるよう勧めた。雪梛は特に警戒すること無く、勧められた場所に腰掛ける。

「ねえ、スーくん。今日の夕食は口にあったかしら?」

 雪梛は、何ともなしにお好み焼きの件を尋ねた。スーシェンは作業に区切りをつけるためか、短く返事をした後、長い間続きを言わなかった。

「もちろんです。韓国のチヂミに似ていました。とっても食べやすくて、美味しかったです」

 雪梛はその答えを聞いて、ほっと胸をなでおろした。

「良かった、スーくんの口に合わなかったら……と思って。心配していたの」
「ああ、気遣わせてしまって申し訳ないです。僕、居候のなのに……ありがとうございます」

 スーシェンは雪梛に礼儀正しく頭を下げる。
 その後はずっと会話がなかった。雪梛はスーシェンがコーヒーを飲み終わるタイミングを見計らい、マグカップを持って部屋を退室した。


 ***


「スーくん、お疲れ様」
「ああ、雪梛さん。ありがとうございます」

 こんな会話も日常になりつつある。
 スーシェンは毎晩遅くまで仕事をしているので、雪梛は自室に上がる際コーヒーを彼に差し入れる。彼がそれを飲み終わるまで部屋に居座り、世間話をする。そして、彼が飲み終わればそれを持って部屋から出て行く。それが繰り返されて、夜遅くに男性の部屋へ訪ねることへの警戒心が薄れてしまった。もともと薄かったのだ、スーシェンが女性に襲いかかるような野暮な人だと思えない、と雪梛は考えている。
 いつもはゆっくり、そつのない世間話をするのだが、ふと気になって雪梛は尋ねてみた。

「スーくんって、すごい能力じゃない? でもあんまり使わないのは、反動があるからよね?」
「ええ、そうですよ」

 雪梛の能力には存在しない、反動というもの。一部の能力者には能力を使うたびに、反動というものが生じる。反動が生じるほど高い能力を持つ人間は、雪梛が知っている限りは三人しかいない。カルマディオとロクとスーシェンだ。
 三人は共通して「G.G.」に拐われ、人体実験の道具にされていた。そして、そのような人間はまとめてナンバーズと呼ばれている。カルマディオであれば「2」、ロクは「6」、スーシェンは「4」と数字で呼ばれ、管理されていたからだ。
 ナンバーズは特に高い能力を持つ。雪梛、桐也、ルイの能力とは比べ物にならないほど広範囲で、強力なものだ。
 カルマディオの能力は「絶対破壊」と呼ばれるもので、ダイヤモンドであっても拳ひとつで砕いてしまう。彼にとって金庫破りなどたやすいもので、ダイヤモンドよりも固い特殊合金製であっても彼は壊すことが出来る。そんな彼の能力の反動は「能力を使うたび、単語をひとつ忘れてしまうこと」だ。
 単語をひとつ忘れるというのは、その単語が何を指し示しているものなのかということも同時に忘れてしまう。道具の名前を忘れた時などは可愛い方で、人名を忘れてしまった場合は悲惨だ。そして、一度忘れてしまったものをカルマディオはもう一度覚えることが出来ない。カルマディオは組織の人間のことを誰よりも大切に、本物の家族のように思っている。そんな彼にとって、何よりも大切な家族のことを忘れることは酷い仕打ちだ。その人間の姿形、思い出……たくさんのものを喪ってしまう。
 そのため、カルマディオは普段からダミーの消えてしまっても構わない単語を覚えるために、各国の言葉を勉強し、単語帳を欠かさず見ている。といっても、日本に来た時はあまりその様子を見なかったが。





prev | back | next
Atorium