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(目的がある。僕には、目的がある)

 ふと振り返れば、目の前で人が崩れる。彼はどうすることも出来ずに、立ち尽くし、状況をやっと飲み込んで、目の前の人物は死んでしまったんだと声がする。先ほどまで、自分のすぐそばで息をしていた人物は、今、たった今自分のために死んでしまったのだと理解する。

(僕は、僕は、僕は……)

 スーシェンはまたあの夢を見た。もう、夢の中で夢なのだと分かるほど、この悪夢にはかなり悩まされている。だから知っている。この悪夢はもう少し続くことを――この後、彼が血を吐いて、自分に逃げろと言うことを。
 しかし、夢は続かなかった。途中で、頭上から白い光が射して、夢は終わった。
 誰かの温かい手がスーシェンの頬を撫でた。彼は喪失感と絶望が混じった思い泥水をはねのける、美しい水に出逢ったような気がした。自然と涙が頬をつたい、美しい弧を描く。
 暗い世界は天蓋を開け、夜は終わったのだと呟いた。暖かで柔らかな光に包まれて、こぼれた涙はすうっと消えていく。


「スーくん! 起きて! 大丈夫!?」
「……せ、つなさん……」

 スーシェンが目を開けると、眼前には雪梛の顔があった。逆光で彼女の顔はよく見えないが、声色からしてかなり緊張しているようだ。緊迫した様子が伝わってくる。

「大丈夫ですよ……まだちょっと、頭ががんがん痛いですけど」
「そうなの? 本当に大丈夫なんでしょうね……お水持ってくるから待ってて」

 雪梛はそう言い残して、部屋から出来るだけ音を立てないようにすり足で出て行く。少しして、水が入ったグラスを片手にもって帰ってきた。スーシェンは彼女に差し出されたそれをおとなしく受け取ると、窮屈で何も通そうとしないような意固地な喉に、勢いをつけて水を流し込んだ。よほど汗をかいたらしく、喉はからからだったが水を一杯飲んでかなり落ち着いた。先ほどまで早鐘を打っていた彼の心臓が、平常時の落ち着きを取り戻しつつあった。


 ***


 そんなスーシェンの様子にほっとしたのか、雪梛が彼の部屋にいた事情を話し始めた。

「ごめんなさい。一階で仕事を終えて、部屋に戻ろうと通りがかったら……ドアが開いていて、中からスーくんのうなされる声が聞こえたから、気になって入ってきてしまったの」

 雪梛がそう言うと、スーシェンは頭を抱えて、ははっと乾いた笑い声を漏らした。いつもの作り笑いやにやりとわざとらしく笑う様子とは明らかにかけ離れており、これが彼の素なのだろうな、と雪梛は考えた。

「うなされていましたか……そうですか。起こしてくださって、ありがとうございます。昔の出来事を……思い出して、夢で見たんです。それでうなされていました」

 水を飲んで少し回復したとはいえ、彼の顔は青白い。普段から白い肌が、さらに青白い。それほど気分の悪くなる夢を見たのだろうか。彼の肩は息をするたびに上下している。とても辛そうだ。白い髪ががくりとうなだれ、彼の表情は声色からしか伺うことが出来ない。

「ははっ……この夢には慣れっこですよ。大丈夫です。大丈夫です」
「とても、『大丈夫』には見えないわよ。嘘がいっそ気もちいいくらいよ」

 雪梛が低い声でそう言うと、スーシェンはベッドの脇まで移動し、足を床に投げ出すようにしてベッドの上に寝転んだ。

「私、あんまりオカルトちっくなものって信じていないんだけど……えっと、悪夢って人に話せば真にはならないそうよ。なんていうかその、私で良ければ聞くわよ……?」
「うわあ、ありがとうございます。あはは……。こうなりゃもう、ヤケクソですよ。ヤケクソ」

 スーシェンはそう言って、諦めたようにぽつりぽつりと話し始めた。




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Atorium