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 覚えている限り、スーシェンの一番古い記憶は、狭い銀色の壁に囲まれた部屋で、あれを見ろ、これはなんだ、と中国語で言われ、何もない水晶を覗くように言われて、答えを急かされたこと。スーシェンNo.4(ナンバーフォー)と呼ばれ、人体実験の材料にされていたのは中国にある「G.G.」のアジトだった。

『これが読めるか?』

 目の前に出された封筒の中には、どこかの国の文字が書かれている。絵のような、見たことがない文字だった。

『読めるけど、意味は分からない』

 スーシェンがそう答えると、部屋の隅で控えていた男がペンをバインダーの上で走らせた。何か記録をとっているのだろうか。何度も何度もそのようなやりとりが繰り返された後、スーシェンは開放され、与えられた部屋に押し込まれた。硬い材質のベッドに身を放り投げて、彼はため息をついた。
 死んでしまいたい。こんなに辛いのなら、死んだ方がマシだ。
 幾度と無くそういうことを考えるが、それでも自分が行きている理由がスーシェンには分からなかった。どうして自分は、監視の目をかいくぐり、舌を噛んで死んでしまわないのだろうか。どうして自分は、死ぬことが出来るのに毎日「生きる」ことを選んでいるのだろうか。
 そうやって、ごろりと横になって考えているうちに、答えが浮かぶ。

(僕は、生きる希望なんてないって分かっていながらも、それを探している。ないのにって思いながらも、僕はそれがどこかにあると……思いたいから。死なないのかな。絶望しかないはずなのに、信じていればいつか救われるかもしれないと、思っているのかな)

 そこまで考えがいたり、自身を嘲(あざ)笑う。

(違う。本当は、死んでしまうことが怖いだけだ)

 それほど、彼の心は廃(は)てていた。何もかもを、壊してしまうたいと思うほどには。

『No.4、食事を持ってきたぞ』

 そういって彼の部屋に食事を運んできたのは、新入りの若い男だった。闇の組織に従事しているようにはとても見えない、清潔感がある好青年である。スーシェンを人間のように気遣う彼は、かなり変わっている。初めのうちは、何か裏でもあるのかと警戒していたが、どうやら彼にはそういうものがまったくないらしい。本当に好青年なのだ。ここまで裏がないと逆に怖い、とスーシェンが思うほど彼には裏がなかった。
 こんな表の人間が、どうしてこんな闇の深い裏にいるのだろう。彼にはそれが分からなかった。

『大丈夫か? お前、顔色悪いぞ』
『……大丈夫』

 スーシェンがそう答えると、男はそれきり何も言わずに部屋から出て行った。


『……っ! いったいなぁもう』

 翌日、スーシェンが受けたのは電気椅子に座らせられるという苦行だ。一体何が目的なのかは分からないが、死なない程度を見極めながら、電気を流された。別に彼は何も悪いことをしたわけでも、考えたわけでもない――頭にはつねに脳波を測定し、コンピューターに送信する機会が取り付けられており、脳波になにか異常があればすぐに組織の人間が駆けつける手はずになっていた――のに。
 スーシェンが自分の部屋に押し込まれ、ベッドに倒れ込んだところへ、ちょうど例の好青年がスーシェンの着替えを持って入ってきた。

『大丈夫か、おい!』
『…………大丈夫』

 何度も繰り返したやりとりだ。大丈夫か、と聞いてくる男と大丈夫ではないけれど、大丈夫だと答える自分。初めは問診なのだろうと思っていた。彼はスーシェンの世話係のようだから、自分に何か異常があれば上に報告する義務があるのだろうと。今はそうは思わない。毎度毎度、例の好青年があまりにも心配そうに聞くため、演技ではないのだなと思うようになった。彼は、彼自身が気になるから聞いているのだろう。そう考えると、スーシェンはますます男のことが分からなかった。


『おい、No.4! 大丈夫か!? 血が滲んでるぞ』
『だから……大丈夫だってば……何度言えば……』

 スーシェンはその日、ここ数ヶ月ほどで最も深い傷を負っていた。死なない程度にいたぶられたため、命に別条はないものの、血がにじむほどの怪我をした。足は数カ所、内出血を起こしているらしい。体中が痛かった。
 スーシェンの様子を見た男の顔は蒼白だった。青白い顔で必死に、タオルを手に持ってスーシェンの身体を拭いていた。
 その様子を見たスーシェンはついに噴き出してしまった。

『あはは……あっはっはっは! なんなの、あんた。おかしいだろ。どうして僕の心配なんかするんだ。どうして僕を人間みたいに扱うんだ。もうやめてくれ、放っておいてくれ、僕を人間みたいに扱って、おかしな希望を持たせるのはもうやめてくれ!! うんざりなんだ! “僕は人間じゃない”これだけで十分なんだ。僕を人間みたいに扱わないでくれ、やめてくれ、おかしな希望なんか持たないほうが、僕もいっそ楽に死ねるんだ! 生きないでいていいんだ!!』




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