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 そこからずっと、走り続けた。転んでも、転んでも走り続けた。服がボロボロになろうが、血まみれになろうが、スーシェンは走り続けた。そうして倒れこんで、起き上がれないというところまできたところで、頭上から声をかけられた。

『お前がNo.4か』

 聞いたことがあるような低い声に、スーシェンは身を強ばらせた。見上げると、見たことがないような文様が書かれた、すらりと背が高くスタイルもいい、黒髪の男が立っていた。

『誰だ』
『俺は双焔(ふぇいしゅん)。「G.G」という組織に在籍している』

 スーシェンはそれを聞いた瞬間走りだした。能力は連続発動したままであるため、目は見える。普段はこれほど長時間発動させることは精神的にも肉体的にもかなりの負担がかかるため避けているのだが、緊急時であれば仕方がない。

『おいおい。そう逃げてくれるな』

 スーシェンの足に何か刃物が突き刺さり、地面に縫い止められた。見ると、小さなナイフを投げられたらしい。

『まあまあ落ち着け。俺はお前が今逃げている組織と、対立している組織の人間だ。似たような名前だからまどろっこしいが、まったく別の、真逆の組織だ』
『ふざける、な』

 そう言ってズボンからナイフを引きちぎろうと足に力を入れると、背中を押され、スーシェンはうつ伏せに倒れこんでしまった。スーシェンの背の上に、双焔はまたがり、話を続ける。

『俺の目的は、お前の保護だ。中国支部長及びアジア圏管轄責任者として、お前を保護しにきた。まさか、組織のアジトに奇襲をかける前に、お前が出てくるとは思わなかったが……俺たちに会えて、運が良かったな』
『離せっ! それに、どこにそれを証明するものが』
『……そうだな、出口で追っ手に追いつかれなかっただろう。それに、その後の追跡もなかったし、警備もいつもよりずっとゆるかったはずだ。どうしてだと思う?』
『……っ!』

 逃げることに必死で気がついていなかったが、言われてみればその通りだ。普段なら、能力をフルで使っても逃げられないような警備体制だし、今日は出口に警備員がいなかった。そして今も追っ手に追いつかれず、無事に逃げおおせた。
 スーシェンはこの「双焔」と名乗った男を信用してもいい気がしたが、やはりどこかこの男のことが気に食わない。というよりも、先ほどの双焔の言葉が気に食わないのだろう。

(運が良かった? 奇襲をかける前だった? ……じゃあ何か、あの人は、運が悪かったから死んだっていうのか?)

 スーシェンは抵抗する力も惜しくなり、抵抗するのをやめた。すると、双焔はスーシェンの背中から立ち上がり、スーシェンを中国支部に運ぶように指示した。


 ***


『どうだ? 少しは落ち着いたか?』
『……落ち着きました』

 双焔がスーシェンの部屋に入ってきて、そう声をかけた。今、スーシェンは身なりを整え、服も新しいものに着替えた。傷もすべて手当され、今は清潔そのものだ。

『ところで、だ。お前の今後は上が決めるとして……』
『その前にひとつ、いいですか』

 スーシェンがそう聞くと、双焔はああいいぞと軽く答えた。

『どうして僕を、保護しに来たんですか。何が目的ですか』

 低い声でスーシェンがそう言うと、双焔はうーんと唸った後

『カルー……うちのボスが、お前を保護するように言ったからだ。俺個人の理由ではない、命令だからそうしたというだけだ。なんで、ということが聞きたいなら、じきに面会できるだろうボスに聞くんだな』

 と答えた。そして、今度はこっちの番だと続けた。

『No.4、なんて仰々しい名前ではなく、お前に何か名前を決めないといけない。何か希望はあるか?』
『ああ……そうだなあ。じゃあ、No.4(スー)だし、死神(スーシェン)なんてどうですか? いいと思いませんか?』

 スーシェンが軽やかに笑ってそう言うと、双焔は呆れたという様子をジェスチャーで表した。

『お前がそれでいいなら、それでいいんじゃないか』

 そう言ったきり、彼は部屋から出て行った。

(良かった。これで僕は名前を呼ばれるたびに、自分のやったことを思い出せる。ずっとこの罪を背負って生きていける)


 ***


「……そっか、それで死神(スーシェン)だったのね……ずっと気になっていたの」
「うわあそうですか? そんなに気になってましたか? ははは、ありがとうございます」
「スーくん……」

 雪梛はなにも言えなくなってしまった。
 その、スーシェンを助けてくれた男性のことは気にするなだとか、自分をもっと大切にして欲しいだとか、そんなに自分を責めなくていいだとか……雪梛には何も言えなかった。きっと、どの言葉をかけても、スーシェンは悲しい顔をしてありがとうございますと礼を言うだろう。きっと、どの言葉もスーシェンにとっては軽く聞こえるはずだ。どの言葉も彼には届かないだろう。
 そんな雪梛の様子を心配したのかスーシェンが上体を起こして立ち上がったかと思うと、雪梛と向かい合うようにして、膝立ちになり、雪梛の両側に挟みこむようにして手をついた。そのまま彼は雪梛の顔を覗きこむ。




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