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「泣いてるんですか……? 僕なんかのために,、泣いてくれるんですか」
「……ごめんなさい。私、私……何も言えないの。何も言葉をかけられないの。何も……出来ないの。泣くだけしか出来ないなんて、馬鹿だ」

 涙が止まらない。雪梛の手の甲にはぼたぼたと涙が落ちる。スーシェンがそれに気がついて、親指で雪梛の涙を拭ってくれるのだが、一向に涙は止まらない。

「貴女は本当に……何も出来ないなんて、何も言えないなんて当然じゃないですか。むしろ、ここでぽんぽん何か言える人間のほうが、言葉は悪いですけど、僕はその人の神経を疑いますよ。貴女は思慮深くて優しい女性だからこそ……ああ、なんだかごめんなさい」

 スーシェンはそう言って、雪梛の涙を拭い続ける。温かいけれど、皮膚があつくて硬い男性の指。彼の指は細くて白枝のような指をしているが、こうして触れられてしまえば、やはり彼は男性なのだと雪梛は意識した。

「ははは……貴女は本当に……優しい人ですね。優しすぎますよ」

 スーシェンはそう言って、泣いている雪梛を抱き寄せて、自分の腕の中に閉じ込めた。泣きじゃくり続ける雪梛の頭を優しい手つきで撫で続ける。どうしようもないというふうに、それを繰り返す。

「私は……優しい人、なのかしら」

 違う気がする。と雪梛は心のなかで反論した。優しいから泣いているのではない。何も出来ず、何も知らなかった自分が愚かでたまらないから泣いているのではないだろうか。それか、同情しているのかもしれない。自分と似た――とは言っても雪梛より、スーシェンのほうが苦しい経験をしてきたわけだが――境遇の人間を、可哀想と他人ごとのように、切り取られた映画の中の世界のように感じているのかもしれない。
 そう考えれば、自分はとても愚かだ。弱くて、最低な人間だ。そう思えてくる。

「いいえ、貴女は優しい人ですよ」

 スーシェンの優しい声に雪梛はふっと顔を上げた。彼と目が合う。

「ほら。だから僕みたいな悪いやつに、気がつかない」

 雪梛はとたんに低くなった彼の声に驚いて、目をみはり身体を強ばらせた。スーシェンは先ほどまで雪梛の頭を撫でていた手を彼女の後頭部にすべらせ、彼女の頭を固定する。雪梛が何かを言おうと口を開きかけたが、その口は彼の口で塞がれてしまう。
 雪梛は彼を引き剥がそうと、彼の身体を押すが、男性の力に女性の雪梛では物理的に勝てない。少し口が開いた箇所から、スーシェンの舌が彼女の口内に入ってき、そのまま何かを雪梛の口の中に押し込んだ。

(なにこれ……!? カプセルの薬!?)

 どうにか押し込まれたそれを吐き出そうと舌を使って、頑張るのだが、スーシェンが口を離してくれないため、雪梛は息苦しさのあまりあやまって飲み込んでしまった。
 それを確認したらしいスーシェンは、ようやく口を離した。長い間――雪梛は認めたくはないのだが――ディープキスをしていたため、口を離した時に唾液が出た。スーシェンはどうも笑っている。にやりと笑っている。
 互いに荒くなった呼吸がようやく収まりかけたところで、雪梛はスーシェンを見据えて蹴りあげた。ちょうど、彼の脇腹にぶち当たる。

「なっ……にすんだよ! この変態! なにあれ!? 私に何ば飲ました!?」
「ええ〜? ナニを飲ませたとおもいます〜?」
「知らねっ!」

 雪梛はそう吐き捨てて、後退りし壁に突き当たったスーシェンにかかと落としをくらわせようとしたが、白刃取りのように足を掴まれ、当たらなかった。彼に足を離されてすぐに、次は右足で横蹴り――といっても足で払うような低さになるが――をくらわせようとするが、腕でガードされてしまった。

「嫌だなぁ、雪梛さんってば。物騒だなぁ! 危ないですよ!」
「どの口がそったらこと言うか!?」
「あー、雪梛さん、今日はミニスカートだからパンツ見え……」

 そう言って、そのまま立ち上がろうとするスーシェンの言葉を聞く前に、雪梛は右足を地につき、左足で彼の顔面に後ろ蹴りを食らわせた。




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