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 幼い雪梛は、学校が終わり、日本支部への帰路の途中だった。彼女はいつもどおりの道を、歩いて帰っていた。白い息がもれ、手袋についたぽんぽんが雪梛が歩くたびに揺れていた。そんなとき、ふと黒い影が彼女の前を遮った。

「おい、お前さ! あそこに住んでるんだろ!? 親がいない子どもがいーっぱいいる施設!」
「そうそう! 変な外人が経営してるとか言う、アヤシイ場所!」

 その影の主は、雪梛と同じクラスの意地が悪そうな男の子たちだった。自分よりも身体が大きい男の子三人に囲まれて、雪梛は怖くて震えだしてしまった。カルマディオにもらったマフラーに顔をうずめて、雪梛は後ずさる。

「おい、何とか言えよ! お前の家のとこだろ!」
「ひぃっ」

 雪梛は震えながら後ずさり、石につまづいて転んでしまった。

「おーいそこの悪ガキ! 何してんだ!」

 雪梛の正面、つまり日本支部の方から桐也がこっちに向かって走ってきた。後ろについてきている黄色い頭はルイだろう。

「げっ! ほら、逃げようぜ!」

 桐也――高校生くらいの歳――を見て、何か危険を察したらしく、一目散に逃げていった。後に残された雪梛は、嗚咽を漏らしながらも、尻餅をついていたため、痛くて立ち上がれない。少年たちが逃げていったのを見た桐也は舌打ちをしてから、雪梛に駆け寄る。

「なんか心配になったから迎えに来たんだけど、大丈夫か? 何言われた? 怪我したのか?」

 桐也に抱き起こされても、雪梛の涙は止まらない。桐也が来てくれたという安心感でまたいっそうひどく泣き出し、そのまま彼に抱きついた

「あのね……ぐすっ……パパのことをね……わるく言われてね……」
「はぁ!?」

 雪梛の言葉を聞いて、まっさきに声を上げたのはルイだった。毛を逆立てるようにして怒る様子は、猫の威嚇を彷彿とさせる。

「なんだよふっざけんな! オレがぶっ飛ばしてくる!」
「落ち着け、ルイ」

 少年たちの後を追って走りだそうとする黄色い猫の首根っこを、桐也は掴んだ。後ろ襟を掴まれたルイはそれを振り払わんと手を回してもがく。

「は〜〜な〜〜せ〜〜よっ!! 電気流すぞ! オレがあいつらぶっ飛ばしてくるんだよ!」
「落ち着けクソガキ! これ以上めんどくせえことにすんな!」

 桐也はルイの頭にげんこつを食らわせると、ルイはいってー、と桐也を睨みつけた。
 そのまま泣きじゃくる雪梛を桐也は抱きかかえて日本支部に戻る。道中泣き続ける雪梛を見て、ルイはこの泣き虫、泣きすぎなんだよ、と吠えまくった。桐也のまわりをくるくると回りながら、歩いて付いていく彼も、今思えばあれは雪梛を心配して励ましていたのだろう。

 その数日後、廊下でバケツを持って立たされている桐也とミケを見た雪梛が、マーサに理由を尋ねると、マーサから先日の少年を半殺しにしたらしいと聞いた。幼い雪梛は意味がわからず、首を傾げただけだった。


 ***


 なにか夢を見たような気がする。だけど思い出せない。雪梛はたまにある、そんな気もちを抱きかかえたまま起床した。目を開けて、視界に入るのはいつも見ている自分の部屋の天井だ。そこから、枕元にある携帯端末で時間を確認して、どうしてこんなに早い時間にアラームをかけたのだろうかと考えて、マフラーに手を伸ばす。そこで、思い出す。

(今日、パパのお葬式に行くんだわ。だから、飛行機の時間に合わせてこんなに早く……)


 ***


 初めて乗る飛行機にロクは緊張したようで、始終そわそわしていたのだが、搭乗する理由が理由なだけに、表だってはしゃぐ様子は見せない。そんな彼を雪梛はすこし不憫に思った。雪梛と桐也は最低限の会話しかかわせない。まだどうにも、言葉を出すほどの「勇気」が出ない。のどが渇いて、言葉が出てこない。
 そんなふたりの代わりに、スーシェンが率先してロクの世話を焼いた。幸い、有事の際にすぐ動けるようにとロクの戸籍とパスポートは正規法で用意されていたため、イタリア行きのビザはあった。また、スーシェンも台湾支部から本部に何か要請があった時に動けるようにと、ビザは持っていたらしい。雪梛と桐也は言うまでもなく、それを持っていた。そのため、四人揃ってスムーズに急なイタリア行きでも、面倒なことにあまり手を焼かずに済んだ。

 空港につくと、フトシから駐車場に車を駐めて待っているという連絡があったので、メールで指定された場所へ向かった。そして、指定場所に近づくに連れて、こちらに大げさに手を振っている人物が見て取れるようになった。

「あっ、フトシくんだ」
「え? スーくん、フトシのこと知ってるの?」

 声を上げたスーシェンに雪梛が尋ねると、スーシェンははいと頷いた。

「僕、組織に拾われたばかりの頃、半年くらい本部にいたので」
「ああ、なるほど」

 ふたりが会話していると、ロクが首を傾げて、尋ねて来る。

「だれだ? フトシって」
「すぐに分かるわよ、ロク」

 雪梛はそう言って、ロクの頭をなでてから、フトシに向かって手を振った。




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Atorium