「うーん……」
雪梛が物憂げになにかため息をついた。手元にはロクの健康診断の結果がある。
健康診断とはいっても知能レベル、身体能力なども測った総合的なデータだ。
「記憶力は一般の人に劣っているんだ。“パパ”とも四番目の人とも違うのね」
ロクが前者の二人に当てはまらないことにはとても驚いた。
前者の“パパ”と(名前すら知らない)四番目の人は常人よりはるかに記憶能力が優れており、二度以上見たものは非常に高い確率で憶えていた。
――それでも雪梛の記憶能力には劣るが。
「でも、身体能力は”パパ“にも四番目の人にも勝る、と……」
雪梛は頭を抱え込んでしまった。
***
『ねーえ! 僕さあ、桐也の報告なんて聞き飽きたんだけど』
テレビの向こうから話しかけてくる青年に桐也は呆れ顔を見せた。
「俺もお前の声なんて聞き飽きたよ。美女ならまだしも、男だしな」
『雪梛は?』
「どっか行った」
桐也の答えに青年は満足しなかったようだ。
『もー、何それ! 桐也は雪梛のこともっと気にかけなよ。雪梛のことを任されてるんだからさ!』
「あー、はいはい」
その答えも気に食わなかったのか、青年は頬をリスのようにふくらませた。
青年は明るい金髪にアイスブルーの瞳。右を赤い小花のついたピンで止め、両耳に瞳と同じ色の丸いピアス。もうひとつ左耳に銀色のピアスをしていた。
内側にはねる髪の毛が顔を丸くさせ、頬をふくらませているものだからいっそう幼く見える。これでも確か、十九歳のはずだ。
『いいなーいいなー! 桐也はさ、いつも雪梛と一緒にいられてさー』
「はあ……。ルイは本当に雪梛のことが好きだな」
『当たり前でしょ! 婚約者(フィアンセ)なんだから!』
じゃないとプロポーズなんてしないよー、と金髪の青年――ルイは得意げに語った。
「まあお前だって責任ある仕事なんだから、ちゃんと職務を果たせよ」
『桐也もねー。雪梛が先輩ってば使えないーってぼやいてたよ』
桐也は組織の「日本支部長」だが、立場的には八歳も歳下のルイの方が高い。
ルイは「直属護衛隊長」という物騒な肩書きを持っており、その肩書きはルイが組織でNo.2の実力者であることを示している。
「じゃあ」
『あ、待って待って! 思い出した!』
「何を?」
ルイは使っていたパソコンで桐也のメールドレスにメールを送信したあと
『これ資料ね! 今度そっちでやってほしい仕事があって』
桐也はメーラーを起動し、メールの内容を見て驚いた。
「“パパ”直々の依頼……あの組織に関係があるものか?」
ルイは首をかしげたが
『うん、どうもそうみたいだよ。詳しいことは聞いてないけど』
「そうか、ありがとうな」
『うん、またねー! 雪梛にもよろしく言っておいて!』
そう言って桐也はテレビ会議を切った。ミケが出張中で報告相手がルイだった分、気が楽だった気がする。
「なぁにが、よろしく言っておいて……だよ! お前らメールは毎日、電話は三日に一回はしてるじゃねえか!」
桐也は「カップルの世話なんてこりごりだ」と言わんばかりに、大げさに手を広げてみせた。
『先輩、ルイがね―――』
いつだったか雪梛がそう言ったのを思い出して、桐也は大きくため息をついた。
***
「で、その依頼主をここで待っていればいいのね?」
ロクを家で留守番させた雪梛は、桐也に電話で問いかけた。
『そうそう、そこで待ってろ』
「はーい」
それにしても遅い。かれこれ三十分以上は待っている気がする。
「遅いわねえ……」
雪梛は思わずため息を漏らしてしまった。
その時、向こう側から黒塗りの車が数台こちらに向かってきた。
(ふうん――闇の要人か)
組織は闇の要人――カジノの取締役やマフィアのボスなど――も護衛する。組織が支援しているたくさんの孤児院にたくさんの経営費が必要だからだ。
(どんな人だろう、いかつい男かな?)
黒塗りの車、闇の要人……その二つの単語から雪梛はそんなことを予想した。
しかしその予想は大きく外れたのだった。
***
「この子がそうみたいよ」
「は? まじか」
「まじよ。一体どういうことかしらね」
雪梛が連れてきたのはロクよりも幼い金髪の少女だった。白くて長いマフラーをぐるぐるに巻いて、頬を赤く染めている。
「は、はじめまして。レモンといいます」
少女――レモンは可愛らしい声で挨拶した。
「あらためて、はじめまして! レモンちゃん。私は雪梛です。このおっさ……お兄さんが桐也で」
「雪梛! 俺はまだそんな年じゃない」
「なんだ、聞こえたの」
「聞こえたっつうの!」
雪梛と桐也のやり取りを苦笑しながら見つめていたロクだが
「はじめまして、おれはロクです」
「はじめまして……何才? わたしは9才だよ」
「う、うーん。たぶん10さいくらい?」
ロクは曖昧に答えた。
検査の結果、骨格は10才程だと雪梛に教えてもらったが、実際のところはわからない。
ロクは施設で朦朧(もうろう)としながら過ごしていたので、正確な年月を覚えていない。
「まあ、護衛相手であることに変わりはないし。先輩も気を抜かないでね」
「お前もな」
桐也が嫌そうな顔をして答えた。
(小さい女の子が闇の要人か……)
雪梛は何やら考え込んでいる様子だった。