あちらとこちらと鬼灯と

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 小さいころの不思議な経験は夢だろうと大半の人は笑う。
 でもぼくにはそうやって片付けてしまいたくないものがある。あの経験はあまりにも不思議だったからだ。
 あれは確か、夏休みを利用して祖母の家に帰った時のことだ。とても暑くて、明るい月夜だった。ぼくは祖母に誘われて夏祭りに出かけた。祖母の家の近くにある神社で行われるそれは、出店もあるからか、思いの外人出があった。ぼくの手を引いた母が
「手を離しちゃダメよ? はぐれちゃうからね」
 とぼくに注意を促した。まだ背が低いぼくには周りの人間は高くて、母の手だけが頼りだった。はぐれないようにぎゅっと母の手を握りしめていた。
 そんな中でふと、どこか遠くで鈴の音が聞こえたような気がした。
 りんりんりん……
 やたらと耳に残る、どこか痛い音だった。がやがやとする人混みの喧騒、その向こう側から聞こえてきたように憶えている。そして、その鈴の音はどんどん近づいてきた。耳をつんざくような鋭い警告音にぼくは怯えた。ひどい頭痛がした。
「お母さん、お母さん」
 不安になって、ぼくは母を呼んだ。
 りんりんりんりんりんりん……
 鈴の音はぼくに追いつき、包み込んだ。
 ぼくはついに、目を閉じて耳をふさぎ、足を止めてしまった。
 

 しばらくして鈴の音が遠くなったので、ぼくは少しずつ目を開けた。
 なんだか、先程までと違うような気がした。ぼくはどこからともなく不安に襲われて、母を探して前を見上げた。
 そこに母はいなかった。
 ぼくは状況が掴めず泣きだした。ぼくは母を探して歩き出した。声を上げて母を呼ぶけれど、一向に見つからない。長いこと歩いたが、とうとう歩き疲れ、ぼくは立ち止まってしまった。月は陰っていて見えない。
 立ち止まったぼくはどこからか声をかけられた。ぼくはその声がした方向に反射的に顔を上げ、ぎょっとした。声の主は大柄で青緑色の肌をしたひとつ目の妖怪だったからだ。手には何かを焼いたものを持っていた。
 ぼくはとても驚いて後ずさったが、どうやらぼく以上に妖怪のほうが驚いたらしかった。
「おいおい、何でこんなところに人間が!」
 ぼくはその言葉を聞き終わる前に逃げ出した。食べられると思ったからだ。こけそうになりながらも、必死に逃げる。ぼくはこの先を真っすぐ進んだ突き当りの神社ならば、怪物からぼくを守ってくれるのではないかと思い浮かび、必死に走った。
 *
 息を切らしながら神社につくと、ぼくは疲れて神社の屋根の下に座り込んだ。もしかするとまだ妖怪が追いかけてくるのでは、と思いぼくは気が抜けなかった。
 そこでぼくは忘れることが出来ない不思議な出会いを体験した。
「お前さん、人間じゃあないですか。こっちへ迷ってしまったんですかい?」
 その声にぼくは身を強ばらせた。さいせん箱の影から声の主は顔を出した。
 声の主は狐面をした、当時のぼくと同じくらいの年齢の少年だった。白い浴衣に下駄を履いていた。
「あーあーあー、ひどい顔をしてるじゃねえですか。涙でぐちゃぐちゃですぜ」
 狐面をした少年はぼくの顔を覗きこんだ。面の下で少年がどのような顔をしているかは、もちろん分からなかった。ぼくは今でも不思議だが、なぜだか彼のことが怖くなかった。
「ぼく、お母さんとはぐれちゃって。それに、怖い妖怪に追いかけられて……。お母さんに会いたい、おうちに帰りたいよ……ぐすんっ……」
 走り疲れて乾いた口から出てきたのは、そんなわけの分からない言葉だった。
「帰りたいねえ。……お前さん、こっちに来てから何か食いやしたか?」
 狐面の少年はぼくに尋ねた。
「ううん、何も食べてないよ」
 ぼくがそう答えると、少年は明るい声で言った。
「なら大丈夫でしょう! 今は間が悪いので無理ですが、もう少しすれば必ず家へ帰れやすよ!」
「ほんとうに?」
「本当ですとも! あっしが責任をもって、お前さんを家へ帰してやりやしょう!」
 少年の言葉の細かい意味は分からなかったが、家に帰ることができるという彼の言葉で、ぼくはとても元気になった。
 *
「今は月が隠れているでやんしょう。月が出るまで、もう少し時間がかかりやす。それまでで店を見てまわりやせんか?」
 少年によると、月が家に帰ることとどうも関係があるらしい。けれどそれ以上に少年の言葉はぼくをどきりとさせた。
「また、あの妖怪が……ぼくを食べようとするかも」
 ぼくは先程の悪夢のような出来事を思い出して、不安になった。
「だーいじょうぶ。お前さんが人間だとバレなけりゃいいんです」
 少年はぼくの不安そうな声を打ち消すように明るく言って、指をパチンとならした。
 すると、ぼくの頭上でぽんという音とともに、ぼくの手の上へ、ゆっくりとおかしなお面――今思えばひょっとこの面――が落ちてきた。
「これをしていれば大丈夫でやんしょ。まぁなんとか誤魔化せるでしょうよ」
「ありがとう……!」
 ぼくは少年にお礼を言って、面をした。そして、少年に連れられて境内を後にし、参道へと戻った。


「あれなんてどうです? ほら」
 少年が指さしたのは水風船釣りの屋台だった。
 ビニールプールの代わりに、細長い水槽のようなものに水を入れており、中には色とりどりの水風船が浮かべてあった。
「どうですどうです? 行きやしょうよ」
 ぼくは少年にぐっと腕を引かれた。
 水風船釣りの屋台の前で少年が
「だんな、二回分」
 そう言って何か、見たことがないお金を渡した。水風船釣り屋台の主人は水風船を釣るための道具――こよりの先に釣り針が付けてある――をぼくたちに渡した。
 ぼくは少年に促されて、水風船釣りを始めた。しかし、うまく輪ゴムの間に針が引っかからない。
「こうでっせ。こう!」
 少年はぼくに手本を示してくれた。ちゃぽん、という音とともに少年は赤い水風船をぼくの顔の前に出す。
「ほらほら、こんなふうですよ」
 少年のお手本を見たぼくはなんだかんだと頑張って、黄色い水風船を釣った。
「取れた!」
「さすが、お上手ですねぇ」
 少年が褒めてくれたので、ぼくはなんだか得意になった。
「楽しい。外で遊ぶの、久しぶり!」
 ぼくが嬉しそうに言うと、少年が不思議そうな顔をした。
「……そうなんですかい?」
「うん。ぼく、身体が弱いから。あんまり外で遊べないんだ。だからね、お家で遊ぶことが多いんだ」
 ぼくは少年にそう言った。この神社によく参拝する祖母は、ぼくの健康を祈願することが多いと言っていた。
 暗い話になってしまったからか、少年とぼくのこよりが切れると、少年は立ち上がった。
「さあ、せっかくなんですから、他の屋台も見に行きましょうや」
「う、うん!」
 ぼくは少年に手をひかれて、また参道を歩いた。面をかぶっているから視界がいいわけではない。ぼくは少年とつないだ手を、今度こそ離さないように気をつけて歩いた。
 ぼくは少年に、ある屋台の前へと引っ張りだされた。
「これはどうです、これは!」
 少年がぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねながら指さしたそこは、射的の屋台だった。
「やってみやしょうよ!」
 ぼくは少年の言葉に深くうなずいた。ぼくのその様子を見て、少年は先ほどと同じ、ぼくが見たことがないお金を屋台の主人に手渡した。その主人は、ぼくたちにコルクガンを手渡した。
 コルクガンを手渡されたぼくは使い方が分からず、ただコルクガンを眺めていた。すると少年が
「ここに、こう。こうやって込めるんですよう」
 と丁寧に教えてくれた。
 少年が教えてくれた通り、弾を詰めて打ったがうまく当たらなかった。少年の方はいくつか景品を当てたようだが、ぼくはからっきしだ。それでも楽しかった。
 ぼくは疲れたから休みたいと言い、少年と境内に向かって歩いた。
 *

「さあ、そろそろ終わりですね」
 少年は空を指さしてそう言った。少年が指さした空を見上げると、雲は晴れて、また明るい月が出ていた。
「月が出たから、お前さんはもう家へ帰れやすよ」
 少年の言葉に、ぼくは曖昧に頷いた。すると、少年は少し首を傾げる。
「嫌、なんですかい?」
「ううん、違う……」
 ぼくは笑って誤魔化した。
 家には帰りたいのだが、なんだかここで別れてしまうと、二度とこの少年に会えないのではないかと思ったからだ。それがとても悲しかった。だからどうしても、曖昧な返事をしてしまった。
 少年は少しだけ戸惑っているような素振りを見せたあと、ぼくに面をくれたときと同じように指をパチンと鳴らした。今回は少年の頭の上から、ストンと何か植物が落ちてきた。見覚えはあるのだが、ぼくはその植物の名前が思い出せなかった。
 すると、少年が説明してくれた。
「これは鬼灯でっせ。これがあればお前さんは無事、家に帰れやすよ」
 少年はそう言って、植物――鬼灯をぼくに手渡した。
 ぼくは鬼灯を受け取ると、こらえていた涙がどっと溢れ出た。
「そらそら、泣かないで。家に帰りたかったんでやんしょ? さあ、笑って笑って」
 少年はそう言って、泣きじゃくるぼくを励まそうとぼくの周囲を飛び跳ねる。その様子がなんだか蛙のようで、ぼくは可笑しくて笑ってしまった。
 そして、笑いが少し落ち着いたところで、ぼくは面を少年に返した。
「今までありがとう、もう大丈夫だよ。ぼく帰るよ。どうしたら……帰られるの?」
「ああ、帰り方は簡単でっせ。鬼灯をしっかりと握って、鳥居をくぐって、外に出てくだせえ」
 少年はそう言って、境内と参道の間に立つ鳥居を指さした。
「うん、分かった。またね!」
 また会いたいと思って、ぼくはそう言って手を振った。そして、あと一歩で鳥居を出るというときに、少年は確かにこう言った。
「またいつか会いやしょう、灯真(とうま)くん。次はこちらではなく、あちらで」
 驚いてぼくが振り返ったそこに、少年はいなかった。
 少年の最後の言葉が衝撃的で、ぼくの頭の中で、それは何度も何度も繰り返し、再生された。
 灯真というのはぼくの名前だ。
 しかしぼくは、自分の名前を彼に教えた記憶は無い。
「灯真、灯真! こんなところに居たの? ずいぶん捜したのよ!」
「お母さん!」
 その声で、ぼくは現実に帰ってきたのだと実感した。ぼくは自分を探しに来てくれた母親に飛びついた。

 あとで母から聞いた限りだと、母はぼくと手をつないで歩いていたけれど、ぼくの手がすっと離れたという。振り返ればぼくは居なくなっていたらしい。そこから三十分ほどぼくを捜し続け、神社の鳥居の前でぼくを見つけたそうだ。
 鈴の音を聞かなかったかと母に尋ねたが、母はそんなもの知らないと答えた。
 ぼくは妖怪のこと、狐面をした少年のことを母にも、他の家族や親族にも話したのだが、誰にも信じてはくれなかった。白昼夢でも見たのだろうと笑われた。しかし、母が見つけた時にぼくは鬼灯を持っていたのだ。ぼくにはあの出来事が夢だとは思えなかった。
 だから、ぼくは祖母の家へ行くたびにあの神社を参拝する。あの神社を参拝すれば、もう一度あの狐面の少年に出会えるような気がするから。
 
『またいつか会いやしょう、灯真くん。次はこちらではなく、あちらで』

【終】


 これ中三?とかで書いた奴を何度か文章だけ直してる奴です。



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