そばにいて欲しかった

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 目の前で突然倒れたハイドにわたしはうろたえた。
「は……ハイド!?」
「ああもう! このばか!」
 そういうとミシェルがピンク色の煙に包まれて……人間になった。
「え? ミシェル?」
「そうよ。あら、わたしの人間姿見たことなかったかしら?」
 ピンク色の短いツインテールに、どこの国のものだろうという白い洋服。見た目は15くらいの少女だ。ひたいにはピンク色の炎の文様が刻まれている……どこかで、文様がある妖精は上位のものだけだと聞いたことがあるような。
 ミシェルはハイドをお姫様抱っこすると、わたしに向き直って
「突然申し訳なかったわ。ハイド、このところ調子が悪かったのよ。ただの風邪だと思うけどね」
「そ……そう、良かった」
「だから、今日はこのまま連れ帰るわね。ハイドがいつもお邪魔してるわ」
 ミシェルが窓から出ようとした。つかさずわたしが声をかける
「待って! わたしも行く」
「あら、ついて来て看病してくれるの?」
 キョトンとした顔で聞き返された。
「ええ、そうよ。目の前で倒れられたら、嫌でも気にかかるもの」
 わたしがそういうとミシェルはクスクス笑って
「じゃあ、よろしく頼むわ。いつもハイドの看病はわたしの仕事だったから」
 そういうと足元が青い炎で覆われた。そうしてこうしてハイドの家まで転送されたの。

 ハイドは高層マンションの最上階に住んでいた。黒を貴重とした部屋だったけど、あまりにも綺麗すぎて生活感がない。
「家に帰ってくることは少ないのよ。……いつも学園で寝泊まりしてるから」
「……はあ、どこから家賃を捻り出してるのよ。それにここ学園から遠いわよ」
 部屋を見回しながらわたしはため息をついた。
「学園には汽車で三時間ってところね。この部屋はハイドの親友のものよ」
 ハイドをベッドに寝かせながらミシェルは答えた。ハイドの顔は赤い。
「すごい友達を持ってるのね」
「そうね、ハイドは家にこだわりはないみたいだけど」
 なくてこんな部屋に住んでいるなんて呆れてしまった。
 
「ハイドのことは、ハイドが産まれる前から知ってるわ」
 ミシェルはハイドのことについてわたしに教えてくれた。聞きたいと頼んだわけではなかったけれど、何と無く耳を傾けていた。
「わたしは、この子の母親……ジェシカに命を救われたの」
 ミシェルは力が弱って、衰えていたところを人間に捉えられ、そのまま研究対象としてひどい仕打ちを受けていたらしい。
「そんな時、ジェシカがわたしを助け出してこう言ったわ『妖精だとか知らないわ! 貴方には貴方の人生があるのに』ってね。それ以来わたしはジェシカと行動を共にするようになったの」
 ただものでは無い。上位妖精を閉じ込めるほどの設備を持っている施設に単身乗り込み、盗むなど。
「ジェシー……ジェシカはあの時まだ12歳だった」
「12!?」
「そうよ。あの子は学園でも十年に一度の天才少女だった」
 その後、ジェシカは学園に入り花を咲かせ、怪盗として『銀影』と呼ばれるほどまで成長した。
「そして、ハイドが産まれた。ハイドは山小屋でジェシカが女手ひとつで育てていたのだけど、仕事のこともあってわたしが面倒を見てあげていたわ」
「そうなのね」
 わたしがぼけっと答えるとミシェルが突然慌て始めた。
「っていけない! わたし料理の材料でも買ってくるわ。その、頼みがあるんだけど」
「なに?」
「おかゆ……作れるかしら?」
 ミシェルが心配そうに聞いて来た。
「お米を粉砕しなければ」
「じゃあ頼むわ。材料は勝手に使っていいから、そのぐらいならあったと思うし」
「わかったわ」
 ミシェルは大慌てで飛び出して行った。


 冷蔵庫を開けると、案の定材料なんてほとんどなかった。
 わたしはおかゆをつくろうとお米をといで、火にかけた。うん。少し、いや結構お米が砕けちゃったけど、きっと平気よね。
 つけあわせは梅干しでいいか、酸味があるほうが食べやすいだろうし。そう考えながら、ベッドで寝ているハイドのそばまで歩み寄った。
「辛そう」
 息切れしている、顔は赤いし熱は下がっていないみたい。タオルを氷水で濡らしたあと、きつく絞ってひたいに当ててあげた。よかった、タオルが切れなくて。
「うっ……うう、うっ」
 ハイドは悪い夢でも見ているのか、ひどくうなされていた。シーツをギュッと掴んでいる。
「はあ……はあ、はあ」
 だんだん心配になってきて、わたしはハイドのほおをそっと撫でた。するとわたしの腕をハイドが強く掴んで言葉を絞り出した。
「まって、まって行かないで。……1人は、いやだよ……母さんっ」
 どういう意味かしら。あまりにもハイドが辛そうだったから、大丈夫大丈夫と頭を撫でて、繰り返してみせた。弟たちが寝付けなかった時もよくこうしてやったものだ。
 ハイドの髪の毛はとてもきめ細かくてさらさらしている。手入れされているわけでもないのにふわふわなんて腹が立つ。高い鼻に細い顎、陶器のような白い肌はきめ細かい。いつも顔を近くに持ってこられると驚いて突き飛ばしてしまうから、あまり気にしたことなかった。まつげもずっと長くて、唇はふっくらとしていて……。
「あら、ただいま。邪魔したかしら?」
「……ちょ!? ミシェル!」
 邪魔したってなにが? わたしが怒ると、ミシェルはハイドの様子に気がついて、そばまで歩いてきた。
「また、ジェシカが死んだ時の夢でも見てるのかしら?」
「……ハイド、母親を亡くしてるの?」
「ええ、ジェシカの最後を看取ったのはわたしだったけどね」
 そこからハイドの母親、『銀影』のジェシカの最後を聴いた。決して治らないわけではなかった病だったこと。お金を出しても怪盗だからという理由で、誰も薬を分けてくれなかったこと……ジェシカを亡くした時ハイドは13だった。
「怪盗といっても、ジェシカは義賊だった。不正で至福を肥やしていたバカどもから盗み、貧しい農民に分け与えていた。よく4つ星警官に変装していたわ」
「え……?」
 それはまるで。
「ほら、これよ」
 ジェシカは部屋の隅に飾ってある写真を指差した。ハイドとそっくりの端正な顔立ちに長いまつげ、そして銀色の髪を後ろで高い位置にひとつで結っている。
 なにをわたしは勘違いしていたんだろう。そうだ、これは間違いなく……。
「……ヨモギ? ミシェルが連れてきたのか?」
「起きたのねハイド。貴方が突然倒れたから。心配して、それでついきてくれたのよ。」
「ハイド? まっておかゆがあるわ!」
 わたしは何かを隠すように慌ててキッチンに走って行った。なべから少し移してお盆に載せて持って行った。
「ありがとう」
 ハイドはそう言って受け取ると、慎重にぱくりと食べた。
「……どう?」
「熱で良かった」
 ハイドがそういうとミシェルが吹き出した。
「米は原型とどめてなくてペースト状だし、味はでたらめだけど、まあ」
「まあってなによ、まあって!」
 わたしが声を荒げると、ハイドが手を止めて
「美味しい」
 ガラス玉みたいな青い瞳でまっすぐに見つめてそう言ったからわたしは顔が赤くなった。自分でもわかる。

 おかゆを食べ終わるとミシェルがまた、用事があると出て行ったせいで、わたしはハイドと二人きりになった。
「ヨモギ」
「なによぅ」
 ハイドの呼びかけにお皿を洗っていたわたしは口を尖らせて答えた。さっきのことがあって、まだ何だか落ちつかない。
「もっとこっち来いよ。言いたいことがある」
 病人をあまり放っておくのも気の毒だと思いなおし、わたしはおとなしくベッドのすぐそばにある椅子に腰掛けた。
「お前を部屋に入れるのは、もっと後にしようと思っていたのに」
 ハイドはそういうとわたしの首と腰に腕を回してきて、自分の胸板にわたしの頭を押しつけた。
「ひゃあっ! なにするのよ!」
 病人相手に突き飛ばすわけにもいかず、わたしは抵抗できなかった。
「今日はありがとう。合鍵渡しとく」
 ハイドはわたしの耳元でそう囁いた。
「何でよ、貴方の部屋の合鍵なんていらないわ! もう来ないもの!」
 ハイドは笑うとまた囁く。
「いつきてもいいよ。今日のお礼だから」
「大したことしていないわよ?」
「おかゆは確かにな」
 ハイドはいつだって軽口が減らない。なんだかさっきまでの自分がバカみたいでーー
「ヨモギ、そばにいてくれて、ありがとう」
「はあ!? べつに、何もしてないわよ!」
 ハイドはわたしの髪をなでると、そのまま不敵な笑みを浮かべて。
「また来い」
 そういうと、横になってそのまま寝てしまった。
 

「思い返せば、あれが原因よね」
 ミシェルは2人を残して正解だったと笑いながらハイドに語る。
「ヨモギ、あの子の深夜の見回りが心配だとかいって、コート着ようとせずに何時間も歩き回ったから」
「うるせーよミシェル!」
 言葉遣いはいつも通りだったが、結果オーライなのでハイドは上機嫌だった。 Fine



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