竜の巫女とそういうの特に関係ないので結婚したい竜王

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「だって、だからって手放せるわけないだろう?」


 その言葉は私を絶望させるには、あまりにも十分で、何よりも貴方らしいと私は思ってしまったのだ。


◇◇◇

 フスベという場所は、今でこそジムがあるため開かれた場所のように感じられるが、昔はそうではなかった。ドラゴンと共に生きる里ということで、フスベは山間にある。このような立地からもわかるように、フスベはドラゴンを守るための隠れ里だったのだ。ドラゴンポケモンたちの鱗や牙、爪といったものも、その珍しい卵も体も、命さえ、何もかもを“モノ”として取引されることが当たり前だった頃、ドラゴンと共に生きることに決めた人間たちが、彼らを守るためにこの場所に辿り着いたのだと伝えられている。
 そのような事情や歴史的な背景からか、フスベの人間たちにはドラゴンの血が混じっているとか、ドラゴンのようだと例えるものもいる。しかし、冷静に分析していけば、ドラゴンたちと共に過ごすうちに、彼らの考えや価値観を共有するようになったという説明の方が自然だろう。

 つまり何が言いたいかというと、この男は少々、人間というよりもドラゴンっぽくて。
 私はもっと「ドラゴン」に近い生き物だった。




 霊感というと、少し胡散臭い印象がある。第六感といった方が端的でわかりやすいだろう。私は第六感と呼ばれるものがとにかく優れているのだ。地震の予兆としてとりポケモンたちが一斉に巣を飛び立つ様子が世界各地で報告されるように、ポケモンたちは人間よりも第六感が優れており、自らの危険や災害を予知して回避することが知られているし、それは自然なものとしてポケモントレーナーならば理解できることだろう。それと同様に私にも「選んだ方が良い道」というものを理解する力が高い。左の道の方が近道だけど、なんとなく危ない気がする。もしかすると大岩が転がっているのかもしれない。だから、右の道を歩いて行こう。そのような能力だ。これは私の一族が、つまり長老の一族に連なる人間に出ることが多い、生存本能の一種といえるだろう。一族の中で、代替わりするように六十年に一人程度の周期で、第六感が優れたものが生まれる。その人の予言、予知を参考にすることでフスベは長くその形を保ってきたのだ。そして、その役割を持つ人間を、便宜的に「巫女」と呼ぶ。この「巫女」というのは宗教的な意味合いというよりも、助言者として長く立場を保障されてきた役職なのだ、と理解している。


 私は小さい頃から、その「なんとも言えないが、絶対にこっちに進まなくてはいけない」という感覚が鋭くて、その感覚を「みんなが持っているもの」だと勘違いしていた。うっかり祖母に話した時に言われたのだ。
『それは貴方しか持たない力なの。貴方は次代の「竜の巫女」なのよ。巫女の役割は、貴方自身が継がないといけない。逃げてしまっても、結局自分の子どもに巫女の役割が回ってくるから』
 その言葉の意味を、深く理解しないまま、幼い私は「これは私に必要なことで、これからは逃げられないんだ」とだけ理解して頷いた。


「ワタルくん、危ない」
「なんで?」
「“もうすぐ転ぶ”よ」
「うわあ! って、そういうことはもっと早く言ってくれないか!?」
「ごめんごめん、でも精一杯早く言ったし」
 人間の危機管理本能なんて、ドラゴンたちに比べれば大したことはない。せいぜいほんのちょっと危ない場所を避けられるくらいで、そんな能力がなくても、幼馴染ではとこの彼――ワタルくんが歩いている先に「石が転がっている、もうすぐつまづいて転ぶだろうな」ということぐらいちょっと観察すればわかることだ。つまりこの時、ワタルくんが転んだのは、「私が話しかけたせいで前方不注意になったから」だといえるだろう。
「はあ、さすが次代の巫女様のいうことは当たる」
「普通だよ。なんでワタルくんやイブキちゃんは分からないの? 本当は分かるでしょ?」
「分からないよ」
 私はまだ「自分だけが変わっているのだ」ということを受とめられておらず、実は彼らもそういう感覚があるのに、言語化できないから気がついていないだけだ、と信じて疑わなかった。そんな私へ彼は少し呆れたように、飽きたようにそう言って。膝についた砂をぱっぱと叩いてみせた。
 ワタルくんは親戚の子の中でも、いや、フスベという里の中でも、ずば抜けた才覚を持ち将来を期待されている子どもだった。イブキちゃんも同様に才能が見出されていくので、徐々に「彼にだけ」注目が降り注ぐことは少なくはなっていくのだが、やはり、彼はフスベの中で特別な子どもだった。
 だからだろうか、私のことを彼は「次代の竜の巫女」だと理解はしていても、「巫女様」として扱うことはなかったのだ。


◇◇◇


 ワタルくんやイブキちゃんが一人前のドラゴン使いになるために修行を始めた頃、私は何をしてもいなかった。
 外からの客人なら、フスベの人間は全員、修行を受けると思うかもしれないが、そうではない。希望者の中でかつ適性があるものだけが少しずつ階段を登っていくのだ。私は長老の血を引いているとはいえ、希望しなければ無理に当てられるということはないのである。


「二人は大変だねえ、朝から晩まで頑張って」
 ドラゴン使いの修行といっても、内容は多岐にわたる。ドラゴンポケモンたちの生態や勉強に加え、自身も人としての成長が求められる。ドラゴンたちの気持ちや考え方を理解しながらも、人間社会の常識も覚えなくちゃいけないなんて大変だなあと思っていた。
「まあでも、おれ自身が望んだことだから」
 そう話すワタルくんは少しも疲れた顔を見せずに、ズリのみが口の中で弾けるような、明るい笑顔で答えた。
「まあでも、いきなりフスベの外に放り出すのはやめてほしいかな……本当に食べられるかと思った」
「ワタルくん食べても美味しくなさそうなのにね」
「まったくだよ」
 そう彼はいった後に、「それって褒めてる?」なんて首をかしげるものだからまだまだ幼く見えた。まだ丸い輪郭もそうさせるのだろう。
 私たちは、まだやっとポケモンを触らせてもらえるようになっただけの子どもだったのに、その時は厳しい修行の合間に話せる安らぎの時間だったのだ。だからこそ、油断していた。私たちは何もできない小さな里の子どもから、少しだけ何かができるようになったと思っていたのだ。
 でもそれは違った。

「ワタルくん、ここから【絶対に先に行っちゃだめ】、【絶対にだめ】」
「どうしたんだ、突然」
「分からない、でも【だめ】」
「……」
 私はそう言い切ると、手足が震えてその場から動けなくなった。
 【だめだ、ここから先に行ってはだめだ。引き返さなくちゃいけない。絶対に進んではいけない】
 私の持っている力とは「予言」ではなく、やはり「危機察知」能力であり「自己防衛本能」なのだと、この時に思い知らされた。私は【ああ、あの人転んじゃうな】というような当たり障りのないこと以外で「力」が発動したことが初めてだった。
 その場から動けない私を見てただことではないと察したワタルくんは、一旦私を近くにあった木の幹に座らせた。
「どうしたんだ、【だめ】だけじゃ分からない。……他にもわかることは?」
「分からないけど、【とにかくだめ】、【だめ】なの」
 私は初めての感覚にどうすればいいかわからず、またワタルくんもその時に適切な状況判断をできずにいた。彼から当時のことを「異常事態が起きているんだと認識はしていたつもりだったが、振り返ってみれば、認識できていなかった」と教えてくれたことがある。


「ここで待っていてくれ、おれが様子を見てくる」
「…………えっ」
 その時のワタルくんの判断を、責めるつもりはない。
 なんといっても、フスベの周辺には里で面倒を見ている以外にもやせいでドラゴンたちが身を潜めていることがある。普通に里の周りを歩いているだけで出会うことはないが、「巣を探そうと思えば」見つかる……端的にいうと、フスベの周辺には悪意を持った密猟者が多かった。
 だから、ワタルくんは私の言葉にもなっていない「予言」を聞いて瞬時に「珍しいポケモンを狙って、密猟者が来ているのでは?」と理解し、ポケモンたちのことを心配したのだ。
「もちろん、何かあってもそのまますぐに帰ってくるさ。……おれたちまだ子どもなんだし」
「【だめだよ、ワタルくん】!!」
「……茂みから覗いて、様子だけでも伺っておかないと、報告のしようがないと思うんだ」
 彼はあの頃から同世代に比べて優秀だった。
 だからこそ、後の彼の言葉を借りるなら「おごっていた」。

 ワタルくんが行くと言うので、私も何とか立ち上がって「置いていかないで」と彼の服の裾を掴んだ。震えて動けない私に「何かあるよりは」ということを考えたのだろう。ワタルくんは私の手を引いて慎重に、極力音を立てないようにして歩き始めた。


「……あそこだ」
 小さいけれど、溢れ出す怒気を――いや、殺気を彼はその言葉に押し留めるように隠した。彼があごで指した先を見やればワタルくんは当時予想していた通り密猟者と思われる大人たちが小さな水場に巣を作っていた、タッツーたちを袋の中に押し込んでいた。私は音を立てないように自分を口を両手で塞ぐとそのまま大人たちの数を数えた。一、二、三――――五人はいる。これは完全に私たちの手に負える案件ではない。私は横目でワタルくんを見ると、彼も何も言わないまま頷いた。すぐに踵を返そうとした時、遠吠えが聞こえた。
「誰だ!?」
 まずい、私たちの存在を密猟者の連れていたポケモンが気が付いてしまった。そうだ、ポケモンたちは私たちより耳も鼻もずっと鋭い。うまく隠し通していたつもりでも、バレてしまうのは仕方がないことだった。
「逃げよう!」
「うん!!」
 ワタルくんに連れられて、私は蹴飛ばされたように走り出す。それこそ、本当に死に物狂いでだ。けれど、子どもの足なんてたかがしれていて、私たちは密猟者に捕まってしまった。

 【このことだったんだ】、と私は脳裏で「自分の予知」を理解した。
 様子を覗きにいくことすら、【だめ】だと分かっていたのに。【絶対にだめ】だと分かっていたのに。どうして私は彼を強く引き止めることができなかったのだろうと後悔した。私のせいで、私が自分の力を理解も信じもしなかったせいで彼も私もこんなに危険な目に遭っているのだ。


 ――――そうして、私たちは一度捕まったのだが、隙を見て逃げ出したらしいワタルくんのミニリュウがフスベへ知らせに行き、大人たちに助けられた。

 この事件を機に、私は自分の力を理解するように努めるために、「竜の巫女」という役割を受け入れる勉強を始めた。

 情けなかった、悔しかった、守れなかった、助けてあげられなかった、足手纏いだった、何も分かっていなかった、何の力もなかった、予言に逆らうことはできなかった、予言を生かすこともできなかった…………たくさんの自責の念があったからこそ、私はここまで自身の力を詳細に分析し、利用し、フスベで「竜の巫女」として生きていくことを選んだのだ。ずっと【その未来を受け入れる】ことがわかっていたからこそ、避けていたのに。

 その時に、私は自分の本当に大切な気持ちさえ、吐き出して、投げ捨てて、蓋を閉めてしまった。


◇◇◇


「【私がその人と結婚した方がいいね】」
「ううむ、やはりそうか……」
 そう重そうに声を漏らした長老は、あからさまに困ったという顔をして見せるけれど、私はその運命をずっと前から受け入れていたので、ああ、とうとう来てしまったのだな。という感じだった。
 
 フスベは変わろうとしている。昔のように里を閉鎖しなくても、人との交流を増やしジムという施設を利用して、たくさんのトレーナーを育成し、少しずつより「ドラゴンを理解し、共に歩む人間の輪」というものを広げようとしていた。
 そんな中で、時代とともに変化することができない役回りというものもあり、それが「竜の巫女」の役割であったことは違いない。

 端的にいうと、「竜の巫女」は他の里への捧げ物でもあるのだ。
 「竜の巫女」というのは、フスベにとってかけがえのない能力を持った人材である。そして、その能力はフスベに限らず必要とされる能力でもある。……それはつまり、貴重な「切り札」だということだ。フスベにとって「必要がある」と判断した時、巫女を外に嫁がせることでこの里は守られてきた。巫女一人の存在で、多くの争いが避けられてきたのだ。巫女はフスベにとって守り神のような存在であり、人柱としての役割も持ち合わせている。
 今回もそうだった。フスベと古くから縁のある豪商に「長老の一族で、最も意義のある娘を嫁として差し出せ」と要求された。その「意義のある娘」の言葉は「竜の巫女」を意味していると誰もが分かっていた。
 それでも本当に巫女が嫁ぐ必要があるのかは、巫女である私の判断に任された。

「その人が要求しているのは私の能力のことだし、かなり気難しい人みたいで……断ったら今の関係は、はっきり言って【維持できない】かな」
「ううむ……」
 必要とあらば「巫女」の身をも利用してきたが、そのやり方では、皆が心を痛める上に時代にそぐわないことは、長老自身が分かっていた。それに何より……大切な身内を差し出せと言われて、長老は「はい」と差し出せるような人ではなかった。だからこそ、私が「行かない」と言えば、その思いを尊重するつもりで、今回は話してくれたのだろう。
 しかし、私が【嫁がないとまずいことになる】と分かったのだし、私が「行く」と言ったため、長としての決断を迫られていた。


 たくさんのドラゴンたちを抱え、保護し、育てることは簡単ではない。文字通り最も難しいのは莫大な餌代など世話の費用である。削ることが出来ないポケモンたちの食費という問題はこのフスベをずっと悩ませている問題の一つだ。加えてこの豪商、古くから闇取引に出されたドラゴンたちを代わりに買いあげてはフスベに渡してくれるという裏とのパイプもあったのだ。今後もポケモンたちを助けていく、という方向のためにもこの商売を失敗させるためには行かない。そのため「どちらの取引先が、より良いのか」ということを見極められる私の力が必要とされたわけである。

「長老、私は大丈夫です」

 だって、私は「竜の巫女」だ。小さい頃からずっと分かっていたのだ。

「【フスベのために、フスベを出ていくことになる】と昔からわかっていましたから」

 ずっと昔から私はその役割は受け入れていた。だからこそ、ああやっときたのかというのが正直な感想だ。


◇◇◇


 ジョウト地方の伝統的な婚礼衣装は独特で、頭のものは角隠し、もしくは綿帽子と種類がある。私は角隠しを身にまとうことになったが、どうしてそれを角隠しと呼ぶのかは諸説あるが、幼い私は「ドラゴンだとバレないようにするため?」と尋ねて周囲を困惑させたのだっけ。「ドラゴンと血を交わした一族の末裔」という外の人間の言葉を真に受けていた時期があったのだ。
「今考えると馬鹿だよなあ、なあにが『竜の巫女』だか」
 馬鹿らしい。予知能力だなんて、生存本能の延長にあるものだろう。私は意地汚いほど、自分が生き残ることに固執しているだけだ。そう、私は周りを導くなんてそんな立派な存在なんかじゃない。フスベを守る重要な人材なんかじゃない。
「フスベの人間は、竜じゃない。ドラゴンポケモンと共に生きる人間だ」
 だからきっと、私が嫁いだ先の豪商も、私がただの人間だとわかればがっかりするだろう。

「どこにもいない。どこにも本当は『竜の巫女』なんていないのに。昔からの風習で、当時は科学が進歩していなかったからそういう人間に頼るしかなくて、偶然再現性があっただけ。私はただの人間だから、ただ自分のことにがめついだけの娘が嫁がされて、可哀想だなあ」

 なんて、大きい姿見を見ながら言っても、声は部屋の壁に吸い込まれるように消えていって、鏡の向こうにいる婚礼衣装の娘は口をつぐんだ。




 婚礼の儀の日程が決まった頃、一番に私の元へやってきたのはイブキちゃんだった。
「もう『竜の巫女』なんて、昔の役職に囚われる必要はないんじゃない!? だって」
「いいんだよイブキちゃん」
「何が」
 薄い天蓋てんがいが、彼女の透き通った空色の瞳を覆っていた。それがあまりに美しくて、りゅうのあなに流れる水を私に思い起こさせた。
「私がそうするって決めたの。竜の巫女だからっていうのももちろんあるけど、【フスベの外に嫁ぐ】ことはみえていたから……ずっと昔から、心の準備はできていたんだよ」
 私の意思だ、決して強制ではない。
 そう伝えると、イブキちゃんは唇を噛んでから、私に笑顔で祝辞を述べた。
 彼女は本当に心優しい人だ。そして、きっと彼女も“ドラゴンに近い”のだろう。だからきっと、私の本心を見抜いていた。

 小さい頃に押し留めてしまった、蓋をしてしまった、私の潜在意識を。




「がっかりするだろうなあって思うの」
「何が?」
 嫁入り道具をチェックしていた母親が、私の呟きに首をかしげた。
「だって私、本当は『竜の巫女』なんて変わった存在じゃあないんだよ。昔は気象衛星がなかったから、天気予報が欲しかった。天気を当てる人を崇めて、予知だなんだって騒いでた。でも私の力って、科学的な言葉で証明できる範囲だし。ちょっと大げさだと思うんだよね」
「まあたそんなことを言って」
 母は優しい人だ。フスベで生まれ、ドラゴンと共に生きた。だからこそ彼らの鋭い直観能力を知っていたし、私の力を素直に「素晴らしいもの」として受け止めて育ててくれた。でも、私は母のようにフスベの中で生きていくことはできないと“知って”から、なんでも母の言いなりにはなりたくないなと幼い反抗心を抱くようになったのだ。
「あのね、貴方にはやっぱり力があるのよ。神様が、貴方を助けるために。貴方が他の人を助けるために授けてくださった力……その力のことで、フスベを出ていかなくてはいけないのは……辛いでしょうけど。でもね、先方も素敵な方だったじゃない?」
「まあ、最後の部分は否定しないけど」
 先方の豪商の跡取り息子はいい人だった。優しくて穏やかだが、損切りが上手いのだという。お金の匂いを的確に嗅ぎ分け、交渉術も持っているらしいが……。

「次に損切りされるのは、私だと思うんだよな」

 だって私、ただの人間だし。


◇◇◇


 相手がたが指定したのは、ジョウト地方の伝統的な婚礼衣装、神前婚とくれば、必要なのは知識とリハーサル。つまり、三三九度やらなんやらと頭を抱えるようなことを繰り返しやるのだ。
「つ、疲れた」
「ご無理なさらず、僕もだいぶやられました……」
 私の許嫁はそういうと、ペットボトルのお茶を渡してくれた。お茶をその辺に置いておいても、蓋を閉めたらこぼれない。科学の力ってすごい。
 そう言って、私がお茶を飲もうと蓋を開けた時だった。遠くで物音がしたのだ。
「何か落ちたんですかね」
 私はぽかんと口を開いてそう言った。婚礼という手前、必要なものは山ほどあるのに、場所は限られている。広い会場を借りようと、裏方というのは存外狭いのだ。彼も首をかしげて「何かが壊れるような音でしたよね?」なんて言う。まあいいだろう、私たちが出ていくとリハーサルは中断せざるを得ないので、このままスタッフさんに祈りを捧げていれば……

 ――【違う、これは物が落ちた音じゃない】。

 そう直感して立ち上がる。
 周囲を見る、何も異変なんてないように見えるけれど、【違う】。

「あっ」
「どうしました……もしかして、何か感じ取ったんですか?」
 彼がそう、急いで立ち上がろうとしたけれど、私は彼の肩を掴んで無理やり座らせた。
「【そのままでいて】!!」
「……はい?」
「そうだ、君はそこを動かないほうがいい」

 静かに、けれどそれはを不快を知らせる声。

 竜が喉の下の方に持つという逆さに生えた鱗に触れた人の子は、竜の怒りを買い殺されてしまうと云う。
 【逆鱗に触れた】と直感した。




「ワタルくん!? いきなりどうしたの、【なんで壊してここに来た】の?」
「ああ、扉でリハーサル中だと止められたのでついな。あっはっは」
 怖い、何が怖いって目が全然笑っていないし、彼は「つい」で扉を壊してしまう人らしい。小さい頃はもっと可愛くて、おとなしかったような気がしないでもないのだが、どうして彼はこんなふうになってしまったのだろう。
 しかも、ワタルくんはチャンピオンになってから、ほとんどフスベに帰ってこなくなった。それだけ忙しいのだろう。だから、今回の結婚のことも知らないはずだ……と思っていたので、私は面食らった。

「私、『竜の巫女』として結婚することになったんですけど。どうしてワタルくんはリハーサルの邪魔を?」
「そりゃあ、君が他の男と結婚したら面白くないからだけど」

 ストレートな告白だった。
 少女漫画のヒーローみたいな、白馬に乗った王子様みたいな、ちょっとド直球すぎる告白だった。
 けれど、その告白の主はカイリューに乗ったはとこのワタルくんだった。

「初耳ですけど!」
「あれ。そうだったか……それはすまない。よし、ちゃんと言うけど、おれは君が好きなので、結婚しよう」

 死にかけてはいないが、走馬灯とはこのことか、というほどぐるぐると頭の中で思考が巡った。ワタルくんが私のことを好き? 結婚しよう? 待って、今私は許嫁の前でプロポーズをされた?
 頭が鈍器で打ち付けられたように痛い。…………違う、違う。本当に痛いのは。
 蓋をしたものを開きかける。それでも許嫁が息を呑む音を聞いて、冷水を浴びたように正気に戻った。

 それでも私は己の役割を全うしようと口を開いた。

「一応、私の結婚ってフスベの長の決定なので、そういうのはちょっと」
「君はいつもそうだ。さすがは『竜の巫女』、潔い」
「はいはい。じゃれつくのはこの辺で、私はリハーサルの続きがあるので」
「じゃあもう、決まっているから諦めろっていうのか」
「そうそう」
 私が彼の目を見ずにそう言えば、彼はツカツカと歩み寄ってきて、私の両肩を掴んだ。




「だって、だからって手放せるわけないだろう?」


 その言葉は私を絶望させるには、あまりにも十分で、何よりも貴方らしいと私は思ってしまったのだ。

「おれにとっては、昔からよくわからないし、どうでもいいんだ。そういうの。問題は、今自分が何ができて、本当はどうしたいか……じゃないかな」

 ああそうだ、そうだった。
 私はその言葉を聞いて、ついに閉じていた心の蓋を、大切な大切な宝箱を開けてしまったのだ。

「私、私は『竜の巫女』なんかじゃない」

 そうだ、そうだ。

「私は『竜の巫女』なんて人間でも、そんな力もない。だって、そんな力があったらフスベにいられなくなる……」
 
 自分が感じ取っていた【外に嫁ぐ】という感覚を肯定しなくてはいけなくなる。それが嫌だった。自分の人生を、自分の勝手な思い込みで決めてしまうのが、与えられたように進まなくてはいけないのが、自分のために生きていけないことが嫌だった。

「私は、ワタルくんと一緒にいたいのに」

 「竜の巫女」じゃなければ、ワタルくんとずっと一緒にいられるのに。

 その言葉を隠していた。




 あっ、私、ワタルくんと一緒にいるの好きだな。ほっとするな。
 そのことに気がついたのは、それこそワタルくんが修行を始める前のことだった。けれどその頃から私は【フスベのために、外に嫁がなくては行けない】という漠然とした確信を抱えていた。それが何なのかは言葉にできないけれど、ただ未来がそうなる。そのことを感じ取って、怖くなった。
 私、将来フスベから出ていかなくちゃいけない。そうしたら、ワタルくんとは一緒にいられなくなっちゃうな。……だったら、そんなの思い違いだったらいいんじゃん。私が「竜の巫女」じゃなかったら、ただの勘違いになるのに。

 そう、小さな私は思ったけれど、目の前でワタルくんを助けられなかったという強い自責の念から蓋をして、せめてワタルくんを助けられる人になりたいと思ったのだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい。私本当は、『竜の巫女』なんかじゃないんです。たくさん良くしていただいたのに、ごめんなさい。私はただの人間なんです! だから、貴方とは結婚できません!!」


◇◇◇


 そこからどうなったかは、ワタルくんに後日聞かされた。
 彼が言うには、結婚の話はなかったことになったが、今までよりもフスベに良い条件で話し合いを終えたらしい。どうしてそうなるのかと不思議に思ったが、その席にはワタルくんがいたと聞いて私は心の中で合掌。

「今はセキエイリーグに近い場所に家を借りて住んでいるんだが、君もこないか?」
「なんでいきなりそんな話を……」
 私はフスベが好きなんですけど、それに住み慣れたフスベを離れるのは不安だし……と眉をひそめると彼は不思議そうな顔をして返した。


「だって君は【フスベの外に嫁ぐ】んだろう。それに、『竜の巫女』だからとおれの預かり知らぬところで何かあるのは困る」
 そんな彼の発言に私は精一杯目を見開いて、なんで、という顔をした。しかし、そのぐらいで彼の決定が覆ることもなく、今は彼の小さな家で一緒に暮らしています。




 「竜の巫女」と呼ばれる存在は、確かにフスベには必要だったのだろう。だって昔は気象衛星がなかったから天気予報が欲しかった。ドラゴンたちを守るために、導く存在が必要だった。
 でも今は違う。だから、私の代で終わりにしよう。

 だってそういうの、非科学的だし。

 それに、大切なのは今自分がどうしたいのか、だから。【fin】





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