【ワタル視点】竜の巫女とそういうの特に関係ないので結婚したい竜王

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 彼女はおれのはとこで、昔からなんだか少し変わった子だった。


「ワタルくん、危ない」
「なんで?」
「“もうすぐ転ぶ”よ」
「うわあ!」
 彼女に言われた通り、前のめりに大きく転んだ。石につまづいて顔面からいったので、少し口の中が砂っぽい。
「って、そういうことはもっと早く言ってくれないか!?」
「ごめんごめん、でも精一杯早く言ったし」
 いや、早く言って欲しかったし、先に手を引いてくれれば前に進まずに済んだのに。そう思って口を尖らせた。
 彼女は少し変わった力を持っていて、未来に迫る危険な選択肢を事前に避けて行動する予知能力のようなものを持ち合わせていた。「“今日は午後から雨が降るから、布団は外に干さないほうがいい”よ」といった天気予報に始まり、今のような「“転ぶ”よ」もある。昔から、長老に連なる一族の誰かに発現するらしい。
「『竜の巫女』はフスベにとって特別な存在なんじゃ。昔から多くの災いや争い事を予言に従って避けることができたからこそ、フスベは今もここにある」
「へえ」
 まあ、そういうのはおれにとっては特に関係なくて。彼女はどういったラベリングをされようが、彼女じゃないかと思っていた。




 彼女の能力に関して、決定的なことが起こったのは、おれが修行を始めた頃だった。

「ワタルくん、ここから【絶対に先に行っちゃだめ】、【絶対にだめ】」
「どうしたんだ、突然」
「分からない、でも【だめ】」
 穏やかに会話をしていた彼女が、血相を変えてそう言った。いつもふんわりと色づいた頬は見る影もなかった。その顔を見て、当時未熟だったおれも異常事態であるとすぐに理解したのだ。そのためすぐに思考を切り替えて、状況を把握しようと動き出した。
 彼女に【だめ】の内容を詳しく尋ねようとしても、彼女は具体的なことがわからないのか、恐ろしくて言えないのか口をつぐんでしまった。

「ここで待っていてくれ、おれが様子を見てくる」
「…………えっ」
 彼女の予言通りなら、おそらくこの辺りの「危険」というのは密猟者のことだろうと目星をつけた。修行で少しばかり強くなった俺は自分ならやれる、できると過信していた。
「もちろん、何かあってもそのまますぐに帰ってくるさ。……おれたちまだ子どもなんだし」
「【だめだよ、ワタルくん】!!」
「……茂みから覗いて、様子だけでも伺っておかないと、報告のしようがないと思うんだ」
 そう言うと彼女は納得した上でついてきてくれたけれど、結局おれたちは密猟者に捕まってしまったのだ。情けないほど子供で思い上がっていた。その時におれは自分の気持ちを理解した。目の前で苦しんでいる彼女を見て、自分が情けないと思いそこからいっそう修行に励んでいった。結果的に、彼女は当時おれを救ってくれたのだと今は思っている。




 だから当たり前のように、彼女は自分と結婚するのだとばかり思っていたため、いきなり彼女が他の男と結婚すると聞かされて驚くよりも先に「ああ、とりあえず急いだほうがいいな」と思ったのだ。
 目の前で立ち塞がるものがいても、それはあまり関係がない。なぜならドラゴンたちはとても力強く、そして自分が一度愛したものを、見捨てることはないからだ。
「ワタルさん、すみませんが今式のリハーサル中なんです」
「静かに頑張っていらっしゃるので、どうかまた後日……」
 そう言って、仕事をしているガードマンに笑顔で「そこ、退いたほうがいいと思うよ。君たちが怪我をしてしまう」と告げてからカイリューにはかいこうせんを指示した。

「ワタルくん!? いきなりどうしたの、【なんで壊してここに来た】の?」
「ああ、扉でリハーサル中だと止められたのでついな。あっはっは」
 壊したことはしょうがないとはいえ、申し訳ない。後で謝っておこうとだけ思い、流した。
「私、『竜の巫女』として結婚することになったんですけど。どうしてワタルくんはリハーサルの邪魔を?」
「そりゃあ、君が他の男と結婚したら面白くないからだけど」
 そう告げただけで彼女はとても驚いたようだった。
「初耳ですけど!」
「あれ。そうだったか……それはすまない。よし、ちゃんと言うけど、おれは君が好きなので、結婚しよう」
 本当に言っていなかっただろうか、と思い返したけれど、言っていなかったもしれない。おれは案外うっかりしているところがあるらしいから仕方がないかあ、と笑うしかなかった。
「一応、私の結婚ってフスベの長の決定なので、そういうのはちょっと」
「君はいつもそうだ。さすがは『竜の巫女』、潔い」
 長の決定だから従う、それはいったい何世代前の結論だろう。おれなんてこの前、長の地位を譲ると言われて断ったばかりだというのに。彼女はとても真面目で、素直だ。けれど、本当の意味で素直じゃないことは、おれもイブキも知っていた。

「はいはい。じゃれつくのはこの辺で、私はリハーサルの続きがあるので」
「じゃあもう、決まっているから諦めろっていうのか」
「そうそう」
 知っていた。君のその言葉が本心ではないことも。あの時に、おれが君が本音を言うことを封じてしまったということも。結局それも含めておれの罪なのだ。だからこそ、果たさなくてはならない。

「だって、だからって手放せるわけないだろう?」

 そう言い切ると、おれ自身も肩の荷が降りたように軽くなった。そうだ、修行を通して強くなって、チャンピオンになって、君に言いたかったことがあるのだ。フスベのために、弱かったおれのために、そしてそんな自分を許せないと君は必死に頑張っていたけれど。おれはずっと、この言葉を言わなくてはいけないと秘めていた。

「おれにとっては、昔からよくわからないし、どうでもいいんだ。そういうの。問題は、今自分が何ができて、本当はどうしたいか……じゃないかな」

 その言葉でやっと彼女は目が覚めたような、憑き物が落ちたような顔をして、柔らかく笑った。

「私、私は『竜の巫女』なんかじゃない」

 そうだ。君は、おれの愛おしい人は、君自身でしかない。【FIN.】



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