演出家はテレワークを提案する

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「ほんと最近はあっつい」
「〜〜♪」
 ティアリスがそう呟くと、隣にいたバニプッチがそうだね、とシャララと涼しげな氷の音を醸し出す。その音がとても幻想的で、聴いただけで体中がマイナスイオンを浴びたように癒された。
 この音、いいな。舞台演出に使うなら、雪山のような冬の景色だけではなく、風鈴の音や主人公の悲しげな心情をあらわすのにちょうどいいかもしれない。
 そう、ティアリスは身の回りにあるものはなんでも舞台の材料にする。
「ありがとうね、バニプッチの方が暑いでしょう?」
 バニプッチはにっこり笑いながら、ゆらゆらと揺れる。私は大丈夫、そう伝えたいのだろう。
 リーグがあるセキエイこうげんは、ちょうどジョウト地方とカントー地方の中間に位置する。四季があるところも含めて故郷であるイッシュ地方に似ているが、こちらの方が蒸し暑いため体感温度がかなり高く、はっきり言って不快指数が高い。
 元々、舞台裏というのは暖房も冷房もさして効いていないことが多く、機械の周りは暑いか寒いかのどちらかで、人間のことなど二の次。舞台裏でウーハーをはじめとした音響機器を運ぶことに必要なのも、音響を整えるのに必要なのも体力だ。舞台の上はきらびやかで、輝いており、スポットライトに当たり続ける役者は熱中症との戦いということで、舞台は結局のところ体力勝負。そのため、ティアリスも体力には自信があったのだが……。
「さすがにちょっとしんどいね。よし、ここは流行に乗ろう」
 ティアリスの言葉に、バニプッチが可愛らしく首を傾げた。


「というわけで、今流行のテレワークにしようと思うんですよ。当分はセットを動かさないじゃないですか」
「そうだね」
 ライトの位置も、音響も、最近はワタルの気に入りが見つかったので、日々のメンテナンスだけでほとんどいじっていない。そもそも、ワタルがほぼ毎日照明の当て方を変えるようにいじくり回していた頃の方がおかしかったと言える。そんなに普段からバラシをさせるな、という話だ。
「ほら、ワタルさんも私いない方が涼しくていいと思うんですよね」
「待て待て待ちなさい、それはどういう意味かな、ティアリスさーん?」
「人間は発熱するという意味ですよ。部屋に人が増えたら冷房の温度を下げなくちゃいけないね、みたいな話です」
「ああなるほど」
 そう、ワタルはうなずいてくれた。
「それに、ワタルさんの顔見ると、なんか蒸し暑いんでやめとこうかと思って」
「あっはっは、なるほどね。よく言われるよ……っておい」

 ティアリスのテレワーク案は、ワタルが「おれがうっかり機材をやってしまっても良いならね?」と言われ、白紙になった。
 うーん、機材は大切だ。





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