「I have a bad feeling about this.」
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逃げるが勝ち?A

右手を犬飼くんに取られて2人廊下を歩く。案外自分の部屋から近かったようであっという間に部屋まで付いた。玄関の扉の横には犬飼くんの物と思われる鞄と紙袋が置いてあった。荷物を置いて私を追いかけてきたようだ。少し鞄が乱雑に置かれているし、紙袋はへしゃげているのもあった。荷物の中に例の紙袋が見えてちくりと胸が痛む。犬飼くんはその荷物を右手に持って私に部屋を開けるように促した。私はのろのろと鞄から部屋の鍵を出して開けて、犬飼くんを部屋に招き入れた。
「おれ、なんかした?」
部屋に入って扉を閉めてすぐに犬飼くんは優しく聞いてくれた。聞きながら鍵がかちゃりと閉まる音がした。犬飼くんが後ろ手に鍵をかけたようだった。ついチラリと貰ったであろうチョコの紙袋を見てしまう。それに目ざとく気づいたようで「クラスの子とかみんなチョコくれて、全部義理チョコだよ」と首をかしげて困った顔をされた。そうだよね、チョコをあげるとも言っていない私がそんな他の人からのチョコを貰うなとか言ったら困るよね。犬飼くんにだってクラスとかでのお付き合いもあるだろう。女友達に気軽に貰ったのかもしれない。でも、それでもそのチョコだけは「貰ってほしくなかった…」
ぽつりとつい本音が漏れる。
「チョコ、おれが貰うの嫌だった?」
私のその言葉をしっかり聞いていた犬飼くんは荷物を下に置いて私に聞き返す。
「おれが、他の女の子からチョコ貰うの、嫌だった?」
何もリアクションをしない私の肩に手を置いてもう一度言葉を変えてゆっくり聞いてきた。違うんだ。私はみんなに囲まれてニコニコ笑っている犬飼くんが好きだ。優しくて気が使えて女の子に人気のある犬飼くんが好きだ。だからみんなにちやほやされてチョコを貰う犬飼くんの事は嫌じゃない。そういうところも含めて犬飼くんだと思っているから。
「いいの、義理チョコでも、本命チョコでも貰ってくれたらいいの、けど…」
「けど?」
私のまとまりのない話をゆっくり待って聞いてくれる。
「そのチョコだけは私が一番に渡したかった。」
下に置いてあった例の紙袋を指さした。言ってしまった後はうつむいてしまう。あまりにも無茶苦茶な事を言うからひかれたりしていないかな、あきれられたりしていないかなと不安になる。
「どれ?これ?」
犬飼くんは私が指さした紙袋を一つ手に持って上にあげる。ちらりと見た私は頷いた。犬飼くんはそれを確認するとまた私の右手を取り、リビングの方に向かっていく。
「本命チョコでも貰ってくれたら良いっていうけどさ、本命は流石に貰わないよ。おれ本命っぽいのは断ってるってさっきみんなの前で言ったよね?尚美は聞いてなかったのかもしれないけど」
後ろから犬飼くんの背中を見る。そんなの聞いていない。いつ言ったのだろうか。ショックで頭の中が真っ白になっていた時かもしれない。リビングのソファーに座るように促される。私がいつもの定位置に座ると、犬飼くんはその右隣のこれまた定位置に座った。犬飼くんの膝の上には先ほどの紙袋が。
「これをおれに貰って欲しくなかった理由はなんで?本命でもいいんだよね?」
そう、本命チョコでも違うところのチョコなら何にも思わなかったのだ。相変わらずモテるなぁと思うだけだったと思う。何て説明しようかと考えていると、犬飼くんは紙袋をごそごそ漁り始めた。
「この、どう見ても義理チョコの数々がなんでだめなの?」
「え…」
犬飼くんがそう言いながら紙袋から出してきたものは手作りと思わしきラッピングされた小さなお菓子の数々だった。私が思っていたような、あのブランドのおしゃれな細長い箱は出てこない。
どうみても大人数に配るように作られたちょっとしたお菓子しか入っていなかった。
「ちなみに、他の紙袋もだいたいこんな感じだよ?」
犬飼くんは私の表情を伺うように言う。
「うそ…」
私は自分の勘違いだったことに気づく。まさか紙袋だけで中身が違うとは思わないじゃないか。
「何が嘘なの?」
「だってその袋…中身…」
「この紙袋の事?持ってた袋に入りきらなくて困ってたら、たまたま通りかかった綾辻ちゃんにもらったんだよ、袋余ってるからって」
「……」
とんでもない勘違いをしてしまった。勝手な思い違いで犬飼くんにとんだ迷惑をかけてしまった。綾辻ちゃんの親切を私は…。どうしようかと内心焦りでいっぱいになる。何も言えずにいたけど、勘の鋭い犬飼くんは私の表情を見て察したらしい。横でにやにや笑い始めた。
「尚美チャンは、おれにここのチョコくれようとしてたの?」
「……」
「おれが先に同じチョコを他の女の子に貰っちゃったと思ったの?」
「……」
「それでやきもち妬いてたの?」
その笑顔が本当にいやらしかった。人をおちょくるような笑いだった。けど、今回は私のミスだ。甘んじて受け入れる。
「尚美チャン、バレンタインの事何にも言ってなかったからくれないのかと思ってたけど、おれにチョコ用意してくれてたの?」
「……」
「あるんだ。嬉しいな」
繋いだままの右手をぎゅっと握られた。
「義理じゃないよね?」
伺うような視線で見てくる。せっかく聞いてきてくれているのだ。さっきまでの事は私の勘違いということが分かった。ここで素直にならないともう渡すチャンスは来ないと思った。
「…義理じゃないと思うよ」
そういって、握られていた手をそっとほどくと、鞄に手をやる。鞄の中には出番はまだかとずっと待ってたチョコがあった。両手でそっと持って犬飼くんの目の前に差し出す。
「チョコです、お納めください」
「ははっ、なんで義理チョコと渡し方一緒なの?」
犬飼くんはそう言いながら両手でしっかりとチョコを受け取ってくれた。それをみてほっと一息つく。良かった無事に渡せた。私の夢がかなった。胸をなでおろした。
「開けてもいい?」
嬉しそうに聞いてくる。
「うん」
私が頷くと同時に箱を開け始めた。留め具のゴムを取って。ゆっくり箱を開ける。そこには太陽系の惑星をデザインした繊細なチョコレートが並んでいた。
「あ、これ惑星になってんだ。すんげえきれいだね」
感心したように地球をデザインしたチョコを手に取る。
「これ貰ったら流石に本命ってわかるわ」
そういって地球を口に放り込んだ。意外と男らしく食べるんだな。
「尚美チャンは食べたことあるの?これ」
「ううん、いっつも母親が父親にあげてるのを見てただけ。お父さん絶対分けてくれなかったんだ」
兄弟3人で一個頂戴とおねだりしても「これは父さんのだからだめだ」と言って分けてくれなかった。だから見た目は知っていても味はわからない。
「そっか、味わからないんだ」
「うん、どんな味すっっ・・・」
どんな味するの?と聞こうとして途中で遮られた。いつのまにか空いた手で私の後頭部を掴まれ、唇を奪われた。触れるだけのキスかと思えば、唇をこじ開けられ、深いキスになる。思わず両手で押しのけようとするが、びくともしない。見た目に反して犬飼くんは力が強い。深いキスに呼吸が苦しくなり、食べられそうなほど貪られる。舌を合わされて気づく。いつもより甘く、チョコの味がした。きっと今犬飼くんが食べていたチョコの味だ。
「はぁ、っ…」
長いキスが終わり、ようやく解放される。不意にされたキスに私は恥ずかしさでいっぱいだった。いきなりキスしてきたかと思えばこんな濃厚なキスなんて、聞いていない。むっとして犬飼くんを見つめれば、
「尚美チャン次はどの味食べたい?リクエスト答えるよ?」
とにっこり笑って返された。



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