口紅

「わっ」


何もないところでいきなりつまづいた。
まだ換装してないから、転んだら痛いと思って踏ん張ったけど、それも滑った。
雨の日の廊下はこれだから嫌だ。濡れた靴はよく滑る。

「!!」
そう思ったら目の前にいた人に抱え込まれるように、抱き止められた。

「……大丈夫か?」

一瞬何が起こったかわからなかったが、この声はわかる。奈良坂君だ。
「ごめん!大丈夫!」

慌てて離れるが、心臓のドキドキが止まらない。

奈良坂君に抱きついてしまった!抱き止められた時の良い匂いとか、線が細そうに見えて意外としっかりした身体だとか、耳元で聞こえた声の良さだとか……考え出したら顔が熱を持っていくのがわかった。それがバレるのが恥ずかしくて、思わず顔を俯ける。

「ありがとう。お陰で転ばずに済んだよ」
「……それは良かった、気をつけろよ」

そう言って、奈良坂君はすぐに廊下を歩いて行ってしまった。顔を見ずにお礼を言ってしまった自分に、少し凹みながらも、奈良坂君の優しさに嬉しくなった。かっこよかったな。もっと可愛くお礼言えたらよかったのに。

その後自分の作戦室に行って、換装していつもの隊服を着て、個人ランク戦をしに行こうと歩いていると、前から同い年の馬鹿2人が歩いてきていた。

「おっ、良いところに!」
「お前知ってるか?」

米屋と出水はニヤニヤしながら話しかけてくる。

「ん?何?」

2人の話を聞くために立ち止まる。

「シャツに女の口紅つけてきたんだぜ、奈良坂」
「どうしたのか聞いても答えてくんねーんだよ」
「……!!!」

2人の話を聞いて血の気が引いた。
シャツに、口紅……!
やばいそれ絶対さっき私がつけたやつだ!

「あいつ彼女いるとか言ってたか?」
「いやーあれはそんなんじゃねーだろ。女の子泣かせてたりして」

いつも色付きリップを使っているので、それが付いたに違いない。気がつかなかった。どうしよう。何も知らない馬鹿2人の話は半分も聞こえてこなかった。頭の中は焦りでいっぱいになる。

「ん?お前どうした?」
「顔色悪いぜ?」

ようやく、何かおかしいと思ったのか、2人に顔を覗き込まれる。

「やばい……!謝ってこなきゃ!」

奈良坂君はきっと私がつけたって気づいてたはず。それでも何にも言わずにいてくれたんだ。私が気にすると思って。

謝罪とクリーニング代をと思いながら急いで三輪隊の作戦室へと向かうのだった。