12
救助隊と捜索隊によって、瓦礫が退かされる。ガラガラと安全を確認した上で崩された場所から中に入ると、そこにはたくさんの逃げ遅れた人々がいた。救助隊たちの姿を見て、喜ぶ者、ほっとしたように泣く者、一緒にいた人と抱き合う者。反応はそれぞれだ。
僕はその中で、爆弾の手前――座り込んで呆然としている名前を見つけた。緊張が解けたような、解けていないようなその姿はじっと爆弾のタイマーを見つめたまま。0.66秒。本当にギリギリだ。
「名前」
名前を呼ぶ。柄にもないことを言うが、一番今呼びたい名前だった。つい先程まで消えかけていた名前、存在。でも、今、目の前にいるのは、紛れもなく、名前だ。泥まみれで、汗でせっかくのメイクも崩れてしまっていて、ボロボロの姿だが。
「名前、」もう一度名前を呼び、彼女と向き合うように片膝をつく。ゆっくりとこちらに顔が向けられる。「………れ、安室、さん……」本当の僕の名前を呼ぼうとしたが、咄嗟に修正しているその姿に、思わず笑いが零れそうになる。
じわり、彼女の双眸に涙が滲む。あぁ、これは、ダメだ。
「よく頑張ったな」
そう伝えたのと同時に、彼女の体を優しく包み込む。名前が大声で泣き始めたのは、ちょうどその時だった。わんわんと泣くその体をぎゅっと抱きしめる。よく頑張った。どんなに明るく振舞っていても、怖かっただろう。ありがとう。生きてくれて、ありがとう。
柄にもなく、自分の手が震えていたことに、今更気がついた。彼女がこの手から零れ落ちそうな状況になって、改めて僕にとっての名前の存在の大きさに気がついた。彼女が落ち着くようにその背中を撫でる。自分を落ち着かせるためでもあった。
チラリと、彼女を抱きしめながら爆弾を見る。切られていたのは………白色。やはり、自分の推理は間違っていなかった。
森谷教授と名前の会話。ちょうど手洗から帰ってきたときに、扉の前で聞こえてきたもの。僕のラッキーカラーが青色だと名前は教授に言っていた。そして残されていた3分間という時間。最初は分からなかったが、それが僕の――降谷零の誕生日だと分かったとき、犯人の思惑も判明した。おぞましい、その思惑に。すぐさま名前に伝えようとしたが、扉が瓦礫によって埋もれてしまい、彼女に知らせる手段は完全に途絶えた。「おい!名前!聞こえるか!おい!」我も忘れて叫んでいた。青は切るな、白を切れ、誰にも聞こえてはいないだろうが、叫び続けた。僕が生きるためじゃない。名前を、失いたくなかった。
もう必要だとも思っていなかった、本当の誕生日。僕自身も忘れてしまっていたような、そんな些細な日だったはず。それを、名前だけが覚えていてくれた。出会ってくれてありがとう。生きてくれてありがとう。屈託のない彼女の言葉に、何かがこみ上げてきた。公安として、この人生に悔いはないはずだ。だけど、偽りがない本当の――俺のことを、彼女だけが、認めてくれたような気がした。同時に、二度と失いたくないと思った。全てを投げ出すことなんてできないが、それでも、守りたい、そう強く思った。そんな彼女が、この手から零れ落ちたら………考えるだけでも、もう…。いや、守ればいい。僕が、安室透が、俺が、降谷零が一生をかけて。
だから、よくやった、本当に。俺が守れないところで、勝手に死んだら許さないからな。
「生きてくれて、ありがとう」
服にどんどんと滲む名前の涙。生きている。この腕の中で、彼女は生きている。そのことを、五臓六腑全てで感じられるように、抱きしめる力を強めた。
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救助隊の指示に従って、ビルから出る。自分の上着を名前の肩にかけてやる。その細い肩を抱きながら、マスコミを避けるように愛車へと向かった。「降谷さん」途中、風見とすれ違う。風見は僕とその横にいる名前を見て、ほっとしたように息をついた。よほど心配してくれたのだろう。薄く笑う風見に頷いたあと、彼の後ろに視線を見遣る。森谷教授は警察によって連行されていった。呆然としたようなその表情を、冷たい目で見る。その動機は余りにも身勝手で、同情の余地はない。しっかりと裁きを受けるべきだ。そう思っていると、外気で汗が冷えてしまったのか、ぶるっと名前が身震いをしたのを肩にやった手から感じた。すぐさまその肩を強めに擦りながら、「ありがとう。後は頼んだぞ」それだけ風見に言って、車に乗り込んだ。
「よかったぁ………死ななくてほんとよかったぁ……」
ようやく落ち着いてきたが、未だにグズグズと泣きながら助手席に座る名前。ずるっと鼻水を啜っている。爆弾の解体なんて体験、普通はしないことだ。「怖くない」とは言ってたがそんなはずはない。落ち着けというのは酷だろうな。苦笑しながら、乱れてしまった前髪を整えてやる。泣きながら「ありがとうー……」と感謝を伝えるその姿が、何というか。名前が、名前すぎて。
「わっ………!」
もう堪えることができなかった。
力加減も考えないまま、本能のままその体を抱きしめた。名前を落ち着かせるための先程のそれとは違う。思うがまま、衝動のまま、彼女の細い体をかき抱いた。
ようやく呼吸ができた。
バクバクと心臓がまだ鳴り止まない。
よかった、彼女を失わなくて、本当によかった。
「呼んで」
「え?」
「名前、呼んでくれ」
肩に顔を埋める。名前の甘い香りが身体中に広がる。
「………零くん」
それは、世界で一番失いたくない声だ。
その名前を紡ぐ小さな唇を、掠めるように奪った。
今まで色んなものを取りこぼしてきた。これからも色んなものを捨てていくだろう。僕が……俺が選んだのは、そんな世界だ。そこに悔いも何も存在しない。あるのは使命、ただそれだけだ。
でも、彼女だけは、取りこぼしたくない。取りこぼしはない。
これも、俺の本能が指示する、使命だから。
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「そういえば」
「…ん?」
「何で、最後のコード青色を切ったんだ?」
それから彼女を家に送り届けるために走らせた車の中で、ようやく落ち着いた紗羅に疑問を投げかける。それは、純粋な疑問だった。
俺の青色がラッキーカラーと言っていた名前。森谷教授はそこをついてきて青色をブービートラップにした。名前が俺のラッキーカラーを選ぶことで死ぬ、と考えると恐ろしく感じたが、犯人の意図はよく分かった。青色を選ぶ理由は、数え切れないほどあったはずなのに。
「……あぁ!それはね……」
そう言いながら、名前は思い出したようにゴソゴソと紙袋を出してきた。
ソワソワとそれを俺に渡したがっているのが分かったので、適当なところで車を停める。「プレゼントだよ!」煤にまみれてしまったそれを受け取りながら、中を開ける。
「青色はね、零くんの目の色だから!だから切りたくなかったの!」
そう笑顔で言う彼女を驚いてみる。俺の手の中には、青色のネクタイ。
―――もう決めた。もう本当に絶対離さないから、覚悟しとけよな。
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