潮風の魔神(仮)2
望舒旅館。荻花洲の南に位置するそこは璃月港から離れているものの、行き届いたサービスと美しい景観で人気がある。そしてその人気は人間にとどまらない。あの降魔大聖と呼ばれる仙人ですらその旅館の利用者だ。とかなんとか心の中で言ってみるが、つまり魈がこの旅館を時折訪れているのを知っていた、と言うだけである。そして俺こと潮も利用者の一人としてここ数年高頻度で居座っている。
時々人間に扮して璃月港を覗きに行く事はあっても、それまで荻花洲の方まで訪れた事はなかった。その為最初は中々に新鮮だった。
極め付けは先程から話題に出しているこの望舒旅館だ。俺が魈の知り合いと知るや否やとっても親切にしてくれる。親切にしてくれるが必要以上の関わりはしない。これがプロの仕事か……と来たばかりの頃に感嘆したものだ。
違うそうじゃ無い、そう言う事を言いたいんじゃ無い。分かってる、これはただの現実逃避だ。海が一望できる望舒旅館の一部屋でベッドシーツにくるまりながら思わず盛大なため息を吐いた。
魔神もどき、潮。ただ今絶不調である。
そもそもことの発端はあの岩神モラクスだ。神の座を降りるだのなんだの言いつつまだ準備が整ってないだの、神の座を降りる時にもしかしたらオセルの封印を一時的に解くかもしれないだの、その時に渦の魔神オセルを封印している場所、孤雲閣を寝ぐらにしている俺には場所を移動してほしいだのなんだのかんだの。
確かに望舒旅館も海に囲まれた所だ。潮風がある場所なら俺は本来絶好調のはずだ。そう、『はず』なのだが現状絶不調。それには理由がある。
数千年前、モラクスの手違いで俺の力の一部は魔神オセルと一緒にあの孤雲閣に封印された。だから俺は封印の要である孤雲閣から遠ざかれば遠ざかる程不調になる。俺の一部が孤雲閣で、俺と繋がりそうで繋がらない糸のように手を伸ばしてる状態なのだ。無駄に体力が削られる。望舒旅館自体はとにかく居心地が良い場所なのだが、と何度肩を落としたことか。
もう一度ため息を吐いたところで部屋の扉が開く音がした。この部屋になんの断りもなく入る者など今のところ一人しかいない。顔を向けて部屋に迎える挨拶をしたい所だがシーツが俺を離してくれない。
足音も無く近付く気配。俺が丸まってるベッドに腰掛け、俺の顔にかかっているシーツをそっと浮かせ覗き込んで来る。表情の変化が乏しい彼だが、その顔は心配そうな色を滲ませていた。
「まだ調子は戻らないか」
落ち着いた低めの声が耳に届く。灯りを付けていない部屋で、入り口から差し込む光によって彼の髪が透けて水晶色に縁取られて見える。初めて会った日と似た様子が懐かしくて自然と笑みがこぼれた。
「大丈夫だよ、心配かけて悪いな魈」
「謝るくらいなら不調の理由を教えろ、業障じゃ無いのならなんなんだ」
「そう言うもんとしか言いようがなくてなぁ」
仙人たちは、モラクスの手違いで俺の力の一部が孤雲閣に封印された事を知らない。知らせる必要も無いからこれからも言うつもりは無い。だからこの不調についても「俺の身体の性質上そういうもの」として説明している。ただ、その説明で魈が納得していないのはご覧の通りだ。
「……ではせめて外に出ろ、潮風を受ければ幾分回復するだろう」
「んー、そうする」
のそりと起き上がり欠伸を一つ。目を開けたところで魈が手を差し出してくれていた。「ありがとう」と言いその手を掴み、やっとの事でベッドから立ち上がった。
立ち上がった段階で大きく伸びをして、その時点で既に扉へ歩みを進めていた魈をゆっくり追いかけた。
◆ ◆ ◆
バルコニーに出れば素晴らしい景観がそこにある。何度も見ているがやはり美しい物は飽きない。遠くから漂ってきた海の香りと風を肺いっぱいに吸い込み深呼吸をすれば、体内の不調が薄れていく気がする。早足に柵がある端まで行き、眼下に広がる川とそれを囲む崖を眺める。孤雲閣では見られない景色だ。柵に肘を付きぼーっと眺めていれば隣に魈が並ぶ。
「今日にはここを発つのだったか?」
「うん、そろそろ孤雲閣に戻らんと」
「妖魔退治は元々我の仕事だが?」
「いやいや、定期的に体動かさんと逆に滅入る」
だから海側の妖魔は俺に譲れ、とニッコリ笑ってやる。ジト、と半眼で魈に睨まれたとて怖くもなんとも無い。この仙人が優しい事を俺は充分知っている。
「いたーーー! うわ、増えてる!?」
突如甲高い声が背後から聞こえた。振り返ればそこには、宙に浮く白い仙霊のような妖精のような物と、日の光に反射してきらめく金髪の少年がいた。
「またお前たちか」
呆れたようにそう言う魈。一度顔を合わせているらしい様子が意外で、再び白と金の二人を見やる。もし魈と顔を合わせて話をしたのなら、彼は必ず次から近付かないように言うはずだ。普通の人間ならば仙人の気配というのは近づき過ぎれば有害だからだ。その事を魈が説明しないはずない。
ふと、金髪の少年と目が合った。背丈は俺と左程違いは無いだろう。見える所に神の目を掲げてはいないが、彼からは岩元素の気配がする。……いや、岩元素だけでは無い。魈の仙力に紛れてすぐには気付けなかったが風元素もある。神の目を二つ持っているのか? そんな人間今までいただろうか。
「待て! まだ消えないでくれ!」
金髪の少年と目が合ったまま考えを巡らせていたらまたもや甲高い声がした。まあ別に神の目は一人につき一つに限ると言う規約は聞いた事は無いから、そう言う事ももしかしたらあるのだろうと結論を保留にし、声の元を見る。
甲高い声の持ち主、白い仙霊もどきを見やればその手にはサラダが入れられているボウルがあった。ちなみに金髪の少年は杏仁豆腐が乗った皿を持っている。
「おまえの大好物の杏仁豆腐に、異国から来た旅人の料理、異国情緒あふれるサラダだぞ」
なるほど、さてはオーナーに魈の好物を聞いたな?
皿を二つ受け取った魈は、サラダに興味が湧かないのか「食べるか?」とでも言いたげに視線を寄越してきた。魈の為、というか魈に話を聞いて欲しくて用意された供物であるが俺が食べて良いのだろうか。……本人がこちらに流すなら良いか。
素直に受け取って、添えられていた箸で食べ始める。異国情緒とか言っていたがなんの変哲もないサラダだ。まあ美味しいので良し。
ああなんだ、モラクスのやつ今年の迎仙儀式で事を始めたのか。
俺に神の座を降りる計画を伝えてから数年、意外と早く行動を起こしたな。
◆ ◆ ◆
「岩王帝君に、そんな事があったとは……我には想像もつかない、どれだけ時代が移り変わろうとも、帝君がいない璃月など想像したこともないからな」
食べかけの杏仁豆腐をそのままに、気を落とした感情が込められた声。落ち込むのも無理は無い。魈はモラクスに恩と尊敬の念を持っているのだ。供物とはいえ普段ほぼ無い食欲も更に失せると言う物だ。……ここまで落ち込まれると本当の事を話してしまいそうだ。危ないから口は噤んでおこう。
「あの」
口を噤んでおこうと残りのサラダを頬張った所で、金髪少年に話しかけられた。うーん、なるべく喋りたく無いが仕方がない。
「なに?」
「貴方が、潮風の魔神ですか?」
「違う」
「えっ」
いや、ある意味では違わないのだが条件反射で否定してしまった。
「削月に『潮風の魔神』と言われたのならコイツで間違いない」
魈が訂正してくれた。が、これはこれで言葉が足りないためさらなる疑問符が金髪少年の顔に書いてある。説明が面倒だが、仕方ない……。
「仙人達には潮風の魔神と呼ばれているが正しくは魔神では無い。俺的にはどちらかと言うと仙人側に近いと思っているんだが、仙人でもないから訂正できていない状態なんだ。削月に『潮風の魔神』と言われてきたなら俺であってるが、俺が『潮風の魔神』かどうかで言ったら間違っている」
「……?」
言葉遊びみたいでややこしいのは分かっているので、手近な物で例えることにした。
「そこの白い仙霊もどきが仙霊では無いのと似た感じだ」
「なるほど」
「オイラは仙霊じゃない! パイモンだ!」
納得した少年の代わりに仙霊もどき、基パイモンとやらが喧しくなってしまった。
「そうか、俺の名前は潮だ」
「あ、俺は空」
そう言えばと思い名乗れば、金髪少年も名乗ってくれた。空か、良い名だ。
「削月築陽真君が、貴方のことを言ってました。『潮風を司る彼の方なら岩王帝君の死に気付いたはず、何故知らせなかったのか』と」
痛いところを突く。しかも魈の前で。
確かに潮風が運んでくる遠くの誰かがする噂話や騒動というのはある。岩王帝君の死など多くの人間が話す結果となるのだから潮風を頼りに聞いていたのでは無いか、それなのに何故我ら仙人に知らせの一つも無かったのか、せめて傍にいた降魔大聖には話すべきで無かったのか。削月はそう言いたいのだろう。
さて、どう言い訳したものか。
「……人間の噂話は大体の場合誰かを貶める為のものでもあるからね、端的に言うとその騒動の話を本気にしてなかった。考えても見ろ、あの岩王帝君が殺されるなんて誰が信じる? 少なくとも俺は信じなかった。……まあただ、禁忌滅却の札を持つ人間が態々知らせに来たとなると、流石に事実確認くらいはしようとは思うよ」
即席とはいえ我ながら上手いこと言い訳できたと思う。そう自画自賛していると、空が難しい顔をして口を開いた。
「つまり、潮さんはまだ信じていないと言う事?」
「なんでぇ!? 他の仙人達はすぐ信じてくれたぞ!?」
そりゃあ俺はモラクスが作ったお札なんぞに興味無いからな。仙人達のように、禁忌滅却の札を持つ人間を特別視するような心意義は持っていない。ただ、魈の手前明け透けに札を蔑ろにする事は憚られるのでこう言った形にした。
「俺たちは契約の神が作った国で生きる者だ。事実確認なんて契約の基本怠るわけ無いだろう?」
「うぐぐ……」
次の言葉を出せないのか、パイモンが唸っている。
「あとさん付けは好かない、魔神でも仙人でも無し、名前のままで良い」
「えと、じゃあ、潮?」
「なんだ空」
「事実確認をするという事は、今から璃月港に?」
「そうなるな、丁度今日ここを発つ予定だったし」
「じゃあ一緒に行かない?」
思っても見なかった提案に思わず目を丸くした。続く「魔神と呼ばれてるって事は強そうだし、一緒だと心強い」という言葉に合点がいく。なるほど、確かに手練れが複数いた方が道中で死ぬ確率が下がる。
チラリと、黙ったままの魈を見る。横目で俺の事を睨んでいた。魈の言いたい事は分かる。潮風が運んできた噂話を把握してたなら、その真偽は置いといて我に伝えておけば良かったものの。そう言いたいのだろう。
過ぎた事は仕方ないし、もし聞かれたとしても、モラクスに秘密にして欲しいとお願いされていたので言う事はなかっただろう。
そしてこの雰囲気は、魈に後で説教か質問攻めに合いそうである。魈に聞かれたとして、言わないという事はできるが言い淀むくらいはしそうだ。どうしても魈と目を合わせて話すと嘘を吐くのが下手くそになる。それならいっそ空というこの旅人に着いて行くのはアリだ。
「分かった、璃月港まで一緒に行こうか」
「おい」
「構わないだろう? 事実確認が出来たら戻る。その間に魈は削月達と今後の方針を話しておいてくれれば時間の無駄にはならない」
問答を続ければ平行線になるとこの時点で察して、寄りかかっていた柵から体を離し旅人の側へと立ち位置を変えた。
「善は急げだ、行こうか空」
「い、良いの?」
「こうなったら俺も魈も譲らないからな、行動に移した方が吉さ」
な? と魈を振り返るとすっと目を細められ腕を組んで見下ろすように見られた。そんな事しても俺より身長低いの知ってるぞ。
「……戻ったら説明して貰うぞ」
「了解了解、またな魈」
手を振ってそう言うと、魈からはさっさと行けと言わんばかりにしっしと手を払われた。その様子にカラカラと笑い、旅人の前を先行してバルコニーをあとにした。
孤雲閣に戻るのは少し先になりそうだ。