THE STONE WORLD


02

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「ナマエ?おい、ナマエ。それでは説明が足りない。もう少し詳しく・・・」

ゼノがその名前を呼ぶ声が、やけに不穏で仕方がなかった。

そろそろ見回りから戻ってくる頃合だ。部下のスケジュールは全て把握している。彼女のこともまた同じ。ナマエはこの世界では俺の部下という立ち位置で、そして・・・これについては昔から変わらない。俺が誰よりも愛する人。
数日前にいざこざがあって、あれから一言も話していない。顔を見てすらいない。どちらが悪いかと言われたら圧倒的に向こうだ。原因は彼女の発言。チームを良くしようとしての発言だとしても、あれはとても看過できるのではない。
だとしても、上官としての対応は最悪だったな。彼女が間違いを犯したのなら、あの場で正してやれば良かっただけだ。ただ一方的に話を終わらせ、挙句の果てには『なかったことにしてやる』と、切り捨てた俺にも非はあった。

ナマエは物事をはっきりさせるタイプだ。喧嘩した時はいつも、その日のうちに向こうの方からケリをつけにやってくる。たとえ俺がやらかした時でも、必ずその日のうちに俺のところに・・・。
が、今回は違った。あれから4日。しかももうすぐ日付を越してしまう。それなのにいつまで経っても顔を出さない。普段と違う彼女に柄にもなく戸惑った。灰皿にはいつもより段違いに多い量の煙草が押し付けられている。それがなによりも今の俺の感情を代弁していた。

「スタン、喧嘩中のところ悪いが」

ゼノは通話を終えたらしくヘッドセットを外した。なにやら忙しなくあちこちの棚に手を伸ばしている。

「今すぐナマエの元へ向かえ」
「あー、なに。どうしたよ。アイツどっかでくたばったの?」

冗談交じり言ったら、ゼノは淡々とした口調で教えてくれる。

「咬まれたらしい」
「・・・なんて?」
「咬まれた、と。・・・たったそれだけだ。それだけ言って切れた」

反射的に立ち上がった。咬まれた?何に。そりゃ、なんらかの動物にだ。ここらの森に出没する動物。
・・・に、ナマエが咬まれた?
人間を咬むとしたら、二種類だ。あの馬鹿でもさすがに川に飛び込むことはないだろう。ワニではない。それなら必然的に残りは一種だけ。オオカミ。オオカミだ。それしかない。

「っんのッ・・・!クッソ!」
「待てスタン」

ライフルを持って即座に出ていこうとする俺を、ゼノは冷静に引き止めた。すぐに向かえと言ったくせに、という文句は口には出さず振り返る。
ゼノは俺よりも随分とキレる頭で物事を考えている。呼び止めたからには何か意味があるはずだ。

「『咬まれた』とは言っても、例えば『咬みちぎられた』ではない。彼女の声は激痛に悶えるような感じではなかった」
「ああ、そう、それで?」
「そんなことよりも、もしもナマエを襲ったソレが狂犬病にでも罹っていたとしたら一大事。それに破傷風も心配だ」
「っかってんよ、んなこたァ・・・」
「特に狂犬病は現代の医学でも治療法が確立されていない。つまり、人間が発病したらその死亡率は」

そこまで言うと、ゼノは突然口を閉じた。流暢に話していたくせに・・・ああ分かってる。わざわざ教えてくれなくても。

100%
狂犬病の死亡率は100%だ。
・・・発病率はともかく。

ゼノは数秒間を空けてから、至って落ち着いた様子で袋を差し出してきた。中にはいくつか物が入っている。

「無線はいつでも繋げておいてくれ。見つけ次第報告を。大抵の医療道具はこの中に入っている」
「・・・分かった、助かる」
「今現在、外気温は42.8°F(6℃)。君もよく知る通り、海岸からの風が冷たいので体感温度はもっと低いはずだ」
「早く見つけねぇと・・・感染症の前に凍え死ぬってか」
「そういうことだ。それから、君の部下には僕から呼びかけておこう。森にいる者、城にいる者それぞれに指示を出しておく」

彼女が今どんな状況にあるのかは分からないが、おそらく連絡手段はない。この森の中をたった一人で探すには困難だ。応援は必須。
相変わらずゼノのフォローは的確過ぎる。心の底から感謝しながら、今度こそ森へ向かった。



12月23日
日付はとっくに越えていた。

深夜なので飛行機は飛ばせない。両足を全速力で動かしながら、真っ暗な森の中をひたすら走り続ける。冷たい。空気が限りなく冷たい。喉が凍ってしまいそうだ。呼吸の度にヒリヒリと痛みに襲われる。当然だが煙草は城に置いてきた。だが口寂しさなど感じていられる暇はなかった。
彼女のいる場所はおおよそ見当がついていた。怪我をしたら、それがよほどの重傷でないかぎり、即座に水のある場所に移動するはず。怪我はすぐに水で洗う。ただの一般常識だ。未だに城に戻ったという報告はないから、彼女はおそらく森の向こうの川へ向かったということ。それならば、まずはまっすぐ森を抜けるだけだ。

川に出た。右、左と素早く顔の向きを入れ替え、気配がないと分かれば、またすぐに別の場所へ向かおうと地面を蹴る。

「あ、れッ」

そう、蹴ろうとしたその時。すぐそこに見慣れた服が落ちていた。見間違えるわけもない、あれはあいつがいつも身につけているジャケット。それを即座に拾い上げると、その場で体を回転させるようにぐるりと見渡した。
近くにいるはずだ。これがあったからには必ず近くにいるはずだ。その服に血がついていることにも気づかないほど、必死に辺りを見渡す。その予想は当たり前のように的中した。少し離れた場所の木の影から、人の足が伸びていた。

「ナマエ・・・、!あぁ、ナマエ!」

数日ぶりの彼女は意識がなかった。一目見ただけで分かった。人形のような様相。それだけではない、それだけではない!
所属は違えど同じ米軍、全身鍛えられているとはいえ、自分と比べたら何回りも細いその体が、このクソ寒い中タンクトップ一枚で気を失っている。その事実が今以上に自分を焦らせた。
今しがた拾った服やライフルを投げ捨て、ほとんど首を絞めるような動作で脈を調べた。大丈夫、ちゃんと生きてる。それに安堵する間もなく、その体の異常な熱を初めて認識する。いや、冷たいはずだろ。今の気温何度だと思ってんだ。いくらなんでも熱すぎる。
ぷらんと垂れ下がる左腕には、まさに『咬まれた跡』が深く刻まれていた。やはりオオカミで間違いない。そんなものに咬まれたとあったら、さっきゼノが言っていた通り、すぐにでも感染症対策のための薬を打たなければならない。旧世界でも大変な事態なのに、この鬱蒼とした森に住まう野生の獣のそれは明らかに毒性が強く、当たり前のように死亡率もあがっ

「・・・おいスタン!僕の話を聞け!」

その時、ゼノの大声がした。そうか、無線をずっと繋げていたのだ。何度も呼びかけられていたようだが、全く聞こえていなかった。我に返ったように「ゼノ」と返事をする。

「冷静に。まずは状況を」
「・・・ああ、ああ。・・・見っけたよ。ナマエは川沿いで気ィ失ってる」
「生きているんだな?怪我の程度は?」
「やっぱオオカミだ。左腕に一箇所、深い傷だ。今も血が止まってねぇ」

その言葉通り、彼女の左腕の傷からはどくどくと血が流れ続けていた。全身が土で汚れている中、左腕の肘から下だけ綺麗に水で洗われている。中途半端に巻かれた血濡れの布切れを見るに、止血しようとした痕跡はあるが、その甲斐なく気を失ってしまったようだ。
ゼノに持たされた比較的清潔な布を上から押し当て、止血を始める。

「スタン、続けてくれ。他に怪我は?」
「肩と腹に引っかき傷がある・・・が、それは大して酷くねぇ。ま、感染はヤベぇが。返り血もかかっちまってるし」
「爪だな。おそらく腕を咬まれた後、地面に押し倒されたんだ。・・・返り血ということは、ナイフか何かで反撃をしたのか」

ハッとした。言われてみれば、こいつは銃を使ったのか?
襲われた場所は別のようだから、重たい銃が近くに見当たらないのは理解できる。その場に置いてきたのだろう。そうではなく、彼女の体から少しも硝煙の臭いがしない。水で洗われたか?

「いや、ゼノ。んなことよりも・・・こいつ有り得ねぇほど熱い」
「熱い?」
「ナマエ・・・この寒い中、上半身一枚になって寝てんだ。信じられっかよ・・・」

そりゃ、こんな傷を作ってこんな寒い中にいたら、熱くらいは当たり前だ。暑かったのだろう。そして寒くもあったはずだ。にしても、ここまで脱がなくてもよかったのに。
額や首筋にぺたぺたと手を当てながら、左腕の止血を続ける。しかしゼノは違和感を口にした。

「熱?おかしい。犬に咬まれたとて、こんな短時間で発熱は起こらない。発症までに少なくとも数日はかかるはずだ」
「でも実際、熱出てんだが」
「さて何故だろう。最初から熱があったのなら得心いくが」
「は?何言ってんだ」
「・・・ああ、そうか!そういえばそうだった、納得がいった」

なにやら勝手に一人で納得しているが、俺にはゼノが何を考えているのかまったく見当もついていなかった。それが伝わったのか、すぐに解説が始まった。

「これはただの憶測だ。知っての通り、僕はずっと研究室に閉じこもっていたから最近の彼女を知らないのだが」
「なに、何の話だ」
「スタン・・・最近は君の方こそナマエと目も合わせていないそうだな」
「・・・あ?何が言いてぇ」
「ああ、もう一度同じことを言うよ」

君は最近、ナマエと目を合わせていないようだな。
口も聞かない、すれ違いもしない。それならば、もし彼女に発熱があろうと気づかないのにも無理はないだろう?

「・・・は?」

俺の反応は無視して、ゼノはペラペラと話し続ける。
軍人とあらば、己の体調管理についてはまずなによりも重大視される。そうだ、体の不調を隠すためだよ。いつもならすぐに和解しにくるナマエが君の元に現れなかったのは。
ナマエはこう考えたのだよ。体調を崩したと分かれば、さらにスタンの気を悪くしてしまうかもしれない。喧嘩中ならなおさらだ。ああ、そんな状態では君に近寄れるわけもないね。

「つまり・・・彼女のその熱は、やはり単なる風邪か何かだ。おそらく数日前からの。僕が言いたいことはそれだよ」

そのゼノの声がそのまま頭の中を侵食していくようで、とてつもなく不快な気分に襲われた。

「・・・待て、ゼノ、・・・あんた何言って」
「おお!すまない混乱させた。今の言葉は忘れろ」

いや、忘れられるか。
なに?風邪?・・・熱?が、あったということか?そんなことは知らない。誰からも聞いていないし、ゼノから言われるまで考えもしなかった。口止めされていたか?俺自身とは話をしなくても、あいつがいつも仲良くしている部下は多くいる。
こんな高熱で、こんな地獄のように寒い森の中にいたってか?んだこの馬鹿、ありえねぇ、ホンットに・・・!

「おいゼノ・・・!今のそれ、」
「ああ、すまない。今こんな話をすべきではなかった。僕も心のどこかでは動揺していたようだ。反省している」
「んなこたァいい・・・!」
「しかしスタン、今はナマエだ。噛まれた上に熱があるのなら事態は一刻を争う。とにかく止血が済んだらすぐに戻ってくるんだ。いいね?」

動揺がどうとか言っているが、それでもゼノは俺よりも冷静だった。いつもなら考えることなく動く手が、ゼノの指示なしではいちいちもたついてしまう。
愛する彼女は俺の知らないところで危機に瀕していて・・・俺の知らないところでこんなにも苦しんでいた。

っんだこれ、顔向けできねぇ・・・。
あぁ、・・・俺がさっさと気づいてやれば。
・・・WTF!!!



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