THE STONE WORLD


ただ、近くにいてくれさえすれば





四月、成田空港国際線。
おろしたばかりのスーツだろうか。見慣れた白衣じゃないのが新鮮ではあるけれど、それにしても地味に似合っているのが腹立たしい。この人相の悪い笑顔が素敵な科学者は、もう少ししたら私の目の前からいなくなってしまうそうだ。未だに信じられない。
「名前。手、出せ」
「手?」
「おら。早くしろ、時間がねえ」
千空に急かされ、私は訳も分からないまま右手を差し出した。それと同時に千空は懐から何かを取り出し、私の手の平の上に無造作に乗せた。少し冷たいので、何かと思えば。
鍵だった。
「何これ、どこの鍵・・・?」
「俺んち」
「え!?なんで?」
「今親父もいねーから、俺まで消えたら長い間無人になっちまうだろ」
「そんな。だからって私が持ってても仕方ないじゃん」
「掃除、頼むぞ」
おい。
「千空の部屋荒らしちゃうよ」
「俺の部屋なんて見飽きてんだろ。余計なことはしねーで、最低限ゴキが出ねえ程度にやってくれりゃあそれでいい」
「結構現実的なお願いだね・・・」
「そりゃな?あ、そーだ。ちなみに言うとだな、それ合鍵じゃねえから。それ失くしたらもうオシマイだからな」
「は?」
「ククク。これで俺は、まず真っ先にテメーのとこに帰ってこなきゃなんねえってことだ。意味分かるか?とりま大事にしまっとけよ」
ふざけたことを立て続けに言う千空。こうなったらもう仕方ない。石神家に入り浸ろ。
「・・・そろそろだな」
腕時計を見て、そんなことを呟く千空。うわあコレ映画で見るやつ〜。私があからさまに表情を変えたからか、千空は即座に口を開いた。
「んだよ、さっさと日本から出てって欲しいんじゃなかったのか?」
千空は相変わらずの態度で、良い顔をしない私のことをじいと見下ろしている。今だから言うけれど、その言葉は本心であっても本気じゃなかった。もちろん千空には世界で活躍して欲しいと本気で思っているよ。でも、千空と会えなくなることを本心から望んでいる訳ではないのです。
・・・なんていうことを、他人の私がおこがましく呟いてみる。しかし今の私の心の声が、もしかしたら千空には届いたのかもしれない。彼にしては珍しく、搭乗口に向かう直前にこんなことを要求してきた。
「・・・あ"〜最後に。ちょい抱かせろ」
突拍子もない彼の言葉に、私はポカンと口を開ける。・・・だ、抱かせろ?って言ったの?だかせろ?ダカセロ?呆然とする私に構うことなく、千空はこちらに歩み寄ってくる。
それから、私の頭を抱き締めた。
人目も気にせず大胆に、大きな手で包まれる。見事に『抱』という文字を体現しているようだ。意外にも千空は身長が高いから、小柄な私は彼の腕の中にすっぽりと収まってしまっていた。少しも動けず、何も考えることができず、ただじっとするばかり。
「知ってるか?実際、この世は合理的な思想だけじゃ成り立たねえ。俺が言うのもなんだがな」
「・・・突然、なに?」
「覚えてるか?テメー、自分で言ってたあの質問のこと」
「質問って・・・千空に対する質問なんていくらでもあるけど」

「俺がどうして国内にこだわるのか」

「ああ、それ・・・うん、たしかに聞いたね」
「簡単な話だ」
千空の手に、力がこもる。
コレ・・ができねえんだよ、日本を出ちまうとな。ついでに言うと、科学は場所を選ばねえ。進学先なんてぶっちゃけどこでも良いんだ。ただお前が・・・・・・」
最後、千空が何を言ったのか、私にはよく聞こえなかった。・・・のではなく、単に聞こえないフリをしていただけだ。余計なことを聞いてしまうと、より一層別れが惜しくなるから。
私はゆっくり目を閉じた。



ただ、近くにいてくれさえすれば
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